それはある日の朝の事だった。
朝とは言っても、限りなく昼に近い時間ではあったが、夜行性動物の悟浄に
してみれば、れっきとした朝なのだ。
 「ふっ…あ〜あ。」
いつになくさわやかな目覚めを満喫しながら、悟浄は大きな欠伸をひとつする。
それでもまだ少し残る眠気を払うように、首筋を揉みながらリビングに入ると、
そこにはにこやかな笑顔で迎えてくれる八戒がいた。
 「おはようございます。」
 「…ああ、おはよ〜。」
丁寧な朝の挨拶に返事を返せば、嬉しそうな瞳でふわりと八戒が微笑む。
窓から差し込む日差しに照らされたその姿は、一種の宗教画のようにさえ見える。
同居してから、気がつけば一年あまり。
見慣れた風景である筈なのに、不思議に当たり前のようには思えない。
ただ、今日はそれでも少し違ってはいるようだが。
 「…なにそれ。」
 「ああ、お弁当です。」
軽く眉をひそめ、訝しげな声で悟浄が尋ねると、八戒はさらりとそう答える。
食卓の上に置かれたバスケットは、その大きさのせいか異様なほどの存在感がある。
 「ふ〜ん、弁当、ねぇ。」
悟浄はまたひとつ欠伸をすると、顔を洗うべく洗面所に向かう。
その背中に、追いかけるようにして八戒の声がかかる。
 「あ、悟浄。僕ちょっと出かけてきますね。」
 「おう。」
振り向かずに、悟浄は軽く手を上げてそれに応える。
どこへ、とは尋ねない。
八戒もまた、どこへ行くとは言わない。
 「じゃあ行ってきます。夕方までには戻りますから。」
 「いってらっさ〜い。」
気のない声で送り出すと、悟浄は洗面台の鏡に映る自分の顔を眺める。
そして、顎に手を当て持ち上げると、ぽつぽつと生えたヒゲを確かめながら呟く。
 「…相当キてるな、ありゃあ。」
八戒がどこに、何をしにいったか大方の予想はつく。
    
ひとつ、最近しつこいくらいに八戒の勤め先に通っていた男がいること。
ふたつ、その男の雇い主がその筋では悪名高いこと。
みっつ、今朝の目覚めの良さと、八戒の笑顔の裏側にあったもの。
    
総合すれば、でる結論はひとつしかない。
 「…ま、気の毒なこって。」
まるでそう思ってはいない口調で、悟浄はにやりと笑う。
誰がどう気の毒なのか。
あえて言うまでもないだろう。
     
     
     
それから一時間後、八戒は寺院の前にいた。
 「あ、八戒だ!」
目ざとくその姿を見つけた悟空が、満面の笑顔を浮かべて走り寄ってくる。
全身で嬉しさを表現するその無邪気な姿に、思わず微笑みながら八戒は
悟空に尋ねる。
 「悟空、三蔵はいますか?」
 「うん。いるけど。」
素直に答えてから、ちょっと考え悟空は不思議そうな顔をする。
 「なに?三蔵になんか用なの?」
 「ええ。ちょっとお願いしたいことがありまして。」
 「ふ〜ん。」
案内してくれますか?と笑顔でお願いすると、悟空はにこぱっと笑って
大きく頷き、その腕をつかもうとする。
が、すぐに八戒の持っている大きなバスケットに目が止まってしまう。
 「…いい匂い…。」
 「あとで一緒に食べましょうね。」
 「うん!」
優しく微笑みながら八戒がそう言うと、悟空は本当に嬉しそうに笑った。
     
     
     
