『もう死んでたらどーする?』 『死んでないですよ、きっと。多分今頃ひとりで黄昏て空なんか見上げて、「みんな心配して んだろォな」なんて自嘲の笑みなんか浮かべちゃってるんですよ』 『うっわー、寒ー!』 ホンの少し胸に痛い問いへの答えは、果たして希望だったのか、願いだったのか。 絶対なんて在り得ないのに、それでも僕はそう信じてた。 悟浄が傍にいない今、僕らを繋ぐのは『信頼』と言う、目に見えないもの―――それしか なくて。 死んでない…ですよね? 貴方は僕を置いて逝かない…ですよね? 独りで行ってしまった貴方。 僕を置いて行ってしまった貴方。 でも…ね、悟浄。 僕はただ待つだけのお姫様なんかじゃないんです。 置いて行かれたら追い掛ける、それくらいは出来るんですよ? 視界に広がる青い空。 貴方も見上げているだろう空。 この空の下の何処かに貴方がいる。 待っててくださいね。 今、僕が行きますから。 僕が貴方に追いつくから。 だから―――。 ―――絶対独りで逝かないで。 悟浄、悟浄、悟浄。 東へハンドルを切りながら、何度も何度もその名を呼んで、僕は、見えない背中に手を伸ば し続けていた。 「―――ご…じょ……ぉ…」 つい先日の出来事を再現した夢が遠ざかって行く中で、ぼんやりとした意識が勝手に言葉を 綴り出す。 夢での気持ちを引きずったまま伸ばした指先に暖かなぬくもりを感じて、僕はそっと目を開 けた。 ゆっくりと開いた瞳に映る、愛しい紅。 夢の中でさえ、ずっと求めていた紅を見つけて、僕は安堵の息を吐いた。 「…悟浄―――」 「―――お目覚め?」 置いて行かないで…と、伸ばしていた指を、求めた人の手が握っている。 何度呼んでも答えのなかった呼び掛けに、澱みなく返される声がある。 それはなんて幸せなことなんだろう。 甘い気持ちに包まれて、現状を忘れて身動いた躯に痛みが走って、僕は小さく声をあげた。 「急に動くなって。オマエ、結構マジで怪我してんだよ」 不機嫌そうな悟浄の声が頭の上から降ってくる。 上から覗き込む悟浄の瞳に宿る心配の色。 「でも、ずいぶんいいですよ。じっとしてると痛くもないですし」 「宿に着いたとたんにぶっ倒れやがったくせに、のんきなコト言ってんじゃねぇ! オマエは あれから高熱を出して、3日も眠り姫だったんだぞ。お姫サマは王子サマのキスで目覚める ってーのは、やっぱガセだな。いつまでも寝腐りやがって」 ギュウッと握られた指先に、微かな痛みが湧き上がる。 それは、僕自身のものではなく、悟浄の心の痛みだったのだろうか。 ツキリ…とした痛みは、握られた指先ではなく胸の奥に感じた気がした。 「――もしかして、ずっと付いていてくれました?」 崩壊する城を逃げ出す途中、貧血を起こすほどの失血を伴ったはずの怪我が、今はあまり痛 まない。 自分で予想したよりもずっと回復が早いのは、きっと悟浄が傍にいた所為だ。 それは、悟浄自身は気付いていない、悟浄が僕に齎す癒しの力。 「おーよ。でも、俺に気孔が使えるワケじゃねーから、傍にいたって、たいした役には立た ねぇケドな」 自嘲気味に笑う悟浄の声は、先ほどからの不機嫌さを引きずってまだ硬い。 「そんなこと無いんですよ」 たとえ眠っていたとしても、悟浄が傍にいるだけで、僕の気は安定する。 優しくて暖かくて力強い悟浄の気。 