I have my own way of doing things
さて、今回からコラムというか戯言を書く事となった「あるこほぉる・せんさー」リーダー神風だっ。
別にしどと名乗ってもいいんだが、細かい事は気にしないでほしい。
まず最初に言っておくが、俺の書く文章は読み手のことはほぼ考えていない。
別に文筆業でもなければ不特定多数の人々にに向かって何かを訴えている訳でもないので、当然といえば当然だろう。
まぁ、このサイトが一応公開という形式をとっているので多少の配慮は考え、
AS倫理委員会(委員長・ちゃぼ)の検閲はかけているが、そこは所詮イカレた者同士、
多少のトゲ、槍、爆弾、など諸々の表現は御愛敬と笑って欲しい。
さて、今回は一回目という事ですこし真面目に書いてみようと思う。
裏リーダーであるちゃぼ(別名・まっど、いしやん)から、サイトを少しバンド色を強めたモノにしたいとの要請を受けたので、
バンドについてすこし語ってみる事にする。
御存じの通り「あるこほぉる・せんさー」(以下・AS)は俺とちゃぼのバンドである。おっとさっちゃん忘れてた。
冗談さておき、自分等で言うのもなんだがこの三人、非常にいいバランスである。
それは演奏というよりむしろ人間性のほうなんだが。
両極に位置する俺とさつま、そして中間に位置して双方と共通点を持つちゃぼ。
言うなれば魔法使いと僧侶と賢者と言ったところか(ド○クエ3より)
この3つがうまく絡まれば良いものが出来るという自負はある。
どこぞの受け売りの理屈振り回してるめじゃーくん達よりはかっこよくな。ただし、演奏力は除く。
しかし、これらが絡まり出したのはそんなに古い話ではない。
以前はさつまが詞を書き、ちゃぼが曲を書く。そして俺は傍観者という構図が多かった。
奴等と出会った頃、俺はまだ音楽とは無縁だった。
詞のような詩のような散文のような不可解なものは書いていたが、作曲はおろかベースすら持っていなかった。
ダチから借りたという名目でもらったに等しいギターは持っていたが、まったく弾けなかった。
元々、俺には音楽的な才能というか素質というか、そーゆーものが微塵も無かった。
楽譜は読めない、音感はない、音楽理論?それって旨ぇんか?状態だった。
それが少しづつ奴等に感化されて作曲の真似事を初め、やがてはベースを持つに至る訳だが、
当初は俺にバンドをやるという意識は無かった。
ちゃぼとさつまはよく「いつかバンドでオリジナルをやりたいねぇ」とは言っていたらしいが、
俺は完全にかやの外にいた。理由はいろいろあったが、それは次回にでも書くとしよう。
それが何故か今はASのリーダーなんてことをやっている。
まぁ、リーダーと言っても形式上の事だが、これもちゃぼの策略だったらしい。
奴曰、「2年以上かけての説得工作」だったらしい。
そうとも知らず俺もすっかり乗り気になりバンドは下準備に入った訳だ。
まぁ、奴に乗せられなかったら今の俺は無かった訳だから感謝すべきなのだろう。
バンドの下準備にはいると幾つかの問題にぶつかった。
まず最大の問題はドラムが居なかった事だった。
ギターはちゃぼ、ベースは俺、ボーカルは了承は取っていなかったがさつまで決定したが、
ある意味、要ともいえるドラムが欠けていた。
準備期間中、幾度と無く首脳会議(俺とちゃぼ)が繰り返されドラムの件について話し合った。
お互い知り合いのつてを辿ったり、ネット上で探したりといろいろやったが、