 「で、何の用だ。」
相変わらずの仏頂面で三蔵は八戒にそう言う。
彼を知らぬもの…いやこの寺院にいる僧侶達でさえ、その不機嫌な態度と鋭い視線に
ビビってしまうところだが、八戒はにこやかな笑顔を崩すことなく話を切り出す。
 「ちょっと困った事になりまして。」
 「ほう。」
あまり困ったようには聞こえない八戒の台詞と、書類に目を落としたままの
全く気のなさそうな三蔵の返事は、傍で聞いていても奇妙なやりとりとしか見えない。
 「いらないものを無理やり買わされたんで、返品に行こうかと思うんです。」
 「……。」
何が言いたいのかさっぱり解らないその返事に、三蔵はちらりと一瞬八戒に視線を
向けるが、すぐにまた書類に目を通し始める。
そんな三蔵の態度を全く気にせず、八戒はのほほんと言葉を続ける。
 「で、三蔵に一筆書いてもらおうと思って来たんです。」
 「…いいだろう。」
どうしてそういう話の展開になるのか、第三者からは理解しがたいものがあったが
彼らの間ではきちんと意志の疎通があったようだ。
三蔵にしては珍しくあっさりと承諾すると、手にした書類を机の上に投げ出す。
そして、筆と巻紙を取り出しながら三蔵は尋ねる。
 「そのデカい籃はなんだ。」
 「ああ、これですか。お弁当です。」
にこにこと八戒がそう告げると、それまで側で大人しくしていた悟空が嬉しそうに
大きな声をあげる。
 「うまそうな匂いがするんだ!八戒があとで一緒に食べようって!」
 「うるさい。猿は黙っていろ。」
興奮気味に騒ぐ悟空を鋭い視線と叱咤で再び黙らせると、少し嫌そうな顔で三蔵が言う。
 「で、ついでにここでレンタルをしていくのか。」
 「できればお願いしたいんですけど。」
駄目ですか?と視線で尋ねる八戒に、三蔵は小さく溜め息をつく。
 「勝手に持っていけ。」
 「ありがとうございます。」
嬉しそうに礼を言う八戒に、きょとんとした目で悟空が二人を交互に見る。
 「なあ、八戒、何を借りていくって?」
 「猿、お前だ。」
達筆な文字ですらすらと何かを書きつけながら、三蔵が答える。
悟空は金の瞳をますます大きく見開きながら、俺?と自分を指さす。
 「ええ。ちょっと一緒に行って欲しい所がありまして。」
そう言いながら、八戒は手にした大きなバスケットを軽く持ち上げて見せる。
 「それが片づいたら、これ一緒に食べましょう。」
 「うん!」
輝かんばかりの笑顔で、悟空が大きく頷く。
既にバスケットの中身の事しか考えていない様子の悟空に、三蔵は頭痛をこらえるかの
ように顔の右半面を手で押さえると、呆れた声で言う。
 「お前、何しに行くのか解っているのか?」
 「え?何しにって…。」
問われて悟空は、う〜んっと腕を組んで考え込む。
が、すぐに諦め、へへっと誤魔化し笑いを浮かべながら尋ねる。
 「何しにいくの?」
 「……バカ猿、だな。」
大きな溜め息と共に三蔵がそう言い捨てると、とたんに頬を膨らせ抗議しようと
悟空が口を開きかける。
が、不毛な言い争いをいち早く察した八戒が、それを遮るかのように悟空に告げる。
 「ジープがね、悪い人に攫われちゃったみたいなんです。」
 「へ?ジープが?」
あまりにもにこやかに言われて、一瞬その言葉を理解しかねた悟空だが、
すぐに驚いたように立ち上がる。
 「なっ!それって大変じゃん!」
 「だからね、一緒に取り返しに行きましょうね。」
 「解った!」
 「頼りにしてます、悟空。」
拳を握りしめて大きく頷く悟空と、あいかわらずのどかに微笑む八戒という
奇妙な取り合わせを目にして、三蔵は三度目の溜め息をそっとついた。
     
     
     
 「じゃ行ってくるね〜!」
 「お邪魔しました。」
手をぶんぶんと振りながら笑顔で出ていく悟空と、丁寧な礼を言って頭を下げた八戒が
共に退出すると、三蔵は仏頂面を崩さぬまま懐からマルボロを取り出し火をつける。
大きく吸い込み、ゆっくりと全部吐きだすと呟く。
 「さすがといえば…さすがか。」
悟空はどうやら解っていなかったようだが、八戒が心の底から怒っているのは確かだ。
心の頂点での怒りは瞬間的なものだから、たまった感情を吐きだせばすぐに納まる。
だが、それが底の方から掬い上げるような怒りだった場合、なかなか静まる事はない。
普通の人間でさえそうなのだ。まして、それが八戒ともなれば…。
全ての逃げ口を完全に遮断し、じわじわと蛇のように絞め殺すに違いない。
その証拠に悟空を動かす為に餌を用意し、止めの一撃として自分に一筆かかせたのだ。
今の八戒を止められる奴がいるのなら、その顔を拝んでみたいとさえ思う。
 「ま、俺ならあいつだけは敵に回さないがな。」
そうひとりごちる三蔵の口許は、誰に対してか少し嗤いで歪んでいるようにも見えた。
     
