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すごろく[4月23日(火)08時33分]
転がる四角くんたちが「かわいい」を付与してきて
そのかわいさが連れてくるほっこり感に会える
ありがたい

すごろく[4月23日(火)08時25分]
鬱のときでもこの曲はなぜか聴けていつも安らぎをもらえた
クラシックは私にはほぼよくわからないので残念なんだけど、この曲は好き

この映像みたときは作者さんのすごいセンスと緻密な計算とつくりあげる労力と時間を
おもってうなった

https://www2.nhk.or.jp/school/watch/bangumi/?das_id=D0005230022_00000

すごろく[4月23日(火)08時04分]
これが元気とか健康とかいうものの一端かも?ていう実感があると
そこからいろいろ派生して今までどーしてもわからなくて苦しんだ部分に理解が起きた
気がする

自分が正体不明だから、同じ人間として
社会や文化慣習を共有する者としての他人や、動く仕組みもうまく感覚として
想像できなくて正体不明だったけど。
生命体、物質物体としての共通項はあるということと
言葉や映像でイメージされるものの共有をどうにか拠り所にしてた。


どう動けばいいかわからない、正解を見つけてそれを模さなければ安息はない
この思考が間違ってるなら代わりを探さなければならないがそんな元気も時間もない
だからいろんなことや人となるべく関わりたくない、ひたすら省エネを目指す
みたいなかんじ

でもどうやっても崩れない、単に流れの中で発生したり過ぎていったり
なくなったりする自分の感覚や気持ちがあると実感できると、
そこをちゃんと認識してそれを基に動けばいいのかな?
それの積み重ねのなかでの発見や取捨選択のなかで自分の世界を形成したり、
いろんな人がいる中で差異を比べたりして自分の位置やかたちを理解し
自分がこの世界や社会で生きられるように馴染めるように持っていこうとする
という流れかな?

人間関係とか進路について悩んだり決断したりの機会が多いときに、
自分の持っているものや発するものについての有無や性質を自覚したり
それの操作のためになにかを獲得しようとする動きが多いような

元気がありあまってる人はそれをぶつける対象を探しそうだし
自分の力がどこまで通用するか
努力することでどこまで行けるか限界を知りたいとかいう思考にもなれそう

他人や社会のものと関わりその空間に身を置いて、言葉や動作を交わす機会をもたないと
自分の感覚や気持ちが動かなくて
自分がどういうものかどういう動きをする物体なのか
それが意味することは、といったことが見えてこない認識できない

大多数のひとってそこらへんがちゃんと子どものときから
形成してて場数踏んでるんだろ・・
自分のことある程度わかって生活の操作の努力してるんだろ・・と思うと
わたしのやるべきこと?の段階をおもって気が遠くなるわ・・・ていう。 

えーと。ぼーっとしたり焦ったりをこれからも繰り返すだろうけど
「曲がり角を曲がらないと新しいものは見えない」ということと
ドラマのポワロさんが言ってた「歩けないのに走ろうとしてはだめですよ」
と言ってたのを思い出してやっていきたい

すごろく[4月19日(金)11時46分]
フチまで氷や液体をなみなみタップリ入れるとことその音、
この人の手際や編集のテンポの速さがすきだったな
お人柄もおちゃめなかんじ
https://www.youtube.com/watch?v=2ky3eUFQzAI

映像と音がやわらかく心地よい
食べものにしろ動画にしろ美しいものが出来上がるまでの
こまやかな配慮って優しいなと思えた
https://www.youtube.com/watch?v=ylQCaZxOIZk

すごろく[4月19日(金)07時17分]
「おりん」の音は一時期睡眠導入でお世話になった
https://www.youtube.com/watch?v=OsNZoXoU0QY

すごろく[4月19日(金)07時08分]
「ダイエット」て言葉がほんとに嫌いで苦手。
今たとえば「ダイエットしてみるか」って思った瞬間から息苦しくなり
何か食べたくなり運動したくなくなる。
ダイエットから来るイメージで、制限や縛りを連想して
それの反動で逆走したくなるというか。

なんで逆走?
自由を感じたいとかか笑

制限や縛りって他人や社会との繋がりであり安定でもあり
無闇に切ると浮遊で迷子になりやすくもあるけど。
でもガチガチに隙間もない強固な制限はほんとに息苦しく重いわ

制限や縛りのなかで頑張ってる自分が好きとか
その範囲の中での達成感を味わうことに自分の存在を感じる
やりがいや生きがいを感じる
というのはわかる気がする。
そういうのの行き過ぎとかが過労であったり摂食障害に繋がったりするのかもしれないな
わかんないけど

すごろく[4月17日(水)07時57分]
頭がわりかしまともになってきたので
物事の本来の位置と性質と関係性をそのままで見れる、受け取れるようになった気がする。
前は「無理やり点と点をつないで意味を見出すようにする」「拡大解釈をする」が常だった。
だいぶ「あれはあれ、これはこれ」とかの場合分けやジャンルの違いに注意深くなれてきてる気がする。



昨日母にあるちょっとしたことで難癖をつけるみたいなことをしてしまった。批判的な。
でも母の話をきくと流れ的にスムーズなことだった。
わたしの邪推・勘ぐり・変な気の回りであったのがわかったので謝った。
あの批判的なことを言うことで空気が悪くなったのわかったし
母はもちろんわたしも変に消耗したのもわかった。
ああいうことを言うのは必要なんだろうか私。
母に「こうであってほしい」願望からやってるのか?
批判の出どころを誤った気がする

すごろく[4月17日(水)06時44分]
こうやってぐちゃぐちゃしたことを言語化文字化すると
整理されて幾分スッキリすると同時に
内面に寄りすぎてそのしんどさも生まれてくる
そのしんどさの行く末というか晴らす方法はわかってるつもりだけど



10歳のときに頭がおかしくなってから
それを解決したい、逃れたくて何見てもそっち方向にもっていこうとする癖がついた気がする
考えなかったら体が動かないので無理やりなにか考えて目安をつくって
それに向かっていくように体を動かすしかない
この目安について文字化するとキリがなくなりそうなので省くけど
とにかく目を開けて集中力をそこに持っていくこと自体がしんどいし
こんなわけのわかんないまま親や友達や社会との関係が正体不明なまま
寿命が尽きたくないていうのがすごいあるんで
めちゃくちゃ時間を無駄にすることにカリカリしてた
何をもって無駄とするのかこの基準を文字化するとまたキリがないので省く

「健康」「元気」の基準がわからない
これは今でもそうだけど
笑えるか笑えないかはけっこう大きい
笑うって顔の筋肉動かすけど、しんどいときはそれすらつらい
皮膚やそこの肉が硬い重いともっとしんどい

しんどいくるしいが普通だから元気な状態・健康な状態のイメージが
美化されすぎて現実的じゃなかったかもしれない

とにかく一見健康そうな人、元気そうな人、健康的なこと、元気っぽいこと
から学んだり真似すればなにか良くなるんじゃないかと
そればっかりだった
たしかに学ぶことは多かったし助かったことも多かったと思う
そこはいろんな人に感謝してる

でもこうやって書いててなにかひっかかってるんだよななんだろう・・

その健康そうな人の健康そうな価値を売りにした発言や行為についての
私の異常なチェック ?
その価値を信じさせてほしい、私にとって有効であってほしい、
理解しようとした時間と労力を無駄にさせないでほしい
長続きしてほしい、希望になってほしいから
すごい厳しい目で見てしまうというか。
私にとっての審査基準を越えて私の中に入ってきて役に立って安心させてほしいみたいな?
結果、私基準からずれた対象には、期待させんな惑わせんな時間とらせんな
とかの腹立ちイライラなどが来る。
その人が憎くなったりね。
その人だってここまで重く深く受け取られるとは思ってないだろうね。
単なる自己表現、あくまで参考程度、違うかったら聞き流してねみたいな。
そんな余裕のないすごい必死で切実な人間は流すこともできない。
何が合ってるのか違うのかもわからなくなってたり。
溺れる者はわらをもつかむっていうでしょ
常識的なラインもわからなくなり簡単に飛び越えたりする
こわいね


そういったところからはどうにか解放されたと思う
そこまで期待する必要ないんだという自覚で、無駄に他人にしがみつくことから逃げられる
でもまたこれから先、戻ったりするのかもしれないのがこわい
戻らなくても、いろんな種類の新しいしんどさや迷いみたいなのと会うんでしょっていう
でもこれは生きてる人みんな同じっていうのもあって
わたしだけじゃないよねっていう想いになんとか落ちずにすんでる。
そう思えるのはいろんな想いを自己表現した人々からいろんな媒介物を通して
受け取って理解できたからで。
今生きてるひとに限らず、古今東西そういった想いが入ってるものは
今わたしが認識できてる以上にたくさん残されてるんだろうな

すごろく[4月16日(火)06時02分]
10日の投稿での「怖がらせたくない気持ちが生まれてた」ていうの
本当だけど「怖がられたくない」ていうのもあった。
相手のことよりも、そういう自分でありたくないっていう自分本位的な。
どっちかじゃなくて、どっちもあったと思う
どっちかに限定しなくていい
生まれる感情はひとつと限らない
正解の気持ちを生まなくちゃ普通になれない不幸になるとか思わなくていい
自分以外を意識した、他人や状況に対応して生まれた私なりの気持ちと反応だ



漢方薬でだんだん元気になって感じたのは
「世界が優しい、嬉しい」ということと
「元気な人が感じてる世界ってこうなの?しんどいにもってかれる時間と労力と気持ちが
全然違うんだけど?しんどいの解明のために頭回す必要なくて余裕ができて視野も広くなって
優しい方向に気を向けられるね?」

ポジティブ思考や人生訓の啓蒙発言など
押し売り安売りしてるひとたちへのイライラや
過去にクソ真面目にそれらを収集し
受け取り消化しようとしてできなかった自分への落胆が意味なかったことの恨み怒りがすごい。
なんだったの
あんなの運よく強いからだを持って生まれたからいえることだろ

とはいえそういう発言をしてるひとたちの善意の気持ちももちろん伝わるし
それを良いタイミングで受け止め消化して自分の力に換えられるひとたちもいる。
単純に「そのときの私では消化不良を起こすよ」事項だったと
今ならそう整理する
でもそういう過去があるからやっぱそれ系への警戒度は高い
自分向けではない疎外感と、消化不良を起こす自分への落胆、無駄に時間と労力を使う不毛さは
なるべく味わいたくない避けたい
そういうにおいがしてきたらやんわりとやわらかく全力でかわす方向で努力したい
自分の発言と行為にも気をつけたい

すごろく[4月12日(金)10時52分]
宮沢賢治さんの親族のかたのお話がなんか良かった
https://www.nhk.or.jp/morioka/lreport/article/001/79/

すごろく[4月10日(水)06時22分]
昨夜散歩してたら、お母さんに手をつながれた5歳くらい?の女の子が
スキップしながら「こんばんわ〜↑♪」みたいなリズミカルに挨拶してくれた。
わたしはとっさに自分のなかでわりと高め&やわらかめの声を意識して
「こんばんわ〜」と言うとった。笑ける。
怖がらせたくないみたいな気持ちが生まれてたわ

お母さんのかたも「こんばんわ」って言ってくれて。
女の子、スキップしてるのにかなりな速さで、手をつないだお母さんは
小走り状態になってた。
幸せな風景だけどお母さんの女性に対してはお疲れ様です・・みたいな気持ちにもなった。
子育ては体力勝負だよな
すごい

とにかくほっこりな元気もらえた
風に吹かれる夜桜も綺麗だったし、なんか色があった夜だったなー

すごろく[4月9日(火)08時03分]
散歩していたらこんにちはと挨拶されることがある。
私はそれを受けて流れで挨拶を返す。返せる。
自分から挨拶はなかなかできない。
挨拶されるとなんかほっこりするから挨拶したほうがいいような気がするんだけど。
もし挨拶して返事が返ってこなかった場合がこわい。
何がこわいのか考えてみたけど、
言葉を投げかけた気力が無駄になることに虚しさを感じること、
なにか間違ったことをしてしまったのか反省をしなければいけない風になること、
挨拶を返されなかった自分の存在の薄さを感じること
なような気がした。

気力がないときは無理にする必要はないと思う。
間違いかどうかとかは考える必要あるかな
距離感やタイミングの配慮は必要そうだけど、多少の間違いは誰でもするよね的な。
自分の存在の薄さに関しては、わたしの気分や気持ちの揺らぎがどうであれ
どうあったって物質物体としてのわたしは揺らがない。
だからその点は大丈夫と思っててよさそう
もし挨拶して返事が返ってこなくて、虚しいとか悲しいとか感じたとしても
そう感じた自分がいるということは間違ってないはず。
それだけの話のはず。


たいていは年配の方から挨拶されるけど
中学生男子に2回、自転車に乗った小学生男子に1回遭遇した。
「こんにちはっ!」てかんじに元気がよかった。
それを受けての「こんにちは〜」のわたしの声の低さとゆるいテンションに
なんかその差が面白かった。
わたしってこういう反応するんだな

男子のほうが挨拶とか積極的にできやすいのかな
女子は恥じらいとか多くなりがちとか。
あと男子女子どっちも思春期以降はいろいろあってやりにくくなったりとかあるのかなあ

前にラジオで防災士の方が
「地域の方に普段からちょっとでも挨拶しておくことが非常時の連携ができやすく、
防災・減災につながるんです」
と言っていてなるほどと思った。
今はそういったことを家庭や学校でも教えてるのかもしれないな

すごろく[4月6日(土)07時40分]
散歩してたら苔が目に止まった。
濡れて光って緑色が鮮やかだった。
そういえば「苔むし」とか「苔むす」とかいうよなと
検索したら「苔生える」という意味だった。
「むす」は「生える、うまれる」なんだな
よくもわるくもエネルギーを感じさせられることばだ。

国歌の「君が代」に「苔むすまで」ってあったなと思い出した。
国歌は、「君」が天皇を指してるってどっかで聞いて以来
なんかモヤモヤとして抵抗あったんだけど
https://career-selection.com/trivia54
ここを読んで経緯を知れてなんかほっとした。
もともとの短歌があり、それを元にずっとあとに作曲や意味づけなどの
2次創作が行われたと理解した。
いろんな感情はあれど、これからはモヤモヤなしで聞けたり歌ったりができそうで
よかった。

「苔むすまで」っていう植物の生態をあらわすことばだけで、
長い時間が経過することを指せるんだな。

すごろく[4月3日(水)07時36分]
「気」と「氣」の違い。
最初は「氣」の中に「米」が入ってるから嬉しかっただけだけど
意味をちょっとだけ見てみたら違いが面白かった。
日本人と米との歴史は長いから、文化のそこかしこに関連があって面白い。



おにぎりとおむすびの違い。
最近は専門のお店が多くてテレビでも紹介されること多く。
ネットで見かけたおむすびを売ってる方が「おむすび」という呼称にこだわっていて
「結ぶ」という意味に重きを置いてるみたいだった。
食材やそれに関わる人たちとのご縁を大事にするかんじ
つくる人食べる人を結ぶ。
わたしもそういうの尊いと思うし、綺麗で素敵と思うんだけど
一方でちょっと想いが重いと感じる面もあったり。
あと「おむすび」の音の発声がしづらいというか。なんだろなこれ
「むす」のときの母音「ウウ」唇のすぼめるからの
「び」のときの母音「イ」唇を横にする流れがめんどいというか?
「むす」で縦軸、「び」で横軸で、「おむすび」の音の流れ自体が「結ぶ」4構成?とか
また隙あらば妄想で遊ぶ。

「おむすび」は神様が絡む話が多く感じた。
「むす」が「産巣」という漢字が当てられてたり。
そういう神様がいたり。
「むすめ」「むすこ」の「むす」は「産巣」という話があったり。
「むすひ」という言葉があったり。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%80%E3%81%99%E3%81%B2
あとおむすびの三角の形は、山をご神体とする考え方の山を見立てたものという話とか。

比べると「おにぎり」のほうは「握る」から来てるみたいで
「握る」を調べるとビジネス用語にも使われると。知らんかった。
イメージ的にはある程度の領域から目的のものを自分の手のひらで
すくいとってぎゅっとするってかんじ。
ぎゅっとするのも、目的のものの性質を理解して力加減を自分で調整するみたいな?

