2 仮名A子 29歳女性歴3年2000.06.09-06:57:19
23歳で結婚し、24歳・26歳で子供ができました。妻は外科医で 中堅の総合病院に勤めています。2人目の子供ができた後、妻が もうこれ以上子供は欲しくないから妊娠しないようにしようと 言いました。それで私が不妊手術受けていいよ、と言ったので すが、パイプカットは時々うまくいかないことがあって間違い で妊娠することがあるから、確実にするため睾丸を取らせてと 言います。私はちょっと戸惑いましたが別に無いと困るもので もないので取ってもいいと言いました。金曜日の晩妻は自宅で 子供たちが寝静まっている時に私のあの付近に部分麻酔を打ち 陰嚢を小さく切開して、睾丸を1個ずつそこから引き出しメス で切断しました。保存しておく?と聞かれましたが別にとって おいても仕方ないので、別にというと、妻はその睾丸を生ゴミ 入れに捨ててしまいました。
手術のあと傷口が治るのに数日かかりました。直接触ると痛い ので、これを当てておこうかといって妻が女性用のショーツに 生理用ナプキンを付けて履かせてくれました。男物じゃダメな の?と聞いたのですが、男物のブリーフではうまくナプキンが セットできないからと言います。それでもズボンを履くと股の 所が当たって痛いのです。じゃ、スカート履く?と言われて、 生まれて初めてスカートなるものを履きました。これだと股が 無いので安心です。結局土日はずっとスカートを履いて過ごし ました。ナプキンもそのあと一週間くらい使って、その間は ずっと女性用のショーツでした。そして昼間会社に行っている 間は仕方ないですが、家に帰るとスカートで過ごしました。
傷が治ってからお風呂できれいにその付近を洗いました。陰嚢 がなんだかトサカのようになって変な感じです。その夜妻は たっぷり私を愛してくれましたが、インサートは拒否しました。 睾丸を取っても精嚢に精子が少し残っているので妊娠の可能性 があるというのです。そこで口の中で出し切ってしまおうとい うことになり、私の身体の中の最後の精子は妻の舌と口により 放出されることになりました。しかしこれだけだと何だかまだ 全部したような気がしません。じゃ後ろを使ってはというと、 じゃ後ろは二人ともあるわけだから、ジャンケンで負けた方が 入れられることにしようと妻が言います。私は承知してジャン ケンしたのですが、私が負けてしまいました。 (to be continued...?)
夜はジャンケンでという日が続きましたが、私はジャンケンが 弱いのか3〜4回の1回しか勝てずに、私が入れられる側に なることが続きました。そのうち、すこしじらしてからしよう ということでストーリーを作って、私が女子高生だったり看護 婦だったりして、それを男性教師や男性医師や患者の役の妻が やっちゃうというパターンなどを開発していきました。その内 想像だけで満足できなくなり、私は実際にその服を着せられま した。妻は病院から古くなって捨てることになっていた看護婦 の服を持ってきて、それから捨てずに取っていた妻の学生時代 の制服なども取り出してきて私に着せました。普通にOL風の 服を着せられることもあり、私は次第に女性役が板についてき ます。この時期に女の子らしい声が出せるよう徹底的に訓練さ れました。
妻とのごっこ遊びはどんどんエスカレートしていき、その内、 私は女性の服を着せられたまま、お使いに出されました。夜 だからよかったようなものの、コンビニにビールやおつまみ を買いにやらされたり、ほっかほっか亭にお弁当を買いにや らされたり。最初の内はものすごっく恥ずかしかったけど、 段々度胸が付いていきました。
私の女声がけっこう使えるんじゃないかと妻がいいまして、 ある時期からテレクラのバイトをはじめました。面接には 妻が代わりに行ったのですが、実際電話を受けているのは 私でした。最初の内はいつも妻がそばに付いていてくれま したが、そのうちひとりで任されるようになりました。こ れをやっていた時期に男とバレたことは一度もありません。 結局このバイトは1年くらいやっていました。収入的には 200万円くらいだったでしょうか。
