「はあ…ハア…ア…ぐ…うっ…。」 地面に叩き付けるように雨が激しく降り注ぐ。 ごうごうと、轟(とどろ)く雨音だけが世界を支配する。 時折光る雷の光が、静まり返った城内を青白く照らす。 重なりあう幾つもの死体は、もはや静寂を破ることはない。 どんなにその顔を苦痛と恐怖に彩ろうとも。 「ア…ハァ…ぐぅ…ごほっ!」 薄暗い地下牢の中、抗うかのように微かな音がする。 立っている者はひとり、横たわっている者はふたり。 「……あ…っ…。」 立っていた最後の男…悟能が、崩れ落ちるように座り込む。 無意識のうちに押さえたその腹からは、血が大量に流れ落ち シャツとズボンをその色に染めていく。 「…か…な…ん…。」 呼吸が困難なのか、ひゅうひゅうと喉を鳴らしながら 小さく姉の名を呟くと、虚ろな視線をゆっくりと牢の中に 横たわる死体へと向ける。 「か…なん…どう…して…?」 どうして死んでしまったのだろう。 たったひとりで、僕をここに残したまま。 「かな…ん…。」 呪文のように、ただひとつの大切な名を呟く。 何があっても、彼女だけは守るつもりだった。 そう、例え何を犠牲にしても。 それなのに…それなのにどうして彼女はひとりで逝って しまったのだろうか…。 自ら死を選ぶくらいに辛かったのなら、どうして自分も 連れていってはくれなかったのだろうか。 どうして? 何故、なぜ…? 『死ぬまで一緒にいようね。』 そう言って笑ったのは彼女だ。 『ううん、やっぱり死ぬ時も一緒の方がいいな。』 同じ日、同じ時間、同じ瞬間に命を授かった双子なのだから 死ぬ時も二人同じなのだと、漠然と信じていた。 愛していた。 誰よりも一番、大切で。 それなのに…。 どうして…僕は…ここで…ひとり生きているのだろう? まとまらない思考は、ただぐるぐると頭の中を空回り し続けるだけだ。 体の芯まで凍えるような寒さに、己が身を震わせる。 血を失い続ける体と、引き裂かれた精神(こころ)が 彼から命の温もりを奪っているのだ。 「いや…だ…。」 ここは嫌だ。 ここにいるのはもう耐えられない。 かすれた声で、悲鳴のように叫ぶ。 まるで、うち捨てられた子供のような顔と声で。 自分の中に出来た、暗い何もない空洞はじわじわと 広がっていく。 このままでは、闇に蝕まれてしまう。 彼女の…花喃のもとに行けなくなってしまう。 それが無性に怖くて。 それが酷く恐ろしくて。 追い立てられるように、よろめく体を動かし階段を登る。 ぽたぽたとひと足ごとに落ちる血には気付かない。 ただ、失ってしまった彼女のことだけでいっぱいなのだ。 転がる無数の死体の中を、足を引きずるようにして進む。 この城から、この場所から少しでも早く逃げ出したくて。 ずきり。 ふいに腹部が焼けつくような激痛をもたらす。 堪え難い痛みに、足をもつれらせ床に転がる。 苦痛に喘ぎながらも、必死で起き上がろうとした瞬間 驚愕に目を見開き顔を上げる。 「……っ…!」 目の前の大鏡に映っているのは、一匹の妖怪だ。 尖った耳、猫のような虹彩、戒めるかのような蔦の文様。 それでも見慣れた、自分の顔がそこにはあった。 「あ…そん…なっ…。」 そんな馬鹿な。 無意識のうちに、自分の顔を探るように伸ばした自分の手を見て、 ひゅっと音を立てて息を飲む。 そこにあるのは、妖怪特有の…鋭い…爪。 『千の妖怪の血を浴びた人間は、妖怪になれるそうですよ。』 見知らぬ男の声が、脳裏に響く。 「うそ…だ…。」 『聞かせてくださいよ、今の感想を。』 「やめ…。」 『愛する女を犯した、妖怪の仲間入りした気分は…!』 「う…あ……ああ。」 喉が裂けんばかりの絶叫は、雷の轟音にかき消される。 妖怪? 自分が妖怪? どうして人間の自分が妖怪に? 「た…たす…。」 助けて、花喃。 僕はどうなってしまったの? 気が狂いそうだ。 狂ってしまいたい。 でもまだ狂えない。 苦しい。 とっても苦しいんだ。 花喃。 花喃! 僕を連れていって! 置いていかないで! よろめいたはずみで、隣にあった戸棚にぶつかり 派手な音を立てながら共に倒れる。 引き出しの中のものが、廊下に散乱する。 そして何かが光を反射しながら、震えながら身を縮める 悟能の目の前に転がってきた。 「妖力…制御装置…。」 カフスの形をした制御装置に、おずおずと手を伸ばすと ゆっくりと左耳にはめる。 ひとつ…ふたつ…みっつ…。 三つ目の制御装置を装着しおえたとたん、鏡に映った姿が いつもの見慣れた姿に変わる。 それと共に、急速な脱力感が全身を襲う。 妖力を封じたせいで、体力が一気に落ちたのだ。 それでも少しだけ安心して、また無理やり歩き出す。 耳鳴りがする…。 雨? 雨が…うるさい。 それ以外は、もうなにも考えられない。 全身を叩き付ける雨すら感じない。 衣服に染み込んだ雨が体温を奪う。 流れる血の勢いを増す。 どこへ行こうとも思っていない。 ただ少しでも、あの場所から離れたくて。 「……!」 機械的に動かしていた足が、膝から崩れ落ちる。 ばしゃりと泥濘の中に倒れ込んでしまう。 もう、身を起こす力も残っていない。 眠れる…かなぁ。 眠ったら、死ぬんだろうな。 死んだら…花喃に会えるの…かな。 急速な失血で、意識がもうろうとし始める。 あと少しこのままでいれば、確実に死ねるだろう。 寒…い。 ゆっくりと目を閉じながら、小さく呟く。 やっと…安らいだ気持ちになる。 怒りも、憎しみも…悲しみも感じなくていい。 もう、なにも、いらない。 ぜんぶ…なくして…しまった…から。 疲れた…とても…。 ふいに、何かが体にあたる感覚を覚えた。 固いもの…靴の先…誰かが僕を蹴っている? 無意識のうちに開けた目に飛び込んできたのは 闇を切り裂くような…深紅。 鮮やかな、血の色。 僕を殺してくれるんだね。 それがただ嬉しくて、小さく微笑む。 視界が暗くなっていく。 ようやく眠れそうだ。 お願い…はやく…ここから…連れていって。 完全に気を失った悟能には、何に驚いたのか 茫然とした表情を浮かべたまま、自分を見下ろす 深紅の男の顔を見ることは出来なかった。 *END* |
最遊記、初書きです。 悟浄に道端で拾われたってことは、そこまでは歩いていったって いうことで、何故彼は城から出ていったのかなぁと思ったんです。 「殺してくれ」とか「死にたい」というのは、そういう意識を もたないと出来ないんじゃないかなぁ? そんな気力が、あの時にあったかどうかちょっと疑問だったので こう解釈してみました。 |