「賑やかだねぇ、さすがに。」 「そうですね。クリスマスイブですし。」 物珍しげに辺りを見渡しながら、悟浄がそんな感想を漏らせば、同じように 視線を巡らせていた八戒が頷く。 ショーウインドウに始まり、一般家庭の玄関先や窓といったところまでもが、 きらめくイルミネーションやリースで派手に飾り付けられ、賑やかな音楽が 鳴り響いている。 こういう日は、道行く人も多い。 行き交う人々は大人や子供様々だが、皆一様に笑顔を浮かべ手には大小様々 なプレゼントらしき包みを大事そうに抱えていて。 これから彼らを待っているだろう楽しい何かが想像できて、どこか一緒に弾 むような気分にさせられる。 わざわざ人込みの中へ外出する事自体、あまり気乗りがしなかったのだが、 半ば強引に八戒は悟浄に街に連れ出されてしまった。 けれども、やはりこうして楽しい雰囲気で満ちあふれている空気に触れれば 自然気持ちも軽くなる。 ひとりで家の中にこもっているよりも、こうやって一時の喧騒の中にいた方 が気が紛れる事もあるのだと知る。 「ん?なに?」 「…なんでもありません。」 連れ出してくれてありがとうと言おうと悟浄を見たのだが、妙に得意げな笑 みを浮かべている彼の顔を見れば、何故か素直に礼を言うのが悔しくなって しまう。 「クリスマスって何を祝ってるか知ってます?」 「…どんちゃん騒ぎの理由じゃなかったのか?」 ふと思い出したように八戒がそう質問すれば、悟浄は訝しげな表情で軽く眉 をしかめて答える。 案の定な答えに、八戒はくすくすと笑いながら説明する。 「違いますよ。キリストの誕生を祝う日なんです。」 「へえ…神様の誕生日ねぇ。じゃさ、こ〜んな街ぐるみどころか世界規模 で誕生日祝いやってる訳ってか。」 悟浄は半ば呆れたような、面白がっているような声でそう言うと、ひょいと 器用に肩を竦めてみせる。 そんなしぐさひとつでも、彼の容姿をいっそう際立たせるのが不思議だと 八戒はいつもながらにそう思う。 別に意識してやっている訳でもなさそうなのに、いや自然体だからこそ悟浄 という男の魅力が出るのだろうか。 ぼんやりとそんな事を考えながら、八戒が応えて言う。 「でもたぶん、それを知ってる人って案外少ないかもしれませんね。 だいたいクリスマス当日よりも、いつの間にかイブの方が盛り上がって いるようですし。」 名前だけが有名になりすぎて、いつの間にかパーティーの名目としてだけの 理由に成り果てたクリスマスは、さらに一部の男女の間では違う意味を帯び ている。 この日…この夜を恋人と呼べる相手と共に過す事が、一種のステータスとな っているのだ。 「だろうな。いかにしてイブを過すかっつ〜のがえらく重要な野郎も多い みたいだぜ?」 「あれ?悟浄はその野郎のひとりじゃないんですか?」 思い当たる人間を何人か知っているような口ぶりで、悟浄がニヤニヤと笑い ながら言うので、八戒がからかうような視線を向けて言う。 だいたいいくら形骸化したとはいえ、せっかくのクリスマスだというのに、 どうして女性ではなく男の自分を誘って街に来るのだろうか。 理解しがたいところが八戒にはあった。 「ジョーダンぽいだって。何が哀しくてそんな目的の為だけに女をナンパ しないとイケナイわけ?」 「余裕ですねぇ。」 大げさに両肩を竦めて悟浄が嘆いて見せれば、こらえ切れずにくすくすと 八戒が笑いだす。 そんな八戒の笑顔を横目で見ながら、悟浄は心の中で安堵する。 ここ数日続いた雨のせいで、少し精神が不安定だった八戒の顔からは表情自 体が消えうせていた。 放っておけば、何時間でも窓の外で降りしきる雨を、何をするでもなくただ ぼんやりと眺め続ける。 世界の全てを心の壁の外に追いやろうとする彼のそんな姿は、側にいる自分 までも拒否されているようで。 だからこそ、気分転換になればと強引にこうやって賑わう街の中に連れ出し たのだが、やはりそれがよかったのか、今日の八戒はよく笑う。 仮面のように顔に貼り付いた空虚な笑みではなく、本当に楽しそうな声で。 少し安心すると、ふいに悟浄はおどけた口調で言った。 「全然。だって実は俺、今マジ本気で落としたい奴いるんだけどさぁ。 これがまたガード固いつーか鈍いっつーか。苦労しどうしなンだわ俺。」 思わぬ悟浄の告白に、一瞬八戒は虚を突かれたような顔をするが、すぐにい つもの笑みを口許に浮かべて尋ねる。 「…へぇ、悟浄が苦労するなんて信じられないですね。」 「そぉ。