できれば春のように
〜二度目の別れの日のこと〜


夢を見た。
クラースが、私の所に帰ってくる夢。
あまりにも何度も見たから、もう数える気にもなれない。
それは途中まではとても幸せで、途中からはひどく苦しい夢。
夢の中で私は、決して食べられることがないと分かっているクラースの分の食事を用意する。
今日もまた冷めていくその料理を思いながら、最後によく温まった紅茶を淹れる。
そうすると、必ず家の扉が開く。
私は振り向く。
そしてそこには、クラースが立っている。まるで朝に書物を買いに出て、それから今帰ってきたばかりのように、ごく自然に。
私は夢じゃなければいいと願いながら駆け寄って、彼の胸に飛び込む………でも。
クラースの体温を感じられない。
失望の中、やっとの思いで顔をあげると彼はいつだって
………そこには居ない。
そして私は夢の中にいながら、また夢だったと気付く。
―――夢だと言うのなら、早く覚めて。…早く。
そう祈るのに、覚めてはくれない。
私はいつも、冷めていく料理を見つづけなくちゃいけない。永遠のような、長い長い時間。
だけど、例え目が覚めたとしても現実は夢とどう違うというの?
私は信じてる。あなたは帰ってくる。必ず、何の前触れもなく当たり前のようにあの扉から帰ってくる。あなたは約束は守る人。そうでしょう?………でも。
昨日は帰ってこなかった。一昨日も帰って来てはくれなかった。そして、今日もそう?
今日も開かれない扉を見つめなくちゃいけない?
今日も食べられなかったあなたの分の料理を片付けなくちゃいけないの?
………私はどうしてこんなに不安になるの?
いいえ、分かってる。別れの日にクラースが言った言葉が、日がたつにつれて、あなたが家を空ける日数が増えてくるにつれて、私の心に重くのしかかる。
あの日、クラースが「未来」へと旅立つ二度目の別れの日、彼は帽子を家に忘れてしまった。
机の上に置かれた帽子を目にして、私は少しだけ笑った。
だって、忘れるはずがないのに。
出かけるときはいつも、私が手渡すまでもなく自分から身につけていこうとするのに。
―――今に帽子を忘れたふりをして一人で戻ってくるわ。何か言い逃したことでもあるのかしら?
そして思った通りに扉が開かれ、思った通りの言葉が投げかけられた。
「おいミラルド、どうも帽子を忘れたらしいんだが…」
私は吹き出しそうになるのを堪えながら帽子を手渡した。
「はい、これね?………それで?」
「何?」
「何か、言いたいことは?……それで戻ってきたんでしょう?」
クラースは言葉に詰まった。どうやら図星らしい。
(………分かりやすい人)
思わずまた笑ってしまいそうになった私は、それでも次の瞬間にはとても笑えそうにないことを悟った。
顔をあげたクラースはひどく思いつめたような表情をしていた。
「………クラース?」
「お前も知っているように………私達の敵はダオス、世界の敵だ。」
「ええ、分かってるわ」
(何を………急に?最初から分かってたことよ?)
「奴とは一度戦ったが、恐ろしいほどの力を持った敵だった。残念ながらとどめは刺せなかった。私達は奴と戦わねばならない………もう一度。だから…」
(何?何を……言おうとしているの?まさか)
彼は苦しげに呟いた。
「だから………もしかしたら」
(お願い……やめて)
私は全身が凍りつきそうだった。
(゙もしかしたら″?もしかしたら、何だって言うの?………“もしかしたら、二度と帰って来れないかもしれない”?聞きたくない…そんな言葉、聞きたくない。
どうして笑ってくれないの?笑って、必ず帰ってくるからって、言ってくれないの?)
「………もしかしたら?」
私は冗談を聞き返すような調子でそう言おうとした。
でもそれは失敗したみたいだった。
震えるような私の声を聞いて、クラースは一瞬言葉を続けられなかった。
「いや……何でも」
一瞬口篭もった間を埋めるように。
自分が言おうとした言葉を、自分で取り消して冗談にしてしまうかのように、彼は笑おうとしていたのかもしれない。でもそれはうまくいっていなかった。
「何でもない。……お前、私がいない間に修練所を潰すんじゃないぞ?」
「もちろんよ。経営なら、私の方がうまくやっていけますとも」
そうして私は、クラースを笑って送り出した。
あの時彼が言おうとした言葉……考えないつもりだった。忘れたはずだった。それなのに。
ああお願いだからクラース……早く帰って来て。
こんな心配が馬鹿みたいだったと心から笑えるように。何事も無かったかのように。
………お願いだから。


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