温い湯を張ったバスタブに、失血による軽い貧血を起こしている八戒の身体を、悟浄は静かに 抱き下ろしてやった。肩に回されている腕の力が頼りなく、身を起こす悟浄に向けられる視線が 頑是無い子供のように感じられて、悟浄は知らずに苦笑めいた色を口元に刷いた。 「むちゃすんな」 どこか諦めているような口ぶりで悟浄は軽く咎める。しかし、先に手早く汚れをシャワーで落 とした男の腹部には、遠慮がちに判断しても軽傷とは言い難い傷を負っている。頭上からの呟き に僅かに首を擡げた八戒は、深い裂傷にぞんざいに包帯だけで止血した悟浄からの言葉に、笑い が込み上げそうだった。 だが、蒼褪めた肌から、こびり付いた泥と血を拭い取る細心の手の動きが心地良く、自然と身 体を支えてくれている悟浄の分厚い肩に、笑いの代わりに深い吐息を吐き出した。 三蔵法師の数珠が貫通した跡は、即座に持ち前の気孔術で塞いでいる。この治癒能力がなけれ ば、軽い貧血では済まないところだった。 数発の数珠球を喰らっていながら、直後には傷口を塞ぎ、止血を自身の傷口に施していなけれ ば、大量出血からの意識不明は免れなかったはずだ。 実際、飛び散る数珠を全身で受け止めた八戒は、胴体部分も手脚も傷だらけである。先刻に悟 浄が剥ぎ取った血塗れの衣服は、破棄するしかないだろう。 なるべく傷に触れぬよう、悟浄の手は大きさに見合わぬ繊細さでもって動いていた。 柔らかな陶器が存在すれば、それは八戒の肌の手触りになると思えるほど綺麗な肌である。 だが蒼褪めた肌には、美しさに似つかわしくない白い条痕が刻まれている。それらは、旅の間に 受けた負傷の数々であり、天竺への過酷さを無言のうちに物語っていた。 その中にあって数珠の弾道は、濃い鬱血を残し、キスマークのように淫靡に肌を飾っていた。 表面的には傷は完全に塞がっているが、その内面は痛みだけを訴えている。細心の注意を払って 触れても激痛が走り抜けるらしく、痩躯が腕の中で強張るのが感じ取れた。 だが、小さく息を呑み、柳眉を微かに寄せて耐える八戒の美貌に、不埒にも違う連想をしてし まう。節操の無い下半身に、先刻とは違う苦笑を呼び起こされながらも、劣情を上手に隠した悟 浄の手は、淡々と固まった血を溶け流し、埃を綺麗に拭い去っていく。 粗方の汚れを洗い落としてしまうと、幾分か力が抜けてしまっている八戒の腕を持ち上げ、 来た時と同じ過程を逆戻りにして、大判のバスタオルで包んだ身体をベッドへ運んだ。 少しは落ち着いているのか、目を閉じて全てを任せきっている八戒の頬には、僅かながらも血 色が戻っていた。真新しいシーツの上に、くたりとした身体を横たわらせる容姿が、随分と幼く 感じられて、悟浄は濡れた前髪を軽く指で梳いてやる。 子猫のようにタオル地に埋もれる小さな顔が、甘えるように寄せられる。今にも眠りに落ちそ うな無防備な表情に、和らぎが増していく様が可愛らしかった。 「アナタも・・・無茶ばかりするじゃないですか」 不意に微かな呟きが、目を閉じた八戒の唇から洩れ出す。あまりにも小さすぎる囁きに、瞬間、 悟浄の反応は遅れをとった。 眠っているのか起きているのかを定めようとするかのように、指を止めた悟浄を追いかけて、 翠の瞳が薄い目蓋の下からゆらりと露わになる。宙で停止している男の節高い指を細い手で捉え、 笑った唇まで引寄せた恋人は、愛しげに指先に口付けると、もう一度繰り返した。 「無茶ばかり・・・・するでしょう?」 妖艶とも取れる微笑をくゆらせる八戒に尋ねられ、悟浄はばつが悪そうにしかできなかった。 