1 匿名希望 子供の頃2000.05.10-02:18:56
子供の頃女の子になりたくてたまらなかった。 スカートが履きたかったけど姉妹もいないし母親の服は 大きすぎて着れなかった。そこでバスタオルとか、シーツ とかを腰にまきつけて、せめてもの気分を味わっていた。
子供の頃女の子になりたくてたまらなかった。 女の子用のパンツを履きたかったけど、そんなのないから パンツを後ろ前に履いていた。
子供の頃女の子になりたくてたまらなかった。 女の子みたいなおしっこの仕方がしたいから、いつもしゃが んでしていた。女の子のことがよく分からなくて、女の子って おしっこが後ろから出るのかな?と思って、少しでもその気分 をと思って、トイレに逆向きに座ってしてみた。
女の子の状態というのを味わってみたかった。 ちんちんを足の間にはさみ、指でおまたをちょっと押して 割れ目があるような感じにしてみた。
ちんちんを取ってしまいたかった。 包丁とかナイフとかカッターとかをちんちんに当てて強く 押してみたりした。
ちんちんを取ってしまいたかった。 でも切るのは痛そうなので、ちんちんに何重にも紙を巻き その上から包丁をあてて、往復させてみた。紙がどんどん 切れていく。このまま続ければいつかちんちんか切れる、 と思うとドキドキした。
ちんちんを取ってしまうというのを体験してみたかった。 ちんちんを足の間にはさみ、指で押して割れ目を作った上で 代りに適当な太さのソーセージを割れ目にはさんだ。まるで ちんちんみたい。この疑似ちんちんでたくさんオナニーした 上で、包丁を当てて思いっきり押して切ってしまった。 なにか勝利を収めたような感じがした。そのあと「もうとっ ちゃったんだから」と2〜3時間、本物のちんちんは足の間 にはさんだままにしておいた。
たまたまなんて邪魔だと思った。 ゴムできつくしばっておくと、腐って落ちてしまうときいて 輪ゴムでしばったまま一晩寝てみた。血行は悪くなってるよ うだったけど、腐りそうな気配はなかったのでそれでやめた。
ちんちんを取ってしまいたかった。 でも切るのは痛そう。でも間違ってきれてしまったら仕方な い。そう思って、カッターの刃をパンツの中にはだかで入れ ておいた。これはよくやっていたけど、ちんちんが間違って 切れてしまうことはなかった。
とうとう我慢できなくなった どんなに痛い思いしてもいいと思った。包丁をよく切れるよ うに研ぎ、その上で火であぶって消毒した。そして血が出て もいいように下にビニールの袋を敷き、陰嚢に包丁をあてが った。思い切って力を入れると皮が少し切れて激痛が走った。 それでちょっとくじけて、その日は自分で玉を摘出するのは 諦めた。傷が治るのに一週間くらいかかった。
女性ホルモンを打ちたかったけど、どこで打ってもらえるのか 分からなかった。そこで薬屋さんで何か手に入らないかなと 思って探して、ホルモン入り??の女性用の塗り薬を買って きた。毎日おっぱいに塗ってマッサージしていた。2年くらい やってたけど、気持ちだけ胸が大きくなったような気もした。 でも今考えると、マッサージの効果だったかも知れない。
そのクリーム最初は胸だけに塗ってたんだけど、その内むしろ タマタマに塗った方がいいんじゃないかって気がしてきた。 ここから男性ホルモンが出てるんだから、そこに女性ホルモン をぶつけた方が効果があるんじゃなかろうか。そこで胸だけじゃ なくて、陰嚢にも塗ってあげるようにした。でも効果があった かどうかは分からない。
ちんちんの機能がなくなってしまうといいのにと思っていた。 いつもモミモミしたりゴシゴシしたりして使っているから だめなんじゃないかと、オナニーをしばらく禁止してみた。 男の子モードの時はやりたくてやりたくてたまらないのだ けど、不思議と女の子の格好をしている時はそんなでもない。 そこでこの期間中は家にいる時は完全女装で、会社に行く時 も下着と靴下は女性用を使っていた。でも2週間くらいで 挫折してしまった。
