現実と幻の狭間で、何度も貴方を見た。 例えば朝起きた時。 起き上がって横を見ると貴方がいる。 小さい我が家で存分に寛いで小さく欠伸。 それは現実の貴方。 例えば料理中。 肩に重みを感じて振り返ると貴方がいる。 何がそんなに面白いのか、興味津々で僕の手元に視線をやる。 それは幻の貴方。 まだ一緒に暮らし始めて間もない頃、貴方は不思議なことを聞いてきた。 「あ。」 「何だ、どうした?」 「いえ…また視力が落ちたなぁと思いまして。」 眼鏡を外して義眼ではない片目だけを擦りながら八戒は苦笑した。 元々弱い視力に、片方が見えないという負荷が重なったことで最近著しく八戒の左目の視 力は落ちている。 少し前に作った眼鏡も徐々に合わなくなってきていた。 また眼科に行かないといけないな、と思い、外した眼鏡を見る。 ソファに寝転がっていた悟浄も起き上がり、なにやら八戒の方を見ている。 怪訝に思って聞いてみると、 「眼鏡越しって物がどういう風に見えるんだ?」 と聞かれた。 悟浄は人並みに視力がいいから滅多に眼鏡をかけることはない。 あるのはサングラス位だ。 そのせいか、時々八戒が眼鏡をかけたり取ったりすると不思議そうに見入っていることが ある。 八戒は天井の方にしばらく視線を泳がせてからうーん…と唸った。 「多分…普通ですよ?目のいい人と見え方は。僕の場合、片目見えないから視野は狭いで すけど、左目はただの近眼ですし。」 眉根を寄せて考えこみながら答える。 「でも眼鏡の範囲しか見えてねぇんだろ。外側はどうなってる訳?」 悟浄がやたら真剣に聞いてくるから少々驚く。 なんでそんなこと真剣に聞いてくるんですか、貴方。 「外側はぼんやりぼやけちゃってるんですよ。物の輪郭があまりよく分からなくて、色だ けが浮かんでいるように見えるというか…」 実際に今自分の見えている視界なのだが、言葉にしようと思うとなかなか難しい。 八戒は首を捻って言葉を選びながら出来るだけ分かりやすいように、と心がけた。 言い終え、分かったのだろうかと悟浄を見る。 すると、悟浄も同じように天井に視線を泳がせて何か考え込んでいた。 「悟浄?」 「…あ、ワリ。ちょっと考え事してた。 見えてるのと見えてないのはどう違うだろうなって。」 「だから僕が今説明し…」 こっちが一生懸命頭を捻っていたのに聞いてなかったのだろうか。 呆れて文句をこぼそうとすると悟浄に阻まれた。 「そうじゃねぇよ。考え方とか、ライフスタイルとか、そーゆーモン。目悪い奴がもし目 がよかったら考え方とか変わるのかと思ってよ。」 八戒がもし目を悪くしなかったら。 悟浄は何も言わなかったけれど、暗にそう言われている気がして目を細めた。 けれど八戒は思う。 自分に「目がいい」ことはありえなかっただろう。 もし、幼少時に視力が衰えなかったとしてもあの時自分は目をくりぬいただろうから。 それだけは「もし」がありえない気がする。 「僕は…きっと変わらないと思いますよ。」 短的に返すと怪訝そうにされた。 ふと、悟浄はテーブルの上に置いてある水の入ったグラスを手に取ると八戒をグラス越し に見つめてきた。 「何してるんです?」 八戒は目を丸めて聞いた。 「んー…目が悪いとこういう感じに見えるのかと思って。」 角度を変えてあちこちを覗き込んでいる悟浄はまるで玩具で遊ぶ子供だった。 八戒は可笑しそうに笑いをこぼすと、悟浄と逆側から覗き込んだ。 水の向こう側で紅い瞳がぼんやり浮かんでいる。 けれど、それは近視の視界よりもずっと明瞭だった。 「もっとぼんやり見えますね…これだとほとんど視界良好でしょう。」 「そうか…じゃあ…」 グラスをことりとテーブルに置くと、辺りを見回してまた何かを探す。 今度は棚の上に置いてあった、八戒の壊れた懐中時計を持ってきた。 「ちょっと借りるぜ。」 「あ、はい。」 悟浄は銀色の懐中時計の蓋に自分の顔を映す。 悟浄の整った顔が歪んで映った。 「俺様のかっこいい顔が台無しだな…」 ちょっと笑ってそう言い、八戒を同じように懐中時計に映す。 「こんな感じ?」 「これじゃあ歪んでるだけじゃないですか。別に近視だからって歪んで見えませんよ。」 「ふーん。」 納得したのかしないのか、懐中時計を元の位置に戻し、またあちらこちらをふらふらふら ふら捜し歩く。 「悟浄、さっきからどうしてそんなことが知りたいんです?」 悟浄の行動があまりに不可解過ぎて変に見える。首を傾げずにはいられない。 悟浄は立ち止まって振り返ると、なんだか奇妙な表情になった。 照れ…ているようにも見えなくも無い。 「お前がさー…時々俺にはよくわかんねぇ表情するから…」 「え?」 答えてもらったはいいが、一瞬意味が分からなくて立ち尽くした。 何度も反芻して頭の中で考え、それでも意味が分からなかったのでさすがにまいった。 「なあ、お前には俺がどう見える?」 「え?」 だから意味分からないですってば、悟浄。 呆然とするしかないまま目を白黒させている八戒に、悟浄は首を振った。 「なんでもねぇ…多分そのうち分かるし…」 それ以上は何も言ってくれなかった。 訳が分からないまま八戒は途方に暮れたのだった。 僕に見えている貴方の姿は、二つあるんです。 例えば朝起きた時。 起き上がって横を見ると貴方がいる。 小さい我が家で存分に寛いで小さく欠伸。 それは現実の貴方。 なぜかって。 それは僕が眼鏡をかけていない時に見える貴方だから。 例えば料理中。 肩に重みを感じて振り返ると貴方がいる。 何がそんなに面白いのか、興味津々で僕の手元に視線をやる。 それは幻の貴方。 なぜかって。 それは僕が眼鏡をかけている時に見える貴方だから。 「そういえばそんなこともありましたねぇ…」 あれからもう一年以上経つ。 八戒は料理をしながら思い出してくすりと笑った。 あの後、悟浄はあの奇妙な行動の理由を、「お前の考えてることもう少し知りたかったか ら」と教えてくれた。 眼鏡の度は随分進んでしまって今もまだ悪くなっている。 けれど。 一つだけ変わったといえば。 例えばキスをする時。 貴方はぼんやりした現実の姿からはっきりした現実の姿になってくれる。 なぜかって。 近視だから、顔を近づけるとちゃんと見えるんですよね。 …なんて。 *END* |
《紫暮美合さまのコメント》 使ったキーワード:眼鏡、水、時計 時間に追われながら書いたのでなんともはやな文なのですが…(汗) 現実に自分が見えてる視界によって、かなりその人の考え方が変わってくるの ではないかな、と思って書いた作品でした。 相手のちょっとした事が気になるのは、その人の事が好きだからですよね。 好きだから「知りたい」とか「解りたい」と思うわけで。 ただ、それがまだそういった意味での「好き」だと自覚していない頃の二人 のやりとりが、とても可愛いと思いましたvv |