卜 問(信玄公神鬮) 武田晴信(信玄)・勝頼は、ト筮(ぼくぜい)の卦を深く信じていた。とくに戦は、神慮により勝敗が決まると考えていたので、あらかじめそれを伺った上で、行動するのを常としていた。蓍(めと・ト筮用具)を三処にとり二処をもとにして八卦を考えさせ、当卦の守本尊に参詣してから出陣したという。 そのト筮に携わった人物に判ノ兵庫助がおり、他に敵の城や陣地より上がる「雲気」や「煙気」などの気をみる軍配者に、小笠原源与斎、山本菅助らがいた。 永禄七年(1564)、信玄は諏方上宮・下宮の神鬮を取らせたが、上宮と下宮で違う卦が出てしまった。そこで信玄は、謹んでお供えをし敬神の態度を示せば、必ず同じ結果が出るはずだと言ったという。お供えまでせずとも、敬神の意をもって神鬮を取れば、良い卦が出るかもしれない。
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