包丁をちんちんに当てるくらいはしょっちゅうしていたがほん とに切ってしまう勇気はないものだから、代替行為としていろ んなことをしていた。たとえば包丁の背でちんちんを何度も 叩いたり、あるいはちんちんに紙を巻き付けて保護した状態で 刃の方で思いっきりたたいたり。刃でやるとちんちんを保護し ている紙がどんどん切れていくのが快感だった。時々うっかり ほんとに皮まで少し切れてしまうこともあった。でもうっかり ちんちん本体が全部切れてしまったりするといいのにと思って いた。
小学校の高学年か中学生の頃ですが、雑誌に「おっぱいを 大きくするマッサージ法」というのが載っていました。 お風呂の中で、おっぱいの周辺部を丁寧にもむ、というの で、私は毎日お風呂に入るたびにやっていましたが、大き くなる気配はありませんでした。何か付けるといいのかな などとも思って、バスクリンの粉とか、リンスとかも付け たりしてやっていました。
あの時は夜中だったと思うのですが、ほんとに自分でタマを 取ってしまうつもりでした。取ったあとは自分では止血でき ないだろうから病院に駆け込むつもりでした。でも包丁を 動かした瞬間のことはよく覚えていません。記憶がブロック されているのかも知れない(^^;でもあの時タマを取っていた ら、今結婚して子供がいてという生活にはなってないわけだ からして。ひょっとしたらあの行動でそういう気持ちのかな りの部分が昇華してしまったのかも。
医学雑誌に性転換手術の仕方が載っていたので、何度も何度も読み ました。そしてしばしば自分が手術される様子を頭の中に描いて いました。基本的には無理矢理手術されてしまうとか、間違って 手術されるというシチュエーションの妄想が好きでした。今にして 思えば、やはり自分が女になりたいというという気持ちがいけない ことと思っている自分がどこかにあるから、それを抑えるために 「無理に」とか「間違って」で、自分の意志ではなく性転換される という状況を楽しんでいたんだと思います。今ではどっぷり女に 浸かって生活しているから、そういう妄想はしなくなりました。
時々女性週刊誌(週刊女性とか女性自身とか微笑とか)にニューハーフ の人のヌード写真が載っていました。そういうのは確実に買っていまし た。そして、その写真を見ながら「いいなぁ。私もこういう体に早くな りたい」と思っていました。女の人のヌードでも抜けないことはないの ですが、ニューハーフの人の裸の方が抜きやすかったです。女の人の裸 を見て抜くときも普通の男の人は「こういう娘とやりたい」と思って 興奮するのかも知れないですが、私の場合は「自分がこういう体であっ たら」と思わないと興奮できませんでした。
私の場合幸い腕の毛は女の人の平均より薄い方なのですが、足の方は まぁまぁありました。これもお風呂などで私より薄い男の人見たこと ないから、かなり薄い方とは思うのですが、女の人でもこの程度ある 人はちゃんと処理しているだろうという程度に私も処理が必要でした。 最初は剃ろうとしたのですが、なかなかうまく剃れなくて、そのうち 電気シェーバーを買いました。でも剃る場合一週間に一度は処理が 必要なので、別の手がないかと思って電気式の1本ずつ抜く処理機を 買ったことあります。これは良かったですが、1本ずつだからすごく 時間がかかって、1年くらいでギブアップし、また剃るのに戻って しまいました。電気式で抜いてたころつて、家に帰るとほとんど脱毛 しかしてなかったような記憶が。
大人になって、足の脱毛をはじめた時、初めてすべすべになった 自分の足を見て、ちょっと興奮してしまいました。自分の足って こんなにきれいだったのか、って感じ。特に夏は毛がないだけで ずいぶん涼しさが違う気がして、女装するしないと関係なしに、 夏は必ず剃るようになっていました。
小学校の1〜2年の頃は向こうは半ばいじめていたつもりだったの かも知れないけど、男の子の友達からは半分というかほとんどてい うか女の子扱いされていて「○○のお嫁さんになるんだろ」なんて 言われてました。なんか言われてると純白のウェディングドレスに 身を包んだ自分とかを想像しちゃったりして。でもこれは想像だけ で終わってしまったな。
