ぽつぽつと音がしたかと思うと、あっという間に外はバケツを
ひっくり返したような雨になった。
 「あーあ。とうとう降りだしたか…。」
誰にいう訳でもなく俺はそうつぶやいた。
朝からどんより曇っていたから、いずれは降るだろうとは思って
いたけれど、やはりますます気が滅入ってくる。
屋根を突き破りかねない程の勢いで降りだした雨から、
俺は視線を外すと、室内を見渡した。
     
紫龍は部屋の中央のソファで、ぶ厚い本を読んでいる。
氷河は面白くなさそうにテレビを見ている。
瞬は…いなかった。
     
俺はため息をつく。瞬がいないっていうだけで、こんなにも
空気がちがうもんなのだろうか。
座っていた出窓から立ち上がると、俺はなんとなくソファの上に
置かれているクッションをぽんと叩く。
クッションは冷たかった。
これは瞬のお気に入りで、いつもならここに座っている筈だった。
十二宮での戦いのあと、一輝が消えた。生死すら解っていない。      
  ── 瞬は泣かなかった。──
心配する俺たちに、瞬はいつものように笑って
  …大丈夫だから…。
  …僕は平気だから…。
そう言って笑顔で俺たちを拒絶した。
 雨はざあざあと激しく降り続いている。
               
  ── 瞬は…泣かなかった。──
       
       
       
