遠くで微かに喧騒の声が聞こえる。
それにともない血の匂いも風にのってくるのを感じはしたが、既に戦いに
慣れた一輝には、眉ひとつ動かす事ではなかった。
身に纏った鳳凰の聖衣には、数ヶ所血らしきものがこびりついていたが、
それは彼のものではなかった。
戦が始まり、ここに至るまでに倒した相手は軽く十を越える。
ただし、相手は単体ではなく一軍ではあったが、彼にしてみればその差は
些細なことだ。
 「……いる、な。」
ふいに立ち止まり、一輝が小さく呟く。
その声がどこか柔らかいものを含んでいる事に気付くものは、この場には
誰もいなかったが。
そして一輝は軽く足先を変えると、倒れた巨大彫像へと向かう。
道からは見えにくくなっているその彫像の台座の側には、誰かがいた。
 「やっぱり、お前か。」
 「あ、見つかっちゃった。」
呆れたような口調でそう言うと、足を投げ出すようにして座っていた人物が
ちょろりと小さく舌を出して笑った。
 「こんにちは、兄さん。よくいらっしゃいました。」
 「なんだ、サボリか?」
にっこりと微笑んで丁寧な口調でそう出迎える瞬に、一輝が半ば呆れ、半ば
からかうように言う。
 「サボってないよ。ちょっと休憩してるだけ。」
 「こんな所でか。」
そう一輝が言うと、瞬は苦笑に似た笑みを口許に浮かべる。
ふいに黙ってしまった弟を見ていた一輝が、少し目を細めて静かに言う。
 「…だいぶ小宇宙をを消耗したようだな。」
自分の状態を見抜かれ、瞬は困ったような顔をする。
どんなに隠したつもりでも、何故かこの兄には見抜かれてしまう。
自分を見ていてくれるのは嬉しいのだが、隠してしまいたいことまで見抜
かれてしまうのは正直困ってしまう。
 「ちょっと雑魚が多くて煩かったから、奥の手使ったんだ。」
今更体裁を繕っても仕方がないので、ひとつため息をつくと瞬は正直に言う。
雑魚とはいえない者もいたせいか、思ったより手間取ったのだと瞬が言外に
そう告げる。
 「兄さんも、ちょっと疲れてるみたいだよ。」
 「掃除は好きじゃないからな。」
仕返しとばかりに瞬がそう言うと、一輝が苦笑いをして近くに突きだして
いる残がいに腰を下ろした。
 「…で、なにをこんな場所で考えている。」
 「あ、ばれた?」
 「すっかりな。」
兄に見越されたのが嬉しいのか、瞬がにこにこ笑って言う。
 「兄さん、僕初めてケンカしたような気がする。」
 「ほう。」
ケンカしたという割りには妙に嬉しそうな瞬に、一輝は短く返事をする。
あまり乗り気ではないといった口調ではあったが、瞬は構わず続ける。
 「誰だと思う?」
 「星矢だろう。」
間髪入れずにそう答えられ、瞬はぱちくりとまばたきを二三度繰り返す。
 「どうして解るの…?」
 「お前とケンカできる奴は、あいつしかいないだろうが。」
 「そうかなぁ。」
いまひとつ納得しかねるといった顔で、瞬は小首を傾げる。
そんな弟の表情に、一輝は内心でため息をつく。
器用そうで不器用な弟が、ケンカできるほどのつきあいをしている人間が
いったい何人いるというのだろう。
その中でも、瞬ともめるくらいなら自分の方がひくだろう紫龍と氷河を
省けば、残るは星矢しかいないではないか。
全く自覚がないのが、瞬らしいといえばらしかったが。
 「…聞いてやろうか。」
 「うん、聞いて。」
あっさりと話が終った事がひどく残念そうな瞬の様子に、一輝は小さく
ため息をつきながらそう言う。
結局は、自分もこの弟には弱いのだという自覚はあるのだ。
兄の言葉に、とたんに嬉しそうな顔で瞬が頷く。
 「ケンカした理由はもう忘れちゃった。ただ星矢も僕もムキになって
  たって事は覚えてるんだ。」
思い出すようにひとつひとつ確認しながら瞬が言う。
本当にケンカの理由は覚えていない。
覚えていないという事は、たぶん些細なことだったのだろう。
取っ組み合いまではいかなかったが、互いに口を利くどころか視線さえ
合わせなくなって三日は経った。
どちらかがひとこと「ごめん」を言えばあっさり済む話なのだが、
そこまでいくと、かえって逆に止めるに止められなくなってしまった、
というのが現状だ。
 「いったい、何でケンカしたのかなぁ。」
瞬が不思議そうに首をかしげる。
ケンカの原因が思い出せない以上、すでに怒りの感情はなくただ戸惑い
の感情だけが残る。
 「ちゃんと謝ろうと思ってたんだけど、こんな事になっちゃって。
急に慌ただしくなったから、チャンスなくしたんだよね。」
四日目になり、意地を張り続ける無意味さをひしひしと感じ始めた瞬は、
自分から謝ろうと決意した矢先、アテナからの指示でこの戦地に赴いたのだ。
実は星矢も同じことを考え、行動しようとしていたことなど、瞬は知るよし
もなかったが。
 「思い出したら、気になったのか。」
 「うん。」
ふうと軽く伸びをすると、瞬は言葉を続ける。
 「星矢に会ったら、今度こそちゃんと謝らなきゃ。」
 「なかなか壮大な目的が出来たじゃないか。」
小さく笑う兄の言葉に、瞬は少し考えてから苦笑する。
今この戦地のどこにいるのか、さだかではない星矢に会う為にしなくては
ならない事はひとつ。
戦いに負けることなく生き残ること、それだけだ。
とはいえ、それがなによりも厳しく難しいことは一輝も瞬も充分すぎるほど
解っている。
 「そう…かもね。うーん、でもあんまり嬉しくないや。」
瞬は困ったような、半ば呆れたような笑顔で頬を指で掻く。
生き残るための目標が、具体的で明確なほどある意味張り合いがある。
所詮、人類のためとか平和のためとかいう大義名分は実体がないに等しい。
とはいえ、その理由がこれ、ではかなり情けない気もする。
ふと、一輝と瞬、ふたり同時にとある方向へ視線を向ける。
 「…来たようだな。」
 「そうだね。」
一輝が軽く嗤い、瞬が少し目を細めて言う。
いくつかの軍隊が、こちらの方角に向かってくるのが解る。
 「休憩は終わり。働かなきゃ。」
わざと軽い口調でそう言うと、瞬が立ち上がる。
ぱんぱんと服の汚れをたたき落としながら、一輝に言う。
 「僕、先に行くね。」
 「いや待て、俺も行こう。その方が効率がよさそうだ。」
そう言って駆け出そうとした弟を、一輝が呼び止める。
兄の言葉に、瞬はとびきりの笑顔で頷く。
 「うん。」
この戦い、まだ先は見えない。
それでも確かな戦う目的と、生き残る目標があれば。
きっと大丈夫。
瞬と一輝は互いの意志を確認するように瞳を見ると、全身に小宇宙を巡らせ、
戦地へと赴いた。
   
   
*END*

   



もう、ものすっご〜〜〜く前にいただいた華蓮さまからの
キリリクだったりします。テーマは「ケンカ」。
ケンカっていっても、うちの兄弟はしないだろうし、
あと瞬がしそうな相手と言ったら、星矢しかいないじゃん;
ということでこんな感じになりました。
華蓮さま、こんなんじゃダメ?(どきどき)

      
      
【NOVEL】