     
     
 「ああ、ここみたいですね。」
 「でっけ〜家。」
大きな屋敷を取り囲む、これまた大きな門の前で八戒が確認するように言うと
悟空が、物珍しげに中を覗き込もうとする。
 「なんだ、貴様らは。」
門番らしき黒服の男が、うさん臭げに八戒と悟空をにらみ付ける。
 「なんだと言われましても…。」
 「ジープ、返してもらうんだよなっ!」
にこにこと笑みを浮かべる青年と、これまた嬉しそうに言う少年という組み合わせは
やはり緊迫感を感じさせない。
ましてや、青年の手にした大きなバスケットを見れば、どう考えてもここら辺の木陰で
ピクニックでもしにきたのかとしか思えない。
 「何を返してもらうだぁ?」
 「ええ、ジープ…ああ、僕のペットの白竜なんですけどね。どうやらこちらに
  無理やり連れて来られちゃったみたいで。」
 「だから、さっさと返せよ。俺、早く弁当食べたいんだからさ。」
二人の口調と態度はさておき、ここに来た内容だけはきちんと納得した男は、ふんと
あざ笑うように大きく鼻を鳴らす。
自分の雇い主であるこの屋敷の主が、有名なコレクターだという事は知っている。
有名、というよりむしろ悪名の方が高いが。
なにしろ、気に入ったものはどんな汚い手を使ってでも自分のものにするのだ。
そのせいで大勢の人間が、涙を飲んでいる事も知ってはいるが、そんな事は彼にとって
どうでもいい事だ。
大方目の前のこの二人がここに来たのも、その言葉通り大切な自分のペットとやらを
返してくれと懇願しに来たのだろう。
そして、自分がここでするべき仕事は、そうやって来た諦めの悪い連中を多少手荒な
方法であっても追い返す事だ。
改めて、門番は見定めるような視線を二人に向ける。
    
ひとりはひょろりとした線の細い、二十歳前後の男。
もうひとりは、十四か五の見た目どおりの餓鬼。
   
 ――まあ、楽勝だな。――
一通り二人を値踏みしたあと、門番は心の中でそうほくそ笑む。
とりあえずまずは言葉で恫喝し、それでもぐずぐず言うようなら暴力で排除する。
いつものようにそう段取りを決めた門番は、居丈高な態度で声を荒げる。
 「帰れ帰れ!お前らみたいな奴等に用はない!」
腹の奥から出した声は大きく低く、充分に相手をビビらせるものだった。
子供なら、確実に泣き出していただろう。
そう、それは彼らがごく普通の一般人ならばの話だったが。
 「うっせ〜なぁ。」
 「そちらに用はないでしょうけど、僕にはあるんですよね。」
大きな声出さなくても聞こえるぞ、と言いたげに片目を閉じ耳をほじる少年と、
相変わらずにこやかな笑みを浮かべたままの青年。
 ――……こいつら、頭おかしいんじゃネエのか?――
一瞬、何か危機感に似たヤバいものを背中で感じたが、目で見える情報と己の力を
過信している門番はそれを振り払うかのように再び言葉で脅す。
 「帰らねぇなら、実力行使ってやつ、味わうか?」
 「…って言ってるけど。どうする?」
 「実力行使、ですか。…仕方ないですねぇ。」
尋ねるように悟空は八戒に視線を向け、八戒はといえばふう、と溜め息をつく。
 「僕としては、穏便に済ませたかったんですけどねぇ。」
 「はぁ?」
思ってもみなかったその言葉に思わず男は聞き返すが、八戒はそれをきれいに無視して
悟空に向かってこう言った。
 「僕、このバスケットをそこの木の陰に置いてきますから、
  悟空はその門、壊しちゃってください。」
 「は〜い!」
よい子のお返事をして、悟空が如意棒を取り出した。
数秒後、巨大な門と共に仲良く吹っ飛ぶひとりの門番の姿があった。
    