小さい頃から女言葉をよく使っていた。特に小学校の2年生ころ までは私は普段でも女の子のような話し方しかしてなかった。 高学年になってから転校して、その転校先で「すごく優しい話し かたするんだね」と言われましたが、要するに私の話し方って ボーイッシュな女の子の言葉みたいなものだから。俺なんて使っ たことないし、僕というのもあまり使わない。いつも自分のこと 「わたし」って言っていた。
ある時期から(高校くらいから?)意識して語尾に「わ」とか「よ」 を付けるようになった。このころから自分の中の女としての意識が 強くなってきていたから。「よ」は自然に使ってもそんなに奇異で ないし「わ」も半ば冗談めかして言うと変態っぽく聞こえない。 そういう言葉の使い方の境地を見つけだして行った。
声は今でもまだ完全じゃない。子供の頃自分では女の子っぽい声を 出しているつもりだった。ところがある時国語の時間に音声劇をや ることになって、テープレコーダーというものを友達が持ってきて、 それに私も役(当然女役だが)の声を吹き込み、それを聞いてみたら なんか男とも女とも付かない、今思えばオカマ声だったと思うのだ けど、変な声だった。それからもっとまともな声が出るように随分 練習した。でも方法論がなかったから、どうすれば女の子っぽい声 が出せるのか、当時は全然分からなかった。
一応普段は男と悟られない程度の声は出しているのだけど、先日 買い物していて、何かの拍子につい低い男声がでてしまった。 店のおばさんが「え?」って顔をして、ちとまじかった(^^; たまにはこういう失敗もある。そういえば誰だったかも、気を 抜いていると男型のくしゃみをしてしまう、という話をしてい たような。たしかにくしゃみは気を付けておかないとやばいかも 知れない。
自分が男として扱われることにいつも抵抗していた。男女別に何か させられるのはとても嫌だった。男だけ特別に何かしてもらえると いうのはできるだけ避けていた。女の子の中にいると心が安定した。 高校時代学級編成の関係で男子クラスに入れられた時は、ほんとに つらかった。授業中以外はほとんど教室にいなかった。就職してか ら会社の中ではすごい男女差別の嵐。女は役に立たん、とか男しか 信用せんとか公言する人の多いこと多いこと。若い人の中にもそれ に迎合する人の多いこと多いこと。私は男女を一切区別しなかった から、もしかしたら私の下で仕事をした女性はけっこうきつかった かも知れないが。
小さい頃って、ほんとごく自然に女の子的に生きていた。近所の 同世代の子がみんな女の子だったし、よくおままごとしていた。 一人だけ隣りに少し年上の男の子がいたけど、その子に対する 感情はどちらかというと恋愛感情に似たものだった。幼稚園で スカート履かされて、それを自然に受け入れてたし、家では スカートこそ履かせてもらえなかったけど、お出かけする時に (前閉じの)タイツとショートパンツなんてスタイルが多かった。 そしてよく女の子と間違われていたし、男の子と知っても 「女の子みたいに可愛い」とか「女の子だったら良かったのにね」 と大人たちから言われていた。その幼稚園のころには自分でも 女の子だったら良かったのになと思っていたのを記憶している。
マニキュアは母から何度か塗ってもらったような気がする。爪が きれいな色に染まっていくのを見るのも楽しかったし、それを 独特の匂いのする除光液でふき取る時のあの感触も素敵だった。
私の中学は男子は丸刈りだったので、中学に入る時床屋さんで三分 刈りにしてもらった。それ以前の記憶が定かではないのだけど、 中2の頃担任の先生が「○○さんは中学に入る前は髪どうしてたの?」 と聞いて、それに対して同級生の一人が「長くのばしてましたよ」と 答えて、それに先生が「そうだろうね、もったいないもん」と答えた 記憶があります。ということは、私は小学6年生まではけっこう髪が 長かったんでしょうね。
高校時代まで短い髪のままで、大学に入って一人暮らし始めてから もしばらくはそのままだった。当時は髪を短くすることで、自分の 中の「女」を封印していた。でも封印はいづれ破れる。私はいつか 髪を伸ばし始め、女性向けのシャンプーとリンスを買い、女性用の 化粧水やコロン、パック、洗顔フォームなどを買って使い始めてい た。そして髪を切りにいくのも床屋さんではなく美容室になってい た。初めて美容室に行ったとき、ananとかnonnoとかの女 性向けの雑誌を「こんなのでも読んでてください」といって渡され たとき、自分の中のひとつの壁が強引に突き崩される思いがした。 封印はそういう風に自分で破ることもあれば、外から突き崩される 場合もあった。その後、しばらくして私はnonnoを毎回買うよ うになっていた。
