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[北朝鮮側からの説明]
入国経緯:入国地点は海州(ヘジュ)。1978年8月12日、鹿児島県吹上浜キャンプ場で語学養成のため特殊機関工作員が拉致した。北朝鮮への入国地点は海州(ヘジュ)
入国後の生活:1978年8月から9月までの間、精神的安定のため地方の招待所で生活した。1978年10月から1979年7月までの間、平壤市内の招待所で生活し、朝鮮語学習等を行った。朝鮮の歌もよく歌っていた。1979年8月から1981年8月までの間、地方の招待所で家庭生活をおくりながら日本の社会環境の教育を行った。結婚前の7月下旬まで、蓮池(急性:奥土)祐木子さんと一緒に生活していた。
結婚:1979年7月20日、市川修一さんと結婚した(以前4月20日と伝えたのは、事務的な誤記だった。)
死亡の経緯:1981年8月17日、麟山(リンサン)郡の招待所で生活していたところ、心臓麻痺で急死した。当時の状況は、朝の食事の時間にも拘わらず人の気配がないことから、接待員が様子を見に行ったところ、毛布と共に床に落ちていた。接待員の知らせにより医者と指導員が駆けつけたが、既に心臓は止まっていた。若い女性の心臓麻痺は珍しく、既往症がないことは承知しているが、突然死亡した。
死亡後の修理:関係者で葬儀を行い、夫の市川修一さんの隣に埋葬した。1995年8月18日の洪水で貯水ダムが崩壊し、流出した。調査委員会で人を動因したが、遺骨を見つけることは出来なかった。
遺品:焼却し、残っていない。
[証人からの聴取]
○ 695病院の元医師及び地区担当医師から、当時の状況にかんする情報の聴取を行った。
[疑問点]
1979年8月から1981年8月までの間、地方の招待所で家庭生活をおくりながら日本の社会環境の教育を行った<とあるが、1年で朝鮮語のマスターが出来るのか?何故、日本語教育ではなく環境の教育なのか?日本サイドは追求していないのに、「結婚日」を訂正したのは何故?しかも誤った日付けにしてきている。
増元るみ子さん
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