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骨そしょう症
すごろく[4月4日(金)09時32分]
先日、整形外科で骨密度検査受けました。
ガッツリ骨そしょう症でした。
私は今年45歳ですが、この年齢でこの数値はまあないよねといわれました。
ショックでしたが、やっぱりなと思う自分もいました。
毎日大量に食べて吐くことは身体を痛めつける行為で、
すぐに現れることはなくても蓄積されていって
のちのち何かしらの病状に・・というのはここやよそでも何度も見かけたし。
でも当時のわたしにはどうすることもできなかったので。
自力でなんとかできるならわたしは摂食障害になってなかった。
でも自分の意思で身体扱える面が残ってる人は、
こういう事態が来る可能性も頭に入れて行動を決めてほしいと思う。

骨密度検査受けたのは今回初めてだったので、いつから骨粗鬆症だったかはわからない。
自覚症状はないらしい。
無理なダイエットをした若い子でもなるらしいです。
バランスのいい食事・運動・適度な日光浴が大事だそう。

ここに書いた以降はnoteという場所で書いてました。
ここは掲示板なのに自分本位に自分の摂食障害以外のことも散々書き殴ってて、
誰からもツッコミ受けないのをいいことに甘えさせてもらってたけど
さすがに違うなと思えてきたので。
「マ・ガーレット」て名前で書いてます。

解離
ヒサ[1月25日(土)01時19分]
摂食障害で悩んでいましたが、通院は続かず、長い時間を経て、今は自然におさまりました。
家族には心配や、理解、感謝という言葉でいいのかどうか。
一方、解離性同一症とのこと、今は、食べることにこだわわる子が静かなのかなと思っています。
久しぶりの投稿なのでヒサにしました。掲示板が色々あるようなのでこちらにも投稿してみます。

2025年になりました
すごろく[1月23日(木)15時50分]
昨年はここにとてもお世話になりました
片山威先生、私の思いや考えを吐き出す整理する場所を提供してくださり
本当にありがとうございました
心強かったです
私を支え、力になってくれました 感謝しています
去年の11月16日でホームページ開設28年目を迎えたんですね 
長い年月が過ぎましたね
片山先生と、ここを訪れる皆さまの御多幸を祈ってます

すごろく[11月21日(木)13時31分]
投票用紙に名前かくとき、私は手がしびれてるから
さいとうさんが名前をひらがなにしてくれててありがたかった
書く負担が減る。
下の名前も画数少ないし。
選挙ポスターとかで、なんで名前をひらがなに?て思ってたけど
こういう面もあるのかと。
名前を間違えても無効になるんだよね
じゃあわかりやすく書きやすいほうがいいよね

あと選挙演説動画でウグイス嬢さんが
「投票用紙にがんばれとかだいじょうぶとかのメッセージや
星マークなどの記号を書くと無効になります」て言ってるの見て笑った
そんなん書く人いるんだ
無効になるのはだめなことだけど、あたたかいエピソードだなと思った

選挙2
すごろく[11月21日(木)13時11分]
立花さんが過去に内部告発者としての経験の持ち主ていうのは大きかった
今回の件での内部告発がどういうものであったかということでの
立花さんの説明は説得力あった
いつも法律に照らし合わせて明確に簡潔に説明してくれるので私でもわかりやすかった
ユーモアもまじえてで、肩肘張らずにすごく現実的な線上でのはなしだった
法律的にここまではセーフ、ここからはアウトっていうラインの見定め見極めがあざやかで
上手い立ち位置をとる
本人さんの法律の知識もすごいけど
複数の弁護士さん、法律の専門家とつながりあって
常に勉強してるみたいだった
法律の解釈も弁護士さんによって人によって違うから、複数のひとに意見をきいてるかんじ

立花さんは街頭演説のあと、周りに来た一般人の質問に答える時間をつくってくれていた
それが毎日のようにライブ映像で流れてるチャンネルあったけどあれは勉強になった
配信者さんに感謝する
質問する人も質問してくれてありがとう
各地でいろんな人がいておもしろかったし
社会や政治に関心ある人を見れて、その対話をきけて私は知らないことを知れてよかった
立花さんの話をきいてると、ほんとに日本て法治国家なんだなとわかりやすく実感できた
「民意」って言葉も初めて意識した
法律や民意が社会にどう影響・作用してるのかそういう視点ちょっと持ったほうがいいんだろうな
という私のわずかな進歩。
組織票というものが存在すると知って、一票の重みもよくわかった

さいとうさんにかけられた嫌疑について事実を伝えたい、ジャーナリズム精神でというところでの
当選目的でない立候補、
政見放送はNHKの圧力をかけることができないからそこで事実をしゃべるっていう
やり方も奇想天外で面白すぎた
泉房穂さんの物まね何回見たかだよ、そのたびに笑いを提供してくれた