公言はしてなくても、私の女っぽさというのは、たぶん目にも あきらかなのかなという気もする。大学時代はニュートラルな 服装が多かったけど、同じクラスの女の子が授業中に後ろの席 からいたづらして、私の耳にイヤリングを付けたことがあった。
大学時代から就職後数年間にかけて、私は女の子のものを少しずつ そろえていった。洋服は基本的にレディースしか買わなかった。 中性的な感じのする女性用のTシャツ・ポロシャツ、レディース のパンツ、下着も全て女性用で、男物の下着は実家に帰る時の為 に2〜3セットほどを旅行カバンに残して、あとは全部捨ててし まった。お化粧品もそろえていった。学校/会社に行くとき以外 はほんと女の子していた。バッグとか財布とかも女性用しか使っ てなかった。髪は就職するときやむをえず切ったけど、できるだ け散髪の間隔をあげて、長い髪の状態でできるだけいられるよう にしていた。
女装のままけっこう外を出歩いていたけど、最初のうちは人が あまり通らないようなところばかりだった。ある時ナプキンを 買ってみたくなった。スカートとか女物の下着とか化粧品なん かは男の格好のまま平気で買いに行ってたんたげど、生理用品 はなんだかはずかしい気がして、この時初めて女装のまま近く のコンビニに行ってナプキンを買ってきた。付けてみたけど、 タマタマが邪魔で、なんか変な感じだった。その後は自分用に 生理用品を買ったことはない。使い道ないし(^^;(妻に頼まれ て買いに行ったことは数度)
このコンビニと、それからもう少し行ったところにあるスーパー には女装で行くのが常になってしまった。当時下着はたいてい そのスーパーで買っていて、レジの人にも顔を覚えられていた。 初期の頃は男の格好で買っていたが、後にはだいたい女装で 出かけていた。いづれにしても顔を覚えられていたが同一人物 と思っていたかどうかは不明。
そのスーパーのレジにとても可愛い子がいてぽっだった。 まだ男の格好をしてそのスーパーに行っていた時代、私が 女物の下着を買う時に限って、絶対その子には当たらなか った。何人か顔を覚えられているレジの人の中で、その人 の時だけ女物の下着を買ったことがないのである。当時、 私はあの子をデートにさそってみたいな、なんて思って いた。でも彼女の同僚の人たちは私を「変態」と思って いるだろうから、望むべくもないことかも、という気もし てジレンマだった。この「自分が女になりたい」という 気持ちと「女の子が好き」という気持ちとのジレンマって 高校時代にもすごく強かった。自分の心がどんどん女性的 になっていくのを感じるのに、高校時代は恋愛関係にある 女の子がいて、自分でその矛盾をどうにも解決できなかった。 今では「恋に性別は関係ない」と思うのだけど。
あるいは私は元々バイセクシュアルだったのかも。子供の頃 わりとあこがれていた男の子が3人ほど思い浮かぶし、あこ がれていた女の子も3人ほど思い浮かぶ。もっとも、みんな から「○○のこと好きなのか?」とか「○○と結婚するのか ?」とか言われる相手は男の子が多かったから、男の子の 記憶の方が強いのだけど。その子供の頃あこがれていた男の 子の一人と偶然、高校で再会した。小さいころも可愛い子だ ったが、その頃はますます美少年になっていた。そして、 みんなから「いつ性転換するの?」などと言われていた(^^; 小さい頃はそんな傾向があるようには見えなかったのに意外。 私は小さい頃彼にあこがれていただけに、ショックだった。 女の人でも昔の彼がニューハーフになってたらショックだと 思うけど、それと同じような感じ。当時私は女性志向を隠し ていたけど、多分彼は私を一目見て「昔とおなじだな」と 見抜いたと思う。あの彼は今頃どうしてるだろう。女性に なっただろうか?