それが気孔を使う僕にとって、何よりの薬になることを知らない悟浄は、見上げる僕を一瞥 すると、僕の躯に手を伸ばした。 「傷、消毒すっから―――」 有無を言わせずに抱き起こされて、するすると解かれる包帯の下からたくさんの傷とふたつ の銃創が現れる。 この戦いでアチコチに傷を負ってしまった僕を痛ましそうな目で見詰めながら、悟浄はそう っと傷の上に指を下ろした。 悟浄の指先が、傷を追ってゆっくりと肌の上を巡っていく。 優しく優しくいつまでも彷徨い続ける暖かな指先。 肌を滑るその指が、どれほど痛みを和らげてくれるかを悟浄に告げないまま、僕は、肌を通 して伝わる癒しに、ほぅ…っとひとつ息を吐いた。 それを傷の痛みゆえと思ったのだろうか。 優しかった指先が左胸の傷の上でぴたりと止まる。 「悟浄…?」 説明しておこうと見上げれば、視線の先でいつも強気な紅い瞳が微かに揺れていた。 「…バカヤロウ。―――綺麗な躯にこんなに傷作りやがって」 他に音のない部屋に響く、怒りと哀しみの入り混じった、胸に痛みを齎す低い声。 僕を責める言葉を使いながら、その実、行き場のない怒りを自分自身に向けている悟浄。 きっとこの傷も、自分が引き起こした事件の犠牲だと自分を責めているのだろう。 自分ゆえに、人が傷付くことを厭うひと。 皆の同意の下に実行した作戦の結果だ――と割り切ることの出来ないひと。 ―――誰よりも優しくて、不器用な悟浄。 「あれが一番確実な方法だったんです」 「バリアも張らずに三蔵の盾になることがか? ジョーダンじゃねぇぞ! 掠っただけとは言え 一歩間違ったら死んでんだろーが!!」 「死んだりなんかしませんよ」 「なんでそんなことが言い切れる!」 「……賭けてるものは、命じゃないから―――三蔵、そう言っていたでしょう?」 にこやかに微笑んで、それでも真っ直ぐに、悟浄の瞳を僕は捕らえた。 僧職にある者としては破天荒ではあるけれど、三蔵の言葉はいつだって重い。 短い言葉の中に潜む真実は、信ずるに値する確かなものだ。 そして、それは、悟浄もよく知っていること。 一瞬瞳を眇めた悟浄は、僕を見てから再び不貞腐れたように口を開いた。 「―――あんなクソ坊主の言うことなんざ、……当てになるかよ」 そう言いながら、僕からフイッと逸らされる決まり悪げな紅の視線。 認めていながら、素直になりきれない悟浄がどこか可愛くて、僕はクスリと小さく笑った。 「三蔵の言葉では信じられませんか? じゃあ、こう言う理由はどうです?」 言葉を切って悟浄を見詰め、悟浄が僕に視線を戻したところで、まだ自責の念を残したまま の紅い瞳を絡め取る。 そして、悟浄の視線を捕らえたまま、僕の中の真実を告げた。 「―――貴方を奪われたままでは、僕は死んでも死に切れません」 「…あ? ナニ言ってんだ、オマエ?」 瞳を瞬かせる悟浄に、僕は笑って腕を伸ばす。 「…貴方、僕を置いて行ったじゃないですか」 柔らかく抱き留めてくれる悟浄の腕の中で、僕はずっと心の内に留めてきた怨嗟を吐き出 した。 この一件が終わるまでは…と、心の中に閉じ込めてきた恨み言。 その言葉に、僕を抱いた悟浄の腕がピクリと震える。 「僕を置き去りにして、カミサマを追い掛けて行ったままなんて、イヤだったんですよ」 理由はどうあれ、悟浄の視線を一身に集めた彼が嫌いだった。 ホンのひとときでも、僕の傍から悟浄を奪った彼が嫌いだった。 