星蒼矢さんの作品です。
まさに現代の学校、家庭を風刺した作品です。
そして、物語は発展していきます。


 月明かりの青春 (2)

「昌明。お前の親父さん、不正をはたらいたらしいな」
翌日、学校に着くやいなや他の友人にけしかけられた淳が尋ねたのはそんなことだった。
「それは親父に対する侮辱か?そんなことあるわけないだろ」
昌明は断言した。それは彼の正義だった。だが、彼の前に突きつけられた新聞の内容は彼の正義を否定した。
「暴力団との取り引きで、不正な利益…」
昌明は新聞に書いてある内容を呟いた。昌明は胸の奥で膨れ上がった熱いものを必死に押え込んだ。だが、それが長くは続かないことを昌明自身がよく知っていた。
 昌明の胸の内に広がった怒りと悲しみを昌明は押さえ切れなくなった。考えれば考えるほど、押さえようとすればするほど大きくなっていくそれに昌明は跳ね飛ばされた。
「昌…」
呼びかける淳を昌明は睨み付け、そして、彼の胸座をつかんで後ろに突き飛ばした。淳は数歩よろけると後ろにあった机にぶつかって大きな音と共にその場に倒れこんだ。
「何も、突き飛ばすことないだろ!」
「うるさい」
憤然として昌明を睨み返した淳に昌明はもう一度怒鳴った。周囲を重たい空気が流れていく。凍り付いた時間の中でだれも動くことができないでいた。
「も…」
“もう、やめなよ”
優梨子は喉元まで来ているその一言を発する勇気を持っていない自分をじれったく思っていた。彼女の数少ない高校の友達が目の前で喧嘩をしているのに、彼女は何一つできないのである。
「何やっているの」
その空気を塗り変えたのは一時限目のグラマーの担任だった。それでも尚、教室に流れる空気は重く、時間さえも塞き止めてしまうかのようであった。

 彼はウィルの隣に所在無く座りこんだ。何事も行動を起こす気にはなれない。
「僕さ、友達と喧嘩しちゃったんだ」
昌明はふと、ウィルは全てを知っているのではないかと思った。
「先に手を出した僕が悪いのかな?」
彼はウィルに問い掛けた。だが、ウィルは何 も知らないように首をかしげただけだった。

 そこを彼女が通りかかったのは偶然というより運命に従ったものだったのかもしれない。
「昌明…君?」
公園の片隅でうずくまっている寂しげな背中は紛れもない昌明のものだったのである。
「優梨子さん?」
昌明は少し目をこすって声をかけた。
「どうしたの?」
二人が同時に口を開いた。そして、二人は同時に笑った。
「朝のこと?」
昌明はうなずいた。西に傾いた赤い太陽が二人の影を引き伸ばしていく。
「ごめんね。私、二人のこと止めようと思ったのよ。でも、できなかった」
また少し、影が伸びた。
「俺さ、悪かったのかな?」
「わかんない」
「そっか」
鳥の鳴き声が聞こえた。車の走る音が聞こえた。とても懐かしい音がした。だが、答えはそのどこにもなかった。
「くぅ〜ん」
声に誘われて視線を動かした優梨子はそこに初めて白い小犬を見つけた。
「ウィルって言うんだ。ここで飼ってるんだよ」
夕日が二人の頬を赤く染めていた。
「一緒に飼っていい?」
昌明は肯いた。ただ、それだけだった。

 晴れた気持ちで帰宅した昌明はふと、玄関で足を止めた。何か、心臓がドキドキするのを感じる。辺りは異常に静まり返って静寂が支配しているようであった。
「ただいま…」
父親が帰っているはずの家の玄関をそっと、 押し開けた。自分の家でないように落着かない。何かが、いつもと違っている。
「ひっ」
だが、昌明がその違いに気づいたとき。彼はそのすべての思考を停止させざるをえなかっ た。二階へ上がる階段の途中にぶら下がっているものがあった。それは、今朝方まで生き物だったものであった。
「父…さん」
段上の窓からの月明かりに照らされて白く輝いている父親は、もはや父親ではなかった。 ロープにつるされた“物”となっている。
「嘘だ。目を開けてよ」
昌明はその場に崩れ落ちるように膝をつくと、 永遠ともいえる時間を泣き続けた。