筋肉っぽいというか日常的な気楽さ、気遣いの負担の少なさを感じて、
どっちかというと私は「おにぎり」派かなあ。

「にぎりめし」の丁寧な言い方が「おにぎり」とか・・
こういった話や説はネットで調べればいくらでもある。
時代性や地域性や解釈がいろいろあるんだろうし
どこまで本当かもわからないし
私には詳細に調べる力ないけど、へーと思える機会があるのはありがたい。

すごろく[4月1日(月)08時17分]
「気」の言葉が無数にあるのは、人間には気が備わっているのが当たり前だという認識なのか。
わたしの人生では「気が滅入る」「気が落ちる」「気が迷う」ばっかりなかんじだけど。
「気を取られる」や「気がふさぐ」もか。

「気持ち」はなんで「持」なのか、「持つ」じゃなくて「持ち」なのか。
「気分」はなんで「分」なのか。

こういうの意味とかイメージとかの自分なりの解釈を広げてって
連想・想像・妄想のひとり遊びしてるととりとめなくなってきて
こういうのを拠り所にしたい願望もあいまって
言葉と文字に埋もれて取り憑かれ感で疲れたりしてくる。

昔、高橋留美子さんの「らんま2ぶんの1」ていうまんがで
ショック受けやすいキャラが「気を落とす」「気を抜く」とかの技で
戦ってる回があった。
作者の目の付け所と、それを物語に組み込み、
技としてどういうものかを絵でわかりやすく面白く表現して読者に伝えてくるところ
やっぱ天才だと思った記憶。


今ここのわたしの気はどういう状態なのか。
環境状況からどういう気にさせられていて、それにどう対応することができるのか。
そういうことを意識できたら、流れ続ける時間のひとときを
より強く自分のものにできるのかもしれないな

ことばに囚われないで、気のむくままに気晴らしを試みてみる。

すごろく[3月31日(日)08時11分]
某スーパーの安い巻きずしと明太子おにぎりを食べた。
裏の成分表示を見ると話題の紅麹が入ってた。
毎日食べるものじゃないし危険性はないと思うけど、へーとなった。
添加物はいろいろあっていろいろな役割をしている。

巻きずしは甘く、明太子おにぎりはしょっぱい。
明太子しょっぱいけど米自体もしょっぱい。
味が濃いめで、添加物たっぷり味。
そういう味でそういうおいしさで好き。
おいしくて幸せ感じる。
でもわたしの内臓には優しくない事実も同時にあるので
こわさもある。

海苔ってけっこう風味つよい。
明太子おにぎりは海苔をはがして別々に食べた。
好みでいえば、具の量に対して米の量が圧倒的に足りない。
おにぎりをおかずに白米を食べると、おにぎりの米のしょっぱさがよくわかる。




米を握ったおにぎり。
あのひとつの物体のかたまりがいいと感じてる気がする。
お箸やスプーンといった道具を使わないで手で持てる安定感を備えている。
持ち運び可能。
食べ物の感触や形や温度の情報を手や指から得ることができる。
「かぶりつく」「かじる」といった表現も可能になる。

すごろく[3月31日(日)07時42分]
お米を作ってる人が作った大福が半額で売られてたので
試しに食べる機会に恵まれた。
変な甘さがなくて食べ応えがあって好みだった。
もち部分が硬めだったけど、砂糖を入れないとそうなるらしい。
米の味を感じた気がする。
砂糖が入ってやわらかさが続くやつもおいしいけど
硬くなりやすいこういうのも噛み応えがあっていいなあと思った。
パッケージにつくった人の名前が書いてあって信頼感安心感もある。
つくった人の責任感すごいな、尊敬する。

すごろく[3月30日(土)13時21分]
人生でいちばんお米と親しくなっている。
ずっと親しくしていたい。愛だと思いたい。
適切な距離感とタイミングでお米とつきあわせていただくには努力が必要なのかもしれない。

口のなかにいっぱいごはんを入れて長く咀嚼して最後の糊状になったものは吐き出すわたしの
チューイング。
だから白米が好きと表立ってはいいづらい。
口の中に入れたあたりからしばらくは無の味、なんならきもちわるいくらいなんだけど
嚙み始めて30回以上あたりから突然すっごい甘さがぶわっと来る。
人生で食べたものの中で一番の甘さじゃないかと思うくらい。優しい甘さ。温泉に浸かってる的な。
比べると砂糖の甘さは暴力的じゃないかとすら。
その暴力に打たれたいときもあるがそれはおいといて。

「水+でんぷん」をおいしいと感じてるんだと思う。
最後は吐き出すが8割くらいは体内に入ってるような。
ごはんのおいしさに気づき始めて最初のころ、調子に乗って800gたべたら
苦しかった。米が体内に詰まってるてかんじ。げっぷがやたら出るし重くて。
あの量はだめなんだなとわかった。

あと最初のころやたら体内に熱を感じた。
エネルギーが燃えてるてかんじ。
ずっと糖質あまり入れてなかったからびっくりしたのかな。
でも健康的なエネルギーに感じた。

前はおかずを食べるために米を食べてたけど、今はあきらかに米を食べるためにおかずを
食べてる。
米の味が消える強いおかずは避けるかんじ。
酢飯系は甘くて、たきこみごはん系は調味料の味がつよい。
味のついたごはんをおかずに白米を食べるという去年の私なら理解に苦しむところまで来た。

鍋で炊飯をやってみている。
家にあるいろんな鍋やフライパンで試してる。
ネットには様々な先人がいてアドバイスがいただけるのでありがたい。
けっこう皆ちがくて混乱するときもあるけど。

透明なふただと中の様子や変化を観察できる。
ボコボコいう音と湯気と白いお米とにおいがなんとも。
またいつかこういうのにも何にも感じなくなるめんどくさいが勝つときが
来るかもだけど。
今はありがたい。

最近手の皮膚が荒れだした。
米の食べすぎのような気がする。
胃腸が重いなって感じる時間長いし。
調整してくれっていう体からのお達しってことかな。
ごはんの幸せにもっとひたってたいのに。
糖質はがん細胞のえさだよっていうどっかで見て記憶に残ってる言葉で
自分を脅したりもしてみてる。

すごろく[3月30日(土)12時37分]
下の訂正
感想した小麦粉族→乾燥した小麦粉族


昨日、歌の歌詞で「〜気取りで」ていうのを見かけて。
「気取ってる」「気取る」とかなんか懐かしいかんじ。
意味を改めて調べてみてへーとなった。
今いうのかな。替わりの言葉があるのかな。
「きどる」とも「けどる」とも読むのか。
意味はちがう。

すごろく[3月30日(土)12時25分]

漢方薬は若いほどはやく効くらしい。新陳代謝。
赤ちゃんでもできる。
わたしは今年44で、今までの蓄積と
ちょっとよくなっては爆食してをくりかえしてたんでよくなるのに2年かかっている。
爆食でいけるなら続けてたが、皮膚がすんごい悪くなったんで
あきらめてチューイングしはじめた。皮膚はよくなった。

わたしのチューイングは一秒でも長く口の中にいてほしいので
かみごたえのあるものがありがたい。
ふわっと溶ける系はコスパわるい。
クリーム系も油断するとのみこむので注意する。
パンや麩、クラッカーやカンパンと一緒に食べると長く味わってられる。
感想した小麦粉族。
変な方向に工夫しはじめるよな。
でもひととおり一定期間やると気が済んだり飽きたりめんどくさくなったり虚しくなったり。
味が濃いスナック菓子でやると口内炎がすごいことになった。口開けずらくなったり。
量は減った。
天かすも一時すごい食べた。さくさく感がおいしい。
キャノーラ油で揚げたやつが好みだった。

食パンは昔はぜんぜん好きじゃなかったし、食べるとしたらトーストに限るだったのに
今は常温とレンチンも好きになってる。
常温のときの噛みしめ具合と(特に耳に近い部分の粉のつまってるあたり)
レンチンしたときの水分量のかんじと湯気と匂い、かみちぎるとき生地が伸びる具合を見るのが
好き。

しかし小麦粉族は口と脳には幸せくれるけど、わたしの内臓には優しくない。
残念だ。

すごろく[3月28日(木)08時28分]
味蕾
https://www.kagoshima-u.ac.jp/researcher/2022/02/post-37.html

すごろく[3月28日(木)08時18分]
手や腕がしびれて重くなってもうすぐ3年になる。
お箸が使えなくなって3年でもある。
スプーンとフォークとトングのお世話になっている。
お箸でつまむという動作は、それぞれの指の神経を細かく使うことで成り立って
いるんだねたぶん。
お箸でなにかをつまむという動作がいつかできるようになったら嬉しいな。
泣くかも。
でもあまり期待しないようにしている。

字を書くこともあまりできない。
なんとか読めるねみたいな。
すらすら書けることがどんなに素晴らしいことか。
でも今年手紙を書く機会があって。
時間かかったけどなんとか人に出せるレベルにできた。気がする。
出す相手はわたしの事情を知ってるから、至らないとこは大目に見てねと
甘えた。

一文字書くのに、線をひっぱる。
その文字を共通理解の文字として他人に認識させるために、直線と曲線を組み合わせ
長さや角度を調整する。
それの集合が言葉で、それの集合が文章で。
自分の気持ちは何かを捉えて、その中から伝えたいことは何かを考え、
それを自分の持ってる語彙力や表現法でどうあらわすか。
これ今書いてるこれ、そのときに感じたことを思い出しながら
文字にしてるけどめんどくさい。
こういうめんどくさいことを流れとしてさーと無意識入りながらやってたから
人間の脳ってすごいんだなと思う。

手紙は、便箋や封筒を何えらぶか、紙のなかで文体をどう置くかのバランスの設定、
切手の絵柄を何選ぶかどう貼るかなど個性を感じさせてくれる要素大きいから
面白いなと思った。

手間と時間かかるけど。


{To:上へ} {To:最新ファイル} {現在位置:03/28;07時} {To:08/02;23時} {To:11/22;21時} {To:一番下へ}
すごろく[3月28日(木)07時47分]
昔テレビでトキオの長瀬さんが「好物を食べるときは目をつぶってる」ときいて
真似してみたら、目からの情報が遮断され食べてる自分の感覚により集中することができた。

水野美紀さんの旦那さんが口いっぱいに食べ物詰めて食べるのが好きときいてやってみたら
頬張ることでしか味わえないおいしさがあるなと知った。

大食いユーチューバーのららちゃんが「私がほおばって食べるのが好きなのは
口のすみからすみまで幸せで満たしたいから」と言っていて
かわいいなと思ったしなんか感動した。
幸せを感じることに積極的なのもいいなと思った。
あと「目を閉じて耳をふさいで食べるのもおいしさに集中できる」とも。
テレビなど消して静かなとこで食べるのはやってたけど、耳ふさいではやったことなかった。
やってみたら咀嚼音が脳内に響くというかすごい聞こえた。
腕がだるくなるからこれはあまりしないが、食べてる感はよく感じられる。

ひとくちをでかく、口の中いっぱいにして、スプーンやフォークを置き
静かなとこで目をつぶって長く咀嚼してると、ある種のリラックスやトリップ感が得られる。
ちょっとスッキリするし食べたってかんじを得られる。

たまに立って食べたり、体のあちこちを動かしながら食べてみたりもする。
鏡見ながら食べたこともある。
途中で食べるのをやめて違うことをしてみたり。
独特の味わいがあるように思う。
ひとり遊びの延長なのかもしれない。

完全にひとりの世界に入るし、時間もかかるし、私はこういう姿を誰かに見られたくない。
作法や行儀から完全に外れている。
だからひとりで誰もいないとこで食べるのが好きということに。

家族と食卓を囲むのは好きだし安心する。
集まって同じ行為を共にする機会は少ないから。
同じ場所に集まって、一定時間目的があってそこにいるということは、
こういういいかたはあれかもだけど自由ではない。から話すチャンスがある。
でも話してたら気が付いたら食べ終わってたりしてあまり味わってなかったっていうことが
私は多い。食べるか喋るかどっちかに集中したい。
今食べてるものの話題だけだと食べてる感はあるけどそればっかりでもね。
そもそも家族と同じものが食べられないのがほとんどだし。

「誰かと食べる」や外食のハードルは今のわたしには高いな。
一緒にいるひとや、その場の空気や世界観、ルールを大切にすることが求められると思う。
でも大事にしたいことでもある。
社会的な身体と意識が重要だ。
ここをおろそかにしたら、またひとりの世界に入って出られなくて袋小路の苦しさに
会いそうでこわい。

すごろく[3月15日(金)12時01分]
19さいのころ、自分の「本の読み方」がまずいと思って、本よむのやめたら
食べ物がおいしいと感じる度合いが強まり過食になっていき、動けないほど食べるから
吐きはすぐ始めた。
日々のしんどさの紛らわしが本から食べ物に移っただけだと分かった。
本の作者が表現する世界観に癒されるように、
食べ物が与えてくれる「おいしい」に癒される。

本は、絵や言葉や文字を通しての作者の世界の中身はある意味そこで時間が止まっていて
そのまま残り続ける。
そのことが私はとても素晴らしい価値や魅力であると今でも思ってるけど
当時のわたしの読み方はそれを「絶対だと思いたい」「その世界に浸ってとどまり続けたい」
「私の選択の裏付けであってほしい」「決定の先人として参考になってほしい」
「失敗を避けるための指導をしてほしい」・・とこうやって書き連ねてみると
スーゴイたくさんの役割を程度を超えて本に求めてたな笑

でも食べ物は生きてるというか、なんというか。賞味期限あるし。
いろいろ繋がりが常に現在進行形で止まってはいない。食べないと生きていけないし。

形も様々、さわれて感触あって匂いあって温度あって音がして
味と口あたり舌ざわり歯ざわり喉越しなど感度に訴えてくるもの多い。
で、吐くとある程度は無かったことにできる。
食べ吐きという手段はわたしには救世主的だと思った。

体重と皮膚の心配はとりあえずしなくてよくなるからそのぶんのストレスは減る。
から日々のしんどさの正体を突き止めて解決をがんばろうと思った。
そしたら食べ吐きもしなくてよくなると。
今度の依存先は本の中身のようなイメージ等さわれないものとか、
食べ吐きのような病的なのじゃないやつを見つけたい、
そもそも依存がどうのっていうのをどうにかしたいと思った。

難しかった。と過去形で書きたい。今はどうなんだろう。
思ってた以上に根が深かった。

すごろく[3月10日(日)12時40分]
最近印象に残った言葉というか用語?は、

とある女優さんが仲間といっしょに手探りで演劇をつくっていく過程で強く意識させられた
といっていた「ネガティブケイパビリティ」。


調味料も受け付けず白いごはんしか食べられない時期があったという摂食障害の過去を
書いた方の手記のなかにあった「オルトレキシア」。


建築デザイナーの方の作品を評価する記事のなかにあった「公と私の境界のバランス」。

すごろく[3月5日(火)09時29分]
がんばるか、がんばらないかを自分で決められるってすばらしい。

でも、気が乗るか乗らないかで集中力も違ってくる。
そこらへんは成り行きが大きくてあんまり自分で決められない要素もある。

がんばれそう・がんばろうかなという向きで、
その過程や結果に何が起こるかわからないけど
どういう状態を狙っていつどこでどのくらいどのようにどの期間がんばるか等を
検討し判断できるのっていいね。
いつやめてもいい、後戻りしてもいい、
変わる状況状態にともない常に調整していてもいい。
誰かや何かとどう関わっていくかを選択できるということが意識下にあるということが
運がいい。

自分の状態は自分がわかるから
「がんばって」という言葉に応じる気持ちや表現もその時々により様々だ。
「応援ありがとう」から「無理。その期待っぽいやつに応えられない」まで色々。
期待に応えられない自分を改めて自覚させられるのはつらい。
でもそれも自分の一端だと思うと、こんなもんか感も湧くかな。

がんばって系を誰かに向けて出すときの人って
「がんばっていい結果を出して喜んでるあなたを、「わたしが」見たい」
「一緒に喜びたい」
気持ちかなと思ってる。


すごろく[2月27日(火)16時29分]
こうやって文字にしてはっきりさせてすっきりする面と
過去の私に寄り過ぎてしんどくなってくる面がある。
タイミングと距離感。