その年の夏、娘ふたりを連れてあるリゾート地に行こうという 計画が持ち上がりました。パンフレットを見てホテルを選んで いて、あるホテルが目に付いたのですが、そこは女性専用ホテ ルでした。「女性専用か。残念」というと、妻は「あら大丈夫 じゃない。あなたも女の子すればOKよ」といいます。結局、 私は娘たち(3歳・1歳)の前で女装初披露ということになっ てしまいました。着ていく服を準備し、試着してみます。水着 はタマタマが無いお陰で、チンチンだけなら十分アンダーショ ーツで隠せます。胸にパットを入れればどこから見ても女です。 普通のリゾート着については全然問題ありませんでした。
そのホテルには専用のエステが付いていました。一週間ほど滞在 するので妻は、そこでのんびりとタラソテラピーとかしたいな、 といいます。それで私がなにげなく「いいなぁ。ぼくもしたいけ ど、胸がないから」と言いますと「作っちゃおうか?」と言い出 しました。
旅行に出かける1月くらい前に私の誕生日が来ました。妻は私に 誕生日プレゼントといって、バストを作ってくれました。全身 麻酔かと思ったら、これも部分麻酔でした。自分でしっくりくる サイズのバストにしないといけないから本人の意識がないとだめ なのだそうです。背骨にとても痛い麻酔注射を打たれまして、脇 の下を切開され、なにか大きな包丁のようなもので胸のあたりに 空間を作られました。その様子を感じているとなんだか痛いよう な気がしてきてそれを訴えると、麻酔を追加してくれました。 そしてパックが入れられ少しずつふくらませていきます。前には 鏡が立っています。自分がちょうどいいと思うところで「はい」 と言ってと言われました。自分のバストがふくらんでいるのって なんだかとても変な感じです。ちょっと恥ずかしいような。その 恥ずかしいという気持ちが出てきたところで痛みは感じなくなり ました。純粋に誰か別の人の胸を見るような気分になってきて、 「あ、このあたりが美しいかな」と思ったところで「はい」と言 いました。妻はそこでそのチェック用のパックを取り出し、本式 の生理的食塩水入りのパックを挿入して位置を調整します。そし て縫合です。手術が終わると、私は疲れも出て、そのまま眠って しまいました。
眠りからさめて、自分の胸がふくらんでいるのを触って確認 すると、なんだかとても変な気分になってしまいました。手術 したのが金曜の夜だったのですが、土曜日私はなにか女の子し ていたくと、一日スカートを履いて過ごしました。そして日曜 には女の子のまま外に出ていきたくなって、妻は仕事で病院に 行っていましたが、娘ふたりが保育所に行っている間、私は ひとりで女の子モードで町に出かけ、ランジェリーとかワンピ ースとかを買ってきました。今までも妻に連れられて行ったこ とはありましたが一人では初めてでしたし、試着室も初めて 使いました。胸があると試着室が全然こわくありません。
月曜日、私は会社があるので背広を着て出社ですが、なんか男の服を 着たくない気分でした。でも仕方ありません。ブラジャーとスリップ を付けた上にカモフラージュ用に色の濃いシャツを着て、その上に ワイシャツを着てみます。下着の線は見えませんが胸のふくらみは 隠しようがありません。「まぁ背広ぬがなきゃいいか」私はできるだけ ワイシャツをだぶだぶの感じにして身体の線を隠し、その上に背広を 着て出かけました。会社で「暑いのによく背広なんか着てるね」と 同僚が声を掛けてきましたが「ちょっと風邪ぎみなのかな。冷房が きいてるから」とか答えておきました。でも机の前に座ってこっそり 自分の胸を触ってみます。ふくらみがものすごく気持ちいい。がまん できなくなって2回もトイレに行って、やってしまいました。
やがて5時半になって仕事も終わりです。私はもう抑えがたいほど の衝動をもてあましていました。机の上を片づけ、みんなに声を 掛けて会社を出ると、私はそのまま近くのスーパーの婦人服売場に 行きました。今日は男の格好ですが、いつも(女の格好でだけど) 行っているところだからそんなに抵抗感を感じません。私はブラウ スにスカート、サンダルを買いました。それから1階の化粧品売場 に行き、コンパクト入りのファンデと口紅・アイシャドウを買いま す。そしてトイレの中に入って男物の服を脱ぎ、ついでにいったん 裸になってしまいました。豊かな胸のふくらみ。くびれたウェスト。 股間に1個余計なものが付いてますが、十分いい身体をしている。 そう思いました。一度出したあとで、下着をまた身につけていきま す。そして、今度はブラウスとスカートを履き、女物のサンダルを 履いて、お化粧をしました。髪を手で女の子っぽくまとめて、よし、 というところでトイレを出ます。店の中の鏡になっているところに 自分の全身を映して「うん、美人だな」と思いました。