まだ女装して昼間平気で歩けるようになるずいぶん前、会社から 5日ほどまとめてお休みをもらったことがある。すごくきつい 仕事をしあげたご褒美だった。私はこのときはじめて女の子の服 だけを持って旅行に出かけた。ただ完全な女装で出歩く勇気は なかったので、昼間はブラジャーはするけどパットは入れず、 スカートではなくレディース・ジーンズ。髪は忙しかった直後 だから結構のびてたし、お化粧はしなくても化粧水・乳液と液体 ファンデまでは付けて、香水も振って、マニキュアも目立たない 色のだけどしてたし、持ち物は全部女の子仕様のバッグだった から、女の子にも見えたかも知れない。夜ホテルではネグリジェ を着て寝ていた。でも当時は今みたいに女性名義で泊まるまでの 勇気はなかったな。
中学1年生の夏休み。同級生の女の子のセーラー服やスカートやブルマーが羨ま しかった。私だって女の子なのに,邪魔なオチンチンが付いているからいけないん だ。オチンチンをチョン切って,本当の女の子になりたい。女の子になってスカー トやブルマーをはきたい。 今日は一人で留守番だ。オチンチンをチョン切るチャンスだ。まずは,トイレ に行く。立ってオシッコするのは,これが最後になるけれど未練はない。出血をお さえるため,オチンチンとタマタマの根本を麻ヒモでかたく縛る。痛みへの不安は あるけど,女の子になれるのだから我慢できる。
姉の部屋へ行き,ショーツとブルマーとスカートをはく。オチンチンが ボッコリしているので似合わない。やはり,オチンチンをチョン切るしか ない。台所へ行って,包丁を手にする。 電話の受話器を取り119番をプッシュする。「どうされましたか?」 という問いかけに「遊んでいてオチンチンが切れてしまいました」と答え る。相手は少し驚いたように住所や目印を聞いてくる。説明して受話器を 置く,もう後戻りはできない。
はいていたスカートをめくり,ブルマーとショーツを下げてオチンチンを まな板の上にのせる。オチンチンは麻ヒモで根本を縛ったので血が止まって 紫色になっている。左手でオチンチンとタマタマを握り,右手で持った包丁 を根本に当てる。このオチンチンさえなければ女の子になれるんだ,と思う と不安はなくなった。 救急車のサイレンの音が聞こえてきた。目をつぶり,思いっきり右手を動 かした。痛みよりも全身の力が抜けて,腰がガクガクした。左手で握ってい たはずのオチンチンとタマタマが股間から移動した。
女の子になったんだ,と実感した。体がふるえて意識がもうろうとしてき たが,残っている力を出し切って,左手の中のオチンチンとタマタマを,ト イレに捨てて流した。そこへ,救急隊員が到着した。 救急隊員は,スカートやブルマー姿の私を見て,「え?女の子?」と言っ たが,股間の傷口を見て「大変だ。オチンチンは?」と聞いた。私は「捨て て流したの」と答え,意識を失った。
こんにちは、ゆかりさん。 ほんと切っちゃったんですね。私も子供の頃から何度まな板の上に 乗せて包丁を当てて力を入れるところまでしたか。。。でも切れる ところまで力を入れる勇気がありませんでした。少し皮が切れるく らいまでは3〜4回経験があるけど。。 >>女の子になったんだ,と実感した。 すごくすごくすごくすごく、うらやましいです。
気がついたときは,病院のベットの中だった。母親が「どうしてそんなこと したの。何で相談しなかったの」と言った。私は「ごめんなさい。女の子にな りたかったの」と答えた。母親は,「女の子にしてあげたよ」と言った。 ブルマーやスカートをはいてオチンチンをチョン切ったのだから,女の子に なりたいという気持ちはわかったらしい。私はもう,ワレメに整形してもらっ ていた。医者もトイレに流れたオチンチンをくっつくるわけにもいかず,親の 了解もあってワレメに整形してくれたのだ。 私が「お母さん,ありがとう。ごめんね」とくり返して言うと,「初めから 女の子で産んであげればよかったね。痛かったろうね。お母さんの方こそ,ご めんね」と言った。
ゆかりさん、貴重なお話をありがとうございます。これで勇気を 出しておちんちんを、おちんちんまではいかなくてもタマタマを 自分で取る人もあるかも? (おちんちんを改造してヴァギナ作りたい人はおちんちん切っち ゃだめですよ>読者の人) 私も切ったあと病院に飛び込もうと思ってタクシー代と病院代を そばにおいてから切ろうとしたことありましたが、先に救急車を 呼んでおいて、それから切ってしまう。しかも切ったあとのを トイレに流してしまうというのは思いつきませんでした。確かに 切っただけだと、それをくっつけられてしまう可能性大ですよね。 せっかく痛い思いして切ったものを付けてなんか欲しくないのに。 それに先に救急車を呼んでおけば万一切った時のショックでその まま失神した場合にも命にかかわる危険性は低いですね。どうし て欲しいと紙に書いて自分の服に貼り付けておくくらいした方が いいかも。