そして、僕の大切な人の過去を抉り傷付けた―――そんな彼が大嫌いだった。 世の中を斜めに見るくせに、真っ直ぐな怒りを持てる悟浄とは違う、自分本位な僕のワケ。 奪われれば奪い返さずにはいられない、強欲なまでの僕のワケ。 「…だから、こうして貴方を取り返すまで、僕は死んだりなんかしないんです」 悟浄の背に廻した腕に力を込めて、その存在を確認するようにギュッと抱きつく。 「―――ホントにそんな理由で躯を張ったのかよ…」 背中を撫でてくれる悟浄の手の暖かさに、僕はそっと目を閉じた。 「そうですよ。貴方の望みも僕の願いも、一編に叶えられるいい方法でしょ?」 「バカ言ってんじゃねぇよ。それでこんな怪我されたんじゃ、コッチの身が持たねぇっての。 ……でも、そのムチャクチャなトコロ、なんかとってもオマエらしいわ」 苦笑交じりに、それでもちょっと嬉しそうな声を耳元に響かせながら、悟浄の腕は僕の躯を 更に強く抱き締めてくれた。 僕の中のドロドロの欲ごと受け止めて、僕を包み込んでくれる春の陽だまりのような悟浄の 腕の中。 それを取り返すことが出来るなら、躯に傷が増えるくらい、僕にはたいしたことじゃない。 かつて自分で右目を抉り出したように、この場所を失わないためならば、僕はなんだって するだろう。 「納得してもらえました?」 「ん〜、まぁなァ。…でも、よ。この傷を付けたのは三蔵なんだよなぁ」 脇腹に残る二発の銃創に、悟浄の指が再び伸びる。 後々まで残りそうな、三蔵によって出来た傷が気に入らないと、むくれた声が耳を擽る。 柔らかな光を戻し始めた悟浄の瞳に、ちょっぴり見え隠れし始める子供のワガママ。 もしかして、一番不愉快だったのはソコなのかと錯覚させるような悟浄の様子に、僕は声を 出して笑ってしまった。 クスクスと笑う僕を、悟浄の腕が拘束する。 「…痛いですよ、悟浄」 キツク抱かれて剥き出しのまま傷が痛む。 けれど、それすら心地よくて、僕は笑い続けていた。 悟浄が僕に向ける独占欲。 それがとても気持ちいい。 もっともっと独占して、僕の全てを奪って欲しい。 もっともっと貴方の全てを独占して、奪い尽くしてしまいたい。 クスクスと笑うその奥で、心地よい痛みに欲望の花が開き出す。 「ウルセーっての。いつまでも笑ってんじゃねーよ。元はと言えば、オマエがそんな傷を作る か…ら…」 「悟浄…」 話が元に戻ってしまいそうなセリフを唇に押し付けた指先で奪い取り、そして、下から悟浄 を仰ぎ見た。 「…貴方の唇は、そうやって文句を言うためにだけあるわけじゃないでしょう?」 僅かに眇められた悟浄の瞳が、僕の瞳を窺うように覗き込む。 貴方に濡れて欲望の色に染まり始めた僕の瞳。 その中に、貴方は何を見るのだろう? 「――ねぇ、悟浄……」 視線を絡めあったまま、すぅ…っと悟浄の唇を指でなぞって笑み掛けて、ヒクリ…と身じろ いだ腕の拘束を抜け出し、シーツの上に横たわる。 「…傷の消毒をしてくれるんでしたよね……?」 殊更に三蔵の残した痕を見せつけて、心の求めるまま、熱く逞しい躯を引き寄せようと伸ば した腕は、逆に掴まれて頭の脇に縫い止められた。 「俺は怪我人襲うほど、餓えてねーし、ケダモノでもねーつもりなんだケド?」 あからさまな僕の誘いに、悟浄の顔に苦笑が浮かぶ。 ―――そう、判ってる。 餓えているのは僕の方だ。 