神は、御自分にかたどって創造された私たち人間が正しく神を知り、心から神を愛し、神と共に永遠の祝福の中に生き、神をほめ讃えることを、お求めになっておられます。すなわち、私たち人間に礼拝をお求めになっておられます。神の御子イエス・キリストによって、罪から贖われ救われた私たちは、聖霊と神の言葉による導きのもとに、礼拝を捧げる神の民として、教会を形成し、定められた聖日に礼拝を捧げています。 (創世記1・27、申命記6・4-5、詩編50・23、51・19、100・1-5、102・19b、ヨハネ4・23-24、ローマ12・1、Iコリント14・23-25) 〈礼拝の意義〉 礼拝は、私たち人間が全人格を傾けて神を拝むことです。神に造られ、神がお遣わしくださった救い主に救われた私たちが、聖霊と神の言葉に導かれて、神を拝むのです。ですから、礼拝は、神を畏れ敬う厳粛な思い、救い主を讃美するつつましやかな喜び、聖霊の与える命に満ちたものでなければなりません。はじめての方も、まず、教会の礼拝に出席しましょう。教会の礼拝に出席することは、もっとも大切なことです。聖霊と神の言葉に導かれる礼拝において、私たちの創造と救いと完成について明らかにされ、その恵みに生きる者とされるのです。信仰者の生活の中心は、教会の礼拝にあります。 〈礼拝の準備〉 聖日(日曜日)には、必ず教会の礼拝に出席することが大切です。神を拝むには、気まぐれであったり、少々の用事で怠るようなことがあってはなりません。 また、遅刻しないことです。礼拝は、ひとつのプログラムによってできていますから、始めから終わりまで出席していなければ、正しい礼拝にはならないのです。神を拝むのに遅刻するのは、神を尊ばないことで、礼拝にはふさわしくありません。また遅れて来ることは、他の人の礼拝を乱すことにもなります。奏楽が始まる前には礼拝堂に着席できるよう、早めにおいでください。 礼拝堂内の席は、礼拝堂に入った順に、できるだけ前からつめて着席しましょう。「自分などは」とわざわざ後ろの席に着くのは、謙遜ではなく、むしろ自分を特別扱いしているのです。神の前では、すべての人が平等なはずです。しかし、小さいお子様連れの方は、入口の近くに着席される方が便利でしょう。お子様が騒いだ時は、すぐに連れ出しやすいためであります。そのような時のために、親子室が、利用できるようになっています。 礼拝堂では、礼拝に必要以外のことは沈黙しなければなりません。聖書や讃美歌を黙読するか、黙祷するか、あるいは黙想するかして、礼拝の準備に心がけ、礼拝に必要以外のものを読んで過ごすことがないように注意してください。心の準備がなければ、よい礼拝は守れません。 服装は、立派である必要はありませんが、神の前に出て礼拝する者にふさわしいものでありたいものです。 〈礼拝が始まったら〉 熱心に神を求めましょう。信仰は、求めなければ与えられないものです。全身全霊をもって、神の言葉を聞き、悔い改め、感謝し、神を讃美します。礼拝の中心は、聖書朗読と説教と聖礼典および祈りにあります。万一遅刻した時でも、聖書朗読と祈りの時には、礼拝堂にお入りにならないでください。 礼拝中に聖書を開くべき時には、必ず開くようにしてください。 讃美歌は、神を讃美するのですから、オルガンに合わせて、大きな声で歌い、遅くならないように気をつけましょう。 祈りのあとには、はっきりと「アーメン」と言いましょう。 礼拝の中でなされる献金は、神の恵みに応えて、私たちの一切を捧げる志しをあらわすものでありますから、祈りの心をもってしましょう。 〈礼拝がすんだら〉 説教者が退場してから、静かにお立ちください。 礼拝を中心にした教会生活は、礼儀正しい愛に満ちたものでなければなりません。 |