うらやましかったこと。小学生の頃、妹を連れてあるいて いて、妹がおしっこしたいと言い出した。近くにはトイレ がないので、道ばたでさせた。そのとき初めて女の子の あそこをしっかり見て、ああ、あんなになってるのか。 いいな、自分もああいう形になりたい、と思った。
高校生の頃だったろうか。風呂から上がった妹がその日は 無防備にはだかのまま「ねぇ、お兄ちゃんバスタオル持っ てきて」と言った。そのふくらんだバストを見て、ショック を覚えた。自分にはバストがないのに、自分より後から 生まれた妹に立派なバストができている。それはうらやま しいという感情を越えて、まさにショックだった。自分も 絶対バストが欲しいと思った。
子供の頃ピアノを習いたかった。でも習いに行かせてくれなか った。妹は幼稚園の時からピアノ教室に行かせられていた。 どうして女の子だけ行かせてもらえるのかって、くやしかった。 自分も女の子だったらよかったのにと何度思ったことか。
大人になってから音楽教室に通ってピアノを習い始めた。教室 の中で男の子は私ひとり。でも私の女性的な性格はすぐ分かった みたいで、けっこうみんなから女の子並の扱いはしてもらって 仲良くしてたけど、ほんとに女の子だったら、もっと気楽につき あえるんだろうな、とちょっとくやしかった。
発表会の時に、みんなはきれいなドレスを着ていた。でも私は そんな服が着れないから、ワークシャツとズボン。いいなぁと 思ってみんなの服を見ていた。自宅ではもちろんスカートを 履いて、パンプス履いて弾いていたけど。足の感覚が違うと ペダルを踏みにくいので、発表会の時はパンプスっぽいメンズ の革靴を履いて演奏していた。あの頃は女の子モードでみんな の前に出る勇気はなかった。
昔ギロチン手品というのがよくあった。最近はやるのだろうか。 客を舞台にあげてギロチン台に腕を通させ、刃を落とすと腕は 無事だがそばにある大根は切れるというやつである。ご丁寧に 腕を通させるところでも、ちゃんと大根を切ってみせる。また 客に腕を通させる時「万一のことがあるから、無くなっても いい方の腕を通して」などといって、客を不安がらせたりする 演出もある。あれで腕じゃなくて、おちんちんを通させたらと 妄想した。「万一失敗したら女の子として頑張って生きてね」 とか言われて、どきどきしてたら、ほんとに失敗してチンチン が切れちゃった、なんてシーンを妄想した。
プウラリア入りのお茶というのが薬屋さんに行くと売ってある。 これはいつも飲んでるんだけど、特にこれのせいで胸が大きく なったという感じはない。一種の自己満足かな。ちなみに今の バストサイズはAAカップというところ。ブラジャー無しでは 階段をおりたりする時痛いけど、Aカップでも余ってるんだよ ね。一応パットを入れてBカップを付けてるけど。この胸は ふとる→ウェストを中心にやせる、というのを何度か繰り返し た成果。寄せると一応谷間ができる。テープでとめたら胸が 大きくあいたドレスなども着れるとは思うけど、そんなの着て 出かけるところ無いしな(^^;;
子供の頃、なんでか忘れたけど「ちんちん切っちゃうよ。はさみ持って きて」とか言われたことが何度かある。何してたんだろうな。。。私は 本当に切って欲しかったんだけど、母がはさみを手にしたりしたところ まで行ったことはあるように思うものの、結局は切ってもらえなかった。
成長するにつれ、やがて同性愛という言葉を知った。男の子の同性愛 をホモといい、女の子の同性愛をレズという、というのは小学校の5 年生頃に近所の男の子が教えてくれた。私って同性愛なのかな?と ずいぶん悩んだ。でも男の子と愛し合うってイメージがつかめなかっ た。好きになるのは女の子ばっかりだったし。
今時こんな言葉を使う人はいないが、性的倒錯とか性的逸脱として、 異性になりたがる人がいるということが紹介されている本を、あれは 18歳頃だろうか、読んで、どちらかというと同性愛じゃなくて自分 はこちらなんだろうな、と思ったけど「倒錯」とか「逸脱」とかで、 自分は異常人格者なんだろうか、と悩んだ。まぁ別に正常とは思って なかったけど(^^;