置いて行かれた…と嘆き続けていた心が、悟浄を取り戻した実感を欲しがって。 たくさんの傷付いた細胞が、悟浄から与えられる活力を欲しがって。 少しでも早く満たされたいと叫んでいる。 その餓えた心と躯を、どうやって止めろと言うのだろう? 全てが片付く時、ただこの時だけを待ち続けていたこの僕に―――。 「…じゃあ、三蔵にでもお願いしてみます? 傷を作った本人でもあることですし、責任取れっ て言ってみましょうか?」 そんな気などない、ただ悟浄を焚き付けるためだけのセリフにクククッ…と悟浄が笑う。 「アイツじゃ無理だ。―――違うか、八戒?」 自信に満ちた声と面白そうな光を湛えた紅い視線が僕の上に落ちてくる。 オマエを満たせるのは俺しかいない―――そう言われた気がして、腰の奥から疼きが走った。 「―――判っているなら、焦らさないで…」 欲しいのは、いつだって、たったひとり。 悟浄以外、この世に存在する誰も僕を満たすことなど出来はしない―――それが真実。 …降参ですよ、悟浄。僕は貴方には敵わない。 腕を掴まれたまま、征服された獲物のように喉元を晒して、僕は静かに目を閉じた。 ◇◇◇ 「…っ…、…あぁ……あ…、…ふぅ…ン…」 悟浄が触れた僕の躯の何処も彼処もが熱く疼いていた。 傷口に寄せられた唇から漏れる吐息にすら躯が震え、傷を舐め取る舌先の濡れた感触にも止 められない喘ぎが零れる。 悟浄の唇が傷口に触れるたびに、ピリリとした痛みとじんわりとした熱が躯中の細胞に広が って、僕の理性は容易く奪われていった。 「…あぁ…ぁ…ん、…ごじょ……ぉ…」 理性と言う名のヴェールを剥がされて、露になった本能が悟浄を求めて腕を伸ばす。 傷付いた細胞が、悟浄をそのまま映したような、優しく力強い気を求めて口を開く。 もっともっと満たして―――。 素肌に触れる指や唇から伝えられる悟浄の気を、少しでも多く取り込もうとする欲張り本能 に命じられるまま、僕は悟浄の頭を掻き擁いた。 「ごじょ…もっと……」 「―――痛くねぇの?」 固く尖った舌先に、熱を持った傷口をツンと突付かれて躯が跳ねる。 それでもフルフルと頭を横に振る僕に、悟浄は唇を楽しそうに持ち上げた。 「オマエって、ヤラシイ躯になったよな」 そんな揶揄を残して傷口を軽く吸い上げる。 「…ひぁ……あぁ…あっ…」 舐め取られるだけだった今までとは違う、躯を走る痛みにも上がる高い嬌声。 確かにあるはずの痛みを、快楽に摩り替えてしまうほどの淫らな躯。 悟浄のくれるものを、ホンの一欠片でも残さないようにと、僕の躯は敏感に反応する。 「…あっ…ぁ…イイッ……」 悟浄が傷を吸い上げるたびに、そこから悟浄が僕の中へと流れ込む。 争い合った敵にさえ、その手を差し伸べることの出来る優しさと、真っ直ぐな怒りを持ち続 けることが出来る強さと、誰よりも熱い心。 それを取り込んだ細胞が新たな熱を生み出して、躯の中に仕込まれた隠微な欲望に火を燈す。 そして、悟浄の気を充分に取り込んだ細胞に代わって、置き去りにされて餓えきっていた心 が悟浄に向かって腕を伸ばし始めていた。 日毎ぬくもりに包まれて、満たされきっていた日々を懐かしむように、寂しかったと訴える 心が悟浄の体温を求め出す。 「ごじょ…お願…い……」 躯中の傷に舌を這わせながら、それ以外のトコロには少しも触れないままの悟浄に、熱に浮 かされた哀願が口から零れ落ちる。 