チチチチ…と甲高いさえずりを残しながら、慌てたように小鳥が数羽空を駆け抜けて いくのが見える。 昼休憩とばかりに、皆食事の後周辺に適当に散らばっていった。 悟浄はといえば、する事もなく斜面の草むらの上にごろりと横になり、頭上に広がる青 空を見ながら煙草を吸っていた。 「のどかだねぇ…。」 煙草の煙と共に、半分呆れ、残り半分で感心したようにぽつり吐きだす。 抜けるような青空 どこまでも広がる草原 高く響く小鳥のさえずり 時折吹きつけるそよ風 緊張感のかけらもない、ただ眠気を誘うのみであるこんなのんびりとした空間にいると 今桃源郷全体を蝕みつつある異変など、嘘だったかのような気がしてくる。 ふわあ…と大きな欠伸ひとつすると、かさりと草を踏み分けながら頭の上の方から誰か が歩みよってくる足音が聞こえてくる。 「寝煙草は危ないですよ。」 その足音は悟浄のすぐ隣で音を立てるのを止めたかと思うと、代わりにすっかり耳に馴 染んだ声が窘めるような響きでそう言う。 「ん〜?」 声の主に視線を向けることなく、気のない返事でそう声をあげれば、苦笑を浮かべなが ら八戒が彼の隣に腰を下ろした。 「森林火災の元です。」 そう言いながら八戒は悟浄の口から煙草をとりあげ、妙に慣れた手つきで自分の口に運 ぶと一息吸う。 そして、ふう…と煙を吐き出しながら少し顔をしかめる。 「こんなきつい煙草吸ってて、よく味覚がおかしくなりませんね。」 「文句があるなら返せ、俺の煙草。」 いくら火災の原因になるからとはいえ、勝手に取っておいてその言い草はないだろうと 言う目つきで、悟浄が顔をしかめながら肘から上だけを起こして返却の催促をする。 「いいじゃないですか。一本くらい。」 「残り少ないの。次の町まで大事に吸わないといけないの。」 ふらふらと煙草を求めて彷徨うその手から逃れるようにして八戒がそう言えば、悟浄は 語尾を強調するようにして主張する。 「はいはい、返しますよ。」 まるで駄々をこねる子供のような口調と手の動きに、呆れたように八戒は口に銜えた煙 草をもう一息だけ吸うと、そのまま悟浄の口にまた銜えさせてやる。 戻ってきた煙草を満足そうにふかし始める悟浄に、しょうがないなぁと言った笑みを軽 くうかべて、八戒は空を見上げる。 「いい天気ですねぇ。」 「ほんと、こう暇だと眠くなっちゃうぜ。」 「あはは。最近敵さんも来なくなりましたからねぇ。」 本当に退屈だと言わんばかりの悟浄の口調に、八戒はおかしそうに笑う。 まるで遊び相手が来なくなって寂しい子供の言い訳に聞こえなくもないが、実際のとこ ろは命のやりとり…文字通り殺し合いだ。 それでもそんな日常が、まるで人事のように思えてくるようなのどかな光景が目の前に 広がっているのもまた事実で。 何が日常で、どこからが非日常なのか、境界線がぼやけてくる。 「ねみ〜。」 そんな八戒の、内側へと埋没していくような思考とは全く関係なしに、隣でふあああ… と悟浄が大きな欠伸をひとつこぼす。 「緊迫感ないですねぇ。」 「ど〜やって持てっつ〜の。ここで。」 大きすぎた欠伸のせいで、目尻にかすかに涙を溜めながら言い返す悟浄の顔が、妙に子 供っぽくみえてくる。 なんだが深く考えているのが馬鹿馬鹿しくなってしまい、ひとつくすと小さく笑うと思 考の残滓を振り払うようにして八戒は空へと視線を向ける。 笑われて少し剥れた顔つきのまま、悟浄も同じように振り仰ぐ。 そして眠気を飛ばそうとするかのように、ひと息深く煙草を吸うと空に向かってふうっ と勢いよく煙を吐きかける。 煙草特有の少し濁った白い煙が、青空に映える。 たちまちのうちにその空に吸い込まれていく煙を、ただ八戒は黙ってながめる。 白と、青と、紅。 どこかの国の国旗のようだと思いながらも、そんな鮮やかなコントラストは互いに混じ る事無く、しかし弾きあうのではなく独立した個のような存在として、今自分の隣にあ るのだと思えば、なんとなく面白くなってくる。 