    
     
 「なんだ、なんだ!」
 「侵入者か!」
地面を揺るがすような破壊音に驚いたのか、屋敷の中や庭のあちこちからわらわらと
男達が飛び出してくる。ざっとその数は数十人、というところか。
いずれの男も、ガードマンというよりも、どちらかといえば用心棒、それも質の悪い
部類に入る顔つきだ。人間と妖怪が半々で混じりあっている。
そして、彼らの手にはそれぞれ武器があった。
 「…う〜ん、やっぱりお約束…ですかね。」
 「お約束って?」
苦笑交じりに呟く八戒の言葉を聞きとがめた悟空が、きょとんとした顔で尋ねる。
 「そうですね、この場合だと、ありがちなっていうか…
  よくあるパターンだなと言ったら、解りやすいかな?」
 「うん、なんとなくだけど解る。」
 「そうですか。」
先生と生徒といった感じの、一見のどかでほほ笑ましいともいえる二人の光景だが、
ただ、この殺気立った男達が押し寄せる場所にはさすがに浮くだけだ。
 「さて、悟空。」
 「なに?」
 「この人たち…任せてもいいですか?」
 「いいけど、八戒は?」
悟空はあっさりと引き受けるが、当然とも言える質問を投げ掛ける。
 「僕は、ここのご主人にジープを返してくれって言いに行ってきます。」
 「そっか。」
よく考えれば不公平な役割のような気もするが、悟空にはそこまで頭が廻らないらしい。
ただ、面倒な交渉事よりは単純な肉体労働の方が自分には向いている、と本能で判断した
のかもしれないが。
 「じゃ、お願いしますね。」
襲いかかってきた男数人を、あっさりとかわすと八戒は悟空に向かって微笑む。
悟空はといえば、既に喜々として如意棒を振り回し始めている。
 「あ、そうだ悟空。」
数歩進んだ八戒は、ふと足を止めて悟空の名を呼ぶ。
 「なに!?」
 「殺さない程度にしておいてくださいね。あとが面倒ですから。」
 「解った!」
のほほんとした表情のままで口にする内容ではない筈だ、と思えるだけの余裕があった
男達は一体何人いただろうか。さだかではない。
    
    
     
 「やっぱり悟空を連れてきて正解でしたね。」
ゆっくりと屋敷の中を歩きながら、八戒は呟く。
中庭では、男達の怒声と悲鳴がにぎやかに響き渡っている。
お世辞にも美しいとは言えない合唱だ。
時折、元気な悟空のかけ声もそれに混じって聞こえてくる。
派手に悟空が暴れてくれているお陰で、屋敷の中は無人に近い。
 「お弁当、あれで足りますかね。」
足りないようなら、夕飯で補うようにしましょうか。
 「それはそうとして、どこから探しましょうか。」
少し困ったように八戒は呟く。
館の主というからには、一番立派な部屋にいるのだろう。
ひとつひとつ開けてみるのが確実かも知れないが、なにぶん部屋数が多すぎる。
そんな事を考えながら階段をのぼりきると、騒動を聞きつけたらしい男がひとり慌てて
部屋から出てくるのが見えた。
が、八戒の顔を見るなり青ざめ、方向転換して逃げようとする。
その男には見覚えがあった。珍しい生き物であるジープをぜひ売ってくれと、しつこい
くらいに自分にまとわりついてきた、屋敷の主人の代理人であり交渉役と名乗る男だ。
もちろん、ジープを手放す気などない八戒は慇懃無礼な態度で断り続けた。
とうとう業を煮やしたこの男は、数人のいかつい男を連れて八戒を脅しにきたのだが、
いい加減ストレスを感じていた八戒に、あっさりと返り討ちにあってしまった。
その際に、しっかりと「お断り」を入れておいた筈だったのだが。
 「ああ、これはいいところに。」
にっこりと微笑みながら、八戒は素早くその男の襟首を掴むとひょいと引き戻す。
じたばたと両手両足を振り回し、八戒の腕から必死で逃げようとするが、どうにも
ならないと悟ると、ぶるぶる震えながら哀願する。
 「わ、わたしは、わた、わたしはなにもっ!」
 「知らない、とおっしゃるんですか?」
さらに笑みを深くしながら、八戒が男の代わりに答える。
すると、男は今にも泣きそうな顔で大きくぶんぶんと頭を上下に振る。
余程八戒の例の「お断り」が怖かったのだろう。顔色は青を通り越して真っ白だ。
 「まあ、いいでしょう。」
大の男の脅えぶりに、さすがに少し哀れに思ったのか八戒がそう言うと、はっきりと
解る程の安堵の表情を浮かべる。
 「じゃあ、この館のご主人のもとに案内してくれますね?」
有無を言わさない八戒のその口調に、ただ男は頷くしかなかった。
    