如何せんドラム人口の少なさと、やる予定の曲に問題があり、ドラムは見つからなかった。
一時期はちゃぼにドラムを叩かせて、ギターを探すというのも考えたがこれはちゃぼが了承しなかった。
そこで苦肉の策として打ち込みドラムという案が出た。
幸いDTMのたぐいはそろっていたのでデーターを作るのは造作もない事だし、
元々予定曲はほぼ趣味で打ち込んでいたので修正くらいで済む状態だった。
しかし、この案にちゃぼは難色を示した。バンドの経験があるだけに生ドラムの大事さが判るのだろう。
下手に機械ドラムに馴れると生ドラムに合わせづらくなるのだという。
しかし俺は焦っていた。今ここで停滞させていたらそのまま計画自体が無くなる気がしていた。
これは俺の癖なんだが、俺は何かをはじめると必ず焦燥感に襲われる。
まぁ、何度か死に掛けているからかもしれないが、明日があると思えないのだ。
何時も何かに追われている、そんな幻想に縛られる。
悪い癖ではあるが、時としてそれは行動力に変り意外な結果を生むこともある。
このバンドに関してはそれがプラスに働くことになった。
結局何度か会議を重ねるうちに俺がまったくの初心者ということも考え、
何もしないよりはたとえ機械ドラムでもやったほうがマシだろうと言うところまでちゃぼを説得し、
ASは始動することとなった。
ちなみにこの一連の会議はさつまには全て事後報告になっていた。
この間、彼は家庭と生活に追われていたらしい。まぁ大人の事情ってやつだ。
それが後に、問題になるとはこの時は知る由もなかった。
すべての下準備を終え俺等はスタジオに入る事となった。
俺にとって初のスタジオは判らないことだらけだったが、
非常に心地好く、生きる場所を見つけた気持ちだった。
しかし、当然というべき問題も多数出てきた。
いかんせ未経験者が二人もいるだけあって判らないことが多く、全てが手探り状態だった。
それも練習後のミーティングで時間をかけて解決していこうという方向で落ち着いてはいたが。
ちなみにさつまには家庭があったためこのミーティングも欠席ぎみではあったが、
それはしょうがない事だった。帰るべき場所がある奴と無い奴の差だろう。
しかし、それが意外な問題を生む事となった。
練習も回数を重ねるうちにすこし馴れはじめたのか妙なだらけの様なものが生まれはじめた。
そこに来て、さつまの活動回顧録に書かれた一言が問題に火を付けてしまった。
第一次AS解散問題の発生である。
簡単に言ってしまえば話し合い不足から来る意思の疎通の欠如なんだが、タイミングが悪すぎた。
さつま自体はそれ程意識せずに書いた一言だったのだが、
それが丁度それが嫌な波に重なってしまったのだ。
バンドに対する姿勢、考え、真剣にやるとは?そんなところまで話は進んでしまった。
昔さつまが言っていた「コピーバンドならやりたくない」という言葉や、
バンド始動に対してのさつまの関わり、現在のさつま姿勢など、
不満が一気に爆発する形になってしまった。
まぁ、前記のコピー云々に関しては同時期に同じようなことを言った人間がいたため、
再燃したのだが、俺もその言葉には違和感を感じていた。
そもそもコピーならやりたくないと言えるのはコピーなら何でもこなせる人間が言うことであって、
何もしたことがない奴が言うべき言葉では無いと俺は思う。
それこそ物真似小僧のビジネスミュージシャン共のインチキポリシーと一緒ではないか?