コンコン。俺はためらいつつも瞬の部屋のドアを叩く。
俺が瞬に会ったからといって、どうしようもないことくらい充分
過ぎるほど解っている。
それでも会わずにいられなくて、ここに立っていた。
しばらく待ってみたけれど返事はない。ノブに手を掛けると、
たやすくドアが開いた。
 「瞬?」
俺は部屋にいる筈の瞬に声をかけながら中に入ると、かわりに
開けっぱなしの窓から入る風が、白いレースのカーテンを揺らし
ながら俺を迎えてくれる。
 「瞬!」
慌てて俺は窓に駆け寄ると、そこから見える中庭に瞬が一人で
たたずんでいるのが見えた。
 「何やってんだよっ!」
少しほっとして、それ以上になぜかむっとしながら俺は窓から
飛び下りると、瞬のいる方向へ向かって走り出した。
 「しゅーんっ!」
激しい雨の音にかき消されるかと思ったが、怒鳴る俺の声に気付いた
らしく、じっと空を見つめていた瞬が不思議そうな顔で振り向いた。
 「星矢…?」
 「星矢じゃないっ!何してんだよこの雨の中で。風邪ひくぞ。」
 「聖闘士が…?」
俺の台詞に瞬がくすりと笑う。
そのあまりにもいつもと変わらない雰囲気に、何だか俺はよけいに
腹が立ってくる。
 「聖闘士だって人間だぞ。こんな雨の中、ぼおっとつったって
  りゃあ風邪だってひく。」
憮然とした声で俺が言うと、瞬がうつむき小さく呟く。
 「これくらいの雨じゃ駄目だよ。」
 「えっ。」
反射的に聞き返した俺から視線を外すと、瞬は再び空を見上げる。
 「もっともっと勢いよく降らなきゃ。もっともっと…
 そう地面に穴が開くくらいに。そうでないと…。」
 「そうでないと?」
 「そうでないと雨じゃないよ。」
歌うようにそう告げる瞬の目は、半ば夢見るようにうつろだった。
 「何の事だよ。お前変だぞ。とにかく帰ろう。」
そんな瞬の様子に何か嫌な感じがして、俺は瞬の腕を掴んだとたん、
はっと息を飲んでしまう。
瞬の服は、水が滴り落ちるくらいぐっしょりと濡れていた。
いったいいつから、ここにこうして立っていたのだろうか。
 「駄目だってば。まだ足りない。」
そう言って瞬が俺の手を振り払って走りだす。
 「瞬っ!」
慌てて俺は追いかける。
瞬は小さく何か歌のようなものを口ずさみながら、
まるでステップを踏むように、軽い足どりで進んでいく。
その後を追う俺は、なぜか追いつけない。
 「まてよっ!瞬!」
焦って声をかけたけれど、瞬は俺の方を振り返りもせずに、
爪先立ちで雨の中を歩いていく。
 「ねえ、星矢。」
 「なんだよっ!」
 「僕のいた島はね、年に一回か二回しか雨が降らないんだ。」
 「それがどうしたっていうんだよっ!」
囁くように言う瞬に対し、俺は雨の音にかき消されないように
声を張り上げる。
苛立ちまぎれに、雨水を吸い切ってすっかり重くなってしまった
スニーカーを足からはぎ取っては投げ捨てる。
 「それはすごい勢いで降るんだ。こんなもんじゃないよ。
  本当にシャワーのように降るんだ。」
瞬のその言葉に反応している訳ではないだろうけど、雨の勢いが
ますます強くなっていく。
いっそ豪雨といってもいいくらいの雨は、激しく俺の肩や背中を
打ちすえて痛みすら感じる。
右腕で目に入ろうとする雨を遮りながら、俺は瞬の名を呼んだ。
 「しゅーんっ!」
雨の中、ゆっくりと遠ざかっていく瞬の姿を見た瞬間、
俺は絶句してしまった。
  ── ゆっくりと瞬は踊っていた。──
踊っているというより、流れる水のようにゆるやかに手や足を
動かしているその姿は、むしろ舞うといった感じがした。
雨のカーテンが作りだす一面灰色の世界と、庭に咲き誇る色とり
どりの花々に囲まれて、とつもなくきれいに見えた。
まるで瞬だけを残して時が止まったように、いつの間にか雨の音さえ
聞こえなくなる。もう俺には瞬しか見えなかった。
 「……。」
なんだか瞬が、俺どころかこの世界すらすべて拒否しているような、
そんな気がして、なんだか泣きたい気持ちになる。
 「瞬…。」
俺が思わず呟いたとたん、突然がくりと瞬の膝がくだけ前のめりに
倒れこむ。慌てて俺は瞬の体を受け止め、愕然となる。
  …軽い…。
異様に軽かった。確かに前からそうだったけれど、何度かふざけて
持ち上げた時とは、比べものにならないくらい体重が落ちていた。
 「瞬、お前いったいいつから食べてないんだよ。」
 「ちゃんと食べてるよ。」
知らず口調がきつくなる俺に、人の感情に人一倍敏感な瞬が、
びくりと小さく肩を震わせ、身を縮める。
 「うそつけ。ちゃんと食べててこんなに体重が落ちるもんか。」
 「大丈夫だよ。」
そう言ってまた微笑みながら、支える俺の腕の中から離れようと
するが、俺は瞬の腕を掴んで引き戻す。
 「腕だってこんなに細くなってるじゃないか。」
 「平気だってば。」
俺の一瞬の隙をついて、瞬が逃げた。
そしてまた、どしゃぶりの雨の中で、くすくすと笑いながら
楽しそうに舞いはじめる。
 「ばかっ!何やってんだっ!」
怒鳴る俺に、にこりと笑いかけて瞬が言う。
 「これは雨乞いの踊りだよ。」
 「これ以上雨を願ってどうすんだよっ。」
捕まえようとする俺から、瞬が笑いながら逃げていく。
 「こんなの雨じゃない。もっともっと降らなきゃ。
  もっともっと降って、何も聞こえないくらい、
  何も見えないくらいにならなきゃ!」
そう言って、まるで小さな子供のようにはしゃぐ瞬を前に、
再び俺は立ち止まってしまう。
 「瞬…。」
              