悟浄さんってば生まれて初めてマジなんだけどさ、下手にアプロ ーチすると逃げられそうで。」 からかうような八戒の口調に対し、心底困ったと言うように悟浄は大きくた め息をつくと空を見上げる。 そんな悟浄の顔を見ながら、ああとうとうきたな…と八戒は思う。 今は悟浄の家にとりあえず居候させてもらっているが、もし彼に本当に好き な女性ができたのなら、当然自分は出ていかねばならない。 そんな覚悟は漠然とではあるが、していたつもりだった。 が、こんなに唐突にその日が来ようとは思っていなかった。 こと恋愛に関して自分の鼻が効くとは思ってはいなかったが、悟浄の態度が いつもと全く変わらなかったので気付かなかったのだろうか。 「きれいな方なんですか?」 「ん?もうめっちゃ美人。見る?」 別に聞きたいとも思わないのに、口から反射的にこぼれ出た自分のそんな言 葉に、悟浄はいつにも増して嬉しそうにそう言って笑う。 そんな悟浄の表情を目にした途端、胸の奥が何故かずきりと痛む。 妙に楽しそうな悟浄に対し、八戒の気分は急速に沈んでいく。 彼に好きな人が出来たのだ。 それを喜び、少しでも協力してあげる事が、自分に出来る彼への恩返しであ るはずなのに、そんな気持ちになれないのはどうしてだろうか。 どうしてこんな場所が…こんなに痛いのだろうか。 胸の奥が…心が悲鳴を上げるほどに。 それでも、そんな胸のきしみを今顔に出す訳にはいかない。 そう。今目の前にいるこの男には決して知られてはいけないのだ。 普段その外見からは決して見せようとはしないが、意外なほど繊細な一面を 持つこの心優しい男に。 知られてしまえば、この笑顔が曇ってしまうから。 「写真ですか?」 「写真じゃない…なぁ。ほい。」 なんとか笑顔で取り繕いながら、八戒は彼の意識を反らせようとそう言えば、 悟浄は上着のポケットをごそごそと探るとそこから何かを取り出し、八戒の 目の前に差し出し開いた。 写真があるだろうと思ってその手元を覗き込んだ八戒は、そこにあった意外 なものに思考が付いていけずに、まばたきを数回繰り返す。 「鏡…?」 「美人っしょ。」 そう、悟浄の手の中にあるのは、携帯用の小さな鏡だった。 もちろん、そこには自分の顔が映っている。 思わず八戒は悟浄を見上げれば、そこには悪戯に成功した子供のような顔で 笑う彼の姿があった。 一瞬、からかわれたのかと思ったのだが、自分を見つめる悟浄の視線はひどく 真剣で。どういう事かとしばらく考え、出た結論は…。 「ひょっとして…落としたい相手って…。」 「そ、お前。」 おずおずと言った口調で八戒がそう尋ねると、意表をついたのがそんなに嬉 しいのか、悟浄がにやりと笑いながら満足そうに言う。 が、いまだ事態を飲み込みきれない八戒は、妙な反応を示してしまう。 「…は…あ…そう、なんですか。」 「落とされる気、ない?」 いきなりの展開に、表情を作ることも忘れてぼんやりとたたずむ八戒の顔を 覗き込むようにして、悟浄がそう尋ねてくる。 その口許には、笑みをうっすらと浮かべたままで。 「…マジ、なんですか?」 「もう大マジ。」 きょとんとした顔で八戒が悟浄を見つめる。 幼いしぐさで小首を傾げるその姿が妙に可愛いと思いながらも、その問い掛 けを悟浄ははっきりと肯定する。 悟浄にしても、これは大きな賭けだった。 ただ、全く勝算がない賭けではないとは思ってはいたが、勝ち以外は全て負 けといっていい程の厳しい条件で。 そんな勝負に自ら進んだのは、純粋に欲しかったからだ。 そう、目の前にいる彼を構成する全てを自分だけのものにしたかった。 優しい微笑みも、傷だらけの心も、器用な指先も…全部。 思ってもいなかった自分の独占欲の深さを知り、自分で呆れるくらいに 『八戒』という存在が欲しかったのだ。 「僕、男ですよ。」 「そりゃあ奇遇だねぇ。実は俺も男だし。でも八戒は美人さんだから 俺的にはオッケー。」 一応確認するように八戒がそう言えば、軽い口調で答えながら悟浄が笑う。 しかし紅の瞳は、それでも真剣で。 いつもの余裕のある態度はまだ崩してはいない筈なのに、どこか自分の答え を待つその姿には緊張感が漂い。 「そんな簡単な事で…。」 「簡単でいいんだよ。好きなんだから好き、そういうのでさ。」 案の定、必要以上に考え込んでしまいそうな八戒の思考を、悟浄がさりげな くそんな言葉で遮ってしまう。 同性だから…とかいう理由だけで拒否されたくはなかった。 