すごろく[2月27日(火)16時26分]
ずっと私だけ重力がおかしいのかと思ってた。
太ってても肌つやよくて軽やかな人たちはたくさんいる。
カロリーの心配だけしてればいい人たちはいいねとも思ってた。
人には外からはわからない想像できない、
人それぞれの悩みや苦しみや事情があるとはわかってるけど。

すごろく[2月27日(火)15時29分]
中医学の概念は説明されたり読んだりしたけどよくわからない。
わたしの体質は人よりはやく老化するらしい。
小学生のころからおばあちゃんと呼ばれるひとたちに親近感あったから
やっぱりなと思った。
道行くおばあちゃんたちよりわたしのほうが元気ないなと思ってた。
子どもは元気とか若さは素晴らしい的な概念からことごとく外れてて疎外感が
つらかった。
というふうに今書けてること自体うれしい。
過去のものとして書けてるかんじ?
あのときの気持ちや感覚はこの言葉が適切な表現じゃないかなと
選べてる決めることができるかんじ。

今はちょっとだけ割り切れてるかんじはある。
元気な人らの価値観や世界観はそういうかんじなのかと
落ち着いて距離感もって見れるときがある。
同じ世界や社会を共有してるから間接的には関係あって知ることは大事だけど
直接的には関係ないことが多いので必要以上に入りこまない。
防御している。





血が足りないから血をふやす系のと
胃腸を丈夫にする系のお薬をのんでる。と思う。
薄い理解。

夜は情報や刺激の量がすくなくて日中よりマシと思ってて
吸血鬼みたいだとか思ったことあったんで
血が足りないんだよといわれてますます吸血鬼を思って可笑しかった

整形外科に行ったとき、骨粗鬆症になりやすいかもとパンフレット渡された。
骨は破壊と修復をくりかえしてて、修復が間に合わなくなるのが
骨粗鬆症。という今の理解。あってるかなあ
修復やら体のいろんな回復を担うのが成長ホルモンで
それは睡眠中に行われる。特にノンレム睡眠。らしい。


ゾンビ好きな人が、吸血鬼は処女しか狙わんとかえり好みするけど
ゾンビは無差別で平等に狙うから好きっていってるの見かけて
なるほどと思った記憶。たしかにな。
韓国映画の「新感染」は面白かったしけっこう感動した。
あれに出てくるゾンビを思い出すと謎の元気もらえる。
あんなに元気いっぱいのゾンビ見たことない。
痛いとか疲れたっていうからだの限界振り切ってるからパワーがすごい。

すごろく[2月27日(火)13時33分]
漢方薬のみはじめてわりとすぐ効果かんじたのは
目が開きやすいということだった。重みがちがう。
陽ざしのなかでもまぶしいことはまぶしいけどあんまりしんどくない。
先生にも「目に力が入ってきたね」といわれた。
うれしかった。

あと体の緊張が少なくなったぶんそこからの疲れが減った気がする。
体が落ち着いてるというか。
文字どおり「地面に落ちて」「着いてる」イメージ。
きもちわるい浮わつきが少ない。
緊張が少なく皮膚のざわつきが減ったぶん、寝ることへの抵抗感や億劫さが減ってうれしい。
ずっと夜の時間と共に生きてきたけど最近は夜の時間が一瞬で過ぎてくれる。

20ねんくらい午前とか午後とかたまに起きて外でると
光と影や青空やいろんな音がきれいと感じて
「ふつうっぽい」とうれしくなるのに、
しんどい感覚を通してそれらが入ってくるのでしんどい疲れる自分を自覚させられる
ことが悲しい。疎外感。
全部生き生きときれいすぎ、と感じていた自分がいたんだろうけど
その状態も自覚認識できないからくるしいのみ。

小学生低学年までの元気だと思ってたわずかな時間と、
そこから地縛霊みたいに動けない、そことの断絶にどうやったらまた繋がれるんだろうと
ひたすら自問自答をくりかえす。
今の解決策が見出せない現状を改めて認識して
鬱と泣き叫びたくなる衝動と
あたりかまわずやつあたりしたい感じが来て苦しくなり
紛らわせるために、「食べ物を買いに行く食べる吐くシャワー寝る」の流れに
集中させる。食べてるときだけ落ち着けて情報を入れられるから
ネットしてアンテナにひっかかったものをひたすら吸収。

すごろく[2月25日(日)14時07分]
先生は15歳くらい上の男性なのだが、わかいころ数年間失語症になったときいた。
そのときの感覚をもとに、わたしの感覚の喪失感と回復感に寄り添ってくれてるように感じる。
最初は、わたしが失語症のつらさがわからないように、先生もわたしのつらさはわからんだろ
と思ってたけど。
でも先生にその過去があるのとないのとでは、わたしを理解してくれる共感してくれる度合いが
全然ちがっているのかもしれない。
わたしが持つ信頼感、先人としての参考になる感がちがうのかもしれない。
偶然の縁に感謝する。
先生はプロだから妙な自己投影・感情移入はしてこない。
優しいし距離感は適切だとおもう。
たまに先生は自分の話に夢中になって、わたしは気持ちがついていかないまま置き去りになるが
時間は限られているので、すいませんといいつつタイミングをはかって
話を切ったり戻したりして聞きたいことを聞いたりしている。
こういったところはもっと上手くなりたい。

でもなんか教育的内容みたいなのよりもただの雑談のほうがわたしには効くような
気がしたり。どうなんだろう
今までだって「これが大事なんです」みたいのより、誰かが何気なくいったことにヒントもらったことが
多いような。
イメージを伝えられてそれに沿って自分をおとしこむという流れは苦しくなるからなあ
確認だったらいいんだけど。

すごろく[2月25日(日)13時36分]
カウンセリングは今のわたしの状態を話している。
わたしは話しながら気付くというか、終わったあと
わたしってこういう人間だったんだとか、こう感じてたり考えたりしてたんかっていう
先生という他者に向かうことで、今ここのわたしと相対するみたいな?
途中で「合ってます?」と先生に確認している。
自分でもなにが「合ってる」のかどうしてこの言葉を使うのかわからなかったが。
正解を探してるのならそれはしんどいと思ってたけど
「進行方向は合ってるのか」という意味で使ってるかもと思うとしっくりきた。

精神的に?遭難中というか、前後左右がわからないのでなんとなくはわかるけど
自信はないので、先生に最近はこうこうこうこうなんですみたいにいうと
先生がうまくキャッチしてくれて周辺の景色情報を教えてくれて
なるほど今のわたしの位置はここらへんかと見当を付けられるみたいな。
歩いてる速度や方向の確認ができることで、ちょっとだけ見道しが立つような。

すごろく[2月25日(日)13時14分]
毎日のんでる漢方薬の成分のなかに、亀のこうらと鹿の角が入ってる。
漢方薬は植物というイメージだったので驚いた。薬によっては虫とかもあるそうだ。
亀と鹿にお世話になる日が来るとは思わなかった。
これからは亀と鹿に親しみを持って感謝していこうと思った。
ことを今まで忘れていた。また忘れていきそう。
2年間毎日のんでて私の一部?になってるから仲間?みたいなつながり?
みたいのはあるのかな細胞的に。

先人のひとたちの中のどういう経緯で
亀のこうらや鹿の角を人体に入れようってなったのか想像したりする。
あの硬さや強さを取り入れたいみたいな発想?という単純な想像。
作用を観察確認するのに、様々な膨大な数の人間と長い時間を要するんだろう。
さすが中国4000年の歴史ってやつか。

すごろく[2月25日(日)12時57分]

あいうべ体操はおすすめです

すごろく[2月13日(火)19時18分]
両親とは別のものを食べている
去年までは一緒の鍋を食べてくれてたけど
わたしが鍋の中に肉を入れない方向に行ったからさすがにあれで。
肉を食べなくなって頭のモヤがましになった。
今はつまむ程度には食べている
タンパク質と脂質とビタミン12不足からくる病がこわい。
こうや豆腐はタンパク質多めなんで代わりに頼ってる。
水で戻してぎゅっと絞ってそのままかみちぎって食べるのはわりと好きなことに
気づけた。出汁とかで水分をふくませたこうや豆腐はキライ寄りなんだが。

特に父はいっしょのものを食べるということがすきというか
家族の連帯感というか
一緒のものを共有する喜びってあるよねというか
わたしもすごいそれはよくわかる感じる
同じものを食べておいしいねっていいあいたい
家族だけじゃなく誰とでも。
食材を無駄にしたくない、
つくってくれたものを素直に感謝して体内に入れたい
たのしくおいしい時間を共有したい。

しかし現実は気分体調体質嗜好のちがいにより難しいことが多い
だからたまに距離感とかタイミングとかもあわさって
なにかしらすこしでも流れ的に無理なく共有できたときはすごいうれしい

すごろく[2月13日(火)17時40分]

10歳のときにいきなり今までどうやって笑ってたのか声を出してたのか
何を喜びとしてたのか自分の価値観や他人や世界とのつながりがわからなくなった
自分の感覚が遠い
おいしいも遠い

今になって断絶してた10歳のときの感覚が動いてるかんじ
勘が戻ってきたというか
これも動きながら変容していくんだろうけど。
33年間気を失ってたんかって思うほどだけどもちろんそんなわけなくて
しっかり育った怨念込みで今のわたしがある
怨念があるという自覚があるのはよかった
セーブがきくと思いたい

しんどい記憶は今の私を阻害してくるので積極的に忘れようとしてる
優先順位の低いものほど忘れるし覚えようともしてないかんじ
しんどいのはいやだ

すごろく[2月13日(火)17時28分]
チューニングしはじめて半年くらいか
これはこの先どうなるんだろうな

私はたべてるときしかリラックスできないからやってたけど
それ以外でリラックスできるかんじがようやくちらちら感じ取れる自認できる
というのはどういうことを意味してるのか

神様とかはよくわからないけど
流れと運と縁だけは信じられる


すごろく[2月13日(火)16時47分]

今43歳で、今年44になる。

ここに初めてきたのは21のときだから23年前
わーーーーーおとしかいえないか

で、
近況としましては
食べ吐きはほぼ20年続き、3年前からできなくなり
今はチューニングですね

自分の食べ吐きとか食の難しさはなんなのかずっと探してきまして
ようやく正体がつかめてきました

2年前から主にアトピー治療のため漢方薬のお世話になってます。
私もよくわかりませんが、漢方の世界も広く深くて
どこの入り口から入るかでぜんぜん違いそうなかんじです。

中医学というジャンルというのかそういうのを基にして
漢方薬と日々の養生を提案してくれる先生のお店を近場で探し
両親の協力のもと通ってます

舌の様子や脈拍をはかったりで数種のお薬をこちらの予算におさまるよう
計算して提案していただけました
何をいつどのくらいどのようにのむのかちゃんと教えてもらえて
次のときは副作用的なものはあったかどうか確認してもらえました
体の状態がよくなっていくと減薬というかんじでした



わたしの摂食行為は食べ吐きはじまる前からよくわからない感
食べると、食べてるときは幸せなんだけど、そのあと全部の力が消化に
もってかれるようなグッタリ、頭も常にぐるぐる
アトピー治療の本よむとあれ食べちゃだめこれ食べちゃだめのオンパレード
何か食べてしんどくなればあれたべたせいかと思うのがつらい
食べ吐きは何食べてもどうせあとで出すから大丈夫って安心できて
いつか何か解決のヒントが見つかればって探して
20年たったねなっがいわ
3年前に食べ吐きできなくなったのは努力とかじゃなくて物理的なことで
腕が不自由になったから。常にしびれて重い。
整形外科から大学病院にいって頸椎関連のあれっぽくて
一応の落ち着きはあるけど常に様子見。病名はもらえなかった。
今でもよくなってってるのかわるくなってるのかわからなくて不安で不自由。
でもこうなってなかったらやっぱり食べ吐きしてたとおもう。
代わりの食べ方が見つかってなかったから。

でも不自由になる直前はほんとうにひどくて
まったくしにたくないのにしぬかもしれないがちらついてこわかった
顔はこけまくりお尻の肉がなさすぎて座ると骨にあたっていたいし
骨の標本に親近感すごかった
2016年から吐ききるのに数時間かかるようになり
食べ物と同時にすんごい血が毎日出た。歯もめっちゃ溶けた。
疲れ切ってシャワー入って立ったまま寝ちゃって倒れて頭から血が出た。
救急車のお世話にならずにすんでよかった。
このあたりは運がよかった。

腕が不自由になったからといって食べ方がわかったわけでなく。
吸収するからアトピー症状はでてきた。
あと生理はぜったいになりたくないんで低体重はキープ。

ネットでいろいろ検索してたら札幌で中医学漢方のお店を経営してる女性の
ブログをみつけた。数年前から情報発信してくれててかなりさかのぼって読んだ。
その方が推奨してくれてる皮膚の状態に沿って
なにをどのくらい食べればいいかの指標がわたしにもあってるような気がした、
で今も基本的にその指標に沿った食べ方はしてて
大丈夫なかんじなのでそこのところの落ち着きと安心は得てる。

その先生のお店に行きたかったけど北海道はいろんな意味で遠いんで
近場で中医学のよさそうな雰囲気の先生を探した。
札幌の先生のブログのおかげでお店と先生を探すときの目安というかポイントを
つかめてた気がする。

食に関してはほんとうに人それぞれ生まれ持った体質がちがうから
ある人にあってる食べ物食べ方がほかの人にあうとは限らない
結局はいろんな情報を参考にしつつ自分で自分にあうのを見つけるしかない
っていってる人が多くて私も同意同感。

リーキーガット、乳糖不耐症、
小麦のグルテンやお米のアミロペクチンの負担に
自分の胃腸が応えられない、
納豆や玄米や山菜の濃い栄養に自分の内臓が応えられない
とかいろいろ・・


漢方薬のみはじめて2年目で
はっきりいって世界がぜんぜんちがうんだよねありがたいことに。
からだがよくなる、感覚がよくなる、感受するものがちがってくる、っていう。
よくなると喜びが来て、同時にいままでの病的なものの正体やつながり
がはっきりしてきてわかるよろこびと悲しみ哀しみと脱力感。

今一か月に一回薬を買いに漢方の先生のところに通ってるけど
一時間ほど無料でカウンセリングしてくれる。
今までのわたしのことを伝えても通じるので、わたしがおかしいわけではなかったという
自信はもてるのでありがたい。
気のせいだと思おうとしてたことが気のせいではなかった、
努力が足りないから見つからないんだと思わなくていい、
もうヒントを血眼になって探さなくていいんだという安心感。

体が落ち着いてると気分や気持ちが落ち着いてきてほっとできるんだねということを
ようやくかんじることができてよかった。
もっとはやくに出会いたかったと思うと同時に今じゃないと無理だったなとおもう
吐いてるときはせっかくの薬の成分を体外に出しちゃってただろうし
いまのわたしの自分についての理解と言語化の力がなければ
カウンセリング時における先生の言葉と指導を丸呑み、全部消化しようとしすぎて
疲れてつぶれてたとおもう






すごろく[2月13日(火)15時11分]

2024年だ



今年年末オフ会に参加できそうな方々がいらしゃったらご連絡をお願いいたします
sally[10月12日(木)23時16分]
みなさま、こんにちは、こんばんは‥いろいろですけども、私sallyが久しぶり、
どこかで皆様とお話できるチャンスがあったら会いたい、話したい、何よりも
ハグ出来てお互いを確認できればという会(なんでもええから会いたいねん!)を開催
していと思います。

お茶でもしながらおしゃべりしませんか?

みなさん忙しいでしょうから無理にお願いは出来ませんから、本当にこの日だったあら
会って話を聞きたい、聞いて!みたなご意見があったら、私は嬉しいです。宜しくお願い
いたします

懐かしい・・
ボウ[3月26日(日)16時41分]
sallyさん、覚えていてくださって嬉しいです。
名古屋のオフ会でお会いしたこと、懐かしく思い出します。

瀬里香さん、お久しぶりです。
自転車、楽しんでますか?

