〜2000年5月14日のボクのアタマのナカミ〜
Lyrix
俺の詞に対する意識はおそらく低い。それほど執着していない。
ただ、自分が作る曲に詞をつけてもらう時は、
漠然としてるけどイメージがあるんでそのイメージに合うかどうかで決めちゃうね。
逆に人の詞に曲をつける時は俺のイメージでやってる。
イメージ通りじゃないことがほとんどだと思うけどね。勝手にやってて結果オーライ。いいじゃん、それでっ
ここまで書いてわかると思うけど俺は「イメージ」を大切にしている。
間接的な詞にしても、直接的な詞にしても、詞のイメージと曲のイメージの相乗効果を狙ってる。
だから詞が伝わる伝わらないなんてことは一切気にかけていないんだ。
どういう解釈の仕方でもいいと思っている。伝わるかどうかってのは聞く人次第だと思うからね
どういったことが伝わるかわからないしね。こっちが意図した事と違う解釈でナニか伝わっちゃうことだってあるしね。
誤解でもいいからナニか影響を与えられればいいな。と。
相手の心を動かせばそれでこっちの勝ちということよ。
俺はあくまでも詞は「イメージ」の伝達手段としか考えていない。
逆にイメージだからこそ、俺は詞に対してうるさいのかもしれないな(苦笑)
イメージもそうなんだけど、特に「語感」にうるさいかもな。
言葉の響き。それが一番かなと。だから詞の世界観にはそれほど興味がない。
言葉を音に乗せるわけだから、言葉と音の響きに関しては一番慎重になる箇所だね。
特にロック的なものには乗せずらい日本語ってーのをどう料理しようか。そんなことにしか興味ないんだよなぁ
確かに英語を入れるとすっごく簡単にハマるんだよ。やっぱロックって向こうの音楽だなと痛切に感じる瞬間だよ
だからこそ日本語を大事にやっていきたいと思うね。俺にとっては挑戦だね。
日本語って綺麗で美しい言葉だと思わない?、ちゃんと使うととっても美しい言語だと最近思うんだよね
俺の普段の話し言葉は汚いけどな。言ってる側から大きな矛盾(苦笑)
攻撃的な詞にしても、人間の弱い部分を突いているナイーブな詞にしても
どことなく美意識が感じられるのは、単純に日本語びいきだからだろうか???
確かに言葉の威力、影響力ってもの凄く大きい。それは認める。
だけど、俺が受け取る側に回ったとき、最初に「ぐっ」とくるのは、サウンドなんだよな。
サウンドのかっこよさ。それに尽きてしまうんだよね。曲がよくて初めて詞の世界観に興味モツって感じだな。
そこで詞にまで「おおっ」とくる作品は少ないねぇ。逆に「おお」ってきたものは一生大事な曲になってると思うんだよね
ただね。「詞がいいから」じゃあ、歌のイミってなあに???って思うんだな。
まあ、そりゃあ、人それぞれだから詞から入る人いても否定はしないけどね。ただ俺は違うぞと
洋楽聞く人ってのはそういうタイプじゃねーかなと思うんだよね
だから作詞者には当然のように「俺でも”ぐっ”とくる詞」を求めちゃうんだよね。かなりレベルが高い要求だけどね
俺は俺で作曲者として「詞から入る」人にも「かっこいい曲だ」って言われる曲を作っていかなきゃな
お遊びなのに何故そこまで真剣???(苦笑)