タメ口を叩く(2000.7.18)



 日本には敬語と呼ばれることばがある。読んで字のごとし、相手を敬うことばである。このようなことばがいつ頃生み出されたのかは不明である。日本語というものが文字資料となって記録されたのは魏志倭人伝が初めであると伝え聞くが、そこに書かれた文字が果たしてどのような音で読まれたかという問題となると些か憶測の域を脱し得ない。魏志倭人伝は言うまでもなく当時の中国の文字、漢字で記されたものであり、表記法もおそらく中国のそれに頼ったであろうから、件の書から当時の日本語がどのようであったのかを類推することはほとんど不可能である。

 やがて8世紀頃になると万葉集などに、漢字ではあるが日本人の手による日本語の記録が残されるようになる。おおよそが漢字の音を使った当て字であるとされるが、ここにいたってようやく当時の日本語の発音体系が徐々に明らかとなってくるでおじゃる。しかしながら、これらのことばはいわゆる文語、書きことばであって、一部上流階級の知識人によって用いられていたものであることは言うまでもなく、当時の庶民がどのようなことばで挨拶を交わし、恋をしたかどうかというのはまた別のお話でありんす。時代は下って室町に入ると抄物、キリシタン資料など、いわゆる口語資料が見られるようになり、現代語とかなり近いことばも見られるようになりマース。江戸期に入るとまず上方を中心に文化が栄えまんがなですが、後半に入ると江戸語の資料も見られるようになりてやんでい、それまでとは異質なことばが現れるでござる。ニンニン。このころの資料からは話し言葉の上で方言があることが確認できると言えるだろう。

 まあ、このように文字資料から当時、実際に用いられていたことばを明確に描き出すというのは非常に困難であることが窺えよう。しかし勿論、口語であろうと文語であろうと、敬語のようなニュアンスを醸し出すフレーズというか、特定の相手に対して特定の言葉遣いを用いるという場合はおそらくあったであろうと考えられる。

しかしながら近現代の敬語。

「いるか?」→「いますか?」→「いらっしゃいますか?」→「いらっしゃいますでしょうか?」→「イラッシャアイ」

「くれた」→「もらった」→「いただいた」→「いただきマンモス」

のような、状況に合わせて段階を追って丁寧になる敬語が登場するのは、私の勝手な憶測ではあるが明治以降ではないだろうか。現在は現在で、これまた珍妙な敬語というか丁寧語という類のことばが次々と生み出されている。

 「〜っス」というのがそれである。主にジャージを着用することを掟とする人々によって生み出されたことばである。「っス」は大抵のことばの語尾に接続するだけでその文章を敬語に変えてしまう魔法のことばでもある。

「こんにちは」→「こんにちはッス」→「こんちはっス」→「チワっス」

そもそも「こんにちは」は「こんにちは」で良いのではないか。彼らは「〜です」という語尾をくっつければ敬語、いや丁寧語になると思い込んでいる節がある。しかしさすがに「こんにちはです」は舌っ足らずと感じるのか、「です」の省略形「っス」をこれにくっつけるのである。敬語と一口に言っても現代ではこのように様々な局面で、様々なレベルの敬語が用いられる。問題発言首相もさすがに

「政策発表するっス。」「ヤルっス」「がんばるっス」

などとは言わないだろう。多分。私は学生なのでそういう発言をすることもあるカモっスね。

 さて、このように複雑怪奇な敬語、あるいは丁寧語であるが、ビジネスの世界、つまり物を売る人間と客との間では比較的、頻繁に用いられることが多いと言える。この場合、中でも物を売る側が客に向かって発することが主となる。しかしながら、いくら客とはいえ26の若造に向かって30代後半のおじさまが敬語を用いている光景は、当然な風景のようではあるが、その実、当人同士が必ずしも文字通り「敬って」いるわけではない。 

店「いらっしゃいませ」(チッ若造が、昼真っから寝ぼけ顔で店に来んなよ)

客「うむ」(ハラ減ったぞい)

店「何になさいますか」(こちとら忙しいんでい。とっとと決めやがれ)

客「ううむ、この単品のフライドチキンの盛り合わせにパンとコーヒーを付けて欲しいのですが」(ハラ減った)

店「それでしたら、ランチメニューのAセットにされた方がよろしいかと思いますが。」(ややこしいこと言うなよ)

客「うむ、そうであったか。それではそのように頼むよ。ああ、待て。このサラダも付けてもらおう。」

店「あ、それでしたらこちらにこのようなサービスメニューがりますので、その方がいいんじゃん?」(ハっ!)

・・・・

じゃん?

・・・・

ああいうのは、どちらも気まずいものである。


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