何度も何度も愛されて、愛撫される心地よさを覚えた小さな乳首が、傷口に与えられる口付 けを羨んで硬くしこっていた。 「…お願い…です、…コッチも、触って……」 想い募らせる心が急かすままに、羞恥を振り捨てた僕は、自ら悟浄の手を取り胸に引く。 「――あと二ヶ所だから、もう少し我慢してろ」 快楽を求めて潤んでいるだろう僕の瞳を覗き込み、悟浄は最期に残した三蔵の付けた傷痕に スッと唇を寄せた。 「ヒッ!…ぁ、や…っ、…イタ…ッ……」 今までにない強さで、悟浄が銃創を吸い上げる。 さっきとは比較にもならないほど強く吸われ、更に舌で抉られて、塞がったばかりのそこから 鮮血が溢れ出す。 「…ご、じょ…、イッ…ヤ……ぁ…」 脇腹から躯を襲う、耐え難い痛みに悟浄を引き剥がそうと突っ張った手は、悟浄の手に再び 掴まれてシーツの上に押さえ付けられた。 「イ…ヤだ…離し、て…」 唯一動かせる頭を振って訴える。 そんな僕を悟浄は真剣な目で見詰め、唇を開いた。 「…じっとしてろ。あのクソボーズの付けた痕なんざイラネーからな。俺が付け直してやるん だよ」 「えっ…ぁ…、ごじょ…」 悔しげに言い切られた悟浄の言葉が僕の中に染み渡る。 独占欲に溢れたその言葉が、僕の中の餓えた心を甘く満たし、躯から痛みに対する抵抗を奪 っていった。 「…ひゃあっ、あぁ…ぁ…、……ぁ…ぁ…あっ…」 ピチャピチャと音を立てて、悟浄の舌が滲み出す血を丁寧に舐め取るたびに、官能の炎が湧 き上がる。 もっと、もっと、もっと―――。 満足を知らない餓えた心が、僕の躯から奪った痛みを甘い疼きに変えていった。 「あ…ん…、ごじょ…ぉ…」 抵抗を止めた躯は何時の間にか柔らかに解れ、零れる声にも艶が混じる。 そして先をねだるように悟浄を見上げた僕の上に、悟浄の熱い囁きが落ちてきた。 「オマエの躯を飾っていいのは、俺が残したモノだけなんだよ。――この傷以外は…、な」 掴んでいた僕の手を離し、悟浄の手が僕の腹部に残る醜く引き連れた傷を愛しげに撫でる。 犯した罪の深さを具現したような、醜い傷痕。 けれどそれは、悟浄と僕を結びつけた、運命の紅い糸。 己の罪深さを突き付けるはずのそれを、ふたりを繋いだよすがに摩り替えてしまう僕はとて も狡い。 その狡さは、決して許されるものではないのかもしれないけれど。 それでも、想いを止めることは出来なくて―――。 「…僕も…それ以外は…いらない…です…」 腹部に置かれた悟浄の手の上に開放された手を重ねて、僕はそっと躯を捻ると、最期の傷を 自ら悟浄に差し出した。 腹部に残ったモノ以外の総て痕を、悟浄の残したモノへと変えるために―――。 「…はぁ…っ…ん、ごじょ…、もう……」 再び襲う、傷口を抉じ開けられる痛みと独占される甘やかさに、躯の中に熱が篭もる。 僕の躯の傷を我が物に変えたことで満足げな悟浄に焦れて、僕は悟浄の頭を胸元に引き寄せた。 そして、欲に濡れた腰を悟浄の躯に押し付ける。 「アッチもコッチもおっ勃てちまって、ホントにオマエはカワイイねぇ」 目の前に晒された、しこりきった乳首をペロリと一舐めして、躯に触れた僕の欲望に手を掛 けて、とても楽しそうに笑う悟浄。 その言葉に今更ながらに羞恥が戻り、僕の躯が紅に染まる。 内側に取り入れた悟浄の気と外側を染め上げた悟浄の色。 総てが僕の躯中で息衝いて、僕を悟浄で満たしていく。 ―――なのに、それでも、まだ足りなくて…。 もっと深く、もっと強く…と、愛される悦びを知っている心が羞恥を押して、更なる快楽を 求めて腰を揺らした。 「…全部悟浄のせいですよ。ちゃんと責任取ってください…ね…」 離れて時を過ごせるほど、僕は全然強くない。 置いていかれたことをあっさり笑って許せるほど、僕はちっとも優しくない。 だから、貴方の総てで僕を満たして償って―――。 「言われなくても、俺、すっかりケダモノだし? オマエへの責任だったらいっくらでも取っ ちゃうケド?」 猛った自身を僕に押し付け返しながら、クククッと笑う悟浄に出来るだけの艶を込めた眼差 しを注ぐ。 「その言葉、忘れないでくださいね―――」 そして、悟浄の熱さに心と躯を震わせながら、僕は悟浄の腰に脚を絡めていった。 ◇◇◇ カチリ…とライターを鳴らして悟浄がタバコに火を付ける。 「…寝タバコは危ないですよ」 「一本だけ…な?」 悟浄の胸に頭を乗せて、瞳を半分伏せた僕の耳に、悟浄の悪びれない声が柔らかく絡む。 ホワリと部屋に広がる煙をぼんやりと見詰める僕の髪を、悟浄の指がゆったりと梳いていた。 「なぁ…八戒…」 「……なんですか?」 呼び掛けておきながら、中々話し出そうとしない悟浄を促して、頭を起こした僕は悟浄の瞳 を覗き込む。 その僕の頭を再び胸に押し付けて、また一口タバコを吸い付けた悟浄は、ふわりと煙を吐き 出した。 「…もしかしてよ、置いてったコト、むちゃくちゃ怒ってたり…スル…?」 窺うような悟浄の声に、なんとも言えない可笑しさが込み上げる。 「もう、いいですよ。もう怒ってませんから」 躯の奥深いところまで悟浄を受け入れて、既に満たされた僕からは怒りも悲しみも寂しさも 総てが拭い取られていた。 髪を梳く指、慣れたタバコの匂い、目に映る紅、そして、傍にある触れ合う肌の暖かさ。 総てが悟浄の存在を告げて、僕を満たしている。 「ならいーんだケドな」 ホッとしたように息を吐いて、タバコを灰皿に投げ込んだ悟浄はギュッと僕を抱き直した。 そしてスッと唇を合わせてくる。 数度啄ばみ、僕の唇を舌先で舐めてから、スルリと口腔に忍び込んでくる悟浄の舌。 その舌を素直に受け入れて、僕も舌を絡めていく。 「…ん…」 官能を擽るものではない、優しく穏やかな口付けを交わしながら、互いのぬくもりをゆっく りと味わって、そしてまた僕は悟浄の胸の中に収まった。 何より愛しいぬくもりと慣れたタバコの匂いが僕をふんわりと包んでいく。 何があっても失いたくない場所。 この場所をもう二度と失いたくない。 そんな想いに、唇から勝手に願いが転がり出す。 「―――もう、僕を置いて、独りで勝手に行かないでください…」 口から零れた願い事。 思い出すのは、いくら伸ばしても届かなかった手の空虚さと、応えの無い呼び掛けのその切 なさ。 「悟浄、悟浄…悟浄…」 繰り返し名を呼ぶ僕の背を、悟浄の大きな手が宥めるようにポンポンと叩いて、抱き寄せる。 「ああ、判ってるって。もう絶対置いて行ったりしねぇから。そのたんびにこんな怪我された らたまんねぇってーの」 じゃじゃ馬なお姫サンだコト…と軽く言いながら、どこか真摯なその言葉を僕はただ黙って 聴いていた。 いつだって『絶対』は空手形。 時の流れは残酷で、簡単に幸福な今を奪っていく。 疑いたくはないけれど、悟浄の熱く真っ直ぐな魂は、いつかまた、僕を置いて行くかもしれ ない。 