──むかしむかし、あるところに…──
    
大概の物語はそこから始まる。
そして最後の決まり文句もだいたい同じ。
   
  ──それらから二人はいつまでもずっと幸せに暮らしました。──
   
「いつまでも」とか「ずっと」というのは所詮絵空事だと解っていても、
心のどこかで、そんな幸せにあこがれていたのはいつの頃だったろうか。
   
   
穏やかで静かな昼下がりだった。
十二月に入ったとはいえ、今日は春を思わせるかのように暖かい。
昼食を終え、八戒は食器を片づけに台所へ消えていった。
 「時々様子を見ていてくださいね。」
そう言い残して。
台所から、何か楽しそうに口ずさんでいるのが微かに聞こえてくる。
食器を洗う水音、そして柔らかて甘い、声。
換気のために僅かに開けた窓から入ってくる風が、それに合わせるかのよう
に微かに揺れる。
窓から差し込む日差しが、部屋の中を柔らかに照らし出す。
手の中にある、入れたばかりの食後の茶をゆっくりと口に運べば、ほのかな
香りが口を鼻をくすぐっていく。
静かだがとても暖かくて心地の良い空間が自分を包み込む。
ゆるやかな時間がここにはあった。
ふいに、かたかたと小さく窓ガラスが音を立てる。
風が少し強くなってきたようだ。
悟浄は視線を窓の方へと巡らせる。そこには、揺りかごがひとつあった。
白いレースと、淡いピンクのフリルで飾られた可愛らしいかごの中には
人形と見間違えてしまいそうなくらいに愛らしい赤ん坊が、ふたり向かい
合うようにして仲良く眠っている。
席を立ち、静かに窓を閉めると悟浄はその側に腰をおろす。
そして、そっと籠を揺らせば二人そろって微かに指と口許が動く。
 「ちっせえなぁ。お前ら。」
起こさないよう小さな声でそう囁きながら、悟浄はそっとふたりの髪と頬を
指先でなぞる。手で触ればなんだか壊れてしまいそうで。
右側で眠る子の髪はダークブラウン。八戒と同じ色。
今は閉じられているが、その瞳は翡翠色でこれもまた驚くくらいに似ている。
おずおずとその白い肌に浮かぶ薔薇色の頬を指の腹で撫でる。
以前、麻雀仲間のひとりに女の子が産まれた時、そいつが
 「絶対他の男なんかに渡すもんか!」
と息巻いていたのを思い出す。
その時は「もう親ばかかよ。」と皆でからかっていたのだが、数年経った後
よもや自分が同じ気持ちになるなど想像もしなかった。
 「確かに、他の男に渡したかねえよなぁ。」
既に始まっている自分の親馬鹿さぶりに苦笑いしながら、今度は左側で眠って
いる赤子へと視線を移す。
 「赤い髪に…赤い瞳、か。」
そう、その赤子の髪と瞳は、悟浄と同じ色をしていた。
   
  ──禁忌の色。──
   
周りに不幸をもたらすと言われ、虞れ嫌われた紅の…血の色。
 「きれいな…もんだよな、結構。」
そう呟いて苦笑する悟浄には、どこにも暗い影などなかった。
今この瞬間、心からこの色が綺麗だと思える自分が嬉しかった。
八戒がこぼれるような笑みと共に好きな色だと言ってくれた時から、この色は
忌まわしいものではなくなった。
    
かつてこの家は、ただの仮宿だった。
雨風を避けて寝る為だけの場所で。
それがひとりの男を拾い、その男と一緒に暮らしはじめて大きく変わった。
「ネグラ」が「居心地の良い場所」になり「家」に変化した。
「家」が今、また変わっていくのを感じる。
そう「家族」という名の「還る場所」へと。
   
愛して欲しくて、見て欲しくて。
ひとりの女の為に必死だったガキの頃の自分。
   
愛なんて知らない。欲しくない。
そうやって斜に構えて、ひとりイキがっていた数年前までの自分。
   
どの自分も本当は欲しかったものが、今ここにはある。
不思議だと、悟浄は思わずにいられない。
巡り合わせ、運命、出会い。
そんな言葉はいくらでも知っているが、そのどれも今の自分の気持ちを表現
するには足りないような気がする。
   