まあちさん、いちろうさん、ぽいやーさん、すみちゃん、ヤンさん、
ああ、懐かしいです。

私は、膝の故障で走れなくなり3年になります。
この1年半、目の手術を何度も繰り返して、見えづらさと異常光視症のつらい症状から
一時は「もう死にたい。」と思うほどに心身ともに追い詰められましたが、
今は徐々に回復しつつあります。

過食嘔吐は、昨年5月を最後にとまっています。
眼のことが関係しているのだと思います。
30年近くどんなに頑張ってもやめられなかった食べ吐きが、ふっとなくなり、
今はごく普通に食べることを楽しんでいます。
不思議なものですね。

今は別のつらさを抱えていますが、日々の愉しみもたくさんあります。
それが生きるということなのだと、しみじみ思います。

還暦を過ぎて、うしろを振り返ることがおおくなりました。

みなさんが、それぞれのところで、穏やかに過ごされますように祈ります。

長く会えないお仲間さん達に会いたい私
sally[2月27日(月)17時51分]
瀬里ちゃん、ボウさん、サナちゃん、すみさん、ぽいやーさん、いちろうさん、あやふやな記憶力でここで出会ったお仲間さんの名前がすぐに出て来なくなりました‥ごめんなさいね。
私は相変わらず過食嘔吐を繰り返しながら、ちょいとアルコールを飲み過ぎ(?)ながら、パート仕事をしつつ生活しております。

コロナ禍もありましたが、オフ会ってのを又出来るのなら会いたいですよ!!すごく会いたいです!!

でも‥皆さんいろんな事情が変わっているでしょうから‥いつかまた音頭を取らせて下さいね。

精神科とは35年前からの長いお付き合い
瀬里香[9月21日(水)16時22分]
こんにちは、瀬里香です。
20年ぐらい前からこの板には
お世話になってるんぢゃないかな。

ボウさん、お久しぶりです。
元気にランニングしてますか?
________


拒食症になったのは中学生の頃でした。

たぶん大人になりたくなかったのだと思ふ。
女性としての成熟・人間としての成熟を
拒否したのだと思ふ。

そうして中学生のわたしは
胸が膨らむことを拒否し、
月経が来るのも拒否し、
チャイルディッシュでいること、
子どものままでいることを選び、

わ・た・し・が・そ・れ・を・え・ら・び、
長年の月日が流れ今のわたしがいる。

だからわたしが今、精神障害者1級なのは、
誰のせいでもなく、わたしがそれを選んだ。

幸いすぐに吐かない過食症になり、
飢餓状態にも栄養失調にもならず、
20代の頃に娘と息子を出産しました。

今年2人とも無事、成人になりました。
わたしの精神科通いは相変わらずです。

今は体も豊満になり、
摂食障害も落ち着いています。

ずいぶん老眼が進み、
コンタクトレンズを装着していると
文庫本や新聞が読めません。
白髪も増えました。

カボスさんや深海さんやサナちゃんは
元気にしてるかな?

ふと すごく久しぶりにここへきてみました。
ボウ[12月4日(土)20時05分]
天国のもげこさんのブログを、読み返してみました。
そして、ここのことを思い出して検索してみました。
まだ存在していたのですね。
そして、なつかしい方々の書き込みをみつけました。

瀬里香さん、Sallyさん、まあちさん、いちろうさん、すみちゃん、ぽいやーさん・・
 
食べ吐きの症状はあの頃からずっと続いていますが、
今年、白内障の手術をしたら後の経過が思わしくなく、仕事もやめて静養中です。

何も手につかず、ふと立ち止まって 昔のことを思い出してばかりいました。
眼は、もう元には戻りませんが、この眼でこれから先、やっていこうと思います。
そして、摂食障害ときちんと向き合うことにしました。
 
なぜ、ふとここに来ようと思ったのか とても不思議です。

みなさんが、いてくれて とても うれしかったです。
ありがとうございます。
 

久しぶりに覗いてみたけれど
まあち[10月11日(月)00時27分]
昔、ここでお世話になったことがあります。
その頃の方はもうほとんどいないのかもしれません。

自分も数年にわたり摂食障害に悩まされました。
しかし、不慮の事故がきっかけで入院したことで
立ち直ることができました。

今は食べたいときは食べて、それで体重が増えたら戻して。
もちろん食べ吐きはしませんし。
食欲もコントロールできています。

あれだけ苦しんだ自分でも抜け出すことができたのですから
何かきっかけさえあればみなさんもできるはず。
諦めないで頑張りましょう。

疲れました
いちろう[9月23日(木)00時52分]
過食せず
睡眠をとればいいだけのこと
そしたら仕事ができる

仕事ばかりで
体も精神も崩壊しそう

睡眠不足で仕事でミスをする
本当に情け無い

職場へ行かない日なんて
1日たりともない
もう仕事辞めたい
過食しなければ仕事できると思うけど
やめられない

仕事辞める勇気もない

死にたいけど死にたくない
休みたい
眠りたい
過食したくない
過食したい
吐きたい
吐きたくない
自分が言うことをきかない
コントロールできない

ここで愚痴ってごめんなさい

子どもの頃に発症して35年経った今
瀬里香[9月2日(木)16時20分]
こんにちは、瀬里香です。
お久しぶりです。

☆3食たっぷり食べられるようになり、
☆吐かないし下剤も使いません。
☆しかし太ることに対する恐怖は薄れません。
☆今は【運動脅迫】【運動中毒】【運動依存症】
 などに該当すると思います。
 40万円のロードバイクを購入し、
 ものすごく気に入ったので、
 毎日自転車で100km走っています。

☆他、夕方暗くなったらお酒を飲むし、
 タバコも吸うし嗜癖のオンパレードです。

☆娘が大学生になり息子が高校生になりました。
☆オカンはだいたい要らなくなりました。

☆第二の青春を楽しみたいと思います。
☆たまに吐かない過食をして
 お腹苦しくなるけれど、
☆体調を整えるのが先決かな。

☆明日9月3日は
 ドラえもんの誕生日です。
 楽しい一日をお過ごしくださいね。

☆9月の暑気あたりにはお気を付けください。

ぽいやー[8月17日(火)13時00分]
ふと思い出しました。

掲示板まだ存在していましたね。

タイトルがこころの問題を考える会というのが、今すごく響きます。

懐かしい名前を見て嬉しかった。

私は元気です。
過食も拒食もなくなり30年近くになりましたが、生き方が今でも
そんなとこあるかもしれません。

パートは6年目の職場。伴侶とは銀婚式を迎えました。
3人の子のうち二人は成人し、働いて税金おさめるように
なっています。

色んなことがありました。これからもあるかもしれません。

なぜ久しぶりに来たのかわかりませんが、みなさんお元気で。

久しぶりに見に来ました
すみ[8月1日(日)22時58分]
久しぶりに書きます。
みなさん、どうしてますか。
わたしは、しばらくここに来ていない間に結婚して、また実家を離れました。
子供は、たぶん産まないです。
実家から離れてみて思ったのは、やっぱり自分のうちは母親と近すぎたんだろうなぁということ。
いまも、メールとかLINEの回数がすごいです。
でも、なんとなく昔とは違って、優しく返信できるし、無視はしないけど適当に返す、心理的に頼りすぎないというのができるようになった気がする。
驚いたことに、料理もほぼ毎日しています。冷蔵庫の中にストックがある状態が恐ろしくて仕方なかった頃からすると、だいぶ進歩です。
だけど、1人の日があるとうまく食べられない。今日はすごい変な食べ方をしてしまって、それで久しぶりに来ました。
味もあまり感じられないし、食べたいのかどうかよく分からなくて、焦ったように食べてしまう。
歳をとって代謝も落ちて、体重も増えやすくなりました。
ただ、なんか、体型とかよりもずっと頭の中を占めている悩みごとは、やっぱり自信のなさです。
自信がないというよりは、能力がない。能力がないし、怠け者だ、とずっとうじうじして同じところをまわっています。
もう何年も何年も、同じことをやろうとしてはくじけて、めそめそするループなので、
もう少し、うーん、もう少し、なんだろう
やっぱりわたしは、もう少し賢くなりたいです。
成果主義というわけではないのだけど、自分に期待してそれを裏切り続けるのは疲れるし、
期待なんかしなければいいのだけど、自分を待ってるのは他の誰でもなくて自分だけなのだから早く諦めればいいのだけど、
それができないのなら、少しずつでも小さな達成感を積み重ねられる人間になりたいです。
なんかでも、本当に、摂食の問題は解決しても性格は全然変わらなくて、もう仕方ないのだけど、
せめて悪い方向に向かわないようにしたいです。

もう疲れたよぉ
sally[6月27日(日)00時23分]
過食嘔吐40年近く、もう疲れて来た

生きる為に食べ吐きしてきたけど、疲れ果てそう。

それでも私の生き様ってこんなもんだよねぇって思う

疲れたよ

疲れた

この疲れの手放し方は色々あるんだよね

でも私手放せないでいるのは何でだろう?


生きております
sally[9月15日(火)16時58分]
瀬里香さぁ〜ん、又会える時、会いましょう!!

ずーっと昔に私が主になって開いたオフ会に参加して下さった皆さん。

ありがとうございました、又是非会ってお話し会出来たら良いなぁ^^


私は摂食障害に伴走して貰いながらジグザグロードを歩いて生きています。


お久しぶりです
ヤン[7月14日(火)16時56分]
お久しぶりです。
ヤンです。

急にふと
こちらにお世話になっていたことを思い出しまして・・


食べ物に振り回されていた自分はいたのですが
今、振り返ると、このためにあの時間があったのかな、と思えています。

そしてとても不思議なんですが
あの時、死にたくて、しのうとした時にはっきり声が聞こえたんです。
その声のことを不思議と思いながらずっと覚えていて・・。

最近
今の私が過去の私に向けて伝えたメッセージだった!と
ふに落ちました。


魂が何のためにここにきたのか?
私がこの世に来たのは
体験する、成長する・・
その途中に摂食障害がありました。
あんなにアップダウンの激しい人生でなくとも良かったのでは??
と思うけれど、私の魂はスリルの人生を選んだようです。。。
あの時生きていて、生き抜いてよかった。

今から25年ぐらい前の自分を大切にしつつ
残りの人生
魂と相談しながら、心穏やかに
自分を表現して生きていきたいかな。

それが誰かや、何かの役に立つと、嬉しいな。

そして
ここで出会った方々に (・-・)/ありがとうございます
⭐"⭐ *….=⭐ ヤン

精神科とは30年前からのお付き合い これからもお付き合いして生きるよ
瀬里香[6月28日(日)18時36分]
こんにちは。
久しぶりに訪れてみました。
Sallyさんやのり平さんはお元気でしょうか。ボウさんは?
カボスちゃんやサナちゃんは?ゆきんこちゃんは?
スティッチさんは?すごろくさんは?いちろうさんは?

こちらに書き込みをしていたころ保育園児だった娘と息子は
大学生と高校生になり、わたしはずいぶん年をとりました。

先日、新しい精神障害者手帳を受け取りましたが、
今回も1級でした。
摂食障害の症状はほとんど消えましたが、
精神科には30年前からお世話になっており、
たぶん一生のお付き合いです。
睡眠薬と安定剤と統合失調症の薬は外せない感じかな。

現在は障害年金を受け取りつつ、
就労継続支援A型事務所で月曜日から金曜日まで働いてます。

ロードバイクとB級グルメが大好きで、
週末は仲間と自転車で1日100kmとか走ってます。
ようやく第二の青春を楽しめるようになった感じです。
10代20代の第一の青春はすごく苦しかった。
苦しみと絶望以外何もなく早く人生終わらせたかった。
けどこの年になってようやく自分が生きてゐるということにも
自分が100%の確率で死ぬということにも少し納得しています。

100%の確率で死ぬのだから、
ちゃんと死ねるようにちゃんと生きようと思います。
ちゃんとって何?とか言われそうだけど。
1日1日を毎日24時間わたしがわたしを精一杯することかな。
幼少期のことは忘れた。今に集中してるから。
老後のことは後で考えよう。今に集中してるから。
今わたしは楽しくなくちゃいけないし幸せでなくちゃいけない。
わたしが楽しくて幸せになるための労力は惜しまないよ。
これからの暑い季節、釣りからのBBQを楽しもうと思います。
たぶん日焼け止めを使っても黒焦げになると思います。

https://www.facebook.com/serika.mizunami?ref=tn_tnmn

いちろう[12月7日(土)21時08分]
一年半前にメッセージを書いたまま
答えをもらっていたのに
ちゃんと返事も何も書かずにいて
すごく申し訳なく思っていました。
すみません。

nhatさん瀬里香さん
人が好きですか?という質問に答えてくださって
ありがとうございました。

人が好きで人が嫌い。
他人は一部、自分にとって必要な存在。
私もそうかもって共感しています。
共感っていいですね。
重たい心が
軽くなる気がします。
ありがとうございます。


今では好きかどうかなんて気にならなくなりました。
その方が楽に生きられるからだと思います。

時々
人生終わりたくなります。


生きたくても生きられない人もいる中で
こんな書き込みをして
すみません。

ひさしぶりに立ち寄りました^ ^
紫空[8月17日(土)01時32分]
約20年ほど前に、すがる思いでここに辿り着き、書き込みしていた者です。
自分にとって初めてのオフ会にも参加させて頂き、
たくさんのお姉さん方にお会いしました。
摂食障害の人に会うのが初めてでど緊張しましたが、
お世辞抜きにみんなキレイで優しくて、、!
あの新宿での日を忘れません!
そして、治るきっかけをくれたこの板には感謝してもしきれません。
管理人さん、当時の皆さん、本当にどうもありがとうございます。
もう今や小学生の子供を持つアラフォーになりました。
摂食障害からは解放されましたが、次々と迫り来る難題を乗り越え、
がんばってなんとか生きています。

今、職場に摂食障害の子がいて、
話し相手くらいにしかなれていませんが、なんとか救い出したいと。
私は吐けないタイプだったのですが、その子は嘔吐タイプ。
経た自分に今、何か出来ることはないかと思ううちに、こちらを思い出し、
また来てみました。

少し懐かしいネームを見て^ ^
また来ます。



{To:上へ} {To:最新ファイル} {To:03/28;07時} {現在位置:08/02;23時} {To:11/22;21時} {To:一番下へ}
会いたいなぁ
sally[8月2日(金)23時37分]
久しぶりに岐阜へ行った、各務原あたりも電車で通過

この茶店瀬里ちゃんと喋ったなぁ〜と思い出したりしてね


また瀬里ちゃんと会いたくなったよ

自分への拘りを脱ぐ
瀬里香[5月30日(木)18時07分]
10年前、37kg。
とにかく食べ物が怖くて避けてゐた。


今、48kg。
BMIの健康体重的にど真ん中ストライク。
こんなものかなあと思ふ。
ゴハンもおやつもそれなりにおいしいし、
体調も良いし、痩せなくて良いかなあと思ふ。

デブを見下す人から見下されても知らんぷりできる。

摂食障害の説明
まめたろう2[5月29日(水)12時44分]
とてもわかりやすい摂食障害についての説明を鈴木眞理先生がされていた記事が掲載されていました。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190528-00028752-president-life&p=3

『人生がうまくいかない時に「痩せたい」と言う』

『飢餓が重大な精神症状や人柄の変化をもたらすことは意外にも知られていない』

『「手のかからない良い子」が拒食症になりやすい(手のかからない良い子は実は良く思われたい気持ちが強く本音を出せなかっただけ)』

『体重が増えても「太った」「前のように頑張れ」と言ってはいけない』

『コーピングスキルが未熟』

などなど、かなり参考になりました。

というか当てはまりすぎてビックリしました。

ひさびさに
まめたろう2[5月27日(月)01時48分]
もう20年近く前によく利用していた者です。

その頃、交流していたメンバーさんはいないかなぁ…

オフ会とかもして…楽しかったなぁ…なんて思いながら懐かしくなってカキコミしました。

みんな摂食の症状とかで苦しい思いはしていたんだけど

この掲示板では正直に自分の気持ちを吐き出せて

この掲示板で出会った仲間とは正直に自分の気持ちを言えて交流できて

リアルでは理解し合えて信頼できる人がいなかったから

この掲示板の仲間はかけがえのない仲間であり

この掲示板はかけがえの大事な居場所だったなぁ…

なんて思いながら。


私は結局、摂食障害専門機関と繋がり、医療福祉のお世話になり、依存症専門医のスペシャル技術?技能?のおかげで

お薬飲んだら嘘みたいに過食嘔吐が止まりました。

10年苦しんだ過食嘔吐が止まって5年

今は過食嘔吐は止まっているけど、違う依存症になってます(笑)

私にとっての過食嘔吐は行動依存だったようで…

結局、過食嘔吐という行動依存が止まっても違う依存に移行しただけという悲しい現実(笑)

でも、ストレスを減らすように努力し、悲しい決別も決断もした結果

少しずつ人間らしい生活ができるようになってきて

依存症もゼロにはならないけどマシになってきています。

その瞬間をやり過ごせたら良しとする

そんなレベルの低いとこからやってるんだけど

まぁ…それでも依存症バリバリやってるよりかは明らかにマシだし

理想が高すぎるのは自分で自分の首を締めちゃう摂食障害の時からの悪い癖だなと私は思うので。


20年近く前、ここが繁盛してた時、交流あった子達は今どうしてるだろう?