そんな想いを拭えずに、キュウっと胸が痛くなる。 その胸を絞る切なさを呑み込んで、僕は悟浄の背を抱いていた手を引き連れた傷を持つ腹部 に移した。 「ん? どうした、八戒?」 黙り込んで抱擁を解いた僕に、悟浄が視線を絡めてくる。 悟浄の紅い瞳の中に揺れる、僕の翠。 瞳の色を互いの瞳に映せるほどの近い距離。 ―――この距離のままに、ずっとずっと傍にいて。 それだけが僕の願うこと。 「本当に置いて行かないと、約束してくれますか?」 「あぁ、マジで絶対、約束すっから」 逸らすことなく絡めた視線で交わす約束。 厳かなまでに真剣なそれを、僕は大切に胸の中に仕舞い込む。 たとえそれが空手形に終わっても、今、悟浄がくれた想いに嘘はないのが判るから―――。 「…ちょっと眠くなってきちゃいました」 小さく微笑んで告げる僕に、悟浄の瞳に労わりが浮かぶ。 「あ〜、結構ムチャクチャしちまったからなぁ…。ずっと傍にいるからよ、ゆっくり寝ろや」 頷く僕に微笑む瞳は暖かな、西へと沈む夕日の色。 その紅を瞳の中に焼き付けて、腹部の傷を抱いたまま、僕はゆっくり目を閉じた。 悟浄と僕を繋ぎ続ける紅い糸。 たとえ再び引き離される日が来ても、この糸が、きっと僕らを結び続けてくれるだろう。 そう信じながら、眠りに落ちて行く僕の躯を、悟浄の腕がそうっとそうっと抱き寄せる。 泣きたくなるほど穏やかな、悟浄だけが齎すことの出来る優しい抱擁。 この世界に、ひとつしかない僕の場所。 そのぬくもりに包まれながら、僕は悟浄に向けて手を伸ばし、そして、その背を抱き締めた まま、眠りの縁へと落ちていった。 ―――ねぇ、悟浄…。 もしもまた、ふたりを別つ日が来ても、僕は貴方を離さない。 その背を追ってどこまでも、僕が貴方を追い掛ける。 だから―――。 ―――だから、ずっと傍にいて…。 その腕の中に抱いていて…。 ……いつか僕が永遠に、瞳を閉じるその日まで―――。 ずっと、ずっと、傍にいて……。 |
夜香さんからのコメント なんと、書いてる途中で「傷、無くなった〜〜」と、軌道修正を余儀なくされたこの企画。 でも私が書きたかったのは、傷を舐める悟浄ちゃんだったから、無理矢理にでも初志貫徹! おかげでちょっとばかり、インパクトは減ったかも★ だけど、大筋に変更が無かったのは幸いでした、はい。 さて、今回のお話は、メインテーマが『傷を舐める悟浄ちゃん』なので、サブテーマは 『戦うオヒメサマ』(笑)。 八戒さんが何を思って三蔵の盾になったのか、少しでも共感していただけたら嬉しいですv 愛しいひとが独りで行ってしまったら、残されたひとは一体何を思うのか。 なんとなく「君死にたまふことなかれ…」そんな言葉を思い出しながら書いておりました。 これが恋の詩ではないのは重々承知していますけど、私的に恋愛バージョンに拡大してみた りして(笑)。 奇麗事なんかいらないから、ずっと傍にいて欲しい…。 自分本位でワガママな、だけど純粋なその想い。 誰かを愛するってそんなものじゃないでしょうか? Dearest Wish ――― 切なる願い・心からの望み お気付きの方もいらっしゃると思いますが、タイトルは浜崎あゆみさんから。 タイトルは後付けだし、歌詞は下敷きにしていないので、一部嵌まってるのはホントにマジ で偶然です(苦笑)。 |