「兄さん…帰りましょう…。」
そっと僕は兄さんの頭を膝の上にのせ、そうつぶやく。
固く目を閉ざした兄さんのこめかみから頬にかけて、乾く間もない
まま血が幾筋も幾筋も流れ落ちていく。
それを何度も手ですくいながら、自分の服で拭い取る。
少し青い顔。たぶん僕も同じくらい、いやたぶんもっと悪い顔色を
しているにちがいなかった。
…戦いは終わった。それがたとえわずかな時間ではあっても、
とにかく今は生きのびたのだ…。
 「…やっと兄さんと一緒にいられる…。」
僕は、吐く息と一緒にそう言う。それはかけねなしの真実。
そう、今この時だけは不死鳥は僕の腕の中にいるのだ。
     
 「さむ…い。」
あまりの寒さに、思わず身を震わせてから、初めて自分が凍えて
いる事に気付いた。指先がかじかんで痛い。
空を見上げると、どんよりとたちこめた灰色の雲から、針のように 
細い霧雨が僕達の上にふりかかっている。
いつの間に…と首を傾げて、少し苦笑いする。
 「ああ、それどころじゃなかったから…ね。」
身を切るような寒さが、今は冬なのだと告げてる。はく息が白い。
戦いの前は秋だったのだろうか?それとも夏?
それすら覚えていない自分に愕然となる。
何の陰りもなく皆で笑いあってた日々が、なんて遠い過去になって
しまったのだろう。
“戦う”事だけを生きる目的とし、生きるために相手を殺す事が
当たり前という感覚に慣らされていくような気がする。
戦う為だけにこの世に生を受けてきたのだとは、間違っても思いた
くなかった。<
  …そんなのって悲しすぎるよね…。
      
 「…瞬…か…?…」
かすれたような声の呼び掛けに、はっと我にかえる。
自分の腕の中に視線を戻すと、兄さんが目覚めていた。
返事の代わりに、僕はこくりとうなずく。
 「気が付きましたか?」
 「ああ…。」
先程から流れ続けていた血も、どうやら止まったみたいだった。
少しほっとして、兄さんの額の上でもつれた髪を指でとく。
 「…泣くな。」
 「泣いてません…。」
そう言いながらも、僕の両目からは涙がぽたぽたと落ちていく。
でも、なぜ涙が出るのか解らなかった。
 「泣いてなんかいません。これはこの雨の雫が僕の顔にかかって
  そう見えるだけですからね。」
せいいっぱい強がってみても、僕の声が裏切って震える。
 「そうか…。」
それ以上何も言わず、兄さんの腕が重そうにゆっくりと持ち上がる。
指先が僕の前髪をからめとると、くっとひっぱる。
かくん、と僕の頭は前のめりになって、自然兄さんの顔と思いきり
近付く形になる。
 「もう!兄さん乱暴なんだから。強く引っ張らないでよっ。」
少し頬を膨らませ、兄さんに怒ってみせたのは、慌てて顔を上げて
しまったから。
赤くなった自分を誤魔化すために、わざと子供じみたしぐさをする。
どきどきと高鳴る心臓の音が、兄さんに聞こえやしないかとひやひや
してしまう。
兄さんはそんな僕を少し笑って言う。
 「お互い、どうやら生き延びたようだな。」
 「ええ。でも生きてても死んでても、僕は兄さんとずっと一緒
だからね。だからどっちでも僕にとっては同じ事なんだよ。」
まだ僕の前髪にからませたままの兄さんの指をそっと外し、
その手に自分の手を重ねて、僕は頬をすりよせる。…冷たい指。
止まったはずの涙が、あまりの冷たさにまた溢れてくる。
 「兄さんが死んだら僕も生きてはいません。何て言われても
  僕はもう、そう決めたんですからね。」
フッ…と苦笑めいた笑みが兄さんの口許に浮かぶ。
 「とんだ駄々っ子だ。」
 「そう育てたのは誰です?」
 「…俺…だな。」
痛、と兄さんが顔をしかめる。
 「痛みますか…?」
 「いや…。」
意地っ張りだね。兄さん。額が汗でぐっしょりだ。
僕はそっと両手を兄さんの頬にあて、目を閉じる。
ふわぁっと僕の体からオーラのような小宇宙が浮かび上がり、
次々と兄さんの体の中に溶け込んでは消えていく。
突然ぽっかりと、踏み締めていたはずの地面が、足元から消えて
いくような独特の消失感が僕の中でわきあがる。
不安定な感じは吐き気がする程で、ひどく心細いけど、ぐっと唇を
噛み兄さんの中に小宇宙を送り続けることに専念する。
僕が思っている以上に僕のダメージは大きいみたいだった。
この程度の小宇宙で、こんなに激しく眩暈を感じるなんて…ね。
ふいに、腕を掴まれる。その感覚に、はっと僕は目を開ける。
「もういい…。無理をするな…。」
兄さんが言う。でも、僕は首を横に振った。
さっきよりほんの少しだけ、兄さんの顔色が良くなったみたいだ。
 「いえ。もう少し続けさせて下さい。僕に出来るのはこれくらい
  しかないのだから。」
     
  そう、僕をかばってくれた兄さん。
  僕のかわりに傷ついてしまう兄さん。
     
いつも…いつもそう。
まだ小さくて、兄さんの後ろで泣く事しか出来なかった幼い頃から、
アンドロメダの聖闘士になった今でもずっと。
一人傷つくのは兄さんだ。何もできない自分にひどく腹が立つ。
今の僕には、嵐さえ起こせる力があるというのに。
今度こそ。今度こそ僕が兄さんを守ってあげるから。
これが幾度目かの誓いになるのか、もう解らなくなるくらいだけど
今度こそきっと。
もう一度、そっと耳元でささやく。
 「兄さん…帰りましょう。」
 「ああ。帰ろう。」
僕は兄さんに微笑んでみせる。兄さんも、口許を少しあげて
笑い返してくれる。
僕達を待ってくれている“家”へ。
僕達の“家”へ…。
きっと『おかえりなさい』といって迎えてくれるに違いないね。
               
…だって僕達の家なんだから…。
     
     


気持ち三部作の締めくくりの話です。(笑)
やっぱり、戦いに勝ち、生き残るのは生き物としてある
最低の原則だろうけど、別に彼らは野生動物じゃないし。
人が人を傷つけるというのは、この食物連鎖にも関係ない訳で。
           
戦いそのものを望んでするのでないのなら、きっと身も心も
傷つき、 疲れているだろうと思うんですよね。
次を戦い、生きていく為にも必ずどこかで休息は必要ですし。
そんな時「帰りましょう」と心の底から言える場所があるのなら、
それはとても幸せなことではないかと。
           
いやあ、書いてて恥ずかしいぞ。(-.-;)
(なら書くな、とつっこみが欲しいかも…。)

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