    
     
 「こんにちは。」
部屋の扉をノックと共に開くと、にっこりと笑いながら挨拶する八戒に、屋敷の主は
ただ口を金魚のようにぱくぱくと開閉している。
先程からの庭先の騒ぎは、かすかだがこの部屋にも届いていた。
どこかの馬鹿が、また性懲りもなく懇願に来たか、あるいは殴り込みにでもきたのだろう
と思った主は、それ以上外の様子など気にも留めていなかった。
どうせ数分で、またいつもの静けさが戻ってくる。
そう信じきっていた主の前に、まったく無傷の見知らぬ男が現れたのだ。
その驚愕がどれほど大きかったのかは、めまぐるしく変化する主の顔を見れば解る。
 「ええと、初めましての方が正しいかな。この場合だと。」
少し考え込む八戒に対し、ようやく我に返った主が口を開く。
 「な、なんだお前は。何の用だ。」
 「ああ、ジープ…いえ白竜を返してもらいに来ました。」
思い出したように、ぽんと手を打つと八戒はにこやかにそう告げる。
 「白竜だと?あれは儂のものだ。儂が正式に買い取ったんだからな。」
八戒のおだやかな態度と細身である体つきを見て、なんとでもなると思ったのだろう。
侮った主はそう傲然と言い放つ。
 「僕はあの子…ジープを売った覚えはありませんし、
  無理やりさらっていったこの状態を正式とは普通言いませんよ。」
主の態度と口調に少しむっとした八戒は、やや鋭い口調でそう言った。
八戒のその視線に一瞬ひるんだが、すぐに主は不遜な態度を取り戻す。
 「ふん、第一その白竜とやらがお前のものだという証拠がどこにある?」
 「そうくると思ったので、ちゃんと用意してきました。」
予想通りの問い掛けに、苦笑を浮かべながら八戒は懐の中の書状をとりだす。
そう、今朝方三蔵に書いてもらったばかりの例のものである。
 「なんだ、それは。」
 「まあまあ、目を通してもらえませんか?」
笑顔の八戒の、無言の圧力に負けた主はしぶしぶその書状を手にし読み始める。
とたん、主の顔色が変わった。
     
曰く、白竜は宝具であり、寺院の所有物であること。
曰く、一時的に八戒にそれを預けてあること。
曰く、それを第三者が侵す場合は、寺側にもそれ相応の準備があること。
     
決定打として、書状には最高僧である三蔵法師の印が押されている、
つまりは白竜をこの男に返さなければ、桃源郷全土の寺院を敵に回すことになるのだ。
確かに寺院にいるのは僧侶なので、さすがに暴力に訴える事はないだろう。
ただ、一切の宗教的行事から切り離されてしまう。
つまりは一族もろとも死んでも葬式もあげてもらえないし、供養もしてもらえないという
事になる。
それはイコール、死ねば地獄直行便という事だ。
金持ちに多い、迷信深い傾向はこの主にもしっかりあてはまったらしい。
顔面蒼白になり、足下が小刻みに震えている。
 「わ、儂は知らん。白竜とかいう生き物なぞ見たこともない。」
それでもなおジープを手放しがたいのか、今更といういい訳でこの場を逃れようとする。
 「そうですか?でも言っておきますが、僕ってあんまり気が長くないんですよね。」
そう言いながら、八戒は壁際にあった大きな彫像に視線を向ける。
つられて主もそれを見る。
 「だから、ぷちっとキレてこういう事になるかも知れませんよ?」
 「いったい、何が…。」
言いたいのだ?と最後まで言えないうちに、主はこれ以上ないくらいに目を見開き、
へなへなとその場に腰を抜かして座り込んでしまった。
そこにあった筈の彫像が、一瞬のうちに蒸発してしまったからだ。
そう、跡形もなくきれいさっぱりと。
おそるおそる八戒に目を向ければ、その両手が微かに光を帯びている。
なにが起ったかは解らないが、どうなったかは嫌というほど理解できる。
 「ここまできれいに消えたら、もうお葬式をあげなくても済むかも知れません。
  だって死体がないですからね。蒸発したと思われるかもしれませんし。」
ああ、今の洒落じゃないですよぉ、とのほほんとにこやかに告げる八戒の言葉に、
笑って見せるだけの気力も余裕も、もはや残されてはいなかった。
    
