は行


 蜂の旅人 


  
O Melissokomos ('86) ギリシャ=フランス=イタリア
監督:テオ・アンゲロプロス 出演:マルチェロ・マストロヤンニ、ナディア・ムルージ

アンゲロプロス的ロードムービーは美しいだけを切り取ったのではありません。
女王蜂のごとく気まぐれな少女と愛を通い合わせる姿はなぜか物悲しい。

家庭円満だったとは言い難い家庭を、そして教師という職を捨て養蜂家となり花を求めて旅人となる初老の男マストロヤンニ。
これだけ聞くと男の横暴だな、と思いますが、彼自身決して意気揚々と養蜂家の道を突き進んだ訳ではないみたい。
家族一人一人が何かを抱えつつ、ちりぢりになってゆく…。
そして今まさに飛び立つ女王蜂のような少女と出会い、そして彼女は去ってゆく。
その後、男は蜂の巣箱を空けて、それはまるで墓場のようにも見える場所で、死を迎える。
彼の旅はなんだったんだろう?本当に養蜂家としてだったのだろうか。
彼は最後の場所=死へと旅立とうとしていたのでは?
旅をする中で出会った昔の友人、家出してしまった長女、…そして女王蜂。
コロコロと表情を変え思うがままに生きる少女と、終着点へ向かって行く男。
愛を交えるのは、生と死の交錯する地点なのでしょうか。
静かだけどずしりとくる映画でした。
  


 ハワーズ・エンド 


    
Howards End ('92) イギリス
監督:ジェームズ・アイヴォリー 出演:エマ・トンプソン、アンソニー・ホプキンス、ヘレナ・ボナム・カーター、バネッサ・レッドグレープ

中流階級だが知的なシュレーゲル家と資産家で現実的なウィルコックス家。
正反対の両家は親しくなるが、様々な問題や現実が絡み合い、目まぐるしい愛憎劇を展開してゆく。

この映画には三つの階級が登場します。
上流階級のウィルコックス家、中流階級のシュレーゲル家、そして貧しいバスト家(夫婦)。
愛憎劇です、とっても愛憎劇。
でも、アイヴォリー映画は実に静か。
舞台は英国。感情を表面には表さない、イギリス人たちだからでしょう。
そして、英国特有の閉鎖的階級社会だからなんでしょう。
派手な演出がなかったからこそ、この三つの階級の関係をしっかり見据えることができました。
ヘビーな内容のなかで、バスト家のレンが話す星を見続けて一晩中歩いた、というエピソードはすごくロマンチック。
随所に見せる映像美に心洗われました。
ちょっと確信犯かしら?

上流階級のウィルコックス家の、シュレーゲル家に対する階級差別する様、バスト家に至っては怪訝の眼差しか、相手にしない態度。
こういった精神は今の英国でも根付いているとか。


 非情の罠 


  
Killer's Kiss ('55) アメリカ
監督:スタンリー・キューブリック 出演:フランク・シルベラ、ジェイミー・スミス

キューブリックの長編2作目。
意外にもサスペンス仕立てのメロドラマで、ちょっとびっくり。
でも映像の節々に、フォトグラファーだったキューブリックの美的センスが見受けられます。
「時計仕掛け〜」のマネキン、「シャイニング」などを思わせる顔のアップ、幾何学模様など…原型はすでに初期からあったんですねぇ。
なんかそういうシーンがあると嬉しいな。リンチ映画の見方と同じだわ、そういや。
でもそれだけなんですよねー、面白い部分は。
ストーリー自体は、これといって目を見張るものはないし、私はどうしてもラストが気に入らないし。
  


 ふたりのヴェロニカ 


  
La Double Vie De Veronique ('91) フランス・ポーランド
監督:クシシュトフ・キェシロフスキ 出演:イレーヌ・ジャコブ、ハリナ・グリグラシェフスカ、イエジ・グッデイコ

ポーランドの田舎町とパリに、双子でもないのに誕生日も容姿も同じというふたりのヴェロニカがいた。ポーランドのヴェロニカは心臓病で死ぬが、彼女のメッセージを感じ取ったパリのヴェロニカは自分自身の存在を問い直し始める…。

ふたりのヴェロニカ。それは偶然に一度二人は出会います。
ポーランドのヴェロニカだけがそれに気づき、彼女は死んでゆきます。
どこかでもう一人の自分が死に、それに救われたかのように生きるもう一人のヴェロニカ。
二人の視線が絡み合うのは、もっともっと後。
運命はせつない、胸が痛い、痛すぎます。
パリのヴェロニカの物語は、平行して人形師への恋が絡んでゆきます。
人形師と再会するきっかけとなる小道具はカセットテープ。女性だったら心に残るロマンチックなシーンじゃないでしょうか。

主演のジャコブはキェシロフスキ作品では「トリコロール赤の愛」にも出演してますが、彼女の魅力は本作で発揮していると思います。
それはキェシロフスキ自身も自覚があるみたいで、カメラを通して彼の思い入れがひしと感じとれた気がします。

ああ、せつない。苦しいとはちがうせつなさ。
いつかもう一度見よう、否、見なければ。
   


 フットライト・パレード 


  
Footlight Parade ('33) アメリカ
監督:ロイド・ベーコン 出演:ジェームズ・キャグニー、ジョーン・ブロンデル、ルビー・キーラー

映画がトーキーになったため失業したショーの演出家は、映画館のアトラクションに新作ショーを売り込む。そして、スターの穴を埋めて主役を務め、演出とかけもちしながら成功を手にする。

