こいつの言う事は時々解らない。 「石榴って、人間の血肉の味だと言われているんですよね。」 ヤボ用で出かけた俺を迎えたのは、こんな八戒のひと事だった。 沈みかけた西日に照らされ、にこにこと奇妙なほどに上機嫌でそう告げる八戒の手に視線 を向ければ、話題の元である石榴がひとつ。 笑顔と話題の内容のミスマッチに俺が軽く眉根を寄せれば、八戒はぶちと石榴の実をひと つむしり取ると口の中に押し込む。 「でも…いくら食べても血の味も肉の味もしないんです。なのにどうしてこれがそうだ と思うんでしょうね。」 不思議そうに小首を傾げて尋ねるが、視線は俺の顔の上を彷徨っている。 見覚えのあるそのどこか虚ろな表情を見ながら、俺は嫌な感覚に背中をぞわぞわさせる。 「食べるっていう行為はいわば本能の部分で。そうそう簡単にコントロールなんて 出来ないはずなんです。」 そんな俺の事などまるきり気にしていないふうで、八戒はまた新たに実を一粒前歯で噛み きり咀嚼する。 「今まで何の障害もなしに主食にしていたそれを、急に食べるなと禁じた揚げ句、その 代わりにこれを食べろっていう神様って結構無茶ですよね。」 俺が聞いてるかどうか、理解してるかどうかなんてどうでもいいに違いない。 でかい声で独り言を呟いてるようなもんだ。 対象が生き物だろうが壁だろうが、今の八戒には関係ない。 今のこいつを見ていると、まるで自分がここに存在してないような気がしてくる。 「俺、お前が言いたいことよく解んねぇんだけど?」 「僕もよく解りません。」 とりあえず今の正直な俺の気持ちを告白してみれば、即座に八戒から返事が返ってくる。 ようやく俺をしっかり捕らえて言うのは前進だが、会話としては不成立。 というか、自分でも解らないものこっちにぶつけてくるなよ。 そんな心情を込めて八戒を見つめれば、これは結構通じたらしい。 薄く苦笑らしきものを浮かべて、八戒は言う。 「ただ…最初から奪う気なら、どうして与えたりするのかなぁ…って。」 「…とりあえず何の話か、俺に解るような言語で説明してくんない?」 「ああ……そういえば、そうですね。」 ようやく根本的な会話の欠損に気づいた、と言わんばかりの表情で八戒はひとつ頷く。 立ちっぱなしで頭を使って酷く疲れた俺は、とりあえずその場にどかりと座り込んで煙草 に火をつけ、ひとつ大きく息をつく。 さあ聞いてやるぞという俺の態度に、八戒もまた腰を下ろすと喋りだす。 曰く、鬼子母神という名の女怪がいて人食いで500人だかの子供がいて。 ある日いきなりお釈迦様が来るなり末っ子ひとりひっさらって。 返してほしくばこれからは人を食らうなと脅されて。 涙を呑んでその要求に応じた女怪に、人間を食らいたくなったらこれを代わりに 喰えと偉そうに渡されたのが石榴って話なわけで。 ほお、そりゃまたゴサイナンな事で。 で…それが何な訳? 頭に浮かんだ言葉の通り八戒に告げれば、八戒は口元に笑みを貼り付けたまま、視線を手 中の石榴へ落とす。 「満足…できたんでしょうか。こんなニセモノを与えられた鬼子母神は。」 人の子供を食らうのは許されなくて、獣の子供を食らうのは許容範囲内なんですよ。 同じ赤い血を流す生き物なのに、いったいどこがどう違うんでしょうねぇ。 誰に言うともなく呟かれる言葉を聞きながら、俺は八戒の手の中の石榴をただ見つめる。 雨など降らなくても、こいつはたやすく壊れる。 今回のキーワードはその手にある石榴という訳だ。 嫌みなくらいに濡れ濡れと光る紅い実。 ご丁寧に血肉の味ときたもんだ。 こいつを最初に喰ったやつは、きっとレアステーキ愛好者に違いない。 血肉の味だと言ったやつは、絶対変態だ。 その手から奪い取って雄叫びをあげながら力いっぱい壁にでもぶつけてやれば、いっそ すっきりするだろうか。 ぶち ぶちり その偽りの血肉の果実を、ひと粒ずつ無造作にむしり取る指先は病的に白い。 しかし、果実の紅でよりいっそう強調されたその色は、奇妙なほどに扇情的だ。 「与える為にまず奪う…っていうのもアリかもよ?」 卵が先か、ニワトリが先か。もしくは破壊が先か、創造が先か。 そんなのどっちでもいいけどな。 