みんな楽しく生活できていたら良いなぁ…

瀬里香[5月24日(金)17時10分]
Sallyさん。声をかけてくれてありがとう。ハグもありがとう。
わたしも摂食障害から抜け切れていませんが、症状(?)はかなり落ち着いてをり、月曜日から土曜日までパートで仕事をしてゐます。
唯一の休みである日曜日になると、如何に日常から離れて楽しむか、ばかり考えてゐます。最近は毎週末、ロードバイク(自転車)で友達数人と100km位走つてゐます。わたしは愛知県小牧市在住ですが、休日になると綺麗な景色を求めて岐阜県の大垣や多治見や土岐や美濃加茂や関や郡上あたりまで自転車で走ります。マイナスイオンの中を自転車(人力)で走る気持ち良さは半端無く、たつた1日の休日ではありますが、すつかり充電でき、また明日から丁寧に仕事をしようと云う気分になれます。日焼け止めは一応使つてはゐるのですが、既にかなり黒焦げです。人力で100km走るとなると、相当なエネルギーを消費しますから、朝ごはんをしつかり食べるのは不可欠ですし途中で糖分補給をするのも不可欠です。わたしはずつと「食べるのが怖かつた」。でも今は自転車旅行(?)での豪華なランチも楽しみの一つになりました。自転車は交通費がかからないので、その分グルメにお金を使へます。少しぐらい高くても美味しいランチをお腹一杯食べて癒されるというのが最高の趣味になりました。

明日は自転車で琵琶湖を100km走る予定です。朝6時に家を出るので、4時半ぐらいに起きて、しつかり栄養補給をして臨みます。一緒に走る皆様に、睡眠不足や空腹や体調不良などでご迷惑をお掛けしたくありませんし、そもそも自分が帰つて来られなくなると困りますし。安全第一ですし、琵琶湖や彦根城下の景色を安全にに楽しみたいですし。今日は早めにお風呂に入って早めに夕食を沢山食べて早めに眠ります。

___________


身体は今のところ健康ですが、ものすごく元気というわけでもありません。身体の疲れや頭の疲れは一晩眠れば回復しますが、気の疲れだけは長く引いてしまふことがあります。そんな時は皆様どうしておられるのでせうか。わたしは布団から出て縦になるのが辛いときは無償配信動画で映画やドラマを観てゐます。最近、感動したのは、嵐の二宮和也君が障害者役を演じた「Door to door」。
https://www.youtube.com/watch?v=UxFi3xfknmE


お時間があれば是非ご覧になつてください。また素敵な映画や小説があれば、紹介してくださると喜びます。それでは皆様良い週末を。明日は最高気温が34度になるやうなので熱中症には充分にお気を付けくださいませ。


2019-05-24-17:09

物事を達成できる人間になりたい、
すみ[3月15日(金)22時38分]
しんどくなってしまって、久しぶりに来ました。
しんどいのは日常的なことなんだけど、
わたしは未だに自己実現、みたいなことで苦しんでいて、
それであんまり人に言ったり相談したりできない。です。
はずかしいし、みじめだ。とよく思ってしまう。

最近は、
(大きな声では言わないようにはしてるのだけど)
子供を育てたり、産んだりする苦労が自分の人生には関係ないことについては
ラッキーだとさえ思ってしまっていて、
でも、ひとがわりとそういうふうに他者のことで悩んだりしているなかで
自分はずっと思春期みたいな
達成できなさとかセンスのなさとか同じループで回っているので相談したりはできない。
しかも、延々と毎日同じことで悩んでいて、
けっこう、比喩じゃなくて未だに吐きそう、自分に対して吐きそう。
わりと精神構造は変わらない。
押してだめなら引いてみる、的なことができなくて、ずっと同じところでずっと全力で押してる、のに
全く前に進まないから
ずっといつまでも自身がつかない。
自己否定しかなくて、でもそれを口に出すことさえ恥ずかしい年齢になってしまって、
わたしは
賢さが欲しいです。

おぉ!お久しぶりです!
sally[2月12日(火)16時47分]
久しぶりに来ました

…瀬里香ちゃん!

ハグハグギューです!

私はまだ摂食障害から卒業しておりません

でもまぁ、何とかパートに出ながらやってますよ^^

瀬里香[12月27日(木)19時43分]
いちろうさんへ。


>皆さんは、人が好きですか?
:嫌いではないです。
積極的にコミュニケーションを取るわけでもないけれど、
【わたし以外の人】がわたしには必要です。
わたしの場合、人に支えてもらわないと生きていけないし、
【わたし以外の人】の発想や物事の捉え方や考え方や
発言や行動を参考にしているからです。


>人の汚いところばかりが見えてしまって
:人の良い所を探す余裕が出てくると、楽しくなれます。

>自分に対しても醜いとばかり感じます
:醜いところがあるのは、いちろうさんだけでなくお互い様。
他の人はいちろうさんの醜い部分ばかり見てゐるわけではなく、
醜い部分があるからといって、
いちろうさん自体を嫌うこともありません。


>死にたくはないけれど消えたくなります
:わたしは死ぬことにも不熱心ですし生きるのにも不熱心です。
摂食障害が始まった30年前からずっと、
あまりにも世界が苦しみだらけなので、
ときどき、「そろそろ人生終わりたい」と思ふことがあります。

現在わたしは44歳ですので、運が良ければ(?)
人生あと半分もあるということが、
この上なく面倒なときがあり、
ごくまれにわくわくするときがあります。


厳しい寒さが続きます。
布団から出るのさえ憂鬱な季節です。
どうぞご自愛くださいませ。

母親失格
瀬里香[12月3日(月)18時29分]
こんにちは、10年以上前、娘と息子が保育園の頃にここに出入りしていた瀬里香と申します。すごろくさん、nhatさん、いちろうさん、すみさん、お久しぶりですね。

すみさん。書き込みありがとうございます。「お母さん、娘をやめていいですか?」を、現在、無料配信動画で興味深く観ています。分かりやすい共依存、分かりやすい影の薄い父親、分かりやすい機能不全家族、そんな家庭に別れを告げて自立していく娘の姿にエールを送りつつ観ています。

わたしは父や母から逃げたい一心で家を出て結婚して娘と息子を産み、13年間子育てをしましたが、新しく作った家庭でも結局うまくいかず、閉鎖病棟入院を経て4年前に実家に戻り、それからダンナとも子どもとも別居しています。残念です。ダンナや娘から暴力を受け続けました。家族生活を継続できませんでした。結局わたしが子どもを捨てたとも言えますが。


今は障害者就労支援A型事務所で、1日4時間の仕事をしています。自分の生活費を稼ぐのに精いっぱいの日々で、土日はわりと寝込んでいます。それにしても最近、体力の低下を感じます。わたしも老化したなあと思う今日この頃です。

nhat[10月15日(月)12時13分]
ひとが好きかどうか考えてました。
人と近づいて仲良くしたい面と、近づいて傷つくのを恐れて対人関係を避ける面と
両方が同時にある気がします。
ひきこもり傾向があるから、傷つきたくない面のほうが強いのかもしれません。

「人が好きで人が嫌い。ふたつが同時にある 」が私の場合のこたえかな?

nhat[9月24日(月)12時20分]
おひさしぶりです。しばらく閉鎖に入院してました。
人生なかなかうまくいきませんが、たまにあるラッキーなことや
趣味に助けられてなんとかやってます。
いちろうさんもお久しぶりですね。
今年の夏は本当に暑かったですね。身の危険を感じました。
人が好きかどうか。
ちょっと考えてみますね。

2年ぶりです
いちろう[7月23日(月)03時07分]
久しぶりにきました
少し疲れてしまったので‥

仕事、仕事の日々です
毎日過食しても
吐くための体力が残っていないため
1日の食事は一食夕食だけにしています
夕食を過食したら眠る日々です
翌朝、重たい体と気持ちを引きずるように
起こして仕事へ行きます
仕事から帰ってお風呂へ入れたら
いいのですが、
仕事帰りには
食べたい食べたいという欲求が込み上げて
家に着くやいなや
あるものを貪るように食べています

夜中には食べた後悔
吐いていないという不安で
1時、2時と1時間おきに目を覚まします
今日もその合間です
眠れないので
映画を一作鑑賞しました
ただただ深く眠りたいです

野暮な質問してすみません
皆さんは、人が好きですか?
人の汚いところばかりが見えてしまって
好きになれません
自分に対しても醜いとばかり
感じます
死にたくはないけれど
消えたくなります

酷暑が続きます
摂食障害の方にとったら
厳しい季節です
体内のバランスを整えられるものを
摂取できそうなら摂取してください
自分を大切にしてあげてください

すごろく[6月5日(火)02時51分]
小さいころから正解を当てる訓練に特化してるとやばいかんじ。
正解があるっていう前提を疑わない、疑えないのはしんどい。

すごろく[6月5日(火)02時48分]
数年前に、ニュースぼんやり見てたら
中国に対してなんかの活動、独立系かな、してた香港の学生の子だとおもうけど
なにか手ごたえがあったときにインタビューにこたえてて

「これで選択肢が増えた」

ってキラキラした顔でいってたのとその言葉の意味がけっこう印象に残って。
今でもなー。

誰にとっても選択肢があって選べるというのが豊かな社会なのかなとか・・。

大多数の人にとって優しくて優秀でていうのが、「一個しかない」のは
貧弱なんだろうな。
その枠から外れると不幸しか見えないかんじなのは。

「人それぞれ」が当然になってそれに対応したシステムをそれぞれ築く
てゆうのはやっぱいろいろ解決しなきゃならない問題がいっぱいあんだろね。

はじめまして
rioko[4月9日(月)16時45分]
はじめて参加させていただきます。ひとりで闘病しています。仲間が欲しくて参加しました。今実家で母の手料理を食べながら療養してます。以前は自分でお菓子だけ食べて生きてましたが、体調を壊して入院したことがきっかけで今の療養生活に入ってます。いまだに自分でお菓子だけ食べたい欲求があります。3食食べてますが食べた後ゲップがとまらなくて外に出られません。人前にも出られないのでなにもできない毎日です。一日中一人でパソコンの前に座ってます。この生活から抜け出したい。外に出たい。仕事したい。

相談
[3月27日(火)19時26分]
苦しい悩みは、一人で抱え込まず誰かに気持ちを吐き出すことですこしでも楽になるのではないかと思っています。
こちらは、厚生労働省のサイトから参照したSNS相談ができる安全な団体一覧のリンクです。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000194961.html
自殺サイトなどに頼る前に、まずはこちらを利用してみてください。
皆様に心休まる日が来ますように。

すみ[1月2日(火)10時34分]
ぐちゃぐちゃだ。。
新年でどこにも暗い話できないので、ごめんなさい。ここに。
こんな年の始めからぐちゃぐちゃで今年大丈夫なのかなあ

めちゃくちゃだ、ダメだ

すみ[12月29日(金)14時43分]
年末年始はアニバーサリー反応?が出るので、つらいです。。
親戚が集まるんじゃないかと(もう集まらないから大丈夫なんだけど)
フラッシュバック??というかいきなり目の前に再現されて意識が飛ぶので
わりとしんどいです

早く終わって、普通の日になってほしいーー

お久しぶりです
あろは[8月28日(月)02時47分]
何年ぶりかな。
久しぶりにここへ来ました。
相変わらず過食の毎日に疲れ切って…。
でも、久しぶりに皆さんの お名前を拝見し、少し元気がでました。

また来ます(^^)

だめだー、と3秒に一回思う
すみ[5月3日(水)21時13分]
やろうとしていることが達成できず、気持ちがそっちに行っていて、身なりが全然ちゃんとできません。
髪もぼさぼさだし、服もちゃんと選べない期(あと、部屋の掃除ができない期)に入っています。
ゴールデンウィークなので人と会う約束が多いんだけど、
「いろいろ成し遂げてない」という気分も先にたって、待ち合わせの時からもう逃げ出したいーーです。
人と会っている時の「こんなことしてる場合じゃない」感がいつもすごいです。
なんというか、時間の先取り感覚がとれない。いつもちょっと将来の事を心配してどきどきしている。

がんばろう、と思うと焦るからだめだってよく言われてきた気はするのですが、
10達成をがんばらないといけない時に、他の人は「1がんばろう」で10達成できるとすると
わたしは「30がんばろう」くらい助走をつけないと7、8まで行けなくて、
でも設定を20くらい達成をゴールにしちゃうので結果70くらい勢いつけないとゴールにたどりつけない感じ、、です。
あれ、計算が変だ。

とにかく、追いつかないと!な感じで何もしてない時間も気持ちが休まらないです。
目に見える形で達成しないと、不安です。
と、体重のこととは無関係に書いたのですが、
こういう精神構造は摂食の頃と基本的になにも変わってないなーと思います。
春はとくに、なのかもしれないです。

頭の中が馬鹿です、春です
すみ[4月14日(金)21時41分]
昔の嘔吐から来るダメージなのか、いきなり歯が抜けました。
酸のせいか、栄養不足時のせいか、、どっちもかなー。
あと、睡眠導入剤飲んで眠ると、気を失う感じで寝てるので歯を食いしばってるのかも。
それとも甘いもの食べてたから虫歯かなー。。

奥のほうの歯だから目立たないんだけど、ばきっと真っ二つに割れて、
ほぼ1本の半分くらい折れて?というか抜けてしまったので、来週歯医者さんに行きます。
怖いー、、、
割れたところを舌で探ると、中身がすかすかになってます。
歯が抜ける、というのは、結構、身の危険を感じます。
こう、死ぬより怖いというか、じわじわだめになる予兆みたいな感じで怖い。
どんどんこうやって歯がなくなるのかしら。


それから、
またなんの脈絡もない話なのですが、好きな人に会ってきました。
春だーーー。頭の中が春です。気温もあがって、ちょっと馬鹿みたいになっています。浮かれている。
片思いなのですが、この片思い感がたまらなく楽しいです。
その子は、仕事のことですごく応援をしてくれているので、仕事で成果をあげて応えたい。です。
せっかくセンスとかそういうものの部分を信頼してプッシュしてくれているので、
変に1対1の狭い関係に閉じこもっていくよりも、対等に、一緒にお互い伸びていけたらいいなー、、と
思っています。
とにかく素敵。素敵素敵、優しい。
いい歳をして、こんなに頭の中が馬鹿なままでいいんだろうか、、、とは自覚しているのですが、
もう一生こんな感じのまま何もわからず何も現実的なことには手をつけられないまま過ごしていくんだろうなあ。

えい。送信。

nhat[3月21日(火)21時53分]
ひととの適切な距離感をつかむのに四苦八苦しています

最近は読書がたのしい。
ひと雨ごとにあったかくなっていく季節ですかね。

なんだか色々疲れて、ため息もたくさんでます。

すみ[3月18日(土)23時08分]
近況
メモ

少し仕事でどうにか上手く軌道に乗り始めました。
今後も続けられるかどうかは、運と能力次第なので、自信も確証もないけども、
とりあえず、もはやそれに人生のほとんどを突っ込むつもりで今、いるので、
結婚、出産というカードは捨ててしまった感じです。

昔すごく好きだった、憧れだった、片思いの人とお仕事でご一緒できました。
嬉しい。
あと、少しだけ好きな人がいます。
好きというか、尊敬しているのと、がんばれー!という応援と、かわいいなあという母性?みたいな気持ちと。
ちょっと年下の子です。
恋愛にはならないと思う。
お互い今必死だし、お金もないし、たぶん似た者同士だと大変そうだから。
ほんのりいいなあーと思うだけで、お互いがんばろうね、って思う。