あまり知られていないかもしれない本作。私は知りませんでした。
ただ、バズビー・バークレーの振り付けが見たかっただけ。
でも以外に佳作だったな、と嬉しい結果。
変わり映えのないストーリーかもしれないけど、私の中では今だ謎である、女にモテモテ・キャグニーが芸達者なところを見せてくれます。歌も踊りもうまいキャグニー、後はも少し背が欲しい〜♪

ギャグニーを巡る女性との戦い、舞台歌手と秘書の恋、数々の煌びやかな舞台…といろんなシチュエーションが上手い具合に織りなって、見る側をラストへ引っ張ってゆきます。
とにかくバークリーの舞台は圧巻!モノクロなのが勿体ない。
人間が模様の一部になっていく様を見つつ、キャグニーらが唄う「上海リル」に見とれてしまいました。
   


 ポーラX 


  
Pola X ('99) フランス=ドイツ
監督:レオス・カラックス 出演:ギョーム・ドパルデュー、カトリーヌ・ドヌーヴ、カテリーナ・ゴルベバ

ノルマンディの屋敷に母と暮らすピエールは新進作家として脚光を浴びていたが、ある夜『姉』と名乗る東欧難民のイザベルと出会うと、家も母も捨てて『姉』とパリに向かう。
カラックス8年ぶりの作品で、はじめての原作。ハーマン・メルヴィル「ピエール」より。

(思い切りネタバレしてます。そのうえ長い)

父は著名な外交官であり、本人は匿名を装った若き人気小説家。何不自由なく暮らす金髪の美貌の青年ピエール。彼には美しい婚約者リュシーと母親マリーがおり、まったく落ち度のない人生を送っている。…が、どこかおかしい。
母親マリー(カトリーヌ・ドヌーヴ)を「姉さん」と呼ぶ母と息子の関係。
そして毎晩うなされるように見る黒髪の女性の夢。
何か空虚で何か偽りの世界に見えてしまうことを潜在的に感じていたピエール。

そこに現れた黒い髪の女。夢で見た女である。
女はピエールに言う。「私はあなたの姉のイザベル」…。
冒頭で語られる「この世の箍(たが)が外れてしまった」。
ピエールの人生にイザベルが登場したことで、このハムレットの言葉が伏線だったことがわかります。
ここから一気に前半の光り輝く世界から、暗闇の世界へ突入します。
イザベルとピエールが歩いた森、普段はバイクで通り抜けるだけ森。
ピエールは必然的にその暗闇の森に足を踏み入れたのである。
ピエールが去った後、母マリーがその森をバイクで走り出すシーン、カラックスの「走る」シーンですね。
しかし母マリーは、その森を越えることなく命を落としてしまう。
彼女も暗闇に世界に呑まれてしまったのでしょうか…。

++++ちょっと脱線++++

以前友人が「ピエールはイザベルが姉であるという確証がひとつもないのになぜ信じてしまったのだろうか」と言っていました。
偽りの世界に気づき始めていたピエールにとって、彼女の存在は自分の真実を知るキーパーソンのような気がします。
それから確証まではいかないけれど、ちゃんと真実は映画の中に存在します。
屋敷の壁をぶち破ると、そこにはもう一つ部屋があった…。
これは昔イザベルの部屋だったのではないのかしら。あくまでもこれは彼の行動の後押しの要因であって、この事実がなくとも彼はイザベルのもとへ歩み寄ったと思いますが。

+++++++++++++++++

姉のイザベルは外交官の父が赴任中に不倫の行く末に生まれた東欧難民の子。
上記のように以前はイザベルも屋敷に住んでいた。が、ピエールの誕生により彼女は追い出された。
ここで母とピエールの間に偽りが生じる。
かげりのない人生に陰が存在していたのである。
(後半、婚約者リュシーをイザベルに「従姉妹」と紹介するピエール。皮肉なことに婚約者とピエールの間にも偽りが生じてしまった…)

ピエールの運命は真実を追うごとに堕ちて行く。河の流れの逆らえないかの如く堕ちて行く。
劇中に映し出される血の河。
血…すなわち、外交官の父、姉と呼ぶ母、真実の姉、そしてピエールの血縁という河。
彼は最期までその河に流されてゆくだけなのだろうか。

彼を取り巻く三人の女。母を姉と呼ばせたマリー、ピエールの姉だと言ったイザベル、婚約者なのに「従姉妹」と呼ばれてしまったリュシー。
エンドクレジットの「三人の姉妹にささげる」というピエールの言葉。
結局彼は血縁という運命から逃れられなかったのだろうか。
否、私は彼が従兄に放った銃声により、解き放たれたような気がします。
ピエールを裏切り殺人者までに追い込んだ従兄だけど、堕ち行く運命の歯止めとなったのは間違いなく従兄なのです。
堕ちて行くところまで堕ちてしまったけれど、最後の映像の暗闇の森から差し込む木洩れ日のようにピエールは偽りの世界から真実を見付け始めたのではないでしょうか。

悲惨なラストとは言い難い気がします。私は何か救われたような気がしてなりません。

関係ないんですが、ドヌーブってギョームの親父ドパルデューと一時期いい関係じゃなかったです?
父息子をドギマギさせるドヌーブ。やるねー。