  ──生きてりゃいい事だってたくさんあるさ。──
   
かつて誰かが自分に言った言葉。
それは単なるなぐさめの言葉でしかなかった筈のものだった。
しかし、今は。
 「ほんと、イイ事ってあるもんだ。」
 「何かあったんですか?」
しみじみとひとり頷く悟浄に、八戒が不思議そうな顔で近づいてくる。
手にはマグカップを二つもって。
 「ん?なんかさぁ、こう…夢みたいだなぁって思ってさ。」
 「夢、ですか?」
コーヒーを手渡しながら隣へ座った八戒に、悟浄は照れたように笑う。
 「そう、夢。こんな絵に描いたような幸せな光景ってやつに、
  俺がいるっていうのが、なんか妙な感じでさぁ。」
 「…僕も時々、そう思います。」
そう言いながら、八戒は愛しそうに籠の中の双子を見ながら静かに揺らす。
 「だって考えてもみてください。男の僕が子供産んだんですよ。
  これこそまさに夢って感じでしょう?」
 「確かに。」
二人顔を見合わせて、くすくすと笑い出す。
まさに晴天の霹靂というに相応しい出来事で。
命が自分たちの間に宿った事を知った時から、生まれるまでの数ヶ月の間、
毎日が不安と喜びと驚きの連続で、退屈なんてする間もなく。
そして、この世にふたつの命が現れてからは、もっとそれが大きくなって。
これが神様の気まぐれでも悪戯でもかまわない。
むしろ、大歓迎したいくらいだ。
 「もう少ししたら、現実味が沸きますよ。きっと。」
 「なんで?」
コーヒーを口に運びかけた悟浄がその手を止めて、八戒にそう尋ねれば
八戒は、両手でマグカップを包み込むようにして微笑む。
 「この子達が起きたら、ね。」
 「ちょっとした台風だもんな。」
八戒の言葉に、苦笑を浮かべて悟浄が言う。
寝ているときは人形のようだが、目覚めればありとあらゆる事柄を泣いて表現
する、生きた子供になる。
それが二人なら、二倍以上のにぎやかさで。
育児経験など当然ない二人は、毎日が戦いといっても過言ではなかった。
 「よく眠ってますね。」
綺麗な笑みを口許に浮かべ、静かに揺り籠を揺らしながら、八戒は優しい
まなざしを眠る愛し子たちに向ける。
そしてそんな三人の姿を、悟浄が見つめる。
なぜか急に泣きたいくらい胸が詰まる感覚に、悟浄はカップを床に置く。
切なくて、優しくて、ただひたすら愛おしくて。
訳が解らないくらいに高まった感情のまま、悟浄は八戒を強く抱きしめる。
 「悟浄?」
八戒が不思議そうな声で顔を上げようとするが、悟浄はそれを自分の胸に押し
つける事で封じてしまう。
 「ちょっと顔見られると恥ずかしいんで、このまんまで聞いてくれる?」
悟浄の言葉に八戒は黙ってこくりと頷くと、体の余分な力を抜き、すべてを
その腕に預ける。
そんな些細な事さえも、今の悟浄にはただ愛おしい。
軽く呼吸を整えると、悟浄はそっと八戒の耳元に告げる。
 「その…ありがとう、な。」
   
生まれてくれて。
生きていてくれて。
愛してくれて。
愛させてくれて。
   
全ての思いのありったけを込めて、言う。
腕の中で八戒が綺麗に微笑む。
翡翠の瞳を至上の宝石のように輝かせ、口許をどんな華よりもなお艶やかに
ほころばせて。
本当に幸せそうに、ゆっくりと微笑む。
 「僕のほうこそ…悟浄、ありがとう。」
どちらから、というでもなく互いが互いの存在に惹きつけられるようにして
顔をよせあい。
吐息がかかるくらいにまで近づいて、ふたり小さく笑う。
 「そしてこれからもドウゾよろしく。」
 「はい。」
口調は互いに軽く。
しかし交わす口づけは誓いに似た思いを込めて。
   
   
   
  ──きれいな色ですね。──
   
かつてそこから始まった物語があった。
そしてその物語は今も続いている。


*END*






58タウンにふさわしい記念日を祝うつもりで書いたのですが
いかがでしたでしょうか?
よそさまの設定で話を書くって、思ったより難しかったけど
楽しかったです。
みなさまにも、楽しんでもらえたら…嬉しいなぁ。


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