その内、異性の服を身につけたがる人の中に、異性になりたいと思っている 人(Transsexual)と、その異性の服自体で興奮する人(Fetishism)がいると いう話を聞く。異性の服を身につけた時に落ち着いた気分になるか、性的に 興奮するかがその見分け方である、と書いてあったのだけど。。。自分は どちらに分類されるのかよく分からなかった。たしかに女の子の服を着たら 興奮して自慰してたけど、でも衣服が目的という意識はなかった。女の子で いたいから女の子の服を着るんだという意識しかなかった。
高校生の頃までは、女の子の服を着ることに一種のうしろめたさというか 罪悪感を感じていた。自分は男の子だから女の子の服着ちゃいけないんだ という自分を規制する意識があった。だから、どうしても抑えがたい衝動 に動かされて、ひとりで留守番してる時に母の服を身につけたりしていて も、特に自慰してしまった後などは急に罪悪感に襲われてぬいでしまった りしていた。高校を出て一人暮らしするようになって、1年くらいした頃 から、そういう自分を克服することができた。女の子の服を着ることは 悪いことではない。そう自分で納得できたとき、私は髪をのばし始めた。
そのうち、Transvestismということばもあることを知った。自分はどちら なんだろうと疑問に思った。女の子の服を着たい。でも男の子が女の子の 服を着ちゃいけないから、女の子の服を着るためには女の子にならなくちゃ いけない。そう思っているのか?あるいは、自分は女の子でありたい。女の 子なんだから、女の子の服を着たい。そう思っているのか?小さい頃から ずっと長い間そのあたりは渾然一体となってたから、今更どちらなのかは 分からないって感じ。一度自分はやはりtransvestismなのではないか。その 証拠に女の子とセックスするのはいいけど男の子とセックスするのってイヤ だと思うし、ということで結論づけたこともあるけど、その後、女の子の 身体になって、女の子とレズしたっていいじゃんと思うようになった。結局 よくわらかない。ほんとにこれは区別されるべきものなのだろうか。ただ 現実的な問題として、性転換手術受けるにはとてもたくさんお金がいるけど 女の子の服を着るだけなら、そんなにお金のかかることじゃないから、実際 は女の子になりたくても、女の子の服装だけで自分を満足させている人って 多いんじゃないだろうか。
さらに私を混乱させたのはその後知ったtransgenderということば。 肉体的な性ではなく社会的な性の問題。それはそれまで考えたことも なかったけど、でも女性として社会的に受け入れられたいって思いは ありますよね。現実的にはよほど理解のある経営者でないと、雇って くれそうにないけど。性の境界を越える人が仕事をなかなか得られな い問題って重要だと思うな。結局は会社には不本意ながら男の格好で 行って、家に帰ると女の子に戻り、休みの日などはそのまま女の子の 状態で出歩く。これくらいしか、大部分の人には選択肢がないですも んね。基本的には、女の子の身体になりたいし、女の子の服は当然着て いたいし、社会的にも女性として仕事ができたらいいな。でも結婚相手 は女性でないとだめ。(実際女性と結婚してるし^^;)というところで 私みたいな傾向は今世間で言われているGIDとは明らかに違いますね。
そのうちテレビの深夜番組でくぃーんという雑誌の存在を知り、とても 高い値段の雑誌ではあるけど、あちこち本屋さんを回ったあげく見つけ て買ってきた。自分と同じような人がこんなにたくさんいる、というの がすごく私の気持ちを楽にさせてくれた。セーラー服着て可愛く映って いる人とかいて、ああいいなぁと思った。ホルモンのこととかも、この 雑誌で知った。
その内、niftyのFBBSでSWANというパソコン通信ネットの存在を知る。 白鳥美香さんのサイト。その内ご本人は運営から外れてサブの方が 運営を続けたようですが。ここで最初しばらくは仮IDで入っていた けど、もっと多くのことが知りたいと思って、住所・氏名をメール して本IDにしてもらった。自分以外の人に自分が女装することを言う のはこれが初めてだった。この時ひとつの壁を越えたような気がした。
中学や高校のころとか、友だち、特に女の子の友だちと話している 時によく性転換者とか女装者の話が出ることがあった。そんなとき 「私も女装するんだ」と言ってしまいたかった。でも言う勇気が なかった。
高校の頃まで、基本的に女の子たちの中にうもれていたかった。教室で 話の輪ができる時とか、たいてい女の子たちのそばにいた。男の子たち と話をする時はちょっと緊張するけど、女の子たちとはすごく気楽に 会話ができていた。いつも女の子たちのそばにいたかったけど、着替え の時とかはやわらかく追い払われた。女でない身の悲しさというのを 感じていた。
