「草薙京さま…ですよね」
下校途中に名前を呼ばれて、俺は振りかえった。
そこには日本人形みたいな、超絶可愛い女の子が立っていた。
色素の薄い、茶色いさらさらな髪に、白い肌。長い睫毛がビー玉みたいに綺麗な瞳を縁取り、更には形の良い鼻に小さく品の良い唇。
こんな美少女、滅多に御目にはかかれまい。
一緒にいた真吾が、顔を真っ赤にして茫然としたくらいだ。
ま、俺にはこの子よりも美人で可愛くて色っぽい恋人がいるから、なんとも思わねーけどな。
「そうだけど、あんた誰?」
訊ねれば、極上の微笑を浮かべて答えた。
「わたくしは八神ゆとりと申します」
八神…?
ってーことは、こいつ庵の関係者か?
「こんなところで長話もなんですし、できれば貴方のお家に案内していただきたいのですが」
上品にそう言うと、もう一度にっこり笑ってみせた。
花が咲いたような笑顔に、俺は何故か逆らえなくて結局家に連れて帰ることにした。
「なあ、あんたさぁ、庵の何?」
「何、と仰られても……。何、とはどのような意味なのでしょう?」
にこにこ笑って逆に訊ねてくる。全然俺をからかっている様子はないから、本気なんだろう。
「草薙さま、どうなさいました?」
「いや、別に」
あー、気になる。まさか庵を連れ戻しに来た、とか言わねぇよなあ。
八神の人間が迎えに来たら、いくら庵でも実家に帰っちまう。
とか考えていたら、マンションの前まで来てしまっていた。
「大きな建物ですねぇ」
心底驚いたように言う。
確かにこのマンションは結構デカイけど、ここより大きな建物はいっぱいあると思う…。
「ここに、住んでいらっしゃるのですか?」
「ああ、ここの最上階にな」
最上階って一番家賃が高いところだよなあ。
都心に近いここで、この大きさで最上階って…。金持ちだよなあ、庵は。
「ってあんた、どこに行くんだ?」
彼女はあろうことか階段に向かって歩き出した。
階段で最上階まで登るのは、いくら俺でも辛い。
いかにも華奢なあんたじゃあ、3階ぐらいで息が切れると思うぜ。
そう告げれば。
「では何で昇るのですか?」
と聞いてきた。
「エレベーターに決まってんじゃん」
「えれべーたー?」
うっそマジ? エレベーター知らねぇの?
今時こんな純真な奴、子供でだっていねーぞ?
俺は珍獣を見たような気分で、エレベーターに乗りこんだ。
動き出したエレベーターに彼女は、子供のようにはしゃいで見せた。
便利ですね、楽しいですね、と何度も囁いてにこにこにこにこ笑っている。
やがて最上階についてドアが開くと、彼女はころげそうな勢いで飛び出した。
きょろきょろと辺りを見まわし、インターホンを指差して、
「これは何なのですか?」
と訊ねる。
おいおいおいおい〜、そんなのも知らねーのかよ〜。
八神家ってマジでどんなところなんだよ。
「…そのボタン、押してみな」
俺は彼女の反応を見てみたくなって、インターホンを指差して言ってみた。
「これですね? えいっ」
可愛らしい掛け声と共にインターホンを押す。
ピンホーンと聞きなれた音が響いた瞬間、彼女はびっくりしてインターホンから手を放した。
きょろきょろと忙しなく辺りを見まわし、怯えた表情で俺の後ろに隠れた。
「い…今のはなんの音ですか?」
「さあねぇ」
俺が意地悪くそう言うと、彼女はもっと怯えた眼をした。
(あれ?)
その目には見覚えがあった。その嗜虐心を煽る目…。
不思議に思っていると、ドアが開いて庵が顔を出した。
「…誰だ」
うっわー、不機嫌そう。何でこんなに不機嫌なんだ?
「なんだ貴様か」
「…ただいま」
なんでそー、俺を睨むんだよ。俺なんにもしてねーぞぉ?