実際、そう言われても反論できるだけの自分ではない。どれほどに痛めつけられようが、悟浄 は神を名乗った三蔵法師を自らの手で倒したかった。それが叶わぬのならば、せめて最初の突破 口だけでも自身が切り開きたかったのだ。 自分勝手に行動した挙句、悟浄が一人では変えられなかった内面に大きく影響を与えた友人と も言える連中を、死の危険にまで晒してしまったことへの、悟浄なりの償いでもあった。 それを言えば、三蔵あたりは鼻先であしらった上に、償うなら今すぐ、この場で死ねとか言い 出すだろう。悟空であれば、カッコばかりつけるなと足蹴にされそうだ。悟浄であっても、誰か にそのようなことを言われて『はい、そうですか』と受け取れる性分ではない。 だから彼らが悟浄の内情に関係なく、自分の問題として許せないと切って寄越した態度は、腹 立ちよりもむしろ気持ちの負担を軽くさせるものがあった。 誰のためでもないと言い切り、自分のためだけだと断言する。傲慢な態度の裏に、存外に優し い彼らの気持ちが、妙にくすぐったく嬉しくも感じた。 ここで咎める台詞を口にしている八戒にしても、口調は柔らかに砕けている。 三蔵が発砲したのは、誰の為でもない。おそらくは悟浄であろうが、悟空であろうが。あの場 に誰が立とうとも、三蔵は迷わず撃鉄を引いたのだろう。 当たっても死ぬわけが無いと、どこから来ているのか分かりもしない信念を抱く僧侶は、口も 態度も悪いが、それが彼なりの信頼の置き方であるのを悟浄も八戒も承知している。 三蔵の射撃の腕前は信頼たるものがあり、背後から彼が発砲しようとも自分たちに僅かの不信感 も起こらない。 三蔵が確実に射抜くと決めたのであれば、彼はそれを為す。 自分たちが決めたやり方に、微塵の迷いもなかった。無茶だろうが、無謀だろうが生きていけ ないのであれば、突き進むしかない。彼ら四人の中で、逆に無茶をしない人物はひとりもいない。 「わりぃ・・・・」 八戒の目線と台詞を受け止めた悟浄は、素直に詫びる。 無理をしないと勝てない相手であった。それを承知で自分たちは真っ向から戦いを挑んだのだ。 それを愚かとも感じないし、あくまでも自分たちらしいスタンスであったと思う。チームワーク など微塵も持たない一行であったが、あの時ほど互いが信頼を寄せ合ったときはなかった。 誰も疑いを持たず、誰一人として迷いが無かった。 数多くの敵と命を渡り合ってきたが、これまで感じたことの無い一体感があの場には満ちてい た。逆に孤独であったのは、名を最後まで知らずに終った三蔵法師の方だろう。 彼は最期までそういったものを知らずに死んでいった。 『先生』と唯一縋った存在は、彼には絶対的な神にも似た存在であり、『神様』と自身を名乗 っていた裏には、師であり、盲信していた人物を指し示していたのだ。 瓦礫の下敷きになって姿を消してしまった男のことを考えると、その姿は悟浄の過去と見事に 重なって蘇り、痛みを覚えずにはいられない。こうして生き延びて戻ってきても、ざらついた感 触が掌に感じる砂粒のような不快感を胸に残す。 寂しかったのだろう。 『神』と名を摩り替えてしまうほど焦がれた三蔵法師の『先生』は、彼があそこまで妄信的に なれるほどの偽りの優しさを際限なく与え続けながら、不安だけを刻み込んでいったのだ。 幼子が孤独を怖がり、その手にしっかりと縋りついて離すまいとする姿を眼下にしながら。 優しげな言葉を掛けてやりながら。大切にしているのだと覚えこませながら。 幼い子供が絶対的な信頼を寄せた時、『先生』なる男は、どんな顔でいたのか。 