
星蒼矢さんの作品です。
まさに現代の学校、家庭を風刺した作品です。
そして、物語は発展していきます。
それの行方
とある、研究室。関孝塾…。
かの国でも有名な私塾である。歴史上の学者の名前に由来したこの私塾は数十人の塾生を抱えて、研究に取り組んでいる。事実上は、政府の研究機関の下請けである。
尾形茂和はその塾のドン尻に慎ましやかに座っている男であった。成績も研究もいまいち迫力に欠ける。何をやらせてもどこか抜けている男であった。彼の父親が創設者の知人で、生物学会の第一人者であったから入塾できたようなものを、かの創設者と父親の亡き今は、いつまでもここに籍を置いていられるものかと言われているのである。
一方で角田雄一郎は茂和とは対照的な男であった。知性も意欲もあり、容姿も整ってい て、女子学生からの視線もことのほか熱い。もっとも、長年にわたって、主席を勤める彼には、いささか気の合わない者がいないこともなかったが、誰も彼もが確かに彼の実力と言うものを思い知らされてしまうのである。
こんな話があった。
ある物理学の実験の際である。彼らはとある形状の物体の落下運動を研究していたのであるが、たまたま茂和と雄一郎が同じ班にあたったのだ。そこで、実験ではある種の測定装置にその物体をかけて、落下を観察するはずであったのだが、茂和は、割り当てられた貴重なその物資を運んでくる際に、ラボの床に走る配線に蹴躓いて問題の物資を当りに撒き散らしてしまったのである。かくして、物質は宙に舞ったかと思うと、アッとい間もなく、全て地面に叩きつけられて壊れてしまったのである。
これには当然、班の連中が腹を立てた。折角の実験がおしゃかになったのだから、無理も無い。二、三人で茂和に責めの言葉を浴びせようとした連中を、雄一郎が冷静な声で止めたのである。
「何をしている?早い所論文を書き上げてしまわなければならないだろう」
一瞬全員が、彼の言葉を疑い、次に、彼の皮肉であろうと考えたが、彼は机に向かうが早いか、勢いよく論文を書き上げたのである。その、落下と破壊とを中心に書いた論文は一挙に注目を浴び、茂和はドジの、雄一郎は天才の異名を取ることになったのである。
さて、かの雄一郎には現在、いささかの悩みがあった。
結婚である。彼はしばらく美里という女性と交際を続けていた。だが、最近になって、結婚を意識し始めてから、それは彼にとって大きな悩みとなっていったのである。
ここで結婚を打ち出すべきだろうか、否か。打ち出すなら、どうすればよいか。それが、 自分や彼女を拘束しはしないだろうか?彼女はそれで幸せになれるか、自分にそれができ
るか…?彼の中にある感情はうずまき、ときに彼を翻弄し、彼はそれで足を止めざるを得なかったのである。
そんなある日、彼がラボへ入ると、妙に落ちつかない雰囲気があった。少し、浮かれた喜喜とした感があるのである。
「なんでも、来月の生物研究の結果に応じて国の研究所が人員を募集するらしい…」
なるほど、またとないチャンスだ!
だれもがそう思ったものだ。そして、それは雄一郎についても例外ではなかった。この結果を手土産に彼女にプロポーズしようではないか…。そして、彼も研究に精を出し始めたのである。
一方、茂和はというと、あいかわらずである。とはいえ、彼の父親が生物学会の権威であったこともあり、生物の研究については、兼ねてより重ねていて、父親から貰いうけた資料もそろっていた。
そういうわけで、ラボの一番末席に小さくなりながら、自分が手がけてきた研究の最後のまとめに取りかかっていた。何年もかけた彼の作品の最後の段階である。
そして、研究期限まで一週間弱とせまったある夜である。茂和の父親の資料を借りよう と、雄一郎は一人、茂和の部屋を訪ねたのである。木造の朽ち果てかけたボロボロのアパートで、見ているこっちが惨めになるようなたたずまいである。
雄一郎はインターホンを鳴らしたが、返事はない。次に扉をたたいて見るが、やはり返事はない。彼はさらに少し待ってみたがやはりなんの返答もない。
期限もせまっているのに研究が中々思うように進んでいなかった雄一郎は、茂和に待たされている自分にいささか腹がたった。そして、そう思うと、勢い、扉のドアに手をかけて、扉を開けた。
鍵は掛かっていなかった。奥の部屋から光りが漏れている。
「おい!茂和」
だが、やはり返事はない。雄一郎のイライラは次第につのり、ついに彼はその場に靴を脱ぎ捨てて部屋に上がった。