ムッとした俺は、負けじと睨み返してやった。どちらも引かず、時間だけが無駄に過ぎて行く。
俺は庵が睨みつけてきたから睨んだんだけど、庵も俺が睨んできたから睨んでいるみたいで。
堂々巡りだ。
二人で睨み合ったまま立ち尽くしていると、俺の後ろにいた彼女がひょっこりと顔を出した。
その途端、庵が俺から目を逸らして驚嘆の表情を浮かべる。
やっぱり知り合いなんだな。
「ゆとり…何故ここに」
呼び捨て。…仲いいんだ……。
「お久しぶりですね。お会いしとうございましたわ、兄様」
に…兄様? っつーことは、こいつ庵の妹!?
あー、でもそう言えば、名前も酷似してるし。
…って妹なんかが迎えに来たら、絶対庵、本家に帰っちまう!!
「と、とにかく中に入れ」
促されて、俺と彼女は中に入った。
「何しに来たんだ、お前」
何って、…お前折角訪ねてきてくれた妹にヒデエこと言うなよ。
でも、俺も実はそう思っていた。口には出さなかったけど。
彼女は家の中を見まわしては、珍しい物でも見つけたのか手にとって見たりしている。
「ゆとり、俺の質問に答えろ」
「何しに…とは酷い言い方ですわ。たった一人の兄に会いに来てはならないと仰るのですか?」
「別にそうとは言わん。だがお前は体が弱いだろう」
そういえば、そんなこと言ってたな。
「それに、お前がいなくなったと家から電話が来た」
「まあ、心配性ですね。わたくしきちんと置き手紙をして参りましたのに……」
置き手紙、ねえ。なんか家出みたいだな。こいつ、庵を迎えに来たんじゃないのか?
「その置き手紙にお前、何と書いた?」
「え、『大切な方の所へ参ります。ご心配なさらないでください』と」
そ、それってカケオチみたい…。大体、『大切な方』って書き方…まずいと思うぜ。
八神家が心配するのも当然じゃねーか。
このお嬢サマを騙すのって、赤子の手を捻るようなモンだし。
庵も気が気じゃなかったんだろーなぁ。だから不機嫌だったんだ。
「どうしてそう、誤解を招くようなことを書くのだ。家の者に一言『俺に会いに行く』と言えば済むだろう」
「どうしてって、だって、なんだか面白いじゃありませんか。置き手紙って」
面白い…って。こ、これはもしや…このお嬢サマ……天然??
にっこにっこ笑顔を絶やさずにさらりと告げた言葉に、庵ががくんと肩を落とした。
大変だなあ……兄妹って。
「それで、お前のことだから連れてきたんだろう?」
え、何を?
不思議に思う俺の隣で、彼女は持っていた籠を静かに取り出した。
なんかさっきからごそごそ何か音がしてるなあって思ってたけど、正体はコレかあ。
俺はてっきりさくらがまた、ゴキブリを捕まえてきたのかと思ってたけど。
そーいやさくらはどこ行ったんだ?
この時間は家にいるはずなのに、何処にも気配がない。
「ほら、出てきなさい、あやめ」
あやめ…?
籠を開けると、中からしっぽと足の先だけが白い、黒猫が出てきた。
どっかで見たなぁ、と思っていたら、前に庵が拾ってきた猫の一匹だということに気付いた。
はー、そういや八神家に一匹譲ったなー。
「なあ、なんであやめって名前つけたの?」
「わたくしの好きな花の名ですから」
……こいつらホントに兄妹だわ。
同じ理由で猫の名前決めてる。
ちりりん、と涼しげな鈴の音を立てて、あやめが彼女の膝に登る。
あー、お嬢サマと猫って、なんかいいよなあ。
「ほら、兄様にご挨拶を」
抱き上げてあやめを庵に渡すと、庵はあやめの背を撫でた。
大きな手が、柔らかい毛並みをくすぐるように動く。
気持ちよさそう…。庵って猫の扱い上手いんだぜ。
でも、猫や妹にばっか構ってないで、俺にも構って欲しいなー、なんて思ったりして。
庵が猫に構っているのを見ていると、俺はなんだか自分の居場所がない気がして、ちょっと寂しい。
そんなことはないって思うんだけどな。
「草薙さま、兄様が構ってくださらないのが、寂しいみたいですね」
彼女が小声で囁いた。
俺の心を読み取ったのかと思って、弾かれたように俺は彼女の顔を見た。
「驚かれましたか? わたくし知ってますの。兄様と貴方の関係」
うそ…。
「憎しみの中、燃え上がる恋…。いいですわね、ロマンチックですわ」
ロミオとジュリエットかよ…。
それに今は別に宿敵同士じゃないし、その表現は当てはまらないんじゃないか?