ここ一か月ほどわたしも父母もこの件関連に首ったけだった
3人とも立花さんのファンみたいになってる笑

私は期日前投票に行ったけど、父母は投票日に。
母もこんなに選挙に入れ込む経験初だよといってた
当選確定みたときは感動した
こんな感動味わう日がくるなんてなー、人生わかんないよなー

正直さいとうさんのことはよくわからない
一緒に働いてる人、身近にずっといる人しかわからないだろうから
伝え聞く情報で判断するしかない
今回の投票は、さいとうさんの嫌疑より反さいとう派に関する嫌疑や闇のほうが深すぎで判断した
前の知事が20年くらいやってたから新陳代謝うまくいってなさそうなのは予想つくし。
あとさいとうさんの公約達成率98%や諸々の実績とか。
ここでやめたらまた前に戻るって言ってたから途中のことがあるなら続けてほしいし
新しい人がなったらまた最初から基盤づくりからかって思ったし。

百条委員会とかそういう用語とか映像が頭に入ってくる日が来るなんてなあ。
一人の公人を社会的に落とそうと組織で動くってこういうことなのってぞっとしたよ
あの流れをはじめて知ったとき。
普通に怖かったわ
でもああいうことって各地でいろいろあるんだろうな・・

あとテレビ・新聞の媒体、それに関わってる人々が
こういうときどう動くかも何をしゃべるかも見れてよかった
どうしたって尺の制限と、組織内のしがらみや手続きの多さ、
番組は作品であるみたいないろんな制約があるんだろうから仕方ないことも多いんだろうな。
鵜呑みにできないなと改めてよくわかった
情報・報道によって形作られるフィルター、先入観のこわさもよくわかった

立花さんはトリックスターみたいな印象。
今までも活動ちょこちょこ見聞きしてて、「すごいなあ」と「何してんのこの人」っていう
わからないながらも尊敬と畏怖と失望と期待を繰り返してる笑
鉄砲玉みたいな人だよな
でもこないだのラスト演説で「しんどいけど応援してくれる人のためにがんばる」って泣いてて
感動した 母ももらい泣きしてた
今回はすごいジャーナリストであり教師だったと思うよ
恩人とか功労者とかそういう表現したくなる

今日YouTube見たら、最近立花さんを知った人のためにっていう題で近しい人による
愛あるトリセツ動画があがってて笑った
過剰な期待すると落とされるよ、1000本ノックの人で打率3割くらいでいいって考えてる人だよ
エンタメとして見ててくださいって言っててまた笑いをもらえた

選挙1
すごろく[11月21日(木)11時39分]
20年ぶりくらいに投票しにいった
自分が参政権を持った有権者であり、県民のひとりなんだと思い至ったこの機会に感謝する
こんなに選挙を身近に感じたことはなかった

春ごろからのさいとうさんの報道、見ててうわーひどいなって軽い感想だった
でも私にとって政治や県知事関連とか遠い話だった
さいとうさんが県知事ってことも知らなかったレベルだし

一連の報道は続いて、「おねだり」や「パワハラ」ていう耳に残りやすい言葉を全面に出して
似たようなことばっかりしつこく。うんざりしてた。
さいとうさんがコメントしてる映像見てると、見てるぶんには誠実で実直そうな印象で
言うこともブレないし
報道されてることとのギャップはあったけど
人っていろんな顔持ってるからわかんないよな、人が死んでるんだしっていう。
サイコパスか?て声もあったし。
選挙が始まって、最初の須磨駅で雨の中、ひとりで通勤通学の人が通り過ぎるところで
お辞儀?を丁寧にしてるの見てなんかちょっと。
とにかくメンタルが強くて根性がすごいっていうのはわかったので
もし投票するならさいとうさんかな笑と家族に話してた
でもめんどいししんどいし実際投票には行かんやろなと思ってたけど。
父はほかの候補者がアレなので消去法的にさいとうさんかなあって言ってた

立花さんの登場でガラっと変わったよ

YouTube見てたら出てくる出てくる情報量。
再生数で注目度を測れるし、コメント欄でほかの人の意見や感想を参考にできるし
早送り・巻き戻しできるし、倍速でも見れる
関連動画がおすすめにでてきて、知りたいことを深追いできるし
同じテーマでも動画の配信者の個性・特性から比較して取捨選択ができる
配信者がどういう人物かを過去動画をさかのぼることによって知ることができて
信用性を測れる
撮影編集公開までの流れが速いから、最新情報に早く遭遇できる