色が生きている。生きている色。 言葉にすれば滑稽だけれども、鮮やかで力強い紅の色は、命の色そのもので。 ふいに触れたくなり、八戒は草むらに無造作に散らばる悟浄の髪を一房指にからめる。 「なに?」 「いえ…好きだなぁって思って…。」 自分のその髪を、とても嬉しそうに見つめる八戒の微笑みと何気ないその言葉に、悟浄 は一瞬言葉を失う。 まるで大切な宝物でも扱うかのような無邪気な微笑みに、何故か悟浄の方が妙に照れて 気恥ずかしくなってしまう。 「好きって俺の髪だけ?」 「さあどうでしょう。」 それでも少し拗ねたような態度を崩さないようにしてそう問えば、あっさりと笑顔つき で八戒にかわされてしまう。 「可愛くねえなぁ…。」 「可愛くないんです、僕。」 ふたたびごろりと転がり、悟浄は空へと視線を向ける。 ほかほかと照りつける日差しが心地よいが、少し眩しい。 「さて、俺達どこに行くんだろうねぇ。」 「とりあえず牛魔王を倒しに天竺へ…ですけどね。」 あまりにものんびりとした空気に、悟浄が何気なくそう呟けば、隣りで小さく八戒が笑 いながらそう答える。 「だいぶ天竺まで近づきましたよ。あと三分の一ってところです。」 「ふ〜ん。」 具体的な数字を出して説明するが、悟浄からはいかにも興味無いといった返事が返って くるだけだった。 「で、その先は?」 「…そうですねぇ…どうしましょう?」 悟浄のそんな問い掛けに、一瞬八戒は虚を突かれたように瞬きをすると、ゆっくりと首 を傾げながら考え込む。 ゲームでもおとぎ話でもない限り、天竺へ赴き牛魔王の蘇生実験を阻止してそれで全て 終わりという訳ではない。 しかし、今この穏やかな時間とは対照的に、旅の行く手を阻む刺客の強さもまた徐々に 増していくのもまた事実で。 敵を侮る気も、もちろん負ける気もさらさらないが、確実に生きて帰れる保証もない。 それでも、この旅の終わりにある次の未来を想像するのは楽しかった。 「あのオンボロな我が家にでも帰る?」 冗談めかした口調ではあるが、それはまた一緒に暮らそうと言ってくれている事は充分 に伝わってくる。 ふわり…と八戒は本当に嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべる。 しかしそんな台詞に対し、素直に「はい」と言うのもなんだか気恥ずかしくて悔しくて 肯定ではない肯定で言葉を返す。 「それもいいですけど、また旅に出るのも楽しそうですよ。」 「え〜?またクソボーズと腹減り猿引き連れてか?」 にっこりと笑顔を浮かべてそう言う八戒に、悟浄は本当に嫌そうな顔をする。 あまりにも露骨な態度に、思わず笑い出しながら八戒は言葉をつなぐ。 「う〜ん、僕としてはあなたと二人旅も捨てがたいかなと思ってるんですが。」 「おっ、いいねぇ。」 八戒の提案に、悟浄が破顔する。 目的もない、ただ純粋に楽しむだけの旅。 どこに行っても何を見ても、二人でならそれはきっといつでも楽しいに違いない。 この生きる命の色を身に纏った男と一緒なら。 「まあその為にはまず…。」 「この旅を無事に終わらせること、ですね。」 そう言いながら、二人して苦笑いを浮かべる。 広がる未来を想像しながら語るのは楽しいが、その為にはこの立ちはだかる今現在をど うにかクリアしなければならないのもまた事実で。 「あ〜かったりぃ〜。」 「あはは…。」 あ〜ヤダねぇと言わばかりに、悟浄はごろりと草の上に手足を投げ出す。 そんな悟浄に同調するような乾いた笑いを漏らしながら、八戒も座り直す。 ふいにさあと風が吹きつけ、木々の葉や生い茂る草花を揺らしながら二人へと向かう。 心地よい風ではあるが、煙草を吸うには少し強めで。 灰が自分の顔を直撃する前に、悟浄は地面に煙草を押し付け火を消す。 ふと何気なく隣に視線を向ければ、吹きつける風に髪を梳かれ、気持ちよさそうに目を 閉じる八戒の横顔が見える。 ──キス、してえな…── 自然な笑みをうっすらと浮かべたその口許に、悟浄はゆっくりと身を起こすと自分の心 に忠実に従い顔を近づける。 しかし、吐息がその頬に触れるか触れないかまでに近づいたとたん、悟浄の顔は八戒の 手で軽く押し戻される。 「…キスくらいさせて欲しいなぁ俺。」 「こんなオープンな場所じゃヤです。」 暗に、オープンでなければいくらでも構わないというニュアンスは、当然悟浄にも伝わ ってはいるが、今この場でこの勢いで軽いキスのひとつでもしてしまいたい彼としては 少し面白くない。 「ケチ。」 「なんとでも。」 お菓子を取り上げられた子供のような拗ね方に、一瞬可愛いと思ってしまった八戒は、 自分の脳の腐れ具合に軽く目まいを覚えながらも断固拒否をする。 そう、冗談ではない。 たかが軽いキスひとつと悟浄は思うのかもしれないが、される八戒にとっては大きな問 題なのだ。 ここ数日、野宿が続くせいでまともに触れ合っていない。 悟浄ほどではないが、八戒にも当然性欲はある。 そんなところに中途半端にキスなどされてしまえば、悟浄を与えられるまでこの先じり じりと熾火の上で炙られ続ける事になるのは明白だ。 刺客のせいで予定はいつでも狂いがちになるこの先、焦がれ過ぎて狂いそうになるのは ごめんこうむりたい。 「…じゃあ選択肢あげます。ここでキスして当分お預けをくらうというのと、 ここで我慢したご褒美に次の宿では濃厚な夜をプレゼント、では?」 にっこり笑顔でそう提案され、悟浄はその内容の素晴らしさに拗ねるのを忘れてその顔 反射的に見つめてしまう。 一瞬、聞き違いかと思ったが、艶然とした笑みが今の発言を肯定している。 二者選択の名を借りてはいたが、もちろん選択する方は瞬時に決定していた。 「キス、ガマンします。」 「ではそういう事で。」 にんまりと笑って悟浄は期待通りの答えを出す。 その彼の背後に、あるならきっとはたはたと振り千切れんばかりだろう尻尾が見えるよ うで、八戒は苦笑してしまう。 「あ〜あ、はやく次の宿につかねえかなぁ。」 「あはは…。」 しみじみと心の底からそう呟きながら、悟浄は口寂しさを誤魔化そうと煙草の箱を懐か ら取りだし、とんっと底を叩く。 しかし、銜えようとしたその口許から八戒はまたもそれを取り上げる。 今度こそ、森林保護のスローガンでも聞かされるのか、と一瞬身構えた悟浄の予想とは 裏腹に、八戒はその煙草を唇に挟みながら言う。 「火ください。」 「ん。」 珍しい事もあるもんだと思いながら、素直に悟浄は手を差し出しライターに火を灯す。 軽くふかして煙草の先を赤く燃やすと、八戒はその煙草を悟浄の唇に差し入れる。 「はい。」 「……ど〜も。」 八戒のその行動の意図が解らず、頭の上に疑問符を浮かべながらも一応礼を述べれば、 立ち上がりながら八戒が意味あり気な笑みを浮かべて言う。 「次の宿までそれで我慢して下さいね。」 先にジープに戻ってますからと言い残し、去っていく足音を聞きながら悟浄は納得した という表情を浮かべて呟く。 「間接キス…ってことね。」 そしてその口許にゆっくりと苦笑いを浮かべながら、悟浄は両手を枕にするように頭の 後ろで交差する。 「なんだかなぁ。」 八戒の手のひらの上で、いいようにくるくると躍らされている気がするが、それが案外 不快でもない自分がいる。 悟浄は苦笑いを浮かべたまま、銜えた煙草を味わうように深く吸う。 ハイライト味のキスは、どこか苦くて甘かった。 *END* |
特に何という事もない、旅先でのちょっとした会話みたいなものを 書いてみたかった作品です。 こういう言葉のやりとりって好きなんですよね。 しかし、うちの八戒ってつくづく「攻め」だよなと書きながら思う 今日この頃。ただし、この場合の「攻め」って「かかあ天下」とい う奴なんだけどね。(汗) おかしいなぁ、薄幸美人さんはどこにいったんだろう? |