冬の日に



紫川 遥  様



「寒いな・・・」
かしましく「お車を」と言いたてる3人組を、半ば無視するように外に出た私は、湾岸署の立地条件を改めて思い出すことになった。
さすがに海の側は寒い。霞ヶ関と2度は違うと思うのは、決して気のせいではないだろう。
思わず足を速める私の横をタクシーが通りすぎて行く。
暖かそうだ、と素直に思い、それでも車を頼めば良かったとは思わなかった。
直前の電話で、戻ればすぐに始まるはずだった会議の中止を伝えられて、私の気分は少しさまよいだしたようだ。警察庁に取って返す気になれずに、目に付いた建物に足を向けた。

木の階段を上がってドアを押し開ける。
途端に身体を包む暖かい空気に、思わず息をついた。
微かに喉の渇きを覚え視線を巡らせると、左側はアミューズメント施設らしきものの入り口、右側は私にはおよそ無縁の、カラフルな雑貨が並んだ店だった。
とりあえずこの階には用はなさそうだと見当をつけて、エスカレーターに乗る。
一つ上の階も、かわいらしいもの、グロテスクなもの、様々に飾られた店が連なるばかりで、見当違いか、と踵を返しかけた時、ふと落ち着いた雰囲気のディスプレイが目に付いた。
近付いてみると紅茶用品の店らしく、日常にはあまり縁がなさそうな、美しいものが並んでいる。
しかし私の気を引いたのは、その奥にちらと見えた喫茶室だった。

大きな窓の外に見える冬枯れの木々と、いっそ雄大なほどのレインボーブリッジ。
木の床の上には、飾り気のない木の丸テーブルと椅子が淡々と並び、テーブルの上には真っ白なティーカップが一対づつ伏せてある。
そしてなにより、狭くもない店内に客の姿がないことが、ひどく私の気を引いた。
「いらっしゃいませ」
入り口に近付いた私に、店員が静かな動作で頭を下げる。
「お一人でございますか」と確認を取る彼にうなづくと、「ではこちらへ」と窓際に案内される。
引いてくれた椅子に腰を下ろすと、彼はメニューをいくつか差し出し、「今週からバレンタインセットをご用意しております。お試しくださいませ」と付け加えると、不要なティーカップを持って下がって行った。
バレンタイン。そういえばそんな時期なのか、と思う。
言われるままにメニューを見、だがチョコレートを食べたいわけではない私に、バレンタインセットは用無しだった。
別のメニューを手に取り、飲み物のリストを探す。そこにあった紅茶の銘柄に、私は思わず目を眇めた。
「DAIBA」と「ST.VALENTAIN」。
半ば呆れながら説明書きを読んだ私は、結局、後者の紅茶に決めた。季節がら、という理由付けがまったくなかったとは言えない。

注文を終えて、外に視線を投げる。
どんよりと暗く寒々しい空と強い風。雪が降りそうな、と見るうちに、強風の中に時折ちらちらと白いものが混じる。道理で寒いはずだ。
少しぼんやりしていると、「失礼します」と声が響いた。
テーブルから肘をどかすと、白いティーカップをセットした店員が、同じく白いティーポットから、芳香を撒き散らすように紅茶を注ぐ。甘い香りがふわりと鼻先をかすめた。
「ごゆっくりどうぞ」
紺と白の制服姿の店員が、深く頭を下げて立ち去る。
その礼儀正しさを心地よく思いながら、ティーカップに口をつける。説明書きの通り、桃の香りがやわらかい。
思わずその香りを吸い込んで、深く息をついた。

目の前の風景を眺めながらポットをあらかた空にする頃には、気分もすっかり切り替わってた。
戻るか、と思い、ふとポットに目をやると、ふたに紅茶の銘柄を書いた札がついている。
「ST.VALENTAIN」
一瞬、イベント好きな青島の顔を思い出し、見舞いに持って行ってやろうか、と考える。きっと喜ぶだろう。
だが、そんな時間はないことは明白で、次の瞬間にはその考えは無意味になる。それでもそのやわらかな考えは、私を温かくさせた。
がんばっているだろう青島。
少しは歩けるようになったろうか。
この寒さが傷に響かないことを祈りつつ、私は静かに立ち上がる。

がんばれ。
私もがんばるから。

「ありがとうございました」
背を追う声を聞きながら、また来れたらいいと思った。
こんな静かな冬の日に、青島と二人で。




♪作者様からのコメント♪
設定としては、副総監誘拐事件の後なんですが・・・。
好きな主題と言うか情景の一つに、「静かにまなざしを上げる(=凛として未来へ歩き出す)」というのがあって、今回は冬枯れのしんとした情景の中で、そんな室井さんを書いてみたかったんですが・・・。更に精進したいと思います(爆)。


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やったぁー!!! メールに書いてくださったものをもぎ取ってしまいました〜♪♪♪
仕事に追われて多忙な日々にあっても、ポッカリと空き時間が出来ることってありますよね? そんな時こそ、一番大切なひとのことが心に思い浮かんでくるものではないでしょうか。一息入れながら入院中の青島くんを想う室井さんが、こんなに完璧に書けているなんて……あああ、こんないいお話、一人で楽しんじゃいけないわ〜とばかりに「お願い、アップさせてください〜〜〜」とおねだりし、ありがたく許可をいただきました(笑)
ヴァレンタイン・デーのモチーフを上手に使われていますが、私、室井さん(青島くんもですが)の場合、こういうのが本当(?)だと思うのですよ! 大の男がこのイベントに振り回されるというのはちょっと絵にならないなーと思ってしまうのです。でも忙しい最中に「ああ、そういえばヴァレンタインか…」と気がついて、フッと愛する(笑)ひとへ想いを馳せる―――いかにも、室井さんらしいじゃないですか!!!←って、私だけですか?
紫川 遥様、本当に本当に、どうもありがとうございました〜

このお話は、紫川 遥様が出されている短編集へも収められております