森の中では木が邪魔でジープを出せず、仕方なしに徒歩で横断する事になって しばらく経った頃。 ふいにぺちょりと首筋に何か冷たいものが張り付き、悟空が飛び上がる。 「うわ、なんか降ってきた!」 「ナメクジ?いえ、これひょっとして山蛭っていうやつですか?」 慌てて八戒が悟空に近づき、その首筋に張り付いた物体を見て言う。 が、当の悟空はといえば、気持ち悪さに思わず手足を振り回してしまう。 「気持ちわりぃ〜!とってくれ〜!」 「あっバカ、手で触るな。」 引き剥がそうとした悟空の手を、悟浄が押さえる。 「おい、そのままそいつ押さえてろ。」 「早くしろよ。」 三蔵の台詞に、悟浄は悟空を羽交い締めにする。 三蔵は銜えていた煙草を一度大きく吸うと、赤く燃える煙草の先を悟空の首筋 に張り付いている山蛭に押し当てる。 ジュッ 湿った音と共に山蛭は痙攣し、ぽとりと落ちる。 「こうやって取るのが一番てっとり早い。」 「煙草も役に立つもんなんですね。」 新しい煙草を懐から出す三蔵に、感心したような声で八戒が言う。 「…それはイヤミか。」 「そう聞こえました?」 最近煙草の本数が増えてきた事は自覚済みの三蔵が、不機嫌そうにそう言えば にっこりと八戒が微笑む。 一般人ならともかく、ここにいる三人…いや少なくとも二人は、そんな八戒の 笑みがしっかりと当て擦っているのが解ってしまう。 フンと軽く鼻を鳴らすと、三蔵はこれみよがしに新しい煙草を銜えながら言う。 「気を付けろ。こういう森には結構いるからな。」 「はい。」 「うっ…解った。」 三蔵の忠告に、八戒と悟空は素直に頷く。 「薬塗ってやるから、こっちこい悟空。」 「う〜気持ち悪かった〜。」 少し先の開けた場所へ移動すると、荷物の中から虫さされの薬を取り出しなが ら悟浄が言えば、悟空はまだ感触が残っているのか首筋を押さえ、嫌そうに顔 をしかめながら行く。 三蔵もまた、何事もなかったかのようにその場から離れる。 「へえ、これが山蛭なんですか。初めて見たなぁ。」 ひとりその場に残された八戒といえば、しゃがみ込んで珍しそうな顔でしみ じみとそれを観察する。 赤いナメクジのような形をしたそれは、黒い縞が幾筋か走っている。 頭の中で以前読んだ図鑑を広げながら、山蛭の生態や刺されたときの対処法 をゆっくりと反芻する。 先ほど煙草を押し当てられた山蛭はもはや動かないようだが、その近くにも 同じような大きさのものが、うぞうぞと動いているのを発見する。 「ふうん…血を吸う、かぁ。」 なにやら考え込みながら八戒は左手の袖をめくると、一匹拾い上げちょんと 自分の腕に置く。 とたん、山蛭は吸い付いてしまう。 「あ、ほんとだ。少々振っても落ちないですね。」 ぶんぶんと八戒は腕を振るが、山蛭は張り付いたままびくともしない。 「面白いなぁ、これ。」 血を吸って、徐々に赤く大きくなっていく蛭を興味深そうに眺めながら、 八戒はつぶやく。 「…八戒。」 「はい?」 呆れたような声で名を呼ばれて、八戒は顔も上げずに返事をする。 そこには煙草を銜えたまま、ポケットに両手を突っ込んだ悟浄が立っていた。 「なにしてんの、お前。」 「観察しています。」 にっこりと楽しそうに八戒が笑うと、悟浄は目を軽く閉じ半眼になる。 そんな悟浄にかまわず、八戒はまだ血を吸い続ける山蛭に視線を下ろし、 興味津々といった様子で観察を再開する。 「………。」 悟浄は銜え煙草のまま、ふうっとため息まじりの煙を大きく吐き出す。 そしておもむろに、八戒の腕にはりついた山蛭へねじ込むようにして煙草の 火を押し当てる。 ジュウウ……ぽと。 「あっ。」 「あっ、じゃない。」 腕から微かに滲む血と落ちてしまった山蛭を交互に見ながら、ひどく残念そう な声を上げる八戒に、悟浄が心底呆れたような口調で言う。 「ひどいなぁ。せっかく観察していたのに。」 「すんな、そんなもん。」 ただの虫を観察するというのなら、悟浄もそれほど文句は言わなかったかも しれないが、よりによって山蛭を…それもわざわざ自分の腕にくっつけて…と いうのは端から見ていると大層気味が悪い。 それも特にこんな好奇心一杯の顔でやられたら、その気持ちはますます大きく なるだけだ。 「だって、どこまで大きくなるのかって考えたら面白いじゃないですか。」 「どこが面白いんだよ。」 まだ未練がましく足下に転がる蛭を靴先でつつきながら八戒が言えば、悟浄が その蛭を遠くへ蹴飛ばしてしまう。 そして手当てしてやるから来い、と言わんばかりの態度で八戒の腕を引っ張っ ていく。 とりあえず心配かけて悪いとは思っているのか、大人しく悟浄のあとについて いきながら、八戒が意外そうな声で尋ねてくる。 「え?だって面白くありません?蚊とかも時々こうどんな風に血を吸う のかな〜ってこう、じっと観察したり…。」 「ねえよ。」 だんだん面倒になってきた悟浄が畳みかけるようにそう言えば、この話題は 終わりになってしまった。 「面白いのに…。」 それでもなお心底残念そうにぽつりと言う八戒の表情と口調に、がっくりと 悟浄は肩を落とした。 ──なんでこんなやっかいな奴好きになったんだろう、俺。── その言葉はそっくりそのまま八戒の口からも出る事に、自覚のない悟浄は 気付く余地すらもないようだった。 *第2話 生き物を観察しよう END* |
蚊を観察したことがあるのは私。でもさすがに蛭はないです。 ちなみに天然ボケを発揮した八戒は、好奇心を満たすために自分の腕を使い ましたが、これがもし天蓬なら「だって気持ち悪そうじゃないですかvv」 とか言って、倦簾の腕を犠牲にしそうだと思うのは間違い? |