そんなこんなで一時期、ASアンオフィシャルサイトは張り詰めた空気に覆われる事となった。
俺はライン上で何かを言うのが嫌いなので傍観を決め込んでいたが、
さつまとちゃぼの書き込みは一般の人から見ればかなりきわどい文章になっていただろう。
しかし、そこは所詮根底では通じ合える連中だけに、言い合っているうちは健全だと言えた。
事実、問題直後の練習は妙な緊迫感のなか、なかなかいいものとなった。
練習後のミーティングにおいてもさつまも交え、真剣な意見の交換ができた。
話し合えば分かり合える、そんな関係が再認識できたいい機会だったと俺は思った。
例えそれが、他人には喧嘩に見えたとしてもだ。
問題後、ASの練習は少し違う意味での試行錯誤に移った。
しかしまだ、今のような形にはなっていなかった。
オリジナルには各自手を付けていたが、まだ絡み合うまでいってはいなかった。
その一つの理由は俺の停滞にあった。当時の俺はバンドは確かに生きがいだったが、
詞や曲を書けるほどの精神状態になかった。所謂「壊れてた」ってやつだ。
細かい事情はここで書く事ではないので割愛させてもらう。
それでも各自、模索しながらも何かを探してはいた。点が線に繋がる何かを。
そんな中、俺が一つの詞を書き上げた。俺にとってのセラピーに近い自己高揚の詞だったが
それにちゃぼが曲を付けた。俺の詞にちゃぼが曲を付けたのはそれが始めてだった。
それまでは俺は勝手にメロディなりを考えてることが多いのと、吐き出した言葉で詞を作る性質上、
曲が付けづらくほとんど手つかずだった。
それに始めて曲がついたとき俺の中で何か意識が変わった。
バンドで何かを作り上げるという意識、それはちゃぼが前から言っていたことだったが、
俺には実感が無かった。初めてその断片を見て意味が分かった気がする。
その直後、問題はまた現れた。
練習も一年以上が過ぎ、いろんな問題も現れては解消してきた。
それなりに演奏もノリも形をなしてきてはいた。
しかし、確実な結果と言うモノが残せないまま過ぎていたのも事実だった。
いったい何の為にバンドをしているのか?そんな疑問からかちゃぼに焦りが生まれてきた。
その焦りは俺も感じていた。
当初、一年計画と言っていた割に一年が過ぎた今もライブの話すら出ていない現状、
このままスタジオで遊んでいるだけなのか?という疑問、
それでいいのか?という自分への問いかけ。そんな焦りが少しづつ広がっていった。
それが爆発し、再び密な話し合いがもたれた。
この時の話し合いが現在のASを決定付けたと俺は思っている。
それからは確実に何かが動きはじめた。俺も過去への決別を意味した詞を書き上げ、
旧曲のアレンジもできる余裕ができたし、さつまも時間がないなりに試行錯誤を進めたと思う。
しかし一番の変化は練習でオリジナルをやり出したことだろう。
初めて全員で合わせる俺達の言葉、俺達の音、それは十分すぎる刺激となった。
実際に演奏するのとPC上で聞くのとでは雲泥の差があった。
ここに来てやっと曲が机上の理論から現実のモノに変わったのだった。
そんな刺激は急速に点と線を繋ぎはじめた。
俺は過去の曲への介入、さつまは上がった曲のメロディの自分なりのアレンジ、
ちゃぼは全体的なアレンジと過去の曲のバンドサウンド化、
そして全員が少し違った意識の中で新曲にも着手しだした。
そんな中、ふとしたはずみで一つの曲が生まれた。
元々、俺がふと浮かんだフレーズを元に曲にしようとしていたが
展開に詰まって眠らせていたモノだったのだが、ふと投げてみようと思いさつまに託してみたところ
それにメロディが付き、それを聞いたちゃぼが破壊と再構築をかけ曲にしてしまった。
しかしこの曲によって俺達は初めて絡み合えたのだった。
各自の持ち味、異なる方向性、それらを根底に流れる同一物質で化学反応を起こさせる。
それこそがバンドとしての存在理由であるという初歩的な事をやっと実感できた感じだった。
奴等と出会い、もう5年が過ぎ去った。随分遠回りしていたのかもしれない。
それでも俺等はやっとここまでたどり着いた。でもここはゴールじゃない、只の通過点に過ぎない。
むしろASとしてはスタートと言っていいだろう。
この先がどうなっているのか、そんなことは知った事じゃない。走れば分かることだ。
ゴールなど見えなくても構わない。今、走れる場所があるのだから。
おそらく、まだ問題は出て来るだろうがバンドは続けていくだろう。
もし、ASが終わるとすればそれは、俺が死ぬ時だろう。
それまでに何か一つでもいい、俺達が今を生きた証しを残しておきたい。それが俺の希望だ。
奴等と出会えた偶然は、きっとこの活動の為の必然だったと今、強く思う。
まぁ、こんなもんで「あるこほぉる・せんさー」の事が少しはわかっていただけただろうか?
おそらくほとんどの人は「馬鹿げてる」と思うだろう。事実、馬鹿げているのは確かだ。
でも、馬鹿げててもいいんじゃねぇの?そこに、自分に見える何かがあればな。
俺にはここに生きる意味が見えるんだよ。
あるこほぉる・せんさー 神風
追記・こんな虚言はどお?(笑)
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