彼はズンズン歩いて、奥にある部屋に足を踏み入れた。
こじんまりとした書斎で、本棚には山のように書籍が積まれている。テーブルの上にはほぼ完成された論文が、乱雑に散らばっていた…。そして、彼ははじめて、茂和の数年間を垣間見たのである。
美里は少々長引いた買物から帰路についていた。夜のこの時間、大抵は渋滞になる繁華街をさけて、路地から周り込んでいく。
ふと、彼女はスピードを緩めた。と、いうのも、ヘッドライトの片隅に恋人の姿をみたような気がしたからである。そして、目を凝らして見ると確かに雄一郎である。彼女は車を止めて彼が来るのを待って見ようかとしばらく車をとめていた。が、いつまでまてばよいのやら見当がつかない。
そこで、彼女はそばに車を止めると、雄一郎の跡を追ったのであった。
はたして、彼女に茂和の部屋が見えてくると、中から鞄を抱えた雄一郎が出てきたのである。あたりに気を配ってこそこそとしている。
「角田さん」
美里が彼に声をかけと彼は肩をビクッと揺らした。が、声の主が美里だと知ると、まるで獣のように鋭い目で彼女をにらみつけた。
「なんだ?お前か?茂和のところに遊びにでもきたか!」
ゾッとするほど低い声で雄一郎は美里に告げた。彼女は、まるで蛇ににらまれた蛙がごと く、まさにその文字通りにそこへ立ち尽くした。
何しろ、彼女がここへ来るのは初めてであり、茂和とは雄一郎を通して、発表会のときに一度あったきりなのである。まさか、ここに遊びに来るなどということはないのだ。
気が付くと雄一郎の姿はそこにはなく、変わりに茂和が立っていた。
「君は…。美里さんだったね?どうしたんだい?まあ、とりあえず、入ってくれ…」
それから、しばらくの間、具体的には研究の期限までの間、彼は美里を避けつづけた。 茂和と彼女が会っている…その考えが、ある意味で彼を奮い立たせ、研究に没頭させた。
その間、彼女とは一言も口を利いていないし、電話にも出ていない。彼女からの手紙も全て読まずに破いてしまったのだ。
そして、研究提出当日の夜、彼の自宅に、美里からの手紙が直接いれられていた。そこには、「最後の手紙」と記されていた。
雄一郎はその言葉に思わずドキリとして、自分の行いを思い返し、継いで、顔中真っ青になって、手紙を開けた。
「御存知ですか?あの日、あなたが茂和さんの家を訪れた日、茂和さんが何をしていたか…?つい先月無くなった妹さんの為にしていた貯金のすべてを、寄付していたのです。そう、あなたがあの日、彼の部屋で見た私そっくりの女性の写真は、彼の妹さんの写真です。
あなたは、これを信じないかもしれませんが、私はそれでも構いません。そして、あなた はあの日、彼の部屋で何をなさいましたか?そして、今日、どうして茂和さんが論文を提出しなかったのか、御存知ですか…?」
雄一郎は手紙を読むと、背筋に冷や汗が流れるのがわかった。彼は全てを知っているのだ …あの日、自分がしたことを…。
雄一郎は家を飛び出すと全力で茂和の家へと向かった。無償に謝りたくなったのだ。彼に謝りたい。謝って、許しを請いたい。
例のアパートへ駆け込み、彼の部屋の前で足を止めると、彼は肩で大きく息をすって呼吸を整えようとしたが、そのとき、部屋の奥から声が聞こえて、思わず耳をそばだてた。
「本当は知ってたんじゃない?雄一郎が論文を盗んだんだって…」
「うん。まあね」
「どうして、別の論文を出さなかったの?」
「出せなかったのさ。まともなのはあれひとつだったから」
「なら、あれをもう一度書きなおせばよかったじゃない?」
「そんなことしたら、雄一郎の話がバレるだろう?」
「うん…」
「本当は、犯人が雄一郎だから、僕は何もしなかったんだ」
「え?」
「彼があの論文を出してくれるなら、あの論文は正当な手続きを踏む。決して焼き捨てられたりはしない。誰かの、どこかに生きつづけてるんだ。それで充分さ」
「あなた、優しすぎる…」
雄一郎は、雷で打たれたように、全身が痺れ、思わずそこに座り込んでしまった…。
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完
一言感想欄
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2000.06.27

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