「…思ったより、すごいことになってますね。」 「もとからそんなに立派な家じゃなかったけどなぁ。」 家の中に入った八戒と悟浄が、カビ臭さに閉口しながらもその惨状にため息 をつきつつそんな感想を漏らす。 旅に出て、戻ってくるまでに約二年近く放置していた家の中は、クモの巣と 埃ですっかり白くなっていた。 「元通りにするまで、これは結構時間かかりますね。」 「というか、これってなんとかなるもんなのか?」 換気のために窓を開けながら八戒がそう言うと、埃よけに家具の上に掛けて あった布を指先ではじきながら悟浄がため息を漏らす。 床に積もった埃の層は、靴跡をくっきり刻むくらいには深い。 「…なんとかしないと、僕たち住めませんよ。」 「あーあ…ったくよぉ。」 ごもっともな八戒の意見に反論の余地はなく、悟浄はぼやきながら埃だらけ で息苦しい家から出ると煙草に火をつけ空を仰ぐ。 ふと、その視線がとある場所にとまる。 「なあ、八戒。」 「なんです?」 「あんなところに樹なんてあったっけ?」 「樹?」 問われて八戒も家の外に出てくると、悟浄が示す方向へ目を向ける。 そこには、ぽつんとほかの木々とは違う色の若木が生えていた。 枝には桃色の丸い実らしきものがいちめんになっている。 「…さあ、どうでしょう。」 軽く首をかしげて記憶をたどるが、すぐに八戒は思い出せないというように 首を横に振る。 なかった…ような気はするが、絶対とは言えない。 「まあ樹がどうの何ていちいち覚えてないか。」 すでにその事に興味を無くした悟浄が苦笑まじりにそう言うと、八戒も諦め たような笑みで頷く。 「とにかくさっさと掃除を始めましょう。 でないと今日は僕たち野宿になってしまいますよ。」 「うわ、それってすげえムナシクないか?」 「そう思うなら、そこのホウキとってください。」 「へーい。」 慌ただしく掃除を始めた二人の頭からは、すでに先程の樹のことはきれいに 消えてなくなっていた。 それから約一週間、新しく生活を始める為の準備で二人とも大忙しだった。 そのため、例の見知らぬ樹になっていた桃色の実が、日に日に大きく育って いる事に気付く余裕すらなかった。 そしてようやくひと段落ついたある朝。 久しぶりの惰眠を貪ろうとした悟浄は、八戒の悲鳴で叩き起こされた。 「な、なんだあ!?」 慌てて悟浄は飛び起きると、八戒の声がした外へ飛びだした。 が、八戒の驚愕の視線の先を見て、同じく絶句してしまう。 そこには…。 「…なあ、赤ん坊ってコウノトリが運んでくるもんだったよな?」 「僕は…キャベツの中に出来るって聞いた事ありますよ。」 白けた顔で悟浄は家の壁に肘をつき、前髪を乱暴にかき上げてそう言うと、 どういう表情を作ればいいのか見失ったらしい八戒が、ぼんやりとそれに答 えるように言う。 二十歳を過ぎた大の男二人が、かわすような内容の話ではないとは思うが、 目の前にあるこの現実を、どうしても受け止めたくないという気持ちからの ものだと充分解っているので互いにツッこめないのだ。 「で…これって俺が寝ぼけてるっていうのアリ?」 「…試しに頬をつねってあげましょうか。」 「エンリョしとく…。」 さらに現実逃避しかけた悟浄の言葉に、八戒はにこりと笑って言う。 力加減なしでつねり上げられそうで、悟浄は丁重に八戒の申し出を辞退しな がら目の前の光景に視線を向け、改めてため息をつく。 そこには、鈴なりの実をぶらさげた樹が一本あった。 ただの果実なら問題はない。 そう、問題なのは…。 高さ5メートルくらいの若木に実った果物は、すべて人間の赤子の姿をして いるという事だ。 「なんでまたこんなトコに人参果が生ってるんだぁ?」 「そういえば…前に埋めましたよね。あれ。」 脱力感に苛まれながら悟浄が髪をかき上げ言うと、八戒も大きくため息をつ きながらある事を思い出す。 以前三蔵から送られた人参果を、処分に困った二人は庭先に埋めたのだ。 だいたい人参果というのは宝果で、三千年に一度花開き、実が生るまでに さらに三千年、熟すまでにさらに三千年かかると聞いている。 それがなんでまた、こんな痩せた土地に埋めてからたかだか二年たらずで実 が熟すというのだろうか? 植物の生命の偉大さといえば聞こえはいいが、こんな所でこんな奇跡を示さ れたところでただの迷惑でしかない。 