せっかく女の子に変身したので、このまま帰るのももったいない 気がして、少しウィンドウショッピングをし、本屋さんで少し 女性雑誌を立ち読みして、それからケーキ屋さんでケーキを買って 帰りの電車に乗りました。自宅に帰ると、妻はちょっとびっくり したようでしたが「きれいよ」と言ってくれました。その日は 私は自ら女役をかって出て、たくさん愛し合いました。妻の下に なって犯されている自分に、私は何か本来の自分を見いだした ような気がしてきました。
翌日から私はもうしっかりお化粧して、女の子の格好で家を出ました。 でもそのまま会社に出る勇気はないので、駅の男子トイレで男性モード に変更です。女の子の服と靴はカバンに入れて会社に持ち込みます。 そして帰りは会社を出てから近くのスーパーの男子トイレで女性に変身 して、ゆったりした気分で帰宅します。しかしこういう生活パターンに なると、背広を着ている時の自分というのは、本来の自分をきゅうくつ なものに無理矢理詰め込んでいるような、とても違和感のあるものに 思えてきました。木曜日は午後メーカーの新製品発表会に行って来るこ とになりました。私は女の子セットをもって会社を出て途中で女の子に 変身して発表会の会場に行きました。女の子モードで4時間もいたので 女子トイレに入ることになりました。女子トイレの雰囲気って好きです。 会場は一流ホテルなので化粧室もきれい。私は鏡の前でていねいにお化粧 なおしをしました。その日は直帰してよかったので、そのまま帰宅です。
私が毎日女の子の格好で通勤しているのを見て、その晩妻が言いました。 「完全に女の子になっちゃう?」「え?」「ようするにさぁ」と妻は 私のちんちんをもてあそびながらいいます。「これ、取っちゃって、 女の子の形にしちゃうの。そしたら前に入れてあげられるし」私は 心臓がどきどきしました。女の子になっちゃう。それもいいかも知れ ない。そしたら裸になっても平気だし。しかし私はそんなことを考える 前に、首を縦に振っていました。
翌金曜日、私はいつものように女の子モードで出かけ、今日は大胆にも そのまま会社まで行き、会社の使ってない会議室で男の格好に変更しま した。その日の私はトイレに3回も行ってオナニーしました。おちんちん を使ってオナニーするのはこれが最後と思うと、普段より興奮しました。 帰りもまた社内のあいてる部屋で女の子に戻って、今日は寄り道なしで 帰宅です。
その晩、子供たちが寝静まってから、妻は私に最後のフェラチオを してくれました。昼間3度も自分でやってるのにこの日はとても 興奮して、2度も行ってしまいました。妻も今までにもましてたっ ぷりしてくれる感じでした。
フェラチオで果てたあと、妻は今度は手で刺激して再び大きくし、 私にバックで彼女の中に入れるよう言いました。最後のセックス です。これだけやったあとで行けるかどうか不安でしたし、そも そも妻の中に入れるのは久しぶりでしたが、なんとかできました。 ちんちんが妻の壁に全面的に圧迫されて、あ、入れるのもわりと いいもんだなという気もしましたが、とにかくこれで最後です。 疲れ切って足もがくがくになって、パタンと大の字になって倒れ ていましたら、腕にチクリと針がささるのを感じました。「全身 麻酔でやるからね」と妻がささやいたような気がしました。
目が覚めたら朝でした。無意識にあそこに手をやる。包帯が巻いて ある。触ると痛い。となりで「あ、お早う」という声。「終わった の?」と妻に聞きます。「おめでとう。もうあなたは立派な女の子 よ」と妻は言いました。
妻は午前中子供たちを保育園に連れて行き、そのまま病院に行きました。 そして昼過ぎ、ひとりだけで帰ってきました。私は午前中はベッドの中 でおとなしくしていました。「検査しようか」「おしっこしたいんだけど」 「お風呂場に行ってしようか」私は妻に連れられお風呂場に行き、服を 脱がされ、患部のガーゼをはずされた。「まだ傷口が完全じゃないけど 見る?」私はおそるおそるのぞいてみる。これが私の身体だなんて信じ られない!「おしっこしてみて」私はどうすればおしっこできるのか よく分からなかったが、意識して尿道のあたりの筋肉をゆるめるような 感じにしたら、出始めた。ちょっとホッとする。でも止める感覚がまた よく分からない。だいたい出た感じのところで筋肉を緊張させる。止ま った。「上手上手。女の子初心者としては上出来。さて消毒しておくね」 妻はその付近を丁寧にシャワーで洗い、そのあとをガーゼでふき、消毒 薬をつけてくれた。妻に私のできたての陰唇をめくられると、変な感じ。 なんかどきどきした。でもどきどきしても、もう立つものが無いのも又 変な感じ。再度ガーゼをつける。「明日くらいまではこの方式でいきま しょう」