その子供が確実に全てを預けきった瞬間に、偽りの優しい言葉で何もかもを縛り付けて去った 男に、放置された三蔵法師は絶大な信頼を置いて、最期までその幻にすがり付いていた。 失った愛情を求め。温かい手を求め。 不安を取除いてくれる存在を求めていた子供は、制御しきれないほど絶大な力だけを残されて、 それらを駆使して他人を振り向かせることしか出来なかった。失った時間を取り戻せないと知り ながら、それを認めたくなくて狂った道に入り込んだ子供は、金閣だけではなかったのだ。 誰よりも愛してくれる人物を望んでいたのは、死んでいった三蔵法師本人だったのだろう。 助け出そうと握り締めた腕の感触が、掌に細い温もりを残している。 反して、悟浄は養母の激情を小さな身体に受け止める虐待の日々であった。 だが、虐げられ、最後には殺されそうにまでなったが、一度として偽りの感情など投げかけら れなかった。養母は真っ直ぐに憎しみを幼い悟浄に向けはしたが、その心は常に剥き出しの状態 であった。 愛して欲しいと願う人物に愛されないのは、死を覚悟するほど辛い出来事であったが、振り返 れえれば偽りを掛けられた三蔵法師より、マシだと思う。 信頼と愛情を子供が覚え、世界の全てだと感じた絶妙のタイミングで捨てられるより、憎まれ 蔑まれていた方が楽であった。そのほうが、期待もしない分、傷付きもしない。 暖かな場所からいきなり放り出され、何も分からないまま成長した三蔵は、無くした夢に縋り、 そこに留まるしか生きていられなかった。前にも進めず、ただ過去ばかりを追い求めているそれ を、生きていると果たして言えるのかどうかも悟浄には分からない。 ただ、胸にある不快感を掘り下げていけば、そこにあるのは、悲哀の感情であった。 金閣を騙し続けた男もまた、騙されていたことが酷くいやであった。悲しげに歪む目元に、手 を延べずにはいられなかった。それが自分の勝手な感情だと分かっていても、助けてやりたかっ た。 八戒に手先を好きにさせ、笑いを湛えていながらも紅い双眸の奥に揺らめく色がある。美貌を 蒼褪めさせている男は、間違いもなくその色の意味を知りえていた。 悟浄は優しすぎるのだ。 このどうしようもないお人好しの男は、自覚もなく胸中で涙を流している。あんなにも過酷な 目に合わされていながら、基本的に悟浄は人を憎むことをしない。最後の最後で彼は人を許す。 その度し難い懐の深さは、時に彼をも傷つけてしまうのだが、八戒はそんな脆さを内包してい る男に切ないまでに恋焦がれている。こんなにも優しい男だから一人にはさせられなかった。 八戒は温かい指先を弄びながら、自分を驚いたように見上げてきた三蔵法師を思い返しした。 騙されていることにも気付かず、例え気付いていても目を背けて生きてきた子供は、生温い夢 に取り縋ったままでいた。 それこそが彼の罪であったと八戒は思う。 どれほどに辛く感じようと、そこから歩き出さねば何も始まらない。後をだけを振り返って生 きる愚かしさを、八戒は身を持って知っている。同時に過去を振り払う辛さと痛みも、生々しい 感覚として残されている。だが、それぞれに痛みを抱え、それと折り合いを付けながら、生きて いくことが、無くした夢やら死んでいった者たちへの手向けにしかならないのであれば、どれほ どに激痛を伴おうと、そこから立って歩きだしていかなければならない。 過去だけに囚われているのでは、死んでいるのと変わりない状態だ。 ふと、八戒はその考えに一つの答えを見出した。 