それは、目の前にいる八戒という人物を好きだと自覚した時から、さんざん 悟浄自身が考え、出した結論だったから。 『好き』だから『愛している』 『愛している』から『欲しい』 どうせ感情なんてシロモノは、自分でもままならないものなのだから、理屈 で考えても仕方がないのだ。 それにその方が、きっといいに違いない。 悟浄はそう自分に結論を出していた。 「そうかも…知れないですね。」 言葉にしないそんな悟浄の思いが通じたのか、ふう、と肩の力を抜いて八戒 が軽く苦笑しながら言う。 問われて自分は彼をどう思っているのだろうかと考えれば、答えはごく自然 に心の中から出てきて。 今更ながらに、自分の鈍さ加減に呆れてしまう。 先ほどの胸の痛みが一体何だったのか、そんな事さえようやく解ったくらい なのだから。 実の姉を恋人にしたこと。 大量の命を自分のエゴで奪ったこと。 これまでにいくつもの禁忌(タブー)を重ねてきた自分だ。 今更、そんな常識にこだわる必要はないのかもしれない。 「好き」か「嫌い」でなければ「どうでもいい」というたった三つの分類し か自分の中に存在しないのなら、答えは既に決まっている。 「で、どう?俺イイ男っしょ?落とされたくない?」 「そうですねぇ…。」 再度そう問われて、八戒はわざと考え込みながら言う。 「たくさんの女性といろんな意味で仲が良いみたいだし、博打で生計立て てるから収入は不安定で。その上、売られた喧嘩は借金してでも買うほ ど好きだし。」 「お、おい八戒。」 ふいに八戒がひとつひとつ指折りながら欠点を数え上げれば、さすがに悟浄 が焦ったような声を上げる。 確かに八戒のいう通りなので、否定することもできない。 「普通こういう男性はもてないはずなんですけどねぇ。」 「八戒さん?」 ため息と共にしみじみ呆れたような口調で八戒がそう言えば、悟浄は心底困 ったというような顔になる。 そんな悟浄の表情がおかしくて、くすりと笑う。 「…いいですよ。落とされてあげます。」 上目使いでそう言えば、理解が追いつかなかった悟浄が一瞬虚をつかれたよ うな表情を浮かべる。 それがまたおかしくて、さらに八戒は声を殺して笑いだす。 「マジ?」 そんな八戒の態度に、悟浄が確認するように尋ねる。 「冗談って言って欲しいですか?」 「それこそ冗談。」 どうにか笑いを収めて八戒が悪戯めいた視線でそう言えば、ようやく悟浄も またいつもの笑みを取り戻す。 「言っておきますが…悟浄。僕はかなり独占欲が強い方だから嫉妬深いで すよ?当然浮気なんて絶対許さないから覚悟しておいてくださいね。」 「おおこわ。」 澄ました顔で八戒がそう言い切れば、ことさら大げさに悟浄が脅えてみせる。 いつも穏やかな笑顔を絶やさない八戒だが、その笑顔とは裏腹にその内面に は必要以外は全て切り捨ててしまえる程の酷薄さと激しさを隠し持っている。 「好き」という感情に安穏として背を向ければ、たちまちその鋭い牙で切り 裂かれてしまうだろう。 そんな一瞬の気も抜けないような相手だからこそ、より一層魅力的なのだ。 しかし、本当に欲しいものが手に入れば。 それ以外のものなど、どうして必要だと思うのだろうか。 「でも、それだからイイんだよね。」 「変な人ですね。悟浄は。」 くっくっとおかしそうに悟浄がそう呟けば、心底呆れたような口調で八戒が 小首を傾げる。 男の…それも重犯罪者である自分を、真剣に口説き落とそうとするその心境 を計りかねて。 それでもこれほどまでに欲しがられれば、単純に嬉しくて。 なおも何か言おうとした八戒の口を、悟浄が素早く己のそれで塞ぐ。 「な…。」 「…黙ってろ。」 抗議の声を上げかけた八戒の耳に、わざと低い声で囁けば。 びくりと身を震わせ、顔をうっすらと赤く染める。 それに気を良くした悟浄は、八戒の滑らかな頬に手を滑らせ顎をそっと持ち 上げると、ゆっくりとその柔らかな唇を堪能した。 メイン通りから聞こえるのは、やけに楽しそうなクリスマスソング。 色とりどりのイルミネーションは、地上に振りまかれた星のよう。 そんな狂騒的な賑わいなど知らぬげに、街の片隅では静かに重なる二人の姿 があった。 *END* |
この話は、去年(2000年)LUNAさんのサイトにアップして いただいたものです。 クリスマスなのに、自分のところでアップするものがないもの だから、苦し紛れにうちでもアップ。 一応加筆修正はしているのですが…卑怯技?(^^;) |