賭けはフィフティ・フィフティでほとんどもうけなし、キレイなネエチャンはなぜかみん
な予約済み。
こんな夜は早目に引き上げるに限る。じゃないとどんどんツキが逃げて行って、底なし沼
にハマってくもんだからな。
長年の経験から来る勘に従って、俺は早々に賭場を引き上げ、今はソファに寝そべって下
らねぇ深夜番組を見るともなしに見ているところだ。
ふと時計に目をやると午前二時過ぎ。
まだ眠くならねぇが一杯引っかけて無理矢理寝ちまうか……なんて思ってたら、テレビの
笑い声に混じってドアを開閉する音が微かに聞こえてきた。
何だ、しょんべんか?
だが足音はこっちに向かってきて、キィ…という音と共に、ドアの向こうから男がひょい
っと顔を出した。
「何? 便所はここじゃないぜ?」
違うって分かってるけど、取りあえずたずねてみる。
他に何も言うこと思いつかねぇし。
「いえ、そうじゃないんですが……」
頼むから、その曖昧などこ見てるか分からねぇ笑顔はやめてくれ。
今夜は雨じゃねえだろう。
……なんてことは言わねぇ。3週間ほど前に腸をはみ出させて道に転がってて、仕方ねぇ
から拾ってきたこの男は、雨の日に自分がちょっとばかしブッ飛ぶことをちゃんと隠せて
るつもりでいるらしい。
だから俺も知らんぷり、気づかない振りをしてやってるわけだ。
「悟浄さん、今、手あいてます?」
「まあ、一杯引っかけて寝ようかって思ってただけだから、手あいてますケド?」

見て分かれよ。

「じゃあ、髪の毛を切って下さいませんか?」
「…誰の?」
「僕の。後ろが何だかうっとうしいなって思い始めたら、我慢できなくなっちゃって」
あはは、なんて笑いながら頭掻いてる場合か。
確かに、その傷抱えてちゃ散髪屋なんて行けねぇだろうよ。
けど、そのためだけに俺が帰るのを起きて待ってたってのか?今何時だと思ってやがる。
言っても無駄だろうから言わねぇけど。
雨でもないのに、なんでか知らないが少しブッ飛んでるらしい。
まぁどうせすることねぇし付き合ってやるか、そんな気になって、女を落とす時によく使
うとっておきの笑みを浮かべてみたりなんかして。

「俺の散髪代は高く付くぜ、お客さん?」






髪を切るシャキ、シャキという音が、暗い森に吸い込まれて消えてゆく。
ハサミとクシ、それにシーツを引っ剥がしてきて――さすがに、俺の髪みたいに毛先をつ
まんで切って直接ゴミ箱行き、って訳にゃいかないからな――いざリビングの椅子に座ら
せようと思った時、こいつが言いやがったんだ。
「すみません、外で切って下さいませんか?」
確かに寒い季節じゃないし、切った髪の始末もしなくていいし(自然に還るってやつだ)
月は丁度満月だから、半分妖怪の俺にゃ街灯なんて必要ねぇ位はっきりといろんな物が見
えるし。
でもなぁ。ちゃんと切れねぇかも知んねぇぜって俺はしっかり言ったよ。
そしたら、
「あなたの腕を信用してますから」 だと。
そんな信用されるようなことしたか、俺?
こいつの思考回路はよく分からねぇよ。
付き合ってやろうって決めたのは間違いなく俺だけどな。

シャキ。
シャキ。

「後ろ、首が全部出ちゃっていいの?」
「ええ」
「前と横は?」
「適当にお願いします」

本職じゃねぇって。

それでも器用な俺様の腕の見せ所ってもんで、見よう見まねでハサミを駆使して、いつの
間にやら俺はこいつの髪と真剣に格闘しはじめてた。

シャキ。

……それにしても切りにくい髪だな、おい。

シャキ。

「悟浄さん」
コシのあるサラサラストレートってのは、やっぱちゃんとした散髪屋のハサミじゃねえと
……これを短く刈りそろえるとなるとなぁ。
あー切りにくい。
次はクシ、クシっと。
確かこう、下から梳きあげながら切ってったよなぁ。