候補者の演説をライブ中継してるチャンネルも複数あって
カメラの位置によって違う画角が見れた
たまたまさいとうさんの演説をリアルタイムで撮影しながら追ってる人のチャンネルに遭遇して
数十分後に地元に来ることがわかったので見に行った
選挙演説をわざわざ見に行くなんて初めてで新鮮で面白かった
けっこう人いた
さいとうさんが車でやってきて、スタッフさんたちが手際よくそれぞれに動いてた
演説の合間合間に、合いの手?の応援の拍手とかした。
なんか独特の一体感あるなと思った、周りの人との。
がんばれーていう力強い声かけとかきこえた。
こういう演説、ほかの人のも聞く機会あったら行ってみようかなとちょっと思った
それぞれに個性があるんだろうな

いつも通り摂食障害は私の側にいる
sally[8月29日(木)00時34分]
みなさんこんにちは(?)かな、こんばんは(?)かな、それは読んでくれる人の時間次第ですよね。

私、この秋ちょっとしたオペを受けます。長い長い摂食障害の影響もあるとは思いますが、どうにもならない遺伝も

あるのかもしれません。

今勤めている仕事を何とか続けられる様に、努力します。

術後は目を閉じる迄服用せねばならない薬が増えそうです。

どこまで生きていられるのか自体が不明ですが、とにかく生きていられる間は生きて行きます。

みなさんも生きていられる時間を”自分の時間”として大切に過ごす事が出来ます様に!!

すごろく[8月26日(月)08時14分]
ここにめちゃくちゃ書き散らしたおかげ?で
昔の記憶に引っ張られることが薄くなってる
そういうしんどさが減った
なにかしら昇華?できたのかも
ありがとうです

すごろく[8月4日(日)09時39分]
一か月前くらいから「僕のヒーローアカデミア」にハマッてる
明日発売のジャンプで10年続いたマンガが最終回だそうだ
10年てすごいな
存在は知ってたけどヒーロー??てかんじで好みじゃないだろうて思ってた
でも一か月前くらいにたまたま流してたテレビのアニメで敵キャラとの戦いがやってて
その敵キャラかっこいーからはじまりズルズルと・・
最終回目前・今映画やってる記念で
マンガサイトで大量に無料でみれる
ABEMAの専門チャンネルで今までのアニメを無料視聴できる
8月16日まで、ということで。
がんばってみてる・・
なかなかここまでハマる対象ないから嬉しい&ありがたい
無料公開もありがたい
きっかけは敵キャラだったけど、みていくうちに好きなキャラばっかり増えていくという・・
主人公が今までみてきたジャンプの主人公のなかで一番好きかも。
えらそうにしないからかな

あと絵がとても好きでずっと見てられる
「かわいい」と「かっこいい」がどっちもあってありがたい
まるみが随所にある
筋肉も感じる
物語がどんなによくても、絵が苦手だと見れないんで・・

ジャンプは男子が主人公で、いろんな関係性が描かれるんだね
その中でも仲間・師弟・兄弟・親子の描写がでかいイメージ
濃いいな

物語を通して長年続いた悪い因果を断つ方向性ってかんじ
それに向けていろいろ衝突しながらがんばっているキャラたち
「僕のヒーローアカデミア」でもキャラの家族事情とかも描かれるわけだけど
現実によくありそうなリアルな悲劇ぽいのもあって、えぐかった
それをすごいタイミングと演出で物語の魅力として出してくるからすごいな

もう最終回迎えるということで、終わりが見えてるし大体の流れもわかるから
見ようと思えるんだけど
10年間いつ終わるのかわからないまま毎週ずっと読者として読み続けてきた人はすごいな
特にしんどい展開のときに、ずっと熱量保って読み続けるのっていろいろ体力いりそう・・
バトルマンガは死ぬキャラも多いし

今はけっこうヴィランてよく使う言葉なのかな
悪役や敵キャラのこと

「鬼滅の刃」もすっごい遅れて好きになった
アニメがこれからの展開がしんどい続きで、次は映画館だけど
めちゃくちゃ泣いて体力精神力ごっそりもってかれるイメージしかない
すんごい観たいんだけど。

こーやって魅力的な作品に出会えて、感情揺さぶられる体験できるのありがたいんだよな
学ぶことも多いし・・
もっと元気になって自力で稼いで、お金を作者さんたちに還元できれば理想なんだけどな

すごろく[7月22日(月)09時10分]
NHKのAMラジオで月から金、朝8時ごろから昼までやってた「すっぴん!」ていう番組
日替わりのパーソナリティの方々と、
アンカーとしてアナウンサーの藤井彩子さんがつとめていた。
パーソナリティの話がガンガン展開して脱線していっても、
藤井さんが華麗に本筋に戻していくのがすごいなと思ってた