三蔵法師は殺されたかったのだろうか。一人で生きている辛さに耐え切れず、誰かに殺される ことだけを望んでいたのだろうか。 そうであれば愚かしい。そのために周りを犠牲にしてしまい、果ては悟浄まで傷つける結果を 生んだ彼を、八戒は決して許せない。 この感情の違いが、悟浄と八戒との大きな違いであった。だが、それでいい。 悟浄の優しさに漬け込むような相手を、例え恨まれようが八戒は冷酷に切り捨てられる。どん なに歪んでいようが、八戒は悟浄だけのために存在しているのだ。仮にも悟浄より先に自分が死 ぬ事態が訪れた時には、指一本上がらずとも確実に悟浄を殺してやろうと思う。 優しすぎる悟浄は、多分に八戒の死に耐えられるはずも無い。あの三蔵法師のように己の幻影 と共に生きる彼を想像するだけで、苦しいまでの凄愴がこの身を焦がす。 悟浄が確実に息を引き取ったのを知りえてから、漸く己は死を迎えられるだろう。だから八戒 は、簡単には死ねないのだった。悟浄を悲しませるものは、例えそれが八戒自身であろうと許せ ない。 逆に悟浄を殺されでもすれば、仲間と呼ぶ人々であっても八戒は攻撃を緩めないだろう。醜く 歪み、狂った独占欲を自覚しても、それに嫌悪は抱かない。 三蔵に撃たれたのが、自分で良かったとさえ思う。 あそこで三蔵が悟浄を背後から撃つのを目にしていれば、必要な出来事だと知っていても、一 生涯三蔵を許せなかった。狭量な八戒は、悟浄を傷つけただけで、充分にその相手は敵として見 なす。この形で終焉できて良かったのかもしれない。そう思うのはやはり自分勝手なのだろうが、 悟浄に言えば、これで良いと頷いてくれるのだろう。 無茶をするのはどちらだと、問い掛ける八戒に対して、悪いと簡単に謝罪した男は、ゆるゆる と残る片手で額にある髪を梳いている。 このまま寝かしつけてしまおうと、決めている態度である。 確かに、悟浄が決して治癒させてくれない腹部の傷の具合や、自身の身体の具合を考えても眠 る必然性を頭は理解している。だが、手中に納めた大きな手から伝わる体温の高さは、明らかな 劣情を示している。そして、悟浄以上に八戒の肌は、先刻に身体を洗い流してくれた男の温もり を求めていた。 悟浄が抱えている痛みは、この優しい男に安らかな眠りを約束してくれているとは思えない。 無謀であろうが、八戒はその痛みさえも欲しかった。触れ合って、同じ人物について思いを巡ら せていようともこんなにも違いがあるが、悟浄の哀しみだけでも八戒は受け止められる。 「悟浄・・・・」 たった一言に、思いのたけを乗せて呼べば、最愛の男は困ったような顔をして指を止めた。 弄んでいた指までも引き抜こうとする腕を起き上がって掴み、逃れる動きを制した八戒は、包 帯がぞんざいに巻かれている腹部に唇を静かに触れさせる。 「悟浄」 滲む血の味を唇に感じ取り、見上げた悟浄の禁忌の色が、妖怪の劣情に火を点ける。 禁忌の子供の存在は、人間よりもむしろ妖怪にとって危険な存在であった。元より、妖怪たち は紅い色には如実に反応するように出来ている。妖怪たちが殺害を好むには、そのような本能的 な部分も大きく関係していた。 特に、悟浄が纏う血と炎を凝縮したような独特の色は、妖怪の本能をざわめかせる。 時に凶暴性を剥き出しにさせ、時にはこうして劣情を起こさせる厄介なシロモノであった。 幼い悟浄が養母に殺されかけるまでに至る原因の一つは、確実にこの色が起因しているのを八戒も 悟浄も経験から察知していた。 