シャキ。
シャキ。

あぁぁ、駄目だこのハサミじゃ。
今度いいやつ買っちまうか。俺の髪もそろそろ切り時だし。
「あの、悟浄さん?」
「何!」
つい怒鳴っちまった。
「……悪ぃ」
「いえ……すみません、僕の髪って切りにくいでしょう、って言おうと思っただけ
 なんですが」
「ああ、まぁな」
分かってて俺にやらせるかオマエ。
「姉にもよく言われたんですよ。あなたの髪は切ろうと思ってもすぐハサミから逃げちゃ
うんだからって。いっそのこと私みたいに伸ばしてみたら、とか」
「伸ばすってもなぁ。ロン毛はいい男しか似合わねんだよ」
「あはは、さすがに僕も伸ばすのはどうかと思ったんで……だからいつも姉には文句を言
われっぱなしでした。それでも結局は楽しそうに切ってくれてましたけど」
それからもこいつは姉ちゃんのことを延々としゃべり続けたが、俺は「ふーん」とか
「へぇ」とか適当に相槌を打つだけにして、髪を切ることに専念した。

……何なんだ一体。
こいつがいつも死んじまった姉ちゃんのことや、そのせいで自分が犯した罪の重さに囚わ
れてるのは知ってる。
雨の日なんて、生きてるのか死んでるのか分かんねぇくらい、自分自身の存在を否定しま
くってるのも知ってる。
でも、こんな風に以前のことをペラペラ喋りまくるなんて、今夜が初めてだよな?

こいつの声に混じって、壊れたラジオが出すみたいな雑音が耳に響く。



どんなすげぇことだって、それが起こるきっかけはきっとこんな些細なことなんだろうな
なんてどっか冷めた頭で思ったのはその時だ。
俺の手がたまたまこいつの左耳、罪の証みたいなカフスに当たっちまった瞬間、今までの
おしゃべりが嘘のように口をつぐみ、代わりにこいつが今の今までずっと奥深く抑え込ん
でたものを、まるで炎のように体中から溢れ出させるのを俺は確かに見た。

そして、月が堕ちてくる。
金色に輝く、まん丸い月が。




    こんな綺麗な月夜には よく月見酒したんです
    桜が雪のように降ってきて 杯に入って
    杯の中に映っていた満月が ゆらゆらと波紋に消されて
    でもしばらくしたら 花びらを抱えた月がまた映って
    じっと見てたら
    いらねえんなら俺が飲んじまうぜ
    なんて言って 僕の杯を取ろうとするから
    全く貴方が月見酒だ花見酒だって騒ぐから付き合ってあげてるのに
    お酒以外興味ないんですか貴方は
    ほんとに無粋ですねって言ったら
    俺はお前と一緒に飲めたらそれでいんだよ
    ですって
    よくそんな口説き文句で暴れん坊将軍を名乗れるもんですね
    余りに下手なので
    呆れ過ぎて ある意味感動しましたよ

    髪の毛をしょっちゅう切るの面倒で
    本を読むのに邪魔な前髪以外は ずっと伸ばしてたんです
    それでも伸び過ぎて
    そろそろ切らなくちゃなあって思いはじめた頃に
    いつも 僕の思いを見透かしたように
    ついでのようにハサミを持って来て
    部屋を片付けてくれた後に
    本読んでる間に切っちまうからじっとしてな
    って 切ってくれたり
    杯に髪が入るからヤですって言っても
    俺がそんなヘマするように見える?
    目悪ぃんじゃねえの〜
    ああ悪かったよなぁそう言えば
    なんて
    ほんとは酔ってないのに
    ふざけて酔ったふりしながら
    月明かりの下で
    桜吹雪の下で
    切ってくれて