あと、
ちょっとまた入院してきました。
1週間くらいの短期の任意入院で、閉鎖に。
ちょっとこの4ヶ月くらい、怒涛の日々だったので、
燃え尽きないように、メンテナンスの休養入院。

もう退院しましたが、ちょっと体力と感性を充電しなきゃやばい
という感じで、眠すぎて眠すぎて、とにかくいっぱい寝て、
やっと少しずつ始動?できたかもうちょいか、という感じです。
しばらく、本ばっかり読んでる

春からまた怒涛の勢いで(無理しすぎず)がんばらないと。


みなさまも、季節の変わり目、体調のアップダウンが激しくなりますので
どうぞご自愛くださいませ。

soya[3月11日(土)19時00分]
酸蝕歯、というのでしょうか。
15年以上、365日、一日5〜20回の嘔吐を繰り返している私の歯は、殆ど酸で溶けてダメになってしまいました。


最近は自分が過食嘔吐や拒食だけでなく、引きこもり問題、対人恐怖、不安・パニック発作、
鬱、離人、健忘や解離症状、幻聴、フラッシュバックなど、
『摂食障害』と一括りにまとめられるだけの症状では収まりきれなくなっています。

「はてな、私は何の病気かしら?」
なんて思ったりしますが、家族の理解を得ることは不可能との主治医の判断もあり、私も同意した上で治療しています。
でも主治医にも大して症状の申告はしませんから、一人きりで抱えています。



今日は落ち着きがありません。
けれど私だけではなく、世間全体がそんな波長を拾っているようにも感じられる一日でした。
あの日だからですかね。

そうかも知れないし、そうでないかも知れませんね。


きっと皆んな、一日一日、色々な所で影響し合って、この地上世界で肩並べて生きているんですね。


ぼんやりそんなことを考えて過ごす毎日と、変わることのない過食嘔吐や拒食症状を抱え、
「生きるってなんだろな?わかんないや」と、やっぱりぼーっとやり過ごしてしまうなあ…。

nhat[3月2日(木)21時44分]
結婚したいなぁ…

恋愛ってどうやるんだろう
いちろう[2月21日(火)23時29分]
久しぶりにここに来ました
やっぱり他人とうまく付き合えません

恋愛だけでなく
社会人としても
人とコミュニケーションを取っていくのが
苦手です

早く解放されたい
人が相変わらず怖い

そして自分は
相変わらず醜い

soya[1月30日(月)11時47分]
私のお母さんに発達障害があることを理解しました。
特に成人のADHDの特徴が当てはまる女性だと私は個人的に考えています。

だからと言って特別に何かが変わるようなことはないけれど、
自分の事を別角度から理解、整理する上で少し役に立っています。



それと今年の始め、長年アルコール依存症を抱えていた叔母が、アルコール性肝硬変による肝不全によって死去しました。
60歳に至りませんでした。

アルコール問題を始め、度重なる旦那の家庭内暴力や非常に多額の借金、詐欺、警察沙汰(実刑をくらっている)、
息子の問題などと、長年付き合ってきた叔母でした。
勿論叔母自身も飲酒運転で拘置所?に入っていた期間があります。
アルコール依存症専門の病棟に入院した期間もありますし、横暴な振舞いをしていた時期もありました。


それでも、自分で死期を悟ったのか、最後は色々なことを理解して、
私たち家族にも「お別れ」の会話をする機会を設けてくれて、静かに一人、ようやく旅立っていきました。

残念ながら私が見る限り、旦那にも自己愛性パーソナリティ障害の傾向と、
息子には軽度の知的能力障害などの傾向を持っているように考えられました。


叔母は一生懸命に家族の機能を修復させようとして、お酒を乱用して、突っ張って生きて、そうして生涯を閉じました。
遺体は見たこともないような黄土色をしていて、体中ボロボロでした。
若い頃は人が振り返る程美しい女性でした。




私は自分の最も大切にしていたぬいぐるみを棺に入れて、叔母を見送りました。
そのぬいぐるみもやはり30年間肌身離さず持っていたので、今や原型をなくす程ボロボロで、叔母そっくりです。
叔母の亡骸と一緒に燃やしました。




ようやく一息付いたところです。
体調も回復してきました。
一時は医療保護入院の適応が可能となる範囲内まで体重の減少が見られましたが、
現在は味覚や食欲なども緩やかな回復傾向にあります。


今後は少しずつ私個人の思いや感情への理解を、過去の記憶と合致させていきたいと考えています。


ではまた。

すみ[1月13日(金)23時30分]
ああ、この頃わたししか書いていない、、。
連続でほんとにごめんなさい!

今日NHKで夜10時から始まったドラマ
「お母さん、娘をやめていいですか?」というのがものすごーーくよく出来てるストーリーだ!
まさにあるある!と思ったら、
心理の監修が摂食障害やDV、アルコール依存などのカウンセリングで有名な信田さよ子さんでした。
さすがだ〜〜。ドーナツをめぐるシーンや、英語の授業で好きな食べ物を聞いた時の女生徒の答えなど
とにかく秀逸な物語でした。
お母さんとそのまたお母さん(おばあさん)の関係とか、父親の「いるけどなんか不在」な感じとか、
「ある〜!」って言いながら見ました。
ちなみに渋い顔をした母と一緒に見ました、、、(病んでる)

脚本家さんすごいなあ。
というか、こういう話が共感を狙って放送される世の中になってきてちょっとホッとしたのでした。

なんとなく書いちゃいけない感じがして、ここに書きそびれてきたのですが、
最近ずっと愛子さまのことも心配です。


度々来てしまって、本当にすみません。。> <

大寒波なので、みなさま風邪をひかれませんように。
おやすみなさい。

たびたびごめんなさい〜!
すみ[1月12日(木)00時54分]
ここに来る回数増えておりますーーー
不安を持て余しているのです。

ふと、いま気づいたんだけども、
睡眠を眠剤に頼り、
生理もピルに頼り、(若い時の痩せ時に止まったため)
胃腸がダメになっているのでめちゃくちゃ効く胃薬
(これ飲むと食欲だいぶ戻る!胃酸を止める薬?です〜)飲んで、
人間の3欲求まるごと薬頼みじゃないか!!と。
ちょっとショック。。

コントロール下にある物事が好きなのです。。

たぶん、子供産んだり、他人と暮らしたり、理不尽な社会でうまく働いたりと
きっと世の人々はコントロール不可能な事を受け入れながら生活しているんだろうなあ
と思いつつも。

ひとまず、性格を変えるよりは向いている生き方を目指す方向で
地味にコントロールできる範囲の努力をしたい

と、
思い、、、ま、
あ眠剤効いてきちゃった


寝まーす
皆さま天気が全国荒れているようですがご自愛くださいませ。

誤字
すみ[1月7日(土)01時06分]
メンタル余裕なので、
じゃなくて
余裕ないので、
でした。

真逆だ。。
縦揺れに強いけど横揺れですぐ倒れる、みたいな感じです。


あと、それと、昔まわりの人たちがどんどん前に進んでる時に
「あいつ出し抜きやがって」とか、「強い人にすり寄って弱いわたしのことは切り捨ててさ」とか思ってたけど、
きっと彼ら彼女らも必死だったんだな。と歳をとって気づいたり、
みんな上がった下がったりで、平常心で誰にでも優しくなんてなかなかできないもんなんだな、と少し安心したりなのでした。


誤字でした。長くなりました。以上です、また。

すみ[1月7日(土)00時58分]
記録。のような、メモのような。置き手紙的な。

ここしばらく、
0か100か、のような賭けに出ることをしていて、
可能性的にはまた0になってしまう気もするのだけれど、
(正確には45パーセントから60パーセントくらいは達成しているのだろうけども、
 きっと拒食か過食かと同じで永遠に100が出ないからずっと0でずっと苦しいと思う)
胃も痛いし、食べ物の味もしんどいし、睡眠もろくにとれない感じで、
こんなほふく前進みたいな生活をあとどのくらい続けるんだろう?続けられるんだろう?5年?10年?
などと、思い、涙もうまく出す暇がない感じです。


***
それで、行き詰まって、
ふと、
昔ともだちだった子の作った音楽をききました。

それはすっごく久しぶりで、でも嫌だったからきかないできたんじゃんくて、
なんというか、我慢というか、鍵をかけるというか、
大切だったからこそ、軽はずみにきいてはいけない種類のものとして大事にとっていたやつで、
それを久々に自分に許可してきいてみたら、やっぱりそれはすごくすごくいいのでした。
そしてちょっとがーーーっと泣いたら、少し気分が晴れて、なんとかその日もがんばれました。
ほんと何年ぶりにきいたんだろう。

色々な事があって、もうきっとそのともだちだった子とは連絡をとれないだろう、
決してとらないだろうと思っていて、
でも、本当に心から思うのは、その子がどんな人間であったとしても、
わたしはその子の作る音楽のことは本当に信頼しているし、信用している。ということなのです。
それは、その子のことを肯定していることにはならないのかもしれない。本人は否定と受けとるかもしれない。
全力で激怒されるかもしれないし、冷たく鼻で笑われるかもしれない。
たぶん、無感情でスルーされるだろう程のちっぽけな感想です。ちっぽけでくだらない人間だと思われているだろうな。


いま、親友2人が妊娠と結婚して、わりとアバンギャルドなタイプの女の子2人が、意外な感じの幸せに落ち着いたので、
びっくりしつつも、心からお祝いできていたり、そんな自分に驚いていたり、安心したり、
という最中、アバンギャルド続行中の身のわたしとしては、
全然関係ないことかもしれないけれど、昔のともだちだったその子にも、どんな種類の幸せであれ、とにかく幸せでいてくれたらいいな、と思っているのです。
とにかく、ハッピーでいてほしいな今、と思いました。


たぶん直接伝えることも伝わることもないことなのだけれど、
くだらないとかもしれないけれど、ここに書いておきたくなったので、また来ました。
***







なんとか、もう少しだけ、頑張ってみます。
きっと結果が0だった時、またしばらくしてここに来て鬱鬱とした不定愁訴を書いたりするので、
掲示版にもまた。来ます。たぶん。苦笑

独り言なのと、いまメンタルめちゃくちゃ余裕なので、どなたもお返事不要です。ではではかしこ。

近況
soya[1月4日(水)12時40分]
久し振りに開きました。

色々ありましたが何とか年を跨ぐ事が出来、今日も生きている。
そういう現実が不思議でなりません。


「『わたし』という個性を持った存在がこの世に存在している」


恐らくそれは普通の人間は普段意識すらしない基本的事柄なのでしょうが、
私はいつもここが不安定だったり曖昧であったりするため、
そのことを感じた時に「ハッ」としてしまったのでした。




「生きてこの世界に存在している」という不思議さに、
「わたし」という限定的な時間軸に、私は驚きを隠せずにおりました。



あとは、対人恐怖症が強く出ていたり、不安や焦りや恐怖でパニックになることが増えていたり、
疲れやすかったり、落ち込みが長引いていたり、少しの事で心が弱く脆く影響されやすかったり、
拒食や過食や過食嘔吐が混在して日々の行動に現れたり、悪夢に魘されて不眠がちであったり、

…と、塞ぎがちで不安定な毎日を過ごしています。


苦しいことを苦しいと思えるようになったこと、色々な感情を自由に感じている自分が出てきたことなどが、
唯一の糸口になっています。
何の糸口になっているのかは、やはり怖いのであまり考えることをやめておきますね。


では。また。

追記
すみ[1月3日(火)09時56分]
昨日書いたやつは、あくまで今現在時点では元気な(痩せていない)ケースの拒食予防で、
痩せちゃうと、レッドブル系は心臓に負担が大きすぎてやばいので、
(わたしも昔痩せ時に別の市販サプリちょっとした量だけでで死にかけた)
痩せが始まってしまった場合、
やはり
エンシュアとポカリ(砂糖が入っているほう)の組み合わせが栄養価的にも電解質的にも最強だと思います。

あと、一般的には拒食はやっぱり体重減少を望む気持ちとの葛藤がメインだと思うので
昨日のは多動癖(交感神経高まると食べれないの始まる)がある人とかの
拒食再発予防というだけの個人的メモです。

あまり体には良くないので、一時しのぎ的なものとしてですのでーー


ではでは
かしこ。

すみ[1月3日(火)02時03分]
メモ
眠剤が効くまでの間のちらっとメモ。

減量目的ではない拒食になりかけた場合、
エンシュアとレットブルの組み合わせは最強。

実際わたしも、プレッシャーやストレス、多忙や緊張などの状態がひどくなると
咀嚼自体が無理になるというか、味が無理な感じに陥る癖があります。
食べることで気力を無駄遣いするのさえしんどくなる、というか。

が、ここで体重が減るとあとで過食やら
痩せてしまった場合の脳の損傷から回復するのが
またしんどい(という経験上の判断)
で、とにかく、カロリーと栄養と元気だけは維持するのが賢明で。

ダイエットから始まる拒食の場合、上の限りではないのですが、
ダイエットじゃない拒食からも、体重減少が始まると
いわゆる本当の拒食にスライドすることがあるので

とにかく、カロリー大事!そしてやっぱりエンシュアはすごいです。
さすが病院で最初に飲ませられるわけだったなあ、と。
栄養バランス完璧。
カロリー高い炭酸飲料にしてもエンシュアにしても、味はかなりあるので、
気になるようだったら、飲むごとに歯磨きうがいをすると、そんなに気持ち悪くないです。

あとは、ストレスで胃がムカムカしても、
吐き癖が戻ると、吐くとかの自傷こそ癖として戻りやすいので

とにかく意識的に好きなことで緊張感を取り除く。
ださいけど好きなポップソング大音量で聞いて歌いながら色々のりきる、とか。
とにかくお風呂は入る、とか。

自信のなさから不安が倍増している場合は、とにかくひとまずは、
自信のない事柄に対して具体的にアプローチする
結果だめなら、また次。
とにかく小さな経験を積み重ねていくしかないや。

ほとんど自分言い聞かせるように、な、メモ。
でした。

ああ眠剤効いてきちゃった、、、、

支離滅裂な文章なってたらごめんなさい!!><

メリークリスマス
nhat[12月24日(土)23時21分]
パーティーをしてきました。
とても楽しかったです。

師走ですね
nhat[12月4日(日)12時03分]
寒い!


