「新しい人を身に着ける」 望月 修

 だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。(エフェソ4・22−24)
 救われた者の実際の生活には、三つの面があります。「古い人を脱ぎ捨てる」こと、「新たにされる」こと、「神にかたどって造られた新しい人を身につける」ことです。
 「古い人を脱ぎ捨てる」とは、今までの生き方を変えることです。これまでの生き方をしていては救われないから、私たちは救われたのです。ですから、その生活が以前と少しも変わらない、というのはおかしなことでありましょう。
 しかし、今までの生活の特色は何でしょう。それは罪に支配されていたことです。したがって、その生活が変わると言っても、仕事や環境を変えることによってでなく、私たちを滅びへと追いやる罪から解放されなければなりません。
 しかし、ひとたび罪に支配された者は、罪がその身に染み込んでいます。自分の力で生き方を変えることなどできません。その生活は「情欲に迷わされ、滅びに向かっている」と述べているように、欲に欺かれ腐敗するように滅んで行くのです。しかも、罪の結果に絶えず苦しみ続ける生活です。だから、「古い人」そのものを脱ぎ捨てなければならないのです。
 しかし、どうしたら、その「古い人」を脱ぎ捨てることができるでしょう。また、「古い人」を脱いだだけでは、いつまた、もとのようになるかもしれません。主イエスも、福音書の中で、人の心から悪霊を追い出しても、そのままにしておけば、また、新しいより強い悪霊が入って来るだけである、と仰せになっています(マタイ12・43−45)。
 神がお遣わしくださった救い主によって救われるほかありません。キリストに救われて、「新たにされる」ことです。
 ここでは、そのことを「心の底から」新たにされてと述べています。古い生き方を捨て去り、新しい生き方をするようになるために、心のすみずみまで新たにされる必要があるのです。
 しかし、そのように新たにされるには、「古い人」と「新しい人」の入れ替えが必要でありましょう。そのためには、「新しい人」を身に着けるほかありません。つまり、人そのものが救われて神のもとにある生活ができるようにならなければならないのです。そういう「新しい人」こそ、「神にかたどって造られた新しい人」であります。  キリストによる救いは、そのことを私たちにもたらします。「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」(2コリント5・17)とパウロが告げていることです。
 天地創造の際に、神は、何もないところから、あらゆるものを創造なさいました。そのように、私たちは、キリストに救われて、新しく創造されるのです。
 同じく天地創造の際に、神は、人を、御自分にかたどって創造されました。キリストにおける新しい創造は、神の御前に生きる新しい人として、神にかたどって創造されるのであります。
 キリストに救われるとは、私たちの存在がそのように根本から救われることであることを、私たちは見失ってはなりません。
 信仰者は、そのようにして、「真理に基づいた正しく清い生活を送るように」なるのです。それは、「キリストを着る」(ガラテヤ3・27)とさえ言えることであって、私たちは全くキリストに支配されるようになるのです。キリストに支配されることにより、まことの命を受け、滅びから免れるのであります。
 キリストの体である教会に連なることで、私たちはキリストにおいて新しく創造されるのです。それは、この世にありながら、この世とは違う力、キリストの支配に信仰をもって服することであり、そこにおいて、私たちは本当の意味で新しくされます。

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