だが、悟浄は人間の血が流れているためか、妖怪たちのように血の色には反応を示さず、八戒 は悟浄だけの紅い色にしか劣情を刺激されない。 「八戒、眠った方がいいぞ」 八戒の頭部は、悟浄が片手で包み込めるほどに小さい。見上げる頬に手を添わせて、どこか諦 めているように笑って言い聞かせても、八戒が聞き入れるとは思っていなかった。しかし、心底 からこの気丈な恋人が心配でもある。 こうして滑らかな肌に温もりがあることが、単純に悟浄は嬉しかった。悲哀にささくれ立つ気 持ちを、八戒は穏やかに鎮めてくれる。名を呼ばれることに深い安堵がある。 死んでしまった三蔵法師は、最後まで名を持たなかった。 名を持たぬこと。呼ばれぬこと。それは存在していないも同様である。 彼は生きていながら、死んでいたのだ。 たった一つの言葉に篭められるのは、声にもできない己の心情である。音を綴るだけであるの に、それを発する相手に、疼痛にも似た安らぎを覚える。 「抱いてください」 全裸を外気に晒しすぎた所為で、八戒の肌からは湯の温もりが逃げ始めていた。僅かにひやり とする腕が、躊躇する悟浄の首筋にしなやかに絡みつき、滑らかな肌が胸元に寄り添ってくる。 「痛むだろ」 「悟浄を感じていたいんです」 既に落ちたも同然でいながら、悟浄はあくまでも八戒の身体を気遣ってばかりいる。その優し さが少しばかり恨めしくもある。全身で互いを感じたいと願っているのは、背を緩やかに上下し ている手の熱からも悟れるのに、己の劣情を殺そうとする男の律儀さが悔しく思えるのだ。 「傷に障るぞ」 そんなことくらいは、自分の身体であるから八戒も充分に承知している。それでも身体の痛み を無視してでも、身体中の細胞が根底から欲しいと悲鳴を上げているのだ。魂の奥底から半身を 渇望している。直接的な痛みを凌駕する渇きを、悟浄に埋めて欲しかった。 胸元の八戒を俯いて覗き込む悟浄の髪が、視野を囲うようにして降りかかっている。長い毛先 はこちらの肩にまで届き、世界の全てを悟浄の色に覆われる安らぎが、ひたひたと胸中を満たし ていく。 柔らかに縫いとめる愛しい男の双眸を見詰め返して、八戒は恍惚とした微笑を浮かべた。 「そうなったら、アナタが舐めて治してくださいね」 訴えかける八戒の誘いに笑いだけが洩れてしまえば、悟浄自身もその言葉を素直に受け取らな いわけにはいかない。 腕にある温もりを全身で感じたいと悟浄も願っているのだ。 肉欲よりも精神的な面で、八戒を抱いて存在そのものを堪能したかった。 「無茶ばっかりだな」 「似たもの同士だから仕方ないですね」 子供のように笑って軽く唇を触れ合わせながら、悟浄は八戒の身体を再度横たえてやり、幾度 も啄ばむようなキスを交す。色付く口元だけでなく、頬や鼻先にも音を立てて派手なキスを送る と、無邪気に笑い声を上げて絡み付いてくる腕が心地良かった。 戯れるようにしながら耳元を舐め取り、僅かな喘ぎを相手から引き出して、悟浄の愛撫は常に ないほどゆるやかなものだった。 羽毛のように掠める口付けが耳朶に触れ、繰り返される優しいキスに肌がざわめきを訴えてい た。もどかしさに息が上がり、強く抱きこまれることを望んで逞しい肩を引きせても、回される 腕は穏やかと表現してもいいほどに柔らかく身体を包み込んでくる。 「んっ・・・・・・・悟浄・・・」 「ダメだ。良い子でいろ」 淫靡に濡れた翠の瞳が、色悪に笑う男を軽く睨みつけていた。だが、蕩けた視線を投げかけら れるだけでは、可愛らしさに拍車が掛かるだけだ。悟浄にしても、恋人の肌を貪り尽くしたい欲 情はあるのだが、自分でも焦れてしまうほどの動きが引き出したこの顔が見られるのは、悪くな いと呆れた考えが掠めていく。 