{To:上へ} {To:最新ファイル} {To:03/28;07時} {To:08/02;23時} {現在位置:11/22;21時} {To:一番下へ}
あしあと、とひとりごと的な近況と
すみ[11月22日(火)21時46分]
あしあと
です。

昨今、本人の特定などがされやすいこの頃、昔の記録が今もこうして残っているのは怖いような、
気にし過ぎだともわかっているような、やはり怖いのは神経質だからなのだろうなあ、と思うような感じで
諸々のついでに寄り道で覗きにきた次第です。

にわかに身の回りが慌ただしくなり、毎年、1年前には考えもしなかったことが起きるものだなーとびっくりするやら、テンション上げないと乗り切れないやら。です。
あまり張り切りすぎるとあとで揺り戻しが来る、とわかっておりつつ、少しタスク数をあげて、ビタミン剤のんでひと頑張りです。
惜しい惜しいはゼロのうち、というのがここ10年くらいの教訓なので、
摂食においては0か100かは良くないものの、ひとまずはしばらく100で。さもなくば0の覚悟で。

結婚とか出産とかのますます人並みの事柄は遠のいているのですが、周回遅れで同級生たちが10年も前にやっていたような事柄に遅いペースでやっと追いつき始めた感じです。
マイペースでももうしかたないか〜〜。。いろいろとがんばろう。

それにしても、インターネット怖い昨今です。気にしすぎかな。
アップダウンの激しい人生であります。
が、がんばろーーー、、、

nhat[11月20日(日)00時01分]
久しぶりに会う友達とお茶してたくさん話して、
新鮮な気持ちになれた一日でした。
なんどもトライしたいなってまた思えてありがたかったです。

冷えますね
nhat[11月17日(木)17時48分]
頭痛の日

カウンセリングに
nhat[11月9日(水)22時26分]
行ってきました。

足跡を
nhat[10月24日(月)21時27分]
ぺたりと付けていきます。

soya[10月22日(土)07時51分]
最近また無茶な絶飲絶食+過食嘔吐を繰り返してしまったおかげで、体型もガリ細になりましたが、
先に電解質のバランスが崩れ、複数の病的症状に振り回されていました。
その後、食事と水分と嘔吐の加減を調整し、ようやく昨日頃から体調が改善し始めた次第です。

その際、勝手な自己判断で断薬もしたのが裏目に出、睡眠は一睡も取れない日が続き、肩や首の凝りも以前通りの最悪な
状態に逆戻りしてしまいました。
こちらも調整しながら再度服用を始めています。


世には排泄型だろうが制限型がろうが、本物の骨と皮と化した超一級者の拒食症者も多く存在していますが、
いやはや、自分はそこまで極限な自己否定と自己嫌悪(自己憎悪などという言葉もあれば付け加えたいところ…)、
もしくは超越しきった我慢の難しい何とも中途半端な人間だ、と感じます。

「自殺が怖くて出来ないから、せめて病死出来れば…」と思ったところで、そう甘いもでもなく、しぶとい生命力と
病的摂食異常が長引いてばかりです。

なんだか疲れ果ててしまいます。


最近はそろそろ「若者」「お姉さん」の年齢を超え、「大人の人」「おばさん」的要素が加わりつつある年齢に突入した
こともあり、10代、20代で経験してきた摂食障害(パーソナリティを含む症状表出や感情の起伏、葛藤の現れ方など)とも
異なる精神症状(もしくは思考の変化)が出現してくるようになりました。


やはり同じ摂食障害期間内であっても、個人の人生における様々な出来事(身体面の変化や偶発的事柄、周囲の環境の変化など
も含め)によって、多かれ少なかれ症状の内容の変動は常に続いているようです。



本音を言えば、理想はひっそりと静かに、人知れず息絶えて存在の自然消滅が成されることですが、あまり私にはまだ
その権限は与えられていないようにも思います。

「死にたい」という想いが長年強く心にありましたが、自らの手によって私という個人を殺害出来るだけの何らかを、
私は握ることが最終的に出来ないのだとも静かに自覚するようになりました。

かと言って「生きる」現象と上手く向き合ったり付き合ったり出来る程、私は優れた人間ではないことも自覚しています。

まあ…「『人間』という生死・一生」に関して、私は永久に不得意なままなのでしょう。


私とは極地関係にある母親の心理的雑さ、粗さ、大雑把さ、芯すらない程の図太さなどを少しでも見習いたいものです。
結局、あの方の金銭を上手くこちらに利用させてもらっているのは、私の根性悪ですしね…。






集中力の低下や意識状態の低迷も引きずったままの状態ですが、ぼちぼち洋書や洋画、オンラインで無料配信されている
ライブ放送などを見ている時間が、今は少しの楽しみ…かな。

あんまり日本語理解にとらわれず、分からないものはそのまま今は流すことにして、飽きたら止めたり、休んだりするように
心がけています。
発音などは、文字で一度日本語に直すと上手くいきません。「when」すら、やっぱり日本語理解上の「音」なのですよね。

「英語が出来るようになる」というのも、「見る・聞く・読む・書く・発話する・コミュニケーションをとる」など、
たくさんの要素が複雑に絡み合ってようやく全体の歯車が回転してくる代物であるように思います。



学生時代のように、「今詰めて何か一点を見定め努力する」という根気が年々薄れてしまった現在の私です。
「まあ…なるようにしかならんだろうな」と思いながら、英語に関して言えば「暇つぶしの正当化」として、
または護衛術としての完全な趣味と化していますね。まあいいか。




まーた終始独言のオンパレードでした。
摂食障害の方の多くは、身体の内側から冷え切ってしまう体質についついなりがちですので、これからの時期、
是非自分が思うよりも少し過度に自分を甘やかして、温感対策を取るようにしてあげて下さい。

ではまた。

鬱や落ち込みなど
soya[9月30日(金)09時42分]
先週のある日を堺に、また…
過食嘔吐以外で体力維持の為に食べていた食事(一応3回、食パンや豆乳や野菜やチーズ、蜂蜜、ヨーグルト、時々ハムなど)を
摂ることを勝手にやめました。
まあ成人しているので誰の許可も必要ありませんが…

一週間過食嘔吐のみで過ごしたところで、体重なんてものは1kgも落ちないものですね。体脂肪率も結構ありました。
体重を量るのは実は前回の拒食が回復してから一度くらいしかしておらず、体重計に乗るのも半年以上振りのことでした。
体脂肪率が2%だった私は一体何処へ行ったのでしょう?


前回の診察から二夜空けて、ですね。食べるのをやめました。きっと診察と何か関係もあるのでしょう。
「ガリガリになりたい」と再び考えるようになったのが確か1ヶ月と少し前からで、
その頃から色々なことに対する絶望感が増してきたようにも思います。
不安になると、過食するか拒食するんですねえ…。


いきなり過食嘔吐(一日に大量な食事が何度もある)以外の食事を食べなくなったことで体がビックリしたのか、
直ぐに貧血、目眩、立ち眩み、動悸、耳鳴りを頻繁に起こすようになりました。
拒食の時の体験で慣れているので対処法は理解していたつもりでしたが、先日、私の就寝中に家族が放っている雑音を
絶とうと部屋を隔てる扉へ向かったはいいのですが、気付くと扉とは反対側のクローゼットの下でのびていて、
一瞬自分がどこにいるのか理解出来ませんでした。
後頭部やお尻や右半身を強く硬い家具に強打したようで、恐らく貧血と睡眠薬の兼ね合いで意識が飛び、
転倒を起こしたのでしょう。

朦朧とした意識のまま父親に「後頭部を強打したので湿布を下さい」と説明し、ペコっと髪の毛の上から無造作に貼って
そのまま眠りに就いたのを覚えています。

医者で診察する程の異常はなさそうですので様子を見ますが、やはり身近な人(母親)にその話を笑って翌朝話した時に
聞き流されたのがショックだったと感じるということは、自分にとっての家族の視線が精神的な何かを左右しているのだ、
ということくらいは事実ではないかとも思います。


自分のことに興味がなくなると話が事実のみでつまらなくなる傾向があるので、今自分で記述していても、
この文章に何の意味もないことが分かります。

お腹、凄く空いているんですけれど、喉、とても渇いているのですけれど、死にたいんですよねえ。
ガリガリに痩せたい、と思ってしまいます。
次の精神科の診察も直ぐにありますし、自殺はしませんし、医療体制も整った環境におりますので、静観して下さい。

書かなくなる時が来るのは、治って実生活が忙しくなった時か、その逆ですね。
当分そのどちらもやって来ないでしょう。

孤独感など
soya[9月9日(金)09時48分]
摂食障害を呈してから、多くの時間が過ぎて行きました。
全ての時間が、とても大変で苦しいものであったことを記憶しています。
ただしそこには確かな『苦しさという実体感のある感覚を伴っている』ことに対する認識に、私は不完全であったとも思います。
苦しみの中に私は確かに存在していたのだと、それは個人的視点から見ると一筋の「生きている希望」と成り得ていたのかも知れません。


摂食障害の入り口に入ったばかりの頃は、自体の把握に戸惑います。
その後「何故?」「どうして?」という疑問が生じ、自己理解や自己洞察に費やす時間が増えていくことになると思います。
でもそれらが一通り終結した後にやってくるのは、どうしようもない虚しさや押し寄せる悲しみ、強く深い疲労感とそれに続く絶望、
そして言い様のない悲哀と孤独…

心はコロコロとそれらを往復しながら、やがて出口と答えのない拓けた場所へと到達して行くのかも知れません。




拒食や体重・体型への柵(しがらみ)や過食嘔吐の症状はその間もその後も殆ど変化がありませんが、
『摂食障害を生きてきた私』という者の人生の一部は理解が可能となった今、それが一部分に過ぎないこと、
しかしそれが簡単に切り取れるものではないこと、そして摂食障害の背景にあった私の心全体を支配していた不全感などに対する
やるせなさで、大きな抑うつ感が疲労と共に押し寄せていることが分かります。





さて、最近は、精神科への通院継続への苦痛が強くなっていたため、何度かキャンセルをしていました。
睡眠薬と抗不安薬が切れるまでには行かなくてはならないと、そればかりが目的となっている部分も未だにあります。

実家にいても虚しい日々の連続から、暫く子供時代に実家で同居していた祖父母の住む山と畑ばかりの田舎へ、戻ったりもしています。
都心部で発生するヒートアイランド現象が避けられる為、真夏の朝晩の自然な涼しさはとても爽快であります。
実家では日中でもリビングやキッチンの電気を付けないと生活出来ないのですが、それが不必要なことも嬉しい。
勿論夜はクーラーも扇風機も要りませんし、冬用の布団を使用することもしょっちゅうです。

感情に対する感度が強まるため、孤独感や寂しさも同時に高まりますが、洗濯物を物干し竿に通したり、祖父母の布団を引いたり、
祖母と畑の草むしりやちょっとした畑仕事を手伝うことも小さな楽しみでした。





それでも私は「元気がない」ようです。
摂食障害の症状に囚われ続けている苦痛な毎日よりも(とは言っても症状は毎日必ず5回程度出たままですが)、
「元気がないように見える」とは不思議なものです。
抑うつ感が高まっているとは、こういう事を指し示すのでしょうか。


私個人の意識上では確認出来ない程の細かな粒子が無意識化で動き回っているのだろうと思います。
大きく自分の中で何かが崩壊し、その感覚に圧倒された後の数ヶ月から数年間というのは、他者からも本人にも、
はっきりとした動きは見えないのかも知れません。

摂食障害
ちょここ[8月13日(土)21時06分]
こんばんは。はじめまして。私は、拒食症5年、今は過食症2年目です。
毎日、毎日、おなかがいっぱいなのに、食べると止められなくて、食べて嘔吐の繰り返しです。
1日食べることがやめられた、と思ったら、翌日にまた、食べての繰り返し。せっかく減った体重も元より増えて、どんどん太っていく私。
拒食症のときは、まったく病気にきずかず。そのときに、医者に通ってれば過食にはならなかったのかな?
家族には、知らせていません。だって、怖いから。医者にも、家族にわかってもらうのが、回復へつながる、といわれたけど、怖くてとてもいえなくて。
だけど、攻撃的な言葉で家族を傷つけて、旦那にさっきも怒られたばかり。栄養が、かたよっているから、
頭が働かなくて、話を聞いてない、っておこられるし。
栄養が、足りてないから、過食で足りない栄養素を補うから、足りない栄養素をサプリでとろう、という
栄養学の心療内科に5ヶ月通い、カウンセリングも通いましたが、「なんで(過食を)我慢できないの?」と言う心ない言葉を言われ、もう通うのをやめました。私は、本気で治したいのに。病院を変えようとおもいます。どこの病院に行けば治るのだろうか?
このまま、毎日を過ごすのが苦痛です。何をしても楽しくないし、心から笑えていない。
病気が治ればいいのに・・・。

雑記
soya[8月3日(水)08時55分]
妹と母親が来月、豪華ヨーロッパ4カ国ツアーへ行くそうです。
辛すぎて言葉を失くしました。
一人になって泣いたら、少しシコリが解れていくのが分かりました。

「辛い時、悲しい時、悔しい時、怒りたい時、どんな感情でもいいから、そのまんま湾曲させずに感じてあげられたら、
水のように流していけるのかも知れない。」

と、そう自分の中で実感をしたのは、新鮮な体験でした。
何度も聞いて知っている筈なのに、不思議です。




それから先日、スマートフォンを新しいものに変えました。
私は留学する前まではガラケーを使っていて、留学中はあちらでプリペイド式の安物を愛用していました。
スマートフォンを買ったのは帰国から随分後のことで、これが2代目です。
PCをMac、音楽をiPodやiPodtouchに変えて、スマホもiPhoneに倣うようにして変え、
各データ間の移行は大変便利になりましたが、如何せんお値段が高額なので、とにかく大切に長持ちするようにと努力しています。

しかし今はカバーや液晶保護だけでも何百万種類もあるんじゃないかと感じたり、ガラパゴス携帯でやりくりしていたあの頃の方が
ずうっと快適でした。
機械の性能が上がっていけば行く程、追いついていくのは私にとって大変です。




摂食障害の経過ですが、主治医には「何もしなくていいからゆっくり過ごして下さい」と言われていますが、なかなか難しいものです。
ゆっくりすることに不安や罪悪感が常にあり、怖くなって過食嘔吐に何度も走ってしまいます。
何もしていないのに、ゆっくり出来ずに過食嘔吐するとは、よく分かりません。

『ゆっくりする』という言葉と『恐怖』の感情が、常に高速でリンクし合っているかのようです。

「もう5年(通院期間や無職期間)もゆっくりして何もしていないのに!」と、焦りが走ります。
当たり前です。


今は図書館へ行って本を読んだり、寝転がって鬱々していたり、無になったままバラエティ番組を流している毎日です。
友人とももう半年以上誰とも会っていません。
会話も家族だけ。簡単なもので、感情的な交流はしていないし…。




そう言えば、最近TVで極楽とんぼの山本さんが久しぶりにスペシャル番組で出演されていましたね。
山本さんが居なくなる迄、私はあの番組が大好きでしたし、彼のことも凄く気に入っていて、面白可笑しく笑っていました。
10年前も摂食障害でしたけど…
摂食障害になる前の小学生だった頃などは、山本さんも出ているあの番組は、毎週欠かさずTVの前で見ていましたっけ。
あの頃はVHS録画の時代ですが、やっぱり放送している時間帯に真剣に見ていたんでした。
居なくなった時はショックでしたね。


その後もずっと彼のことはたまにネットで情報収拾していて、でもそうですね、相方の加藤さんやその他の仲間の愛情の方に
より焦点が当たりましたね。とてもたくさん泣いてしまいました。


最近TV業界が色々と騒がしくなっている中で、演者たちの動きも変わってきているように思います。
戦おうとか、受け身だけでやっていられないぞとか…。


たくさんの時間の流れを一つ一つ味わって経験して、挫折も失敗もそのままに、そうして再び一瞬、何かが変わっていったり…。


一人ひとりの人間が人生で経験する何かを、TVを通してでも、肌の感触から感じられる瞬間というのは、私も心動かされますね。






どうでもいい話ばかりでした。
だけど誰にも気持ちを分かってもらえる人、話せる相手が居ないので、ここで何かを置いていくことは、私にとって貴重な一瞬です。
どうも有難うございます。

soya[7月7日(木)08時25分]
こんにちは。
何度もここへ書き込みに来ようとしてタイプしては、途中で消去してばかりの日々を送っていました。

やはり再診を始めた精神科への通院も、その内また辞めるのかも知れません。
一年間は定期的に通いましたが、睡眠薬と抗不安薬の処方箋を書いてもらう以外は、あまり上手くありません。
自分にとってなのか、相手も私という一患者を扱いづらく思っているのかは不明ですが、恐らく相手にとっては大差ないことです。


摂食障害は相変わらず改善する見通しも立たず、毎日何度もの過食嘔吐があり、気分の落ち込みなどや慢性的な不安感など、
精神的な変化が現れている様子もありません。

両親の老いや無収入などの環境的悪化もこれからますます加速していくでしょうし、
私が歩いている道筋は徐々に狭まっているように映って仕方がありません。


それでも何かを変えることが難しいから、勿論何か一つ決めたとしても、それを守り通すことより変化させ続けていかなければ
この先やっていけないなあと感じる日々です。


ということで、最近は自分でも分かる通り、結構落ち込んでいます。
「またか…」なんて、もう何度思ったか分からないけれど、色々な環境にそぐわない自分に悲しくもなりますし、
慈悲を与えてやりたい気分にもなります。


「他の人になれたらよかったな」なんて、やっぱり思ってしまいますよね。
誰か別の人間の人生を送りたかったです。その人の苦労をもってしても。

自分という個人を生きるのは、とても大変です。

誰にも自分を見せられない
soya[5月29日(日)08時30分]
私が携帯電話を持つようになったのは、私立高校に入学してからです。
当時は『J-PHONE』という名前で売りだされた二つ折りの長方形の型で、
誰もそれが『ガラパゴス・ケータイ』という名称であったことなど知らなかった時代です。

その後大学生になり、インターネット上で『mixi』というSNSが流行り、
私も登録して時々日記などの更新をしておりました。
『Facebook』が主流になる頃には卒業と海外留学を間近に控えていた事、
SNS機能に悲観的になっていた内気な私は、Facebookには馴染まぬまま、
その後も『Instagram』や『Twitter』などといったその他SNSにも乗り遅れ、現在に至ります。