 次に母親が昌明を見たのはその二日後で、 彼は制服を来て降りて来たところだった。
「昌明、何をしていたの?」
昌明は通夜のときも、葬式のときも自分の部屋から出ては来なかった。
「じゃ、いってくる」
「ちょっと、待ちなさい」
母親は自分以上に息子がやつれた顔をしていることに気づいてやる余裕を持っていなかったのである。そして、昌明も母親を気遣うことも無く、家を出たのであった。
 昌明は自分の重い足を引きずってどこへ行こうとも考えずに歩いていた。何かを考えようという気にはなれない。何もかもが、薄っぺらな下手な絵画のようで、どの事柄にも厚みというものがなった。
「おはよう」
ふと昌明は知った声を聞いて立ち止まった。 気づくといつのまに学校の前に立っている。
「昌明…君?」
声をかけた優梨子は彼の顔を見て思わず立ち尽くした。生気の感じられない面持ち。人の死に直面したことのない彼女でさえ、そこに死を連想させられる。何が彼をこんなにしてしまったのか。それを考えると彼女は声をかけてやることすらできなかったのであった。
 果たして、昌明の授業は授業ではなかった。 言葉は異国語というより言語には聞こえてこず、単語はまとまらずにその意味を紡いではくれない。昌明は、ただそこにいた。
「この前は、悪かったな」
オズオズとした淳の言葉が、やっと言葉として昌明の頭脳に到達した。それは、眠ってしまった彼の思考回路の引き金を引くに値する効果を持っていた。
 そうだ、こいつは父を侮辱した。そして、 その父は僕を残して逃げた。昌明は溶岩ドームのように膨れ上がった自分の怒りをどこに向ければいいのかわからなかった。何もない、 誰もいない。ただ、自分が、ただ、いるだけの世界で彼は涙を流した。
「なぁ…」
淳は昌明に声をかけようとして言葉に詰まった。自分には何も言えない。
「そっとしておきましょう」
淳の肩を叩いて優梨子がそっと述べた。そし て、彼を哀れみ、そうすることしかできない 自分を情けなく思った。
「あ、父さんだ」
突然、昌明が叫びだしたのを聞いて傍にいた二人のみならず教室中がギョッとした。そして、窓から身を乗り出している昌明の視線を追った。しかし、彼の視線が注がれている中庭には彼の父親はもちろん、人影すら見うけられないのである。
「僕、行ってくる」
「ちょっとまって」
さっきまでとは打って変わって、夢でも見ているような明るい笑顔を振り撒いて教室を出て行こうとする昌明を優梨子は止めようと試みた。だが、昌明は彼女の腕をすり抜けて廊下へと消えていった。そんな、昌明の姿に優梨子は一種の恐怖に似た感情を持った。
 午後の授業が始まっても昌明は戻ってこな かった。優梨子は少しホッとしていた。なるべくしてなったような気がした。昌明はここにいるべきではないと思った。それは、同時にひどく悲しいことでもあったのである。

 優梨子が、想像していたように彼はかくあるべきところにいた。小さな小犬と共に。
「やっぱりここにいた」
優梨子はいつかのように、彼の隣に腰をおろ した。ついこの間、こうして話したことがすでにアルバムの一ページになったように色褪せてしまっている。
「僕、もうだめなんだ。きっと、僕は死んじゃったんだよ。全てを失ったんだ。何もする気が起きないんだ。生きてたって…」
昌明の絞り出すようなその声に優梨子は答えてやることができなかった。
「僕、馬鹿だね」
優梨子はかぶりをふった。そんなことはない、 彼には彼の良さがある。例えば捨て犬を拾ってやるような…。
「それに、どんなに何かをしたって、いつか死んじゃうんだ。結局何も残らないんだ」
「嘘!昌明君には良いところだってある!」
“だから、そんな悲しそうな眼をしないで”
それでも、昌明はうつむいて首を横に振った。
「人は、いつか誰を裏切るから。僕だって、いつか君を裏切る」
「お父さんが亡くなったのはあなたのせいじゃない。だから、そんなに自分を傷つけないで。お父さんを信じてあげなくちゃ」
彼女は小さくささやきかえしたのだった。


つづく


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2000.06.08


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