しなやかな背を弓なりに反らせ愛撫を求める八戒に、悟浄はあやすように額に口付けた。 ベッドと身体の隙間に出来る空間に片腕を差し入れ、腰に腕を巻きつかせ、負担が掛からぬよ う動きを封じる悟浄の背に、形の良い指先が食い込んでくる。その痛みまで快感に繋がっていく。 感情の底部では、いまだに引き攣るような疼痛を覚えるが、その感覚が八戒を抱ける安堵に直 結していた。自分も孤独のままに死んでいった三蔵法師と同じ道を辿っていたかもしれない。 あの男はもう一人の悟浄の姿でもあった。 寂しげな三蔵法師の最期の笑いが脳裏を掠め、その映像を振り払う。 目の前で悟浄だけを魅了しようとする息衝く首筋に唇を滑らせ、白い肌を甘く食んで上がる嬌 声が快かった。艶めいた息を弾かせ、鋭敏に反応を示す八戒がひたすらに愛しくてならなかった。 「ごじょ・・ぉ・・」 ゆるゆると送り込まれる快楽のパルスは、あまりにも穏やかであり、逆に情念の火が指先にま で行き渡る結果を生んでいる。そっと肌に食い込む歯の感触は、少しの痛みもなく下肢に響く悦 楽だけを呼び覚ましていた。 背筋を通り抜ける疼きと自由に動けない苛立ちの全てが、激しさがないだけに悟浄の所在を明 確に伝えて寄越す。肩のラインを辿る唇の温度や濡れる舌の動きが、感覚の器を満たしていた。 胸元まで降りる頭に頬を寄せ、銃創に戸惑うように押し当てられる舌の熱さに、身体が跳ねる。 動物が傷を舐めて治癒するように、悟浄の舌先は、肌に散る痕と痕の間を幾度もなぞりあげて いる。その都度、嬌声とも悲鳴とも判断が付きかねる八戒の声と身体の反応に、悟浄が僅かに身 を起こした。 大きな手が頬に触れる仕草に愛情の限りが篭めれている。 「痛いか?」 動きを停止して問いかける悟浄の温かい声に、背筋から後頭部にまで官能が貫き通る。劣情を 宿す双眸に甘美な眩暈すら覚え、自ら腕を伸ばして首を掻き抱き、八戒は熱い地肌に唇を触れさ せた。 「痛く・・・な・・い・・」 否定の言葉は再度、肌を舐め取る動きに飲み込まれ、すすり泣くような甘い吐息だけが零れ落 ちる。本来であれば痛むはずの傷跡は、悟浄が触れている認識だけで、妖しい疼きへと感覚を変 えていた。 傷の痛みに神経が敏感であるほどに、目を閉じていても悟浄が与える愛撫がリアルな映像とな って浮かび上がる。それは酷く淫らな動きでありながら、八戒の情念を掻き立てる映像であった。 肌を嬲る濡れた音が鼓膜を震わせ、滑り落ちる掌の行き着く先に意識が真っ白になる。 固い手で内股を撫で回し、肌の感触を悟浄が楽しんでいた。膝頭にまで降ろされる指が、逆撫 でして濡れそぼる先端を捕らえた瞬間、決定的な刺激に八戒の細い喉が笛のような音を立てる。 壮絶な色香に染まる白い美貌を惜しげもなく悟浄の眼下に曝け出し、華奢な身体が心ごと悟浄 に向かって開かれる。 「ふぁっ・・ぁ・ああ・・・ご・・じょ・・ぉ・・ッ!」 手中に納めた八戒を丹念に愛しむことで生じる快い音が劣情を刺激し、肌に縋りつく細い指に 歓喜を覚える。 独特の色合いを乗せて己の名が呼ばれることが、無性に嬉しく感じた。 この世でただ一つの音節しか聞けなくなるのであれば、迷わず八戒に自分の名を呼ばれたい。 悟浄を悟浄たらしめる、唯一無二の存在である八戒の声だけしか聞こえない世界は、どれほどの 平穏を齎してくれるかと本気で思う。 身を捩り、性急な愛撫を求める八戒の身体を反転して、ベッドにうつ伏せにさせ、背後から体 重が掛からぬように身を伸ばした。