20歳前後から、ごく普通に女の子の下着を身につけ、スカートを履く ようになったけど、体形を調整してウェストとかはくびれを作ったけど、 胸がないのと、ショーツの中に余計なものがあってふくれてしまうのが 不満だった。ピーターとかはホルモンも何もやってないけどいつもボー イフレンドにもんでもらってるから結構胸がある、とか聞いて、私も胸 が大きくなるようにといつもマッサージしてた。
それにしてもやはり下の方は問題だった。中学の頃性転換手術のやり方 を知って、完全に女の子になれるわけじゃないなら、とその道には進ま ないつもりでいたけど、この頃には、完全に女の子になれなくても、 男の子をやめられるのなら、それだけでもいいという気がしてきていた。 となると、やはりおちんちんとタマタマは取りたい。いや、取らなくちゃ そう思うようになっていった。
手っ取り早く取っちゃう方法として自分でやるという方法もあるよな、 痛いだろうけど、と思った。よく切れそうな小型のナイフを買ってきて きれいに研いだ。火であぶって消毒する。血が出るだろうから下にビニ ールのゴミ袋を敷く。傷口を処理するのにオキシドールとガーゼも用意 した。麻酔がないから痛いのだけは我慢することにする。手もきれいに 洗って、ナイフをそばに置く。スカートをめくり、ショーツを下げて、 その部分を露出させる。ここでトランプを取り出す。任意に3枚引いて 全部女の子カード(ハートかダイヤ、もしくは女王)だったら思い切っ て切ることにする。1枚目ハートの8。どきどき。2枚目ダイヤの3。 もう心臓がすごく打っている。ちんちんが硬くなってしまった。こんな に充血しては血がたくさん出るから、鎮めるために一回出してしまう。 小さくなったところで最後の1枚。
最後の1枚を開けて、私は大きく息を付いた。ハートのキング。ハート ではあるけどキングは女の子カードではないだろう。でも諦めきれない ので、もう一度だけトライすることにした。きれいにシャッフルして、 集中して1枚。ハートのクィーン。うんいきなりいいカードが出た。 2枚目ダイヤの10。いい感じいい感じ。3枚目スペードのエース。 残念。でもせっかくここまで盛り上げて何もしないのも悔しい。そこで おちんちんの根本の付近の皮を2mmほどだけ切った。おちんちん本体は 切れないように浅くナイフを入れる。神経がたかぶっているのでそんな に痛い気がしなかった。調子にのって陰嚢の正中線のところにも少し だけナイフを入れる。これもそんなに痛い気がしなかった。でもその日 はそれだけでやめておいた。 落ち着いたら切った所が痛くてたまらなかった。1日で傷は治ったが。 その日はショーツにナプキンを当てておいた。血がついているナプキン は悪い気はしなかった。
このトランプにタマタマの運命をまかせるというのはその後何度か やったけど、結局切るという判断にはたどりつけなかった。その後 夜中にどうにもガマンできなくなって、トランプなどひかずに本当 に切ろうとしたこともある。でも詳しい記憶がないけど、結局タマ を自分で抜くまでは至らなかった。
その後一度交際中の彼女に切ってと言ってナイフを渡したことがある。 「ほんとに切っていいの?」といわれて「うん」と言ったらちんちんと タマタマをきつくひもでしばって「じゃ切るよ」といってナイフをその 部分に当ててくれた。でもそこで「やはり切れないよ。切るなら自分で やって」というので、私がナイフを受け取り、見てもらっているとでき そうな気がしたので力を入れようとしたのだけど「私血見るの苦手だか ら、できたら呼んで」といわれて他の部屋に行ってしまったので、突然 切る勇気がなくなってしまった。
今日夕方5:30のTV朝日系列「ザ・スクープ」で案内が 「性転換・これがヤミ手術の現場」って出てますね。 誰か取材に応じたのでしょうか。。。読売新聞には 「男から女へ・ヤミの性転換手術」って書いてあるし。 これでタイとかの病院のレポートだったらスカだなぁ。。。
うーん、そんなものやってたとは。見逃してしまいました。 見た方、どんなことやってたか教えてください。
初めまして、いつも読むだけだから。初めて書きます ザ・スクープをVAIOの録画機能で取り込みました 見てみたい人いるかな?
こんにちは、瑞穂さん。 わぁ録画されたんですか。うーん、管理者じゃなかったら 「お願いコピーさせて」と書いてしまっていたかも(^^;; 結局国内だったんですか?