ああいった他者とのコミュニケーション機能に自分自身を表現することが、
精神疾患の病状が悪化するのと平行して非常に難しくなっていると感じます。
表と裏のギャップが激しくなる、またはそれらの区別を失くす程に、心全体が鬱色に染まっている。
すると何かを表現しようにも、無意識に悲壮感が出たり厭世的になったり、逆に批判的思考が混入したりと、
ポジティブ面の欠片もない、他者から敬遠されるものであることが自身でよく分かっています。

本当は自分がどんな者であれ、何かを表現する、もしくは発信している事は、私が元来愛している行動です。
人の反応がとても気になる、もしくは怖い。

これが常に自分が過去、勿論SNSやパソコンや携帯、インターネットがまだ殆ど未開発であった頃から、
私が抱えていた問題です。





その悩みの大元の原因を「母親がとても酷い人だったから」と、何度も何度も、主治医に言われますが、
私はその事に酷い嫌悪感があります。最近は『母親』という言葉を聞くだけでも吐き気がする。
事実をありのまま伝えない事には治療にならないので、今は正直な自分の思いも報告するように努めています。
(主治医はそれらを非難することのない治療を取り入れている事を承知の上で…ですが。)

30歳になった今でも、朝母親が台所に立つと、それだけで横に居た私は萎縮してしまいます。
「何が起こるか分からない不安」がそうさせるのだと思います。
「彼女が怖い」という以上に、「彼女が暴発的に投げつけてくる非人道的な言語的暴力の威力」を恐れています。
存在の全てを一瞬にして潰してくるので、身構える時間もなく、常に緊張感が漂った家庭環境です。
母親の自覚症状は皆無で、家族会や母親のカウンセリングなども全く通用しませんでした。


それらを総して医師は「だからあなたは頑張ってきた」と呼称するのでしょう。
けれどあまり良い気持ちはしません。
何も変わらないですし。


意欲の湧かないまま、唯々諾々と生きている自分が鬱陶しいです。


何処にも吐き出す事の出来ない何かが溢れると、ここに書き込む事を繰り返しているような気がします。

soya[5月18日(水)19時36分]
少し前、とある自傷行為をする方のブログを閲覧している中で、「南条あや」という故人を知りました。
現在でも当時(1998〜1999年)の彼女の日記がメモリアルサイトの中に残されているということで、少しずつ読んでいました。
(因みに「卒業式までは死にません」というタイトルで書籍化もされています。)

私自身は自傷行為の経験は無いのですが、自分の身体を刃物や注射器で傷付ける行為は、
私の過食嘔吐のそれとあまり大差がないように感じました。

彼女は結果的に自身の自傷行為が仇となって、本来致死量に達しないとされる向精神薬の過剰摂取により、
18歳で薬物中毒死をしています。

彼女の生きていた時代の日記には、MDプレーヤーやプリクラ、ノストラダムスの大予言、モーニング娘。、Cocco、
PHS、パソコンやインターネットの普及など、何だか懐かしさを覚える言葉が沢山並んでいました。



私はと言うと、当時は摂食障害の入り口に立ったばかりの頃で、病識なんてものも殆どありませんでした。




今月、私も30歳を迎えました。
病識を持ち、摂食障害という精神疾患と本格的に向き合うようになってからは、15年以上…ですか。
毎日、日課になってしまった10回近い過食嘔吐をしながら今も様々な事を感じていますが、症状の変化は程遠いです。



先日は精神科の診察で、主治医に向かって「私は(自分の病気が)治るとは決して思いません!」と
強い口調で逆ギレに近い言動を取りました。
自分自身の事なのに主治医に逆恨みをするなんて、少し笑えますね。
主治医も少し気を悪くしていました。


本気で「治るわけがない」と考えています。
それでも「苦しい、辛い、治してくれ」と、甘えているんですね。


母親にも「おまえが何を頑張ってきたというのか」「おまえがどれだけ家族を犠牲にしてきたか、分かっているのか」と
訊われます。


そんな毎日です。

nhat[4月30日(土)17時02分]
こんなつらい思いしながらでも生きていかなきゃなんて
もういやだ
もういい もうたくさん
楽になっても一時的なのがよくわかった



soya[4月16日(土)09時05分]
毎夜、何かしらの悪夢に魘されている。
眠りは「心地良いもの」ではなく「精神を脅かすもの」。
睡眠薬を飲んでいるが、夢の内容は操作出来ない。
「いっその事断薬してしまおうか」と何度も考えるが、実行すると中途覚醒が始まり、そのまま深夜の過食嘔吐へ移行する。
悪夢に魘されるの現象は、薬を飲もうが飲むまいが変わりなかった。


家族を含め、人間と関わるのが怖くて仕方がない。
挨拶が先ず出来ない。
「おはよう」「そうだね」「うん」「いいえ」これが言えない。
それに続くコミュニケーションには恐怖を感じて凝り固まる。
着替え、化粧、入浴…それらも出来ない。
隔週で電車通いしなければならない精神科へは、部屋着の上からコートやスカートを二重で履いて誤魔化している。
メイクはもういい。
友人との連絡も雑になるか、そのまま返信を怠るようになってしまった。
心も身体も静止していると思う。



診察室でも何も話さない。
「前回の(診察記録の)コピー&ペーストでいいです」と報告する。つまり何も変わっていない。
過食嘔吐が始まって17年目になるが、何一つ変わっていない。

主治医から「寂しさの感覚の有無」について詰問され、答えている内に恐怖が押し寄せて来てその場で少しパニックを起こした。
「寂しさ」を感じることと「恐怖心」を感じること、それに続く過食嘔吐が一体になっているように思う。
が、今回は主治医が先を急ぎ過ぎたようにも思う。
「調子の狂わされる」というのは、こういうものか、
主治医が少し焦りや巻き返しを図ろうとしている意向が伝わり、急に恐ろしくなった。

「寂しさ」をあまり無理に感じようとすると心が壊れてしまうようにも思う。
「今は恐怖が私を守っているのだから、ゆっくりとそれを感じていく中で糸口を見つけていこう」と、勝手に思う。
今回の先生はどうかしていたんじゃないか。


友人との外出も断っている。
家族との行事も断っている。
「行きたくない」のではない。恐怖心が先に立ってその場に踏み留まらせている。



寂しさを強く感じると苦しくなって、それが恐怖に変わる。
毎時毎分、その繰り返しだ。




「まあ…いいか。」と、静かになる。
やっぱり、何処かで自分でブレーキやネジを外しているとも思う。
悲しみは、とめどない。

sallyさん、瀬里香さん
すてぃっち2[4月9日(土)19時42分]
以前、すてぃっちとかくっしょんとかで書き込んでいたことがあります。
sallyさん、瀬里香さん、書き込みありがとう。
きゅるるさんのこと今日知りました。
ちょっといろいろ思い出していました。
きゅるるさん、今は天国で笑って楽にしているといいな。
瀬里香さん、sallyさん、ゆきんこさん、覚えています。
私は元気です。

駄文の羅列です。
soya[4月4日(月)02時33分]
桜が満開になって来ました。
今週は雨の予報が続くので、直ぐに散ってしまうでしょう。
花粉症なので辛い時期でもあります。

人、外の環境、時間…
それらが「怖い」と感じます。


数日前、無意識的に未遂を図りました。
途中で冷静になって「これじゃあ失敗するな」と考え、その日はそれで終わりました。


過食嘔吐も、対人・社会・広場恐怖のようなものも、不安発作も、鬱状態も、そのままです。


心も、身体も、動かない。



先日、小指を深く包丁で誤って刻んでしまいました。
一週間以上経ちますが、まだ完治しません。もうそろそろかな…


”この場(不特定)”に居ることが辛くなることがとても多くあります。
ギューっと心が固まって、表情が無くなって、動かなくなります。
過食嘔吐で少し抑制されますが、根本的解決ではありませんね…。


本当は「今直ぐにでも消えてなくなれたら」と思います。
去年は26,000人近い自殺者が出たそうです。


よく分かりませんが、頑なに守り続けて来たものが崩壊して、全てがぐちゃぐちゃに入り乱れています。
希望は、ありません。

「経過を見ましょう」と医師に言われました。
「まだ生きなきゃいけないのか」と思いました。
「またおいで」と続けて言われました。

最近の診察は、殆ど無言です。
何を目的に通っているのかも分からぬまま、ぼうっと宙を向いています。
流れている涙の意味も、分からぬままです。


自分なんて、消えてなくなればいいのに。

すごろく[3月31日(木)17時59分]
こないだのアニメは
救いたいと思ってた子の想いは届いてただろうけど
やっぱり止められなくてバッドエンドで終わり・・
だったんだけど群像劇のいいところは
たくさんの登場人物がでてきて
いくつかのエピソードが同時進行してて
一見関係ない事柄がじょじょに絡まったりして
成り行きで直接的間接的に相互作用するところで。
意外なひとたちが意外なかんじに助けてくれました
よかった

作者さまの遊び心とサービスにより
ツイッターでの実況とミニ解説付きでたのしめたのもありがたや。
今の時代ありがとう。

すごろく[3月24日(木)00時10分]
http://www.bayfm.co.jp/flint/f20140201.html
http://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0031_i_hukuokashiniti.html

すごろく[3月23日(水)22時57分]
映画の「めぐりあう時間たち」のなかで、1950年代のアメリカ女性が
旦那と息子がいて特にお金にも困ってないけど
妻である自分・母親としての自分にあまり幸福を感じてない・・といえばいいのか
トイレで泣いてたりして
親友に対して同性愛をもってた的描写
結局、旦那と息子をすてて別の場所でひとり暮らすんだけど。
捨てられた息子は、大人になっても精神的な病でくるしむ。

これ見たときリアルにありそうな話だよなと・・
女の幸せとされてる道に入ったけど、自分の心がほかにあるとかさあ・・
苦しいだろうな・・


自分が悪い母親だということを認めてて変な言い訳しなかったのはよかった。


<wikiより>
彼女はリチャードの小説の中で「怪物」と呼ばれ「殺されて」いた。
ローラは、ホテルで自殺を図った1951年のあの日、「二人目が生まれたら出て行こう」と決心し、
その後子供二人と夫を置いて失踪したとクラリッサに話す。
小説の中で自分が「殺され」ていることに衝撃を受けながらも、
「後悔してどんな意味があるのでしょう、ああするしかなかった。出来ることをした。誰も私を許さないでしょうね。
私は死ぬより生きることを選んだ」と述懐。

すごろく[3月22日(火)00時36分]
私的に、絶対に信じられるもの寄りかかれるもの、帰結できる基準を探した結果行き着いたのは、
「体は常に重力を受け続ける物体」「私が生きてても死んでても常に元素は巡り続ける」
ですよー・・ほんとに、なんだこれはなんだけど、
言葉とかイメージなど実体のないもので形づくられたものは解釈次第でいくらでも変容するしさ〜〜〜
人間として生物としてのほかに、物質としての私があったんだねっていうね。
死んだら私の体の物質として性質は生きてるときと変わるんだろうけど、元素としては移動してるだけで
物質としての親の地球に会えるというか一緒になるのかなとか・・?
地球物質は宇宙物質が混ざってできたから宇宙探索はルーツの旅なのか・・?

パワースポットていわれる場所も物質的に人間の身体と相性がいい場所なんだろなとおもってる。
温度湿度気圧風向き酸性度とかよくしらんがそーゆーモロモロな条件の総合で出来た風土の性質。
体の物質に作用してくるんだろうなと。

すごろく[3月20日(日)20時41分]
来週最終回のアニメなんだけど
昨夜のクライマックス回であー
ずっと、この子なにかんがえてんのかな?わかんないな?て思ってた子が
よーやく君はそう思ってたのかって思えるセリフと行動をとってくれてちょっと理解できた気がするけど
想像してたよりもっと深刻なかんじにその子の心が削られててびっくりした
いろいろ迷いは見せてたけど基本的に表面上は穏やかだったからなあ・・
その子の友達たちが体張ってすごいがんばってるけど来週どういう決着になるのか・・
最後は拍手で皆さんお疲れさまでしたありがとうっていいたいわたのむ

この物語には個性的なキャラクターがたくさん出てくるけど、
ほぼ全員が大なり小なり引くほど歪んでる
でもどこかしらの部分で誰かやなにかとつながって折り合いをつけようとがんばって
なんとか精神の安定を得てる、そこにリアルを感じるし私にも癒しをくれる。

ほんと物語の展開に号泣であたまいたいわ・・
声優さんたちの演技に圧倒されるありがたさ
キャラにピッタリの魅力的な声質と台詞回しの巧みさで、震える泣き声や叫びの演技の凄みを披露されたら
ひれふすしかないですまじでありがとうございます
こまやかで様々な感情が入り乱れる声の表現、上手い人はほんっとーーーーーにすごいですな
作者さまがつくった架空の世界観と物語の一部に本当になって、
視る人聴く人に揺さぶりをかけるとゆー魔法。

雑感です。
soya[3月18日(金)17時56分]
妹の誕生日に「おめでとう」と言えませんでした。
『おめでとう』って、その言葉の意味を考えれば考える程、妹に向かって言ってやれませんでした。
顔も合わせずに、言葉も交さずに、あの子は愛人と一晩を過ごすようです。
妹の抱える影の一面を思うと、何も言えませんでした。
言葉って、難しいです。

その前日は診察でしたが、やはり薬の処方箋を要求する以外、何も言えませんでした。
先生の発した簡単な質問にすら、言葉が出てきませんでした。
口だけが小刻みに震えて何かを言いたそうにしていました。
先生はそれらの表情や何かを読み取って、「このままでいい」と言っていました。
ただ何も言えずに涙を流して終わりました。

私は先生があまり好きではありません。
だからこの人に慰められるのも嫌い。治されるのも嫌。
でもそれ以上に、生きることが怖い。


体調は少しずつ回復しています。
過食嘔吐は相変わらずですが、夜は薬で眠るようになりました。
朝起きて、食事も一応簡単な物を3回は胃に入れています。

相反する矛盾を言語化出来ずにいます。
本当は生きたくないのに、生きる営みだけが揃い始めている。
本当は治ってはいけないのに、治すための場所へ通っている。
「病気のままでいたい」気持ちが自分の中に強くある事を意識しています。

独りぼっちは、怖くて痛い場所なのです。

soya[2月29日(月)10時10分]
余談ですが、少し前に主治医から「ちゃんと面倒見るから」と言われました。
「あなたのことは先生がちゃんと面倒見てやるから」というお情けのように聞こえました。

「もう全部投げつけてしまおう」と思いました。この人に。
「自分はとっ散らかって馬鹿になったまま、この人に私という人間の処理をしてもらおう」と、
何処のなく人生の責任を放棄しました。

私は自分の全人生の責任を全て負い、自分を追い詰めたり、無理難題なコントロールを強いることが
無意識にプロットされているので、この投げやりな態度はどうなのでしょうね。
逆に功を奏するでしょうか…

という蛇足でした。

soya[2月29日(月)09時58分]
花粉の飛散が始まったようです。
目尻を擦ったりクシャミが出たり…「ああ嫌だなあ」と思っています。

過食嘔吐の症状が元通りに悪化し、再度精神科に通院するようになってから8ヶ月が経過しますが、
その間に主治医に言われて自分なりに咀嚼し、消化し、吸収していった筈の全ての栄養は
また何処かへ排泄されてしまったようで、またゼロからやり直しのような気もします。

いつもそう。
良い所までは行くのだけど、途中で空っぽに戻っています。

食べ吐きをしていないとそわそわして落ち着かず、自分が無くなったような錯覚を覚えて気持ちが悪くなります。
発狂したり、自己を喪失してしまうのではないかという恐怖もあります。
食べ吐きをしている時点で正常ではありませんが、精神異常者にでもなるような恐れを抱いています。


主治医は「(過食して)耐えてなきゃいられないってことだな」と要約していましたが、さっぱりです。
食べ吐きを無理矢理止めたら、それこそ直ちに過剰服薬か首でも括っているでしょう。


もう楽になりたいです。


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UPDATE ; 4月23日(火)08時33分
Script by T.Katayama on 2001.4.4