仄かに色付く背中にまで貫通した傷跡があり、その部分にも 丁寧に舌を添わせていく。 「んんっ・・・ぁはっぁぁあ・・」 腰を高く掲げた卑猥な姿で、八戒は押し寄せる快楽にその身を委ねた。 先端から滲み出す透明な液に濡れた指が、悟浄を待ち侘びる入り口に押し当て侵入してくる。 その間も、飽きることなく傷跡を舐める舌先は驚くほどに柔らかく、優しい感触だけを与えてい た。治癒能力など持たない悟浄であるが、染みてくる深い愛情が、まだ内部では治りきらない創 傷まで浸透していく錯覚を覚える。 体内へ入り込む指が愛しくて、腰から下がどろどろと溶けてしまいそうだった。傷を慮って施 される甘美な愛撫は、皮膚の下の血流に乗り隅々にまで行き渡り、八戒が認識できる全てが悟浄 のみとなっていく。それは至福の時であった。 意識に霞みが掛かったように外部は遮断されながら、全神経が悟浄にだけクリアに開けている。 背筋を辿る男らしい唇の形。舐め取られ後が外気に冷えて、その行為を物語る。胸元を擽るよう に弄ぶ指や、下肢に埋め込まれた指先の蠢き。 吸収しきれないほど与えられる感覚は、快楽中枢に侵食して、剥き出しの神経を中心に脳内ま で到達する。 「あぁ・・・ぁ・・ゴジョ・・ォ・・・」 胸元を支えてくれている腕に戦慄く唇を寄せ、筋肉の浮き出る上腕部を口付けで埋め尽くす。 誰よりもこの男が愛しかった。八戒の常軌を逸脱した愛情を綺麗に受け止め、抱き締めて返す 悟浄を、気が狂わんばかりに求めて愛して止まない。 たった一度の恋になる。今後一切、誰一人として八戒の心に入り込める人物はいないだろう。 尖ったピンク色の舌が悟浄の浅黒い肌を舐め、両手が腕に縋ってくる。厭きることなく、か細 い声は、それしか知らぬように悟浄の名を繰り返し艶声と共に唇から零れて落とし続けていた。 悟浄を絡めとる八戒の肌から立ち昇る媚薬に似た甘い香りが、男の本能を凶悪なまでに刺激する。 痛いまでに張り詰めてくる欲望を宥めながら、八戒の銃創に響かぬように、悟浄は慎重に 腰を進めて体内に割り入った。僅かに潜り込むだけで、柔らかな器官が押し包む官能の 鋭さに、咄嗟に息が詰まりそうになる。 「八戒・・・・・力・・抜いて・・」 「ご・・・じょ・・・ぉ・・」 熱い囁きと共に狭い場所を通り抜けて受け入れる男の楔が、疼きをより一層強くさせ ていた。球を貫通させるほど傷を負った自分を労わってのことだと理解しているが、焦 らすような挿入は所在を明確にするばかりの結果となる。 「んっぁ・・はぁ・・」 背を仰け反らせて悟浄を迎え入れた八戒の腰が揺らめき、太い楔を奥深くまで飲み込 もうとして、自ら身体を押し付けてくる。背後から伸びる逞しい腕が胸元を支え、片手 をベッドに突いて少しでも負担を軽くしようとする悟浄に意識の全てを支配されていた。 「キツクない?」 心なしか不安そうなその声にさえ、胸が詰まりそうな幸福感がある。 引寄せられるように振り向いた先には、押し寄せる喜悦を堪え、眉根を寄せる悟浄の 男の色気に溢れた顔があった。見惚れるほど美しい悟浄の表情に、受け入れた内部が卑 猥な動きを伝えて寄越す。溢れ出す妖しい甘さが、八戒に艶やかさを与えていた。 華が咲き綻びていくような、白い微笑みが美貌を飾り、優しく見下ろしてくる紅い双 眸に目線だけで頷きを返してやる。 腰の奥底から生じる官能の波紋が、緩やかに皮膚の下を走り抜け指先にまで浸透して いた。ゆっくりとしか進まない悟浄に叫びたいもどかしさがありながら、劣情を上回る 安堵が胸の内に込み上げてくる。 