瞬は泣かなかった。俺たちに心配かけまいとして。
瞬が踊っている。心配する俺たちを拒絶して
              
俺は腹が立って腹が立って…そしてただ悲しかった。
 「星矢…?」
ふと気が付いたら、俺は瞬を両手で抱きしめていた。
 「ばかやろう…。」
つぶやく俺の腕の中で瞬が身じろぎをする。
 「星矢、離してよ。」
 「いやだ。」
 「お願いだから…。」
 「何て言おうが俺は絶対離さないからな。一体どうしたっていう
  んだよ、瞬。お前、体がこんなに冷えきってるじゃないか。」
抱き締めた瞬の体は、生きているとは思えないくらいに冷たかった。
 「星矢。」
瞬が困ったような声で俺の名を呼ぶ。
 「泣けよ。」
 「えっ?」
 「我慢なんてすんな。」
驚いて見開かれた目が俺の顔を捕らえる。
 「俺たち…いや俺じゃ駄目なのか。」
俺の言葉に小さく瞬がかぶりをふると、雨の雫が髪からぱっと
こぼれ落ち、俺の顔に降りかかる。
 「違うよ。そうじゃない。ただ…。」
 「ただ?」
 「僕はもう泣かないって決めたから。」
瞬の言葉に俺はむっとする。
 「一輝の奴がそうしろって言ったのか。」
 「兄さんはそんな事言ったりしないよ。
  ただ…僕がそうしようって…決めたんだ。」
俺の思っていることが伝わったのかどうかは解らないが
瞬が柔らかい口調で俺をなだめる。
 「俺たちはそんなに頼りないのか。瞬が俺たちの前で
  泣けないと思うくらいに。」
俺の問い詰めるような口調に、瞬がはっと息を飲むのが解る。
 「だってそうだろ。」
 「ごめんね…。僕はそこまで考えてなかった…。」
沈んだ瞬の声に今度は俺が慌てる。
励ましにきた筈だったのに、いつの間にか余計に瞬を追い詰める
形になっている。
 「こっちこそごめんな。ちょっと言いすぎたみたいだよな。」
 「ううん。ありがとう。」
そんな瞬の様子に俺は少しだけ安心して、やっと抱き締めていた
自分の手を緩めた。
 「でもさ、これだけは覚えててくれよな。」
 「え?」
瞬が首を傾げる。俺はごほんとひとつ咳をつくと、せいいっぱい
真面目な顔を作って言う。
 「俺は瞬が好きだぜ。いや俺だけじゃない、紫龍も氷河も
  口には出さないけど、瞬の事が好きなんだぞ。」
俺はちゃんと知っていた。
紫龍が読んでいる本は、朝から一枚もめくられなかった事を。
テレビを見ているふりで、本当は瞬のいる部屋に意識を向けて
いた氷河の事も。
特に何を言う訳ではなかったけれど、空気で解る。
どんなに二人が瞬の事を心配し、気づかっていたか。
俺は…本当に知っていた。
そんな俺の台詞に軽く目を見開いて、それからゆっくりと瞬の 
口許が嬉しそうにほころぶ。
 「僕も星矢が好きだよ。みんな大好きだ。」
そう言って瞬がくすりと笑う。
 「やっと瞬が笑った。」
 「………?」
きょとんとする瞬に俺は片目を閉じて言う。
 「今、本当に笑ったろ。作り笑いじゃなくってさ。」
瞬はもう一度笑うと、俺の肩にこつんと額をつける。
とまどう俺に瞬が小さく呟く。
 「ごめん星矢。もう少しだけ肩貸してくれるかな。」
 「俺のでよければいくらでも。」
俺がおどけてそう言うと、額をつけたままの姿勢で瞬が、
 「ありがとう…。」
と、やっと俺に聞こえるような声で囁いた。
雨は降り続いている。立ち尽くしたままの俺たちにも雨は降り注ぐ。
しかし、だんだんその勢いも衰えてくるのが解る。
 「帰ったら紫龍に牛乳あっためてもらおうな。」
 「うん。」
 「それから思いっきり熱い風呂に入って…。」
 「うん。」
 「今度こそ、腹いっぱいメシも食べるんだぞ。」
 「うん。」
 「明日は絶対寝坊するんだ。誰が起こしにきても
  昼まで眠ってやろうな。」
 「うん。」
たわいない俺の一言ごとに瞬が頷く。
 「瞬。」
 「……。」
 「泣いてるのか…?」
 「…うん。」
              
雨はまだ止まなかった。
     
     
*END*
     
     


まずは一言。
Pata、使用許可くれてありがと〜!\(^^)/
これはPataの個人誌「Spright 1.5リットル」 
にゲストさせてもらった小説です。
星矢と瞬が、もろに青春してるでしょ。(笑)
やっぱりこういう話は、この二人じゃないと
できないと思うのでした。
          
ちなみに今回のイメージソングは、谷山浩子の
「催眠レインコート」です。
やっぱり、浩子さんの曲はいいなぁ…。
      
      

【NOVEL】