「兄様、今まで八神のために頑張ってくださったでしょう? だからわたくし、幸せになって欲しいんです。
それには愛する者と共にいることが一番です。わたくし、兄様の気持ちは知っていましたから」
俺と一緒になることに、侮蔑も偏見もない。
そう言って、彼女は笑った。
でも、真面目なこと言ってるけど、この子、絶対面白がってるな。
まあ誰に反対されても、庵のこと離さないけど。
それにしても鈍いんだか鋭いんだか…。やっぱり庵の妹だよなあ。
「あ…」
庵が突然声を上げて立ち上がり、玄関に向かって行った。
何事かと思ったけど、よく考えれば分かった。玄関でさくらの気配がする。
―――あれ? そう言えば俺、なんか忘れてるような気が…。
そうだった、思い出した!!
さくらの例の習性、まだ治ってないんだよ!!
気付いた俺の耳に、声にならない悲鳴が届いた。
遅かったか…。
「兄様、いかがなさいました?」
逃げるように(いや、実際逃げてきたんだけど)部屋に戻ってきた庵は、そのまま俺にしがみつく。
がたがた震える肩が、庵の恐怖を物語っている。
ゆとりちゃんが心配そうに庵の傍に寄るのと、さくらがアレを咥えて部屋に入ってきたのは同時だった。
さくらは、あやめの姿を見ると、威嚇するように鳴く。
それにあやめも対抗して、毛を逆立てる。
ぽとり、とゴキブリがさくらの口から落ちた。
って、もしかしてアレ……。
カサカサカサカサッと凄いスピードで、落ちたアレが走り出した。
い、生きてる〜〜〜〜〜!!
「「ひ……」」
庵とゆとりちゃんの口から悲鳴が上がる。
「に、兄様…アレは何なのですか? あのような生き物は初めて見ます…」
恐怖に引きつっている庵は、それに答えられない。
それより、早く何とかしないと、隙間なんかに逃げ込まれたら大変だ!
俺はしがみつく庵を引き剥がして、丸めた雑誌を手にした。
いいか、そこでじっとしてろよ〜。
「くらえ!」
振り下ろした武器は、床に当たって大きな音を立てた。
でも、奴の姿はない。
一体どこに…。
ゲッ!
「あ…あ……」
「に、い様…」
庵の足元にいるぅ〜!!
しかもその横にはゆとりちゃんまで…。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
耳を劈く凄い悲鳴が当たりに響いた。
ケンカをしていたさくらとあやめも、その声に驚いて物陰に隠れたくらい。
さっすが兄妹。悲鳴を上げるタイミングもバッチリだ。
俺はその隙にゴキブリを叩き潰すと、ゴミ箱に雑誌ごと捨てた。
「おーい、庵。もう大丈夫だぜー」
振りかえると、二人ともソファーに座りこんで気を失っていた。
そこまで似なくてもいいんじゃないか?
