no1482のレスで書いたが、ついに葛藤に負けた・・・。
と、いうわけで、ここしばらくは開き直ろう!
(しかし、まったく個人的な欲求の解消のためにこんなカキコをしているというこの行動の本質について、お許し願いたい) ので、こういうカキコが不愉快だというかたには、さきに謝っておきましょう。
私はこれからもっともらしいことを言うつもりですが、あくまで素人の個人的な見解でしかないということをお間違いのないようにしていただきたのです。
皆さんは、精神分析や夢分析について、多少の知識はおありでしょうし、興味もあろうと思います。今、手元にフロイドの「精神分析入門 上」がありまして、丁度、三分のニほどを読み終えたところです。
さて、今、私が読んでいる部分は、夢について語っているのですが、夢の性質には、次の性質があるようです。
1:夢は、現実に惹き戻し、睡眠を妨害する欲求を、夢の中で体験する
ことで、睡眠状態を維持する。
2:倫理的、意識的に嫌悪すべき、または何らかの理由で回避すべき無意識に関して、夢は
検閲をおこない、夢の映像を、無意識の意志から歪曲させる。そのため、無意識がも
つ主題は直接夢の映像にはほとんどならない。
3:精神分析の技法として、その事例に関する自由連想により、次第に無意識を表面化して
行くことができるが、それが、必ずしも当人に納得できるものとは限らない。
では、実例を。この夢は、ついさっき、机でウツラウツラしている自分が見たものです。ので、自身の覚悟だけで分析できますし、偶然にも、(無意識的な必然かもしれませんが)分析に丁度よい夢なので、まだまだ、素人ながら、分析を試みてみようと思います。
まず、夢は以下の通りです。
ある部屋の中を自分があるいています。かなり広い部屋で、どうもゴーカートかなにかの訓練場のようなところです。部屋の奥に、扉があって、私が向かうべきところは、その扉のむこう側にあるようなのです。私はその車の教習場を横切って、向こうのドアへ向かいますが、丁度その中間点くらいで、一台の車が非常にゆっくりとしたスピードでやってきます。そこには、中学時代の担任の教員が乗って、教習を受けていました。
その女性教員は、私を見つけるなり声をかけますが、私は呆気にとられて返事ができません。けれども、その車が、一度停止し、彼女が顔をだして、もう一度声をかけると私は、やっと「受験勉強で最近大変なんです」と答えました。それから、彼女が、二言三言、言葉を発して、彼女は、去ってしまいます。
私は、再び、扉に向かって、歩き出しますが、今度は私が、非常にゆっくりなスピードになってしまって、なかなかすすめません。その私の横をかなりのスピードで別の乗り物にのった男が通りすぎて行く所で、夢は終わります。
さて、では、この夢にどんな意味があるでしょう?まず、私は自身に自由連想を課しました。
まずは、女性教員です。
これは、簡単で、つい最近、ふと目についた中学校の卒業アルバムが原因でしょう。これについては、「(私達が」二十歳になったら同窓会をする」という、そのクラスの約束が、ありまして、それについて、あれこれ思いをめぐらしたことを思い出しました。これは、将来や受験後を強くイメージした事実です。
次に、
「受験勉強で最近大変なんです」という台詞はほとんど問題なく、このごろは私がいつでも会う人に言う台詞であることがわかります。
そして、もう一つ
注目しておきたいのは、この夢の中で何度か「はやさ」に関る表現が出てくることです。
「先生の車は非常に遅く」
「しばたらく返事ができず(返事が遅れる)」
「今度は、僕が非常に遅い動きに」
「かなりのスピードでその乗り物」
という具合です。
これも、私は難なく連想できました。といのは、私の受験勉強に関する話しです。情けない話しですが、勉強は遅々として進んではいません。ところが、心のどこかで、「もっと学習を速く進めなくては」という意識が働いています。さらに、私は、なるべく早く「受験生」という立場を抜け出したいのです。
最期に、
夢には、個人差によらずに事物を象徴するものというのがあるようなのです。例えば、この場合では、部屋です。これは主に女性の象徴されるといわれます。また、複雑な機械類は男性を、リズミカルなものは性交を意味すると言われています。
さて、これらの自由連想からたちかえってみると、次のようにこの夢を解釈するのはそう難易ではないでしょう。すなわち、
「私は、もっと適確に学習を進め、早いとここの受験を終わらせて彼女と遊びに行きたい。そして、私達が二十歳になるときには楽しい同窓会を迎えたい」
という願望のあらわれであり、夢を通したその体験というわけです。
最初にお伝えした通り、私は、三冊ある「精神分析入門」のうちの一冊をわずか三分の一読んだに過ぎない素人ですから、この分析がどれだけ信憑性のあるものかどうかは、まったくわかりませんが、あながち飛躍し、的を外れたものだとは思いません。
けれども、これがこの夢のすべてではないということは、恐らく確かでしょう。
精神分析の恐ろしい所は、このように分析してしまうと私自身が単に「夢を楽しむ」ということができなくなることです。さらに、これを他人に応用するなら、それは、その人が、自分自身ですら知らないほうがいいようなことをわざわざ暴いてしまうわけです。
さらに、フロイドの言うとおり、これらの作業がことの他上手く行くと、非常に気持ちが良いものです。そこにも一つの誘惑が進みます。
ですから、精神分析は使い方を謝ると大変なことになるのです。
フロイドが「安易な気持ちでこの世界に首を突っ込むことはお薦めしない」と言った理由はそこにあるようです。
また、この技術は自分に使うにはともかく、他人に使うには、多くの熟練がいりますし、もっと複雑な無意識のほうが世の中には多数あります。本気で精神医学を志すならば、その苦悩に耐えるだけの自らの精神と覚悟がかなり必要になってくるようです。
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