変わらねえし。 「……ああ、なるほど。」 少しの間をおいて、八戒が納得したように頷く。 その納得が俺の意見に賛同したのか、単に今の台詞がどこに対してのものなのか理解した というだけのものか。 そこら辺は微妙に解らない。特に八戒の場合は。 「じゃあ悟浄は僕から何を奪ってくれます?」 にっこりと八戒がそう言いながら俺に向かって微笑む。 …一応は俺の解答は正解だったらしい。 何の解決にもなってはいないが。 煙草を深く吸い込めば、ため息隠しにはちょうどいい。 ついでにしゃべらなくてもイイという素敵なおまけつき。 それでも手にした煙草はすぐに燃え尽きる。 仕方なしに灰皿へねじ込めば、架空の雨の音が聞こえてくる。 それこそ待っていたといわんばかりのタイミングで。 八戒の中で振り続ける雨が、仮想現実となって俺の上にも降り注ぐ。 かなり耳障り。 新しい煙草に手を出す気も起きないくらいに。 「…まずはそれ。」 俺が指で示したものは石榴。 何が言いたいのか解らないとその顔に素直に浮かべ、八戒が少し首を傾げながら子供のよ うなしぐさで両手でその実を差し出そうとする。 俺はいらないと教えるために軽く首を振って言う。 「ひとつちょうだい。」 「……。」 言われるままに、八戒は視線を手の中の実に落とす。 ぶちりと音を立ててむしられた実は、そのまままっすぐ俺の胸元へと運ばれる。 たくさんの実の汁にまみれた指先はしとどに濡れていて、かすかに甘い香りを放つ。 俺は八戒の手を取り石榴の実に軽くキスをすると、舌をつきだしその指についた汁をゆっ くりと舐めとる。 見せつけるような俺のしぐさに、びくり…と八戒の両肩が一瞬震えたが、それ以上逆ら ことなくされるがままに俺の顔をただ見つめる。 何かを期待しているような視線で。 「…食わせてよ。」 無言のリクエストに応えて俺がそう言えば、八戒はにっこりとあどけない童女のような笑 みを浮かべると、その粒を自分の唇ではさみそのまま口付けてくる。 笑みは童女。でも口付けは手慣れた娼婦。酷くイヤラシイ。 徐々に深く唇をあわせながら、八戒の舌先が俺の口内に実を押し込んでくる。 それを俺はかみ砕く。 かしり…という少し硬質な感触と共に、口の中に甘さと苦味をあわせたような奇妙な味が 広がっていく。 確かに血肉の味…とはいえない。ただの果実の味で。 俺が実を食べた事で満足した八戒が離れようとする。 俺はその後頭部を押さえると、薄く開かれたままの唇に再び口付け、舌をからめとる。 実の残がいと果汁と、互いの唾液と呼吸を混ぜあいながら、八戒は俺の首にゆっくりと己 の腕をからめてきた。 こいつにとって、俺は「石榴」なのかもしれない。 己の罪を思い出せと、嫌みのようにつきつける紅い血肉の色。 それとも、本当に欲しいものの代わりに与えられた「ニセモノ」か。 どのみち八戒にも解らないだろう。 狂いたいのか 殺されたいのか 哭きたいのか 嗤いたいのか だからこそ訂正する。 こいつが何を考えてるかなんて、全然俺には解らない。 「理解してやる」だなんてクソクラエだ。 あなたの痛みが解ります…だなんて、したり顔でフザケタ事抜かす奴がもし俺の前に現れ たら、即効殺す自信がある。 俺もこいつも、それだけ解っていれば充分だ。 八戒の手から離れた石榴が床を転がる。 屠られかけた無残な内臓を見せつけるようにさらけ出して。 紅い……紅い血肉の実。 隣で眠っている八戒が、小さく身じろぎをする。 さんざん啼いて善がって乱れておけば、きっと余計な夢などみる暇はない。 それが俺がこいつに出来る唯一のことで こいつが望むただひとつのコト。 側に投げておいたジャケットから煙草を取りだし、口に銜えようとして止める。 食いかけのまま転がった石榴を手に取り、煙草の代わりに思いきり齧り付いてやった。 少し乾いた実は、それでも噛めば甘苦い味で自己主張する。 無残な痕をむき出しにした石榴をごみ箱に放り投げ、俺は、色素の薄い八戒の耳元で こうささやいてやる。 「とりあえず喰っとけば飢えずにすむんなら、俺でガマンしとけ。な?」 眠ってる筈のこいつが、なぜか少しワラッタような気がした。 *END* |