双子かよお前ら。
「…ありがとう、京」
謝礼の言葉に、俺は驚く。
今まで謝罪の言葉は聞いたことがあっても、謝礼の言葉は聞いたことなかった。
うわー、嬉しい。
「ありがとうございました、草薙さま。兄様とわたくしのことをあの生命体から救ってくださって」
救ってって…。なんか違う気もするけど、まあいいか。
それにしてもゆとりちゃん、ゴキブリのことを新種の生き物みたいに言うなよ。
彼女にしたら、新種の生き物なのかもしれないけど、『生命体』ってのは言い過ぎなんじゃ……。
腰が抜けて立てない二人に水を渡してやって、俺は着替えるために部屋に戻った。
色々あって、まだ制服のままだったんだよな。
腰の抜けたゆとりちゃんを庵が一人で家に帰すはずもなく。
かと言って庵も腰が抜けているから、送って行くこともできず。
結局ゆとりちゃんは一泊していくことになった。
勿論ちゃんと家に電話をさせた。なんか凄い怒られてたみたいだけど、全然気にしてない。
それどころか、「また怒られてしまいましたわ」とやっぱり笑って庵に言っていた。
庵は慣れっこなのか、呆れた顔をしてた。
ところで今思ったんだけど、ゆとりちゃんってどうやってココまできたんだ?
家の奴らが連れてきたわけじゃないだろうし、タクシーを知っている様子はない。
……謎だ。
「わー、兄様と一緒に寝るのって、何年振りでしょうか」
ベッドの上に乗り上げて、嬉しそうにはしゃぐ。
ベッドは大きいから別に狭くないけど、何で3人で寝なきゃなんねーんだ?
でも、それを言ったら絶対に俺が一人で床に寝かされる。
大体ゆとりちゃんが庵と一緒に寝たいってダダこねたから、こういうことになったわけで…。
ずるいよなあ。権力濫用だ。
でも俺も庵と寝たいから、文句を言わずにいる。
「兄様は中央。草薙さまがそちらで、わたくしがこちら」
だけど本当に良い子だよなー。だって庵を一人占めしないんだぜ。
俺が庵の隣で寝たいの、ちゃんと分かってくれてる。
呆れ顔の庵をよそに、俺と彼女は幸せな眠りについた。
次の日、俺は庵とゆとりちゃんの苦しそうな声で目が覚めた。
うんうん唸っている。一体何があったんだろう。
「……な…」
「………いで」
なんか言ってる。
耳を澄ますと、「来るな」「来ないで」と言っていた。
ひょっとしてゴキブリが出てくる夢見てんのか?
「っいてててててて」
ぎゅううぅぅぅと、俺に抱き着いていた庵が腕に力をこめた。
凄い力で抱きすくめられて、息ができない。
それに、すっげー痛い。ああっ、爪立てんな!!
いつのまにか俺の隣で寝ていたゆとりちゃんも(寝相悪いのかな。俺も悪いけど)、俺の腕にしがみついている。
引き剥がそうにも、これじゃ身動きが取れない。
「く…苦し……。いって―――っっ!!!!」
腕にゆとりちゃんの爪が食い込んでいた。両手に花でも、こんなん全然嬉しくねぇ!
くっそー、早く目ェ覚ましてくれー!!
結局二人が目を覚ましたのは、一時間後のこと。
俺の体と腕にはしっかりと爪の跡がついていた。
END
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<めそさんのコメント>
ぎゃふん!
なんじゃこりゃ。要は庵さんの妹を出したかっただけ。
ゆとりちゃんは天然です。
そしてしらすさんのご要望通り、ゴキブリ様にもご登場していただきました。
庵さんの妹の名前は、某少女漫画のキャラクターから(主人公ではない)。
分かる人いるかな?
庵さんの爪、痛そう。
というか、絶対痛い。
ゴキブリに向かう京サマの「くらえ」のセリフは、ゲーム中の声で読んでいただくと、笑えます。
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しらす:またタイトル私です……。そのまんまじゃん!!!
センスないなあ…。
大抵庵の妹って京のこと激嫌いなんで、このゆとりちゃんは珍しいなあと思いました。
やはり、天然??(笑)
いっときますが、私はゴキブリ、好きじゃないですよ!?ゴキサマに怯える庵ちゃんが
好きなんです〜〜〜vv
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