重ね合わせる肌から伝わるのは、快感だけではなかった。 熔け出してしまいそうな熱を肌に孕みながら、そこにある確かな体温に、またこうし て抱き合えた喜びが意識を満たしていた。 「八戒」 そっと伸ばされた硬い指先には、馴染んだハイライトの香りが纏いついている。 戦い慣れた節高い指が、首筋に掛かる髪を掻き揚げ、そこに置かれる唇の温度に自然 と笑みが零れ落ちた。至近距離で合わさる視線の中には、労わりの色が濃く漂い、首筋 から耳朶へと舌を這わされ陶然となってしまう。 「悟浄」 じりじりと入り込む圧倒的な質量は、八戒の内部を窺がうように狭い場所を押し開き、 殊更に存在感を主張しているようであった。痛みなど露ほども感じない分だけ、悟浄の 動きが遅いほど感覚は鋭敏さを増していく。 「愛しています・・・」 上がる息の下から甘えるように囁きを返すと、俺も、と忍び笑いとキスが返ってきた。 八戒が悟浄に感じてしまうほど、腸壁は淫靡に蕩けて絡み付いてしまうのが、受け入れ ている本人にもはっきりと分かる。物欲しげにその場所が蠢く都度、悟浄の鋭く切れ上 がった眦には情欲に染まる色が濃さを増していた。 背後に重なる熱い肌と乱れかかる呼気が、悟浄が八戒に感じている事実を暴いていた。 腰を少し突き上げるだけで放たれる嬌声が、八戒が悟浄に溺れているのだと告げる。 感情と身体が隙間なく重なり合い、互いに与え合う快楽が安堵を引き連れてくる。 ゆったりとした挿入が開始され、激しさのないセックスは甘さと優しさばかりを募らせて 悟浄の胸中に蟠る悲哀の感情を緩やかに浄化させていく。 「八戒、愛しているぜ」 柔らかい悲鳴を心地良く耳にしながら、悟浄はそっと呟いた。 end |
エムシュさんからのコメント 今回は、『正しい58のあり方企画』に飛び入り参加させて頂き、本当にありがとう ございます。500年来の戦友と、戦友のお友達の優しさに嬉し涙が零れています(笑)。 権限のない最弱の管理人を脅した甲斐がありました。5サイト同時アップとは考える だけで圧巻です。 三蔵が八戒を撃ったとき、三蔵は絶対に『ちゃ〜んすv』と思ってやったと確信して いたのですが・・・。なんだ。違ったのね。 紛らわしい真似をするんじゃないっ!! ほぼ打ちあがっていた原稿を、あちこち修正するハメに陥ってしまいました。 別の意味で三蔵、許すまじ!! もっとも、八戒の玉の肌に傷をつけたに変りはないので、『傷を舐める』は成立しま したけどね・・・。 どうせ撃つなら傷つけないように、して欲しかったですわ。 さて、うちの八戒と三蔵はむちゃくちゃに険悪な仲でいます。 特に八戒の性格は捻れまくりで、悟浄に関してはあちら側に行ってしまっています。 こんな八戒を愛せる悟浄って、寛大な人だと今回も再確認しました。 お人好しで、優しすぎて。誰よりも人の痛みを感じるのが悟浄であると信じきって いる私としては、神様三蔵を助けようとした彼に哀しいものを感じました。 文中にある『名前が無いことは存在しないこと』とは、逆に捕らえれば『名があること は存在すること』となります。 洋の東西を問わず、古くから宗教的・呪術的に『名前』とは最も短い力のある言葉でした。 その名前すら持たないことを、悟浄に悲しんでもらい、八戒には蔑んでもらいました。 すみません、うちの八戒、凶暴なんです(汗) 見逃してやって下さい〜〜!! 個人的には、密かに神様三蔵に好意を抱いていただけに、今回の企画の際に、名も無い 三蔵法師への哀悼も込めさせて頂きました。 |