ペペロンチーニを頬張る(2000.7.4) 私の家にはガスコンロ、いや正確にはプロパンガスに繋がっているコンロがない。あるのはカセットコンロのみで、調理する際、火が出る道具は七厘を除いて、このカセットコンロのみである。一人暮らしを始めて早9年目になるが、ちゃんとしたガスコンロを所有していたことは無かった。必要を感じたことが無いこともなかったが、必要がある時の方が圧倒的に少ないという理由から今まで欲しいと感じたことはない。珈琲はコーヒーメーカー、御飯は炊飯器、お弁当は電子レンジ、それで充分であるし、カップ麺を食べたくなれば、お湯を沸かすくらいは、カセットコンロで用が足りる。
特に自炊を熱心に行う人間でない限りはカセットコンロだけで生活していけるものだ。だいたい私の食生活は外食が多い。外食の多い人間が時々何を間違ったか思いつきで自炊なるものをやり始めると大変なことになる。先ず材料。最近は一人暮らし用の食材が小分けにして売られていたりするのだが、大体においてそれらの商品は通常に比べてはるかに高い。ゆえに野菜などは季節のものを丸ごと買った方が安かったりするのだが、これが落とし穴である。キャベツ丸ごと1個なんか購入してしまった日には手がつけられない。その日使う量を包丁で切り取り、残りは2週間後に変わり果てた姿となって台所の隅で発見される。異臭と共に。
ちょっとどうかしていると思われる姿のキャベツはちょっとどうかしないと触る気も起きず、見なかったことにして戸棚を閉める。そのことをすっかり忘れ、さらに数週間後、もはやそれが何であったか解らないような姿となって彼は再び私の前に現れる。ごめんなさい、もうしません。
食材だけではない。調味料もまた曲者である。塩や砂糖は別として、オリーブオイルや醤油はすぐ悪くなる。思いつきで自炊をすると、すぐこういうものを買いたがるのも常である。「お徳用」だとか書かれたボトルに敏感に反応し、ばかでかいオイルを購入。一体何のつもりだろうか使い切る術はない。フェンネ、パプリカ、バジリコ、綺麗な小瓶が店頭に並んでいる。心躍る商品たちである。乙女かオレは。何に使うのかも分かっていないくせに、こういうものを購入したがる衝動を持ってしまう私はちょっぴりお茶目な少女の心を持つキャンディー・P・ミルキー。ちなみに P は Pretty の P であるかもしれない。いや、話がそれた。
普段自炊を行わない私ではあるが、時々無性に喰いたくなる料理がある。ペペロンチーニがそれだ。ペペロンチーニとペペロンチーノ、果たしてどちらが正しい名称なのか、はたまた元々違う食い物なのか、知っていたら教えてください。私が初めてペペロンチーニを食したのは大学3年生の頃であったか。とはいうものの、某便利雑貨店でチンして食べるような本格的なイタリア料理だと考えていただければ幸いである。
それまで、見た目の味気なさに購買意欲をそそられなかった件の商品であるが、たまたま深夜、例の便利雑貨店に赴いた際、その商品のみが売れ残っているという危機的な状況に立たされたことがあった。空腹に絶えかねていたため、やむなくこれを購入した。帰宅して貪り食うと、これが意外なほどに旨かった。オリーブオイルで炒められたニンニクとカリッと揚がったベーコンの香りが混ざり合って歯に絡む。トウガラシのピリピリが食欲をそそる。ああ、腹が減ってきたではないか。私にもう少し文才があればこれを読んでいる人達をペペロン教団に入信させる事ができたのであるが無念だ。
こんなに旨いものを今まで食さなかったなんて私はなんて愚かな人間だったのだろう。食事を終えると、すぐさま車に乗り込み、件の店へ。深夜1時を過ぎていたため、総菜コーナーには既に新しい商品がずらりと並んでいた。しかしもはやこの男を誰にも止めることはできなかった。ペペロン教を崇拝し、理想のペペロン郷を築くべく、ペペロン男は一直線にペペロンチーニを目指し、むんずと2パックを掴むと、躊躇することなくレジへと向かった。ホットドッグよさらばだ。チーズバーガー、達者でな。紅鮭弁当よ、キミとの仲も今日が限りだ。肉まん、キミにはもう少しだけ世話になるかもしれない。
しかし、私のヒット商品、ペペロンチーニは間もなく店頭から消えた。私というものがありながらそれはないのではないか、ペペロンよ。私以外の人間は買わなかったのだろうかペペロンチーニ。さめざめと枕を濡らす日々が続いた。戦友を失った帰還兵のように、そして若くして愛する夫を失った未亡人のように、呆然と毎日を過ごしていたある日、彼は帰ってきた。ペペロンっ。ああ、ペペロン。店内にてむせび泣きながら総菜パックに頬ずりする、ちょっとあれな男が佇んでいた。
しかし、彼に以前の面影はなかった。体はひとまわり大きくなったようだ。「大盛り」。何だそれは。まあ、それは許そう。大食の私にとってはありがたいではないか。しかしなんだ。その赤と黄色のピーマンは。私はペペロンチーニにそんなものを入れろと頼んだ覚えはないぞ。トウガラシの量が少なくなっているではないか。ニンニクの香りも薄くなった気がする。ああ、ペペロンチーニよ、君はいつからそんな軟弱な人間に成り下がってしまったんだ。
悲劇的な再会とはこういうことを言うのであろう。言わないか。とにかく私はその商品を購入することを止めてしまった。あの思いでのペペロンチーニを食べたい。その一心で私は台所に立つのである。いつの日かあの味を再現し、あのペペロンチーニを口いっぱい頬張るのだ。ペペロン王国への道は長く険しい。
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