『振り返れば奴がいる』について
TV本放送は93年1月〜3月。フジテレビ系。
あの頃、私が『振り返れば奴がいる』を見ようと思ったきっかけは、たった一つ―――三谷幸喜さんの脚本だからでした。元々、ブラウン管の中の世界より小劇場の舞台の方に興味があり、三谷氏率いる東京サンシャインボーイズ(TSB)は『12人の優しい日本人』(90年舞台初上演、91年映画化)以来のファンであります。うちわネタを使わなくても、一見の客をきちんと笑わせてくれるしっかりしたつくりのコメディが好きで、とても気に入っていました。
で、その三谷さんが手掛ける初の連続テレビドラマ脚本ということで正座までして見た、第一話(笑)
して、その感想は―――
怖い・・・あの、司馬先生って、怖いよ・・・・・・あんなお医者がホントにいたら、イヤだなあー・・・それに、全然笑える箇所が無い・・・ホントに三谷さんが書いてるのかなあ・・・等等。
そもそも手術シーンが嫌いで、血糊がべったりついているのを目にするのは、フェイクだと判っていてもかなり苦痛なんですね。小説等、活字で読む分には抵抗無いんですが、ビジュアルに訴えられると弱いということもあり、今までも医療ドラマは避けていました。そこへきて、主人公の医者が滅茶苦茶冷淡で、人非人―――やっぱり、怖い・・・
それでも頑張って二話、三話と見続けたのですが、第五話で痛そうなシーンが満載だったせいか、当時の私は、このへんから『振り奴』を最後まで見ることは諦めました。大体、コメディシーンも殆ど無い状態(というか皆無?)でしたし。
ただ、友人の一人が石黒賢さんファンで最後まで見続けたので、ストーリーは全て教えてもらいました。それで、最終回の内容も知って、また驚いたのですが。
だって、最後に二人とも死んでしまうなんて、らしくない・・・本当に三谷氏の脚本なんだろうか??
そんな訳で、TV本放送当時はなんだか後味の悪い感想しか残らなかった『振り奴』鑑賞記なのですが、99年GW明けに再放送されると聞き、今度は全部見てみよう!と決心しました。まあ、97年に映画『ラヂオの時間』を見てコーフンしビデオまで購入、久々に三谷ワールドに嵌まっていたというのと、『踊る大捜査線』効果で『振り奴』の司馬先生についてもあちこちで話を聞くようになったので、ここらでちゃんと見ておくべきかなーと思った訳でして。
そしてビデオに撮りながら再放送を見続けたんですが、もう、ショックの連続でした。
だって、TSBのメンバーがこんなに出演してる〜〜〜!!!
脚本が三谷さんなんですから、よく考えてみれば(よく考えなくても)当たり前なんですが、レギュラーでは西村雅彦さんに梶原善さん、スポット出演では甲本雅裕さんに伊藤俊人さん、小林隆さん、TSB以外でも元夢の遊眠社だった浅野和之さん―――と、知ってる顔が目白押し(笑) 「一体、六年前はドコを見ていたんだ、あんたっ!!」と自分で自分にツッコミ入れたくなりましたね(泣)
更に―――再放送で一番驚いたのは、四話まで見たところで、司馬先生に共感している自分がいたことでした。
確か六年前は、ひたすら司馬先生が怖くて(石川先生、がんばれ・・・)と脅えながら心の中で叫んでいた記憶があったのですが、今、改めて見直すと司馬先生の痛さ、辛さがビシバシ伝わってきて、もう切ない切ない。
一旦、のめり込むと結構掘り下げる性質の私は、早速ビデオを買いに走りました。再放送は全て録画したのですが、やはりキレイな映像で見たい!という気持ちと、一足先に購入した友人から「カットされてるシーンが大分編集追加されてるよ」と言われて、あっさり背中を押されてしまいました。映画のビデオは何本か持っていますが、テレビドラマのビデオを自腹で購入したのは『振り奴』が初めてです(爆笑)
このドラマのテーマは"尊厳死"とのことですが、司馬先生の"死"に対する捉え方にもズシンと来ました。
今では"尊厳死"という言葉も一般的になりましたが、本放送当時に於いて一般的に"安楽死"という言葉で片付けられていたその行為へ対する反感は、かなりのものがあったと思います。まだ生きられる人を人為的な措置によって死に至らしめるという風にしか捉えられていなかったのですね。
けれども、もう治らない身体を抱え意識を失って生理的な死の訪れを待つだけという状態で生き長らえることを、自分の意志がきちんと存在している時に拒むことも、その人の生き方なのではないでしょうか?
たとえ完治しなくても寝たきりになっても生きていたいという気持ちは、人間ならば当り前のことだと思います。しかしそれは、己の意識があってこそ。仮に身体の自由が利かなくても、生き続けることに意義は見出せる。
かといって、患者が植物状態になっても、近しい人達にとってはその命を簡単に諦めることなど出来ません。生体反応が無くなった場合はどうにもなりませんが、身体としては死んでいないのです。今日の医学の目覚しい進歩を考えたら、失われた意識を何らかの治療によって取り戻すことが出来るようになるかもしれない。そう思ったら最後、だって生きているのだから―――とその生命維持を選択する気持ちも痛いほどよく判ります。
『振り奴』に於ける司馬先生と石川先生のどちらか一方が正しいというのではありません。その時々のケースに合わせて、主治医は事態を検討し考えを重ねた挙句、患者本人やそれが不可能ならその親族との相談を経て、より相応しい判断を下すことでしょう。
人が人として死を選ぶこと。
それが周りにどんな波紋をもたらすのか、残される者はどう折り合いをつけてゆくべきなのか―――このドラマに出会って以来、深く考えさせられるようになりました。
それにしても、本放送当時は怖くて怖くてたまらなかった"司馬江太郎"という性悪(笑)外科医が、こんなにも魅力的な人物として私の目に映る日が来ようとは!!!
この、最後は自業自得な死を遂げた、偽悪的に振舞うことでしか人と接することの出来なかった孤独な外科医の存在には、大きな興味を覚えさせられます。たかだかドラマの一キャラクターに過ぎませんが、彼という人間が背負った枷や苦悩までもが強烈な吸引力となり、私の心を今だ揺さぶり続けているのです。