織田信忠について





お松 ちらりと自己紹介の所を拝見させていただきましたが、宮下帯刀さまは織田信忠さまが嫌いなのですねー。ううっ。松姫の婚約者なのに・・・(爆笑)←冗談です、すみません。



宮下帯刀 私が何故、信忠が嫌いかというと、常に偉大な父の顔色を窺い、その残忍性を真似ているからです。そういう行為をする事によって、評価されたかった心理は分からないわけではありませんが、武田氏滅亡時のやり方は許せません。降参した武士は松尾小笠原氏・穴山氏・西上野衆以外はだいたい有無を言わさず殺していますし、神社仏閣(武田氏が崇敬した諏方社も放火)は片っ端から燃やすし・・・信玄とは雲泥の差です。ちなみに私の先祖の菩提寺もその時に焼失しました。
 あと、於松の方は信忠の婚約者だったとはいえ、特別な感情を抱いていたとは思えません。(夢も希望もなくなりますが・・・)むしろ彼が高遠城に攻め寄せた時は、憎んでいたぐらいではないでしょうか(キツイこと言ってゴメンなさい)。当時は配偶者より、実家を重んじる風潮がありましたので、おそらくそうだと思います。






上総介 帯刀さんは信忠がお嫌いのようですね。

>常に偉大な父の顔色を窺い、その残忍性を真似ているからです。
 信忠が常に偉大な父の顔色を窺っていたのは事実ですが、甲州攻めの頃から独自性が垣間見られます。その残忍性も織田家特有の反抗した者の見せしめの色合いが強いです。比叡山・延暦寺、長島一向一揆、朝倉、浅井しかりです。降参した武田武士の皆殺しは織田家の武田家の恨みの深さを現しているともいえます。

>神社仏閣は片っ端から燃やして
 それだけ、恨みが深かったのでしょう。稲葉山攻略時から、武田家に戦々恐々としていましたから。後、全てを焼いた訳ではありません。ですが、これらの行為が許される事ではありません。

>信玄とは雲泥の差です
 信玄も志賀城攻略では、人身売買をやっていますから。

>ちなみに私の菩堤寺もその時に焼失しました。
 人情として、許せないのは理解できます。
帯刀さんがイメージされる信忠像は新田次郎、大仏次郎両氏の作品の影響を強く受けておいでに感じられましたがいかがでしょう?
 信忠の研究論文では小島広次、渡辺江美子氏の優れた論文がありますが、その軍団、領国に関してが思なので、谷口克広氏の論文、『殿様と家臣』、『信長・秀吉と家臣たち』がお薦めです。きっと、新しい織田信忠に出会えると思います。


宮下帯刀 

>信忠が常に偉大な父の顔色を窺っていたのは事実ですが、甲州攻めの頃から独自性が垣間見られます。
> その残忍性も織田家特有の反抗した者の見せしめの色合いが強いです。比叡山・延暦寺、長島一向一揆、朝倉、浅井しかりです。降参した武田武士の皆殺しは織田家の武田家の恨みの深さを現しているともいえます。

 そうですね。信長が窮地に陥っていた時に、友好国(勝頼の妻の関係で)であった武田氏が宣戦布告してきたんですものね。

>それだけ、恨みが深かったのでしょう。稲葉山攻略時から、武田家に戦々恐々としていましたから。後、全てを焼いた訳ではありません。
>ですが、これらの行為が許される事ではありません。

 おっしゃる通りです。やりすぎのきらいはありますが、見せしめの意味が多分に含まれていたのでしょう。

>信玄も志賀城攻略では、人身売買をやっていますから。
 そうでしたね。金山で働かせたりしたのでしょうか?

上総介

> 信長が窮地に陥っていた時に、友好国(勝頼の妻の関係で)であった武田氏が宣戦布告してきたんですものね。
 信長が嫁がせた遠山氏(養女)の死亡年月も繰り下がり、年々織田・武田の研究が進んでいますね。

> やりすぎのきらいはありますが、見せしめの意味が多分に含まれていたのでしょう。
 晩年は狂的な見せしめ行為が多かったですね。

> 金山で働かせたりしたのでしょうか?
 引き取り手が無い(金額を払えない)人々がそうなったのでしょうか?




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