「なんてゆーか…凄絶な光景だよなぁ。」 「そうですね。」 「ハンギング・ツリーってカンジ?」 「百舌の早贄っていうのもありますよ。ちょっと数が多いけど。」 力なく悟浄がそう茶化せば、八戒は苦笑交じりにそう応える。 赤子だけがそれこそ何十人も吊し首にされた樹、というのもそうとうホラー な状態だが、百舌がひとりひとりご丁寧に全部樹に刺していったのだと考え たとしても、ただ背筋の寒さが増すだけだ。 現に、風に吹かれて枝にびっしり実った人参果が、ゆらーんゆらーんと一斉 に揺れるその様を、オカルトと言わずになんと表現できるだろうか。 「どうしましょうね…。」 「切り倒すか?」 とりあえず、一番妥当な方法を悟浄が提案すれば、八戒は少し困ったような 顔をして言う。 「…祟られそうな気がしませんか?」 「ちょっと、な。」 祟られる云々より、切り倒した後に起るだろう惨状の方が恐ろしい。 地面に叩き付けられた実がどうなるか、想像するのには難しくない。 実の果汁が赤い…かどうかまでは知らないが、二人の脳裏に浮かぶその光景 は、鮮血に染まった無数の赤子のバラバラ死体の海だ。 家の前がオカルトになる光景をとるか、スプラッタな光景をとるか。 嫌な二者択一でしかないが、とりあえず手間と労力と風景とを考えると今は 前者をとるしかない気がする。 ふたりで顔を合わせ、同時にため息をつく。 「…僕、三蔵に相談してきます。」 「頼むわ。」 八戒の提案に、悟浄は素直に同意するしかなかった。 その日のうちに八戒は三蔵のもとを訪れ、寺院側に何らかの処分をお願いし て、事は解決する筈…だった。 そう、事は簡単には解決しなかったのだ。 『処分』をお願いした筈の寺側はこの樹を寺の宝にしてしまい、保護する方 針に決めてしまった。 その上、一生に一度見れるか見れないか…というよりはっきりいえば普通は ない筈…の珍しい人参果の樹の噂はあっという間に町中に広がり、毎日のよ うに物見遊山で大勢の人間が押しかけ、あれよあれよのうちに彼らの家の前 は観光名所になってしまった。 それだけでもうんざりするのに、夜のホラースポットとしても有名…いや悪 名が高まり、肝試しにくるカップルなどの馬鹿者たちも後を絶たない。 また長寿をもたらすという件の果実を狙う泥棒も当然現れ、実を守ろうとす る寺の僧達との間で毎日毎晩、絶えることなく騒動が巻き起こる始末だ。 旅を無事終え、また依然のように静かに二人で暮らしていくつもりだった筈 の八戒も悟浄も、この連日の騒動に苛立ちと疲れと怒りのゲージを着実に溜 めていった。 「なあ八戒。あれ…切り倒していいか?」 プッツン寸前といった顔で、悟浄が煙草を乱暴に灰皿で押しつぶす。 その腕にはとばっちりを喰ったらしい傷がいくつかあり、八戒がそれを気孔 で癒していた。 あっさり倒すのなら簡単なのだが、殺さないようになるべく傷つけないよう に泥棒を捕らえる、というのは結構やっかいなのだ。 悟浄とて僧侶と泥棒の小競り合いなど放っておきたかったが、家の前で騒動 を起こされてしまえば、被害が家にまで及ばないうちにどうにかしてしまい たいと思うのは当然だ。 結果、作りたくもない傷を作ってしまうことになる。 「切り倒すより、良い方法思いついちゃいました。」 悟浄の傷が完治したのを確認した八戒が、そう言ってにっこりと微笑む。 その笑顔を見た悟浄の口の端が、僅かにひきつる。 目の前にいる八戒は、とてもきれいな笑顔を浮かべてはいる。 …目は少しも笑っていなかったが。 「僕にまかせてくれませんか?悟浄。」 椅子に座った悟浄の側で跪き、見上げながら小首を傾げてお願いをするその 姿は思わず可愛いと言ってしまいたくなる。 ただ、彼の全身から立ち昇る凄絶なオーラさえ感じなければ。 ――怒ってる。怒ってるぞぉ…知らねぇぞぉ…。―― 怒りの矛先が自分ではない事を知っている悟浄は、面白そうに八戒を観察し ながら、心の中で呟く。 そう、八戒は完全に怒りモードに入ってるのだ。 観光名所化したお陰でプライバシーが侵害されまくり、家事もままならない 上に、ひっきりなしに起る騒動でせっかくの悟浄との二人暮らしだというの に満足に話も出来ない。 昼どころか夜まで同じ調子で、おちおち眠ってもいられない。 