    ここよりもっと
    大きくて
    明るくて
    近くて

    月が




……あれだ。
きっと今夜がアタリだったんだ。
理由は分からねぇが。

それでも起こった時同様、終わるのもひどくあっけなかった。
こっち向けてる背中が何だか消えちまいそうで、つい肩を掴んだら、とっとと月は元の位
置に昇り、妙な雑音も炎も消え失せ、あっという間に当たり前の夜の空気がちゃんと戻っ
て来た。
あぁでも、こいつはまだ戻って来てなさそうだ。
こんな時は、きっと何を言っても届かねぇんだろうな。
だからって、いつまでも遥か彼方を見つめられててもなぁ。
何て言えばいいんだか。
「よく分かんねぇけどさ」
……言った瞬間に強く振り向かれても困るけど。
「もしかして後悔してるとか、さっき言ってた頃に戻りたいとか、そう思ってる訳?」
「いえ、そうじゃなくて、自分のしたことに後悔なんてしません。ただ、もう一度あの人
に逢えたらって……」
そう言った眼は一瞬挑むようにきつく俺を見据えたが、すぐまた視線がゆらゆらとブレて
俺が初めて見る泣き笑いのような表情を浮かべて。
「逢って、もしかしたらあの時が、そんな自覚なんて全くなくてむしろ不満だらけでした
けど、それでも一番幸せだったんじゃないかって、貴方はどう思ってますかって、聞けた
ら……」
それきり黙ってうつむいちまったから、俺も黙ったまま、残りの髪を切っていった。

もう何も言えねぇよ。






「はい、終わり。そろってないとこがあったらまたすぐ切ってやるから、ちゃんと言えよ」
「どうもありがとうございます」
シーツを広げてバサバサと髪を払う。ついでにこの重い空気も払えたらいいのに。
二人とも同じことを思ってたようで、椅子から立ち上がってうーんと伸びをしながら、
「ごめんなさい、変な話しちゃって」
なんて謝るもんだから、
「いいって。相談料は散髪代に上乗せってことでOK?」
「体で払えっていうのはやめて下さいね」
「その手があったか! って痛ぇ、冗談だ冗談!」
……思いっ切り足を蹴りやがった。
まぁ、軽口叩けるようになりゃ大丈夫か。
俺はシーツをグルグル巻くと、脇に抱え込んだ。こうすりゃ椅子も一度に片付けられるし
髪の後始末しなくていいってのは実際楽でいいや。
「一杯やったら俺もう寝るからさ、あんたは先に寝とけ」
せっかく塞がりかけてる傷が開いたらヤだろ、という言葉に素直に従って玄関に向かいつ
つ、それでもこれだけは言っておこうと決めてたらしい。

くるっとこっちを振り向いた時の、俺を見る眼が。

「さっきのこと、忘れて下さい。本当にすみませんでした。……悟浄さん」

一応肩をすくめて見せ、どうってことない風を装ったが。

「分かった。おやすみ」
「……おやすみなさい」

忘れてくれって言ってるくせに、眼の光が強過ぎんだよ。




いつも通りの綺麗な笑顔を見せてドアの向こうに消えた奴の、その背中に向けて、左手の
親指と人差し指で拳銃を作って、狙いを定めて。

「バァン!」

 ……なんてな。

あんな泣き言さらすなんてらしくねぇぜ。
確かにお前の方が、見た目を裏切って俺より激情家だってことは知ってたけどな。
さっき俺が止めなかったら何するつもりだったんだ。

俺らは、今、ここにこうして生きてる。
それで充分だろ?

また馬鹿なこと言い出しやがったら、今度は俺がこの手で殺してやる。









天蓬。










*END*












《宏也さまのコメント》

お題は、時計、月、拳銃を使用いたしました。
余りにもストレートな使い方で、力量のなさがバレバレです(大汗)
コメントをつけるほど大した話ではありませんが、
一応初めは「もしも悟浄に前世の記憶があったなら」……だったのですが、
なぜか違う方向に行ってしまった話です。
悟浄がシビアというか冷たいというか。
実はとあるサイト様のキリ番で、このネタでリクエストしました後、
私の頭の中で悟浄がうるさくてうるさくて、
それなら書いてしまえっと。
そのサイトマスター様には、同じようなネタで話を書くこと、
企画に参加する作品にすることにも許可を頂きました。
その方とはまったく違った内容になったので(当然といえば当然ですね)、
ほっと胸を撫で下ろしています。
こんな文章しか書けませんが、快く参加をお許しくださって
本当にありがとうございました。



クールでドライな悟浄が格好良いです!やればできるじゃん悟浄!って
どういう目で私は彼を見ているんだろうか…。(汗)
前世の記憶がもしも悟浄にあったとして、いったいいつからかなぁと気
になりました。お子ちゃまの頃からだったら…可愛くないかも。(違?)







《言の葉あそび》