    
     
 「八戒、終わった?」
 「ええ、ほら。」
塀の上に座り、暇そうに足をぶらつかせていた悟空が、屋敷の中から現れた八戒を
見つけると笑顔で走り寄る。
そんな悟空に八戒は上空を指さすと、ジープが滑るように飛んでくるのが見えた。
 「ジープ!無事だったんだな!」
 「きゅう!」
嬉しそうに伸ばした悟空のその腕にジープはそっと止まると、ぺろぺろと頬を舐める。
心配してくれたらしい悟空に対し、礼のつもりなのだろう。
 「くすぐったいって!」
 「きゅきゅ!」
じゃれあう一人と一匹の姿を、ほほ笑ましそうに眺めながら八戒が言う。
 「お腹空きました?悟空。」
 「うん、もうぺっこぺこ!」
予想通りの元気な答えに、くすくすと笑いながら八戒は空を見上げる。
 「ちょうどおやつの時間ですし、どこかよさそうな場所を見つけて食べましょう。」
 「やったあ!」
喜びのあまり万歳をしながら、悟空はバスケットのもとへと駆け出していく。
ジープはぱたぱたと飛びながら、自分の主人の定位置である肩に乗る。
その華奢な首筋をゆっくり撫でながら、八戒もまた歩き出した。
    
    
     
 「ところでさ、八戒。」
 「なんですか?」
両手にサンドイッチを持ち、幸せそうに頬張る悟空が、ふと何かを思い出したように
八戒に尋ねる。
 「なんか返すんだったんだろ?何返したの?」
 「ああ、その事ですか。」
隣に座るジープの為にウサギリンゴをひとつとって与えると、八戒は水筒のお茶を
ゆっくりと口に含んでから答える。
 「返しにきたのはケンカです。必要ありませんから。」
 「…ふ〜ん。」
のほほんとした口調の八戒に、悟空は生返事をしながら考える。
  ――ケンカって、ヘンピンできるもんなのかな?――
売られたケンカはもれなく買う悟空には、よく解らなかった。
まあ、いっか。
サンドイッチも唐揚げも、卵焼きもおにぎりも、全部オイシイから。
 「これすっげえうめえよ、八戒!」
 「きゅ!」
悟空が満面の笑顔でそう告げると、ジープも賛同するように鳴く。
 「喜んでもらえて、嬉しいです。」
くすくすと嬉しそうに八戒が微笑みながら礼を言う。
     
     
のどかすぎるほど、のんびりした光景のふたりと一匹から少し離れた屋敷の中庭には、
ぼろぼろになったムサい男達が山のように積み上げられていた。
     
     
     
     
*END*
     





大きなバスケットを持って八戒と悟空が仲良く殴り込みに行く、というシーンが
浮かんだので書いてみました。
いやぁ楽しかった。ひさびさのコメディだし。
頭の中で台詞をアテレコしながら書いたのですが、雰囲気でてるかしら?
三蔵も悟浄も、もちろん八戒や悟空も彼ららしい雰囲気が出てるといいなぁ。
しかし八戒の場合、激怒しながらも計算ずくで動くと思うんですよね。
餌付け用のお弁当作って、一筆書いてもらって。着々と殴り込みの準備をする八戒。
その間、確実に怒りゲージがたまっていってるんだろうなぁ。ああこわ。(-.-;)
やっぱり、彼は敵に回したくないナンバー1だと思います。


【BACK】