その上、無関係の悟浄を巻き込んだあげくに負傷までさせられては。 八戒が怒らないほうがどうかしている。 …それもかなり根深く激しい状態で。 「んー?八戒に任せるから気がすむようにやってくれ。」 「はい。」 悟浄に任されて、嬉しそうに八戒は微笑んだ。 ――修羅の笑みで。―― 公務と称して一週間ほど寺を空けていた三蔵が戻ってくると、彼の部屋には 八戒が当然のような顔でいた。 「お帰りなさい、三蔵。」 「…ああ。」 にこにこと笑う八戒の笑顔の裏に何かを感じ、一瞬ひるみながらも三蔵は何 食わぬ顔で椅子に座る。 すると八戒は、計ったような絶妙なタイミングで三蔵の前に香りのよいお茶 と月餅を数個盛った皿を置く。 不機嫌そうな顔で、黙って三蔵は茶を一口すする。 「猿はどうした。」 「ああ、悟空でしたらさっき急いで遊びに出ましたよ。」 三蔵の問い掛けに、平然と八戒はそう答える。 ――あの馬鹿猿、逃げやがったな。―― 今のこの八戒を見るなり、慌てて逃げ出しただろう事は想像に難くない。 自分だって、出来るならそうしたいと思わなくもない。 少なくとも進んで関わりたくは…絶対ない。 そんな三蔵の心の葛藤など知らぬげに、八戒は相変わらず柔らかい微笑みを 絶やすことなく、ただ側に立っている。 一見、のどかな沈黙が二人の間に流れる。 彼らを知らなければ、の話だが。 「…何の用だ。」 沈黙と言う名の精神攻撃に音を上げた三蔵がそう切り出す。 わざわざ聞かなくても、八戒が何を言いに来たかは充分解ってはいる。 留守にしていたとはいえ、この一週間のだいたいのあらましは既に彼の耳に も入っているのだ。 「用がないと来てはいけないんですか?」 素直に答えないだろうと想像した通り、さらりと八戒にそう返されて三蔵が さらに不機嫌そうな顔になる。 八戒の地を這うような怒りは、当然三蔵にも伝わっている。 だが、それを解っていても素直に状況を緩和させようとは思わない。 誰かに何かを命令されるのも、強制されるのも極端に嫌う三蔵の性格所以で あったが、八戒もまたそれでひきさがるような相手ではない。 互いに口を利かなければ、また沈黙がやってくる。 数トンはあるだろう沈黙の重圧に、三蔵は積もる苛々を抑えるかのように、 側にあった月餅をひとつ掴み口に運ぶ。 「…味はいかがですか?」 二口、三口食べたところで、ふいに八戒が何気ない口調で問い掛けた。 とたん、三蔵の手がぴたりと止まる。 「その月餅、僕が作ったんですよ。なかなかの自信作なんですけど お味はいかがです?三蔵。」 にっこりと笑顔で重ねてそう問われ、素直に味の感想を言うほど八戒との つき合いは短くはない。 瞬時にその裏にからませた事柄に気付き、三蔵は反射的に口を押さえる。 「…まさかとは思うが…。」 「ええ、餡の中に混ぜました。」 何でもない事のように、八戒は笑顔で言う。 三蔵の手にある月餅の餡の中には、何か果実のようなつぶがあった。 それが何の果実か。言うまでもないだろう。 「結構手間だったんですよ。鍋で丸ごと砂糖で煮詰めること二時間、 焦がさないようにずっとつきっきりでしたし。でもでき上がった頃には きれいな飴色になってくれましたけどね。」 にこにこ笑顔でこと細かく調理の手順と状況を説明すれば、否が応でもその 光景は三蔵の脳裏に浮かんでくる。 ……薄暗いあの台所の銅鍋の中で、ことことと煮詰められる赤子が。 それを楽しそうに鼻歌を謡いながら時折箸で転がす八戒の姿も、全身飴色に 変色していく赤子の姿も。 「ああ、それから餡に混ぜるのに細かくするのも大変でしたよ。 赤ん坊の形してるから切りにくくって。まず手足と頭を切り離してから 別々に刻んだんですよ。」 ちょっとすごい光景でしょ?とにこやかに八戒がまたこれも詳しくその時の 状況を説明する。 ――ちょっと…なもんか。―― と三蔵は心の中で盛大に毒づきつつも、想像したくもないのにどうしても スプラッタなその光景を想像してしまう。 そんな自分が嫌だったが、こればかりはもうどうしようもない。 「だって、長寿をもたらしてくれるんでしょ?あの実。 僕、三蔵には長生きしてほしいですし。」 満面の笑顔でいかにも気遣っていますという口調で、八戒がそう言う。 それに対し、三蔵の背筋がどんどん寒くなっていく。 ――まずい。