月曜日。まだ傷は完全じゃないけど会社ではズボンを履かないといけない。 妻が痛くないように少し広めにガーゼを当ててくれた。それから導尿管を 付けてくれたので、それでおしっこができる。なんかちんちんでおしっこ してるみたいで変な気分。でもおしっこの出し方・止め方は女の子感覚。 完全に女になってしまったら何か逆に余裕が出来てしまって、別に女性の 服装で出勤しなくてもいい気がしてきた。下着はむろん女性用だしブラジ ャーも付けているが、色の濃いワイシャツを着て下着の線が見えないよう にし、その上に背広を着て出勤した。
週の後半になるともう傷もだいぶよくなっている。妻がオナニーの仕方 を伝授してくれた。そのあたりを自分の指でさぐって一番感じやすい所 を探し出す。そして指でおそるおそる軽くもんでみる。気持ちいいよう な気がする。妻の話ではその付近に性感を感じる神経を残してあるはず とのこと。その日は最初ということで短時間で切り上げたが翌日は妻が もんでくれた。結構強くもまれて「壊れないかな」と不安になったりも したが、その気分の変化を感知したのか「大丈夫。壊れたりしないから」 と言ってくれたので安心できた。おかげでけっこう気持ちいい目にあう ことができた。男性時代は感じたことのないようなクライマックスを 感じた。男性時代は割と早く出てしまう方だったし。これってすごく いいかも知れない。女の子になって良かったという気がした。
金曜日の晩、初めて自分でディレーションをした。最初の数日間は中に ずっと詰め物が入っていたし、そのあと数日は妻がやってくれたのだが 今日は一人でやってみて、と言われ、子供たちが寝静まった中、ベッド の上で楽な姿勢になり、準備を整えて始める。洗浄・煮沸消毒したディ レーターを細い順にそばに並べている。まずクリームを左の中指に取り ヴァギナの入り口付近に軽く挿入して、よくのばす。この自分の身体の 中に指を入れる感じ。変だ。興奮してしまいそう。察したのか妻がキス をしてくれた。それから一番細いディレーターにまたクリームを良く塗 り、身体と平行にゆっくりと挿入。。。するつもりだったがうまく行か ない。「角度が違う」妻がそういって右手に持つ方向を修正してくれた。 入れていく時の感じがもうたまらない。心臓がどきどきしている。妻は キスしながら私のクリトリスをさわってゆっくりもみ始めた。ものすご い快感。女の子ってみんなこんな気持ちいい目にあってたんだ。幸せ。 奥まで入っていったところで止めてしばらくそのままにする。妻は私の クリトリスをもみ続けている。その内、もっと太いのを入れたい気分に なってくる。そこでゆっくりと今入れているディレーターを引き抜く。 抜く時はそんなに気持ちよくない。やはり入れる時がいい。最初入れた のが1.5cmだが次は2cm。さっきより少しきつい気がするけど、 そのあたりの感覚がまたいい。今度は角度を間違えずにきれいに入れる ことができた。妻は指が疲れたのか舌で私のクリトリスをなめてくれた。 至福の時間が過ぎてゆく。 結局この日は2cmでやめておいた。一応4cmまで準備していたのだ が、少しずつならしていけばいいでしょうということになった。これを しばらくの間は1日に3回。朝と帰宅後すぐ、そして寝る前にやること にした。
手術の二週間後、初めてのセックスをした。 セックスの雰囲気が男性時代とは全然違う。 足を交互に組み合わせてお互いの股間が相手の足で刺激されるような形になる。 そして少しずつ体を動かすと、ものすごい快感。邪魔になるものが付いてないから お互いスムーズに体を動かすことができる。 ある程度興奮してきたところでシックスナインに移行する。最初の夜はサービス といって、妻が上になってくれた。お互いのクリトリスをお互いの舌でなめあう。 もう天国にいるよう。頭がおかしくなりそう。 そしてお互い十分濡れてきたところで、お互いに指を入れあう。入れながら入れ られてるって、すごく変な気分。 そのあともいろいろな体勢になりながら結局3〜4時間はやっていたような気が する。男性時代はこんなに長時間のセックスなんて経験したことがない。ほんと女 になってよかったなぁ、と実感された。