これは絶対にまずい。―― 八戒の怒った時の執念深さを、知らなかった訳ではない。 ただ自分自身に向けられた事がなかった為、それが具体的な実感となってい なかっただけなのだ。 「もともとあの実を送っくれたのは三蔵ですからね。 やっぱりちゃんとお礼はしないと。」 『お礼』じゃなく『お礼参り』の間違いだろう、と心の底から三蔵は言いた かったが、口で八戒に勝てる筈はない事は骨身に染みて知っている。 「また何か作ってきますね。今度は料理にアレンジしましょうか。」 そんな三蔵の心境など完全に見抜いている八戒は、にこにこと笑いながら トドメの一撃を刺す。 このまま事態を放っておけば、確実に八戒ならやる。 現に、こうやって嫌がらせと脅しの為だけに、あの赤児型の果実を調理して のけた人物なのだから。 「三蔵様が食べやすいように料理にしてみました。」 とでも例の得意の笑顔でほざけば、愚かで単純な僧侶達は感動して協力すら 申し出るに違いない。 傍から聞けば、純粋な好意にしかみえない行動だ。 事実やってることはその通りなので、疑う余地などどこにもない。 これほど完璧で確実、安全でなおかつ悪意に満ちた嫌がらせがどこにあると いうのだろうか。 さすがの三蔵も、三度の食事の中にこんな赤子の惨殺死体なぞ混ぜられては たまったものではない。 凍りついたままの三蔵は何も言い返せなかった。 「さすがとゆーか、なんとゆーか。」 新居のソファに足を投げ出して座った悟浄は、あきれ顔でそう呟くとぷかり と煙草をふかす。 それから数日のうちに、寺院は悟浄の家と土地を破格の値段で買い取った。 新しい家も準備してもらい、さらに引っ越し代や新しい家具の代金も全額寺 院側に出させた。 もちろん迷惑料は別にちゃんと出させた事は言うまでもない。 「老後の備えに、お金は蓄えておかないと。」 「老後…ねぇ。」 にっこりと微笑みを浮かべた八戒がそう言いながらコーヒーを差し出すと、 悟浄はそれを受け取り口に運ぶ。 三蔵も気の毒に、とほんの一瞬だけ同情したが、原因を作ったのも彼なのだ から自業自得と言えないこともない。 「ところで、あれマジに菓子に入れたのか?」 「ええ、入れました。僕嘘は言いませんから。」 ふと思い出した悟浄が尋ねれば、すまし顔で八戒はそう答えて、コーヒーを ひと口こくりと飲む。 「よくやったなぁ…。」 「平気でしたよ。別に赤ん坊の形してなかったですし。」 なんとも言えない顔で悟浄がため息交じりに言えば、八戒はまた笑みと共に さらりとそう答える。 「同じ樹の実でも、必ずひとつやふたつ形の悪いのってあるんですよね。 僕が使ったのも丸いだけの実でしたから。」 「…なるほどね…。」 短くそれだけの感想を漏らすと、悟浄はあえて口をつぐむ。 それ以上言うと、自分の方が怖くなりそうだったからだ。 例え形が丸かろうが四角だろうが、あれを料理するという事が怖いと思う。 ただそれ以上に怖いのは、それを思いつき、あのたくさんの実の中から目的 のものを探し出した八戒の執念深さだ。 それも嫌がらせと脅しの為だけに。 ――こいつだけは、絶対マジで怒らせないようにしよう…。―― 心の奥深くにこの出来事を最大の教訓と刻み込みながら、悟浄は冷めかけた コーヒーを飲み干す。 「あっそうだ悟浄。今日の夕飯何か食べたいものあります?」 「ん?そうだなぁ…。」 「何でも言って下さいね。僕腕を振るいますから。」 問われて悟浄が考え込めば、楽しそうに八戒が微笑む。 ――この性格の激しいギャップはなんなんでしょーねぇ…。―― そこがまたイイんだけどねぇ、とその笑顔に見惚れながら悟浄は心の中で ため息をつきつつ腐れた事を思う。 結局は惚れたモン負けというところなのだろう。 「ンじゃまあ、老後の前にタノシイことしよ?」 きれいにウインクひとつ決めてにやりと笑いかければ、八戒もまたそれに 応えるように笑みを返した。 *END* |
新世紀の初笑いになったでしょうか? さて今回は、別名・怒る八戒の嫌がらせシリーズ。(嘘) 書きながら「うわ、マジ八戒って怖い〜!」って思いましたもの。 でも八戒ならこれくらい「他から見れば好意、当人にすれば悪意」 という完ぺきな嫌がらせをすると思うのは私だけ?(^^;) ごめんね三蔵様。(と彼のファンの方) |