ある時、パーソナリティの津田大介さんが「あー好きな食べ物の話って平和だなあ、ずっとしてたいわ」的なこと
言ったのが印象残ってる。
誰でもおいしいまずい好き嫌い苦手とかな食べ物あって、食べ方にもいろいろあって
こだわりがあったりなかったりで、好きな食べ物の話してるときって楽しそうな人多いし。
食べ吐き方向が深かった私でも、なるほどって思えた

あといろんなコーナーがあってレギュラーコメンテーターの人たちがいて。
高橋ヨシキさんの映画の話、春日太一さんの時代劇の話、加来耕三さんの史実の話が
おもしろくて好きだった
加来さんの話で、水戸黄門のモデルの徳川光圀が若いとき辻斬りをしたっていうのが
結構衝撃的で逆に徳川光圀どんな人なんだ?と関心もてた
ホッホッホと笑ってる徳の高そうなおじいさんイメージと、辻斬りっていう闇のギャップがすごくて面白い
水戸黄門のドラマは特に興味なくってかんじだったけど。

ネットやいろいろで、昔のことを引きずらないで前に進む力が強い人って
子どものころ転校を繰り返してた人とか帰国子女の人多いなって思ってて。
藤井彩子さんも親の仕事の都合で転校が多かったそうなんだけど、あるときそういう話題で
「新しいとこ行くと、前いた場所を全否定するところからはじまるんですよねー」と言っていたのが印象的で。
なるほどなと思った。
どんなにそこでいろんな関係を積み上げても、親の都合で置いてかなきゃいけない離れないといけないって
相当酷な試練だなと。しかもそれの繰り返しって。
子どもながらにやりようを模索していくんだろうけど。
「前いた場所を全否定」ってそこまで?て思ったけど、そこまでしないと
比べてしまって前いたとこの良かったことに引きずられたりすると、
今ここの生活構築に支障が出るってことなんかなと想像した。
突然の断絶ということにいくらか慣れていて、
やりようを知ってる人ってやっぱ強いんかなと思った
先に向かう力が。


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すごろく[7月20日(土)07時45分]
30代はNHKラジオを聴くことが多かった AMのほう
NHKはcmがないのがありがたい
ラジオは目をつむってていいからラク
なんともなしに流しっぱなしにしてること多かったけど
ラジオ体操の時間はちょっといやだったので消すこと多かった
なんであんなに元気を主張してくるの・・ていう笑 
「あたーらしいあーさがきた きぼーうのあさーだ よろこーびにむねをひーらき・・」
この歌わりと好きだけど、クソが!ていう気分になってたからな
歌詞に殴られて、すこやかな健康というものに打ちのめされてたわ

「ラジオ深夜便」と朝8時からやってた「すっぴん!」ていう番組が好きだった
ゲストの話が好きだった
深夜便のほうは午前4時からのインタビューがいろいろ勉強になったというか
へーって思うことが多かったな
ラジオは表情や身振り手振りの情報を見なくていいんで
話の内容だけに集中できる
有名人も、テレビなどの印象だけでなくこういう人なんだーて認識改めたりすることよくあった

野球の王貞治さんのインタビューきいてたとき
節目節目にその時の自分に重要な人との出会いがあって、
それを自分に活かすことができていて
こういうのも引き寄せる力があるっていうのかなあと思った
そのなかで「なんでそんなにお強いんですか?」だったかな、なんでそんなに成功できたかみたいな質問があって
私はこういうのって大抵「努力をあきらめなかったから」「自分を信じたから」みたいなん言う人多いよなって
さめたかんじで聴いてたんだけど
「強く生まれついたことですかねー」みたいな回答で、えってビックリした。
だから親に感謝してるとも言ってたかな そこらはおぼろげだけど印象に残った
あまりこういうこと言える人いないような気がしたんで。
自分が頑張ったこと言う人は多いけど。
そこに思い至れて口に出せることがすごいなと思った

佐藤愛子さんのインタビューも面白かった
話を変にきれいにまとめないから聴いててストレスなかった
聴き手のアナウンサーがきれいに要約しそうな方向行くといちいち散らしてたのがきもちよかった
一部のアナウンサーに、妙に誘導しようとする・変に締めようとする・自分解釈しすぎで要約しようとするかんじがあるのは癖?
職業病か?て思う
視聴者にわかりやすく伝えたいんだろうなとは思うけど。

佐藤さんのエッセイが映画化されたそうで。人気あるんだなあ
近年のエッセイでは心霊系の話も多いらしい

学校の給食
すごろく[7月15日(月)08時42分]
アトピーの子は給食のない夏休みとか長期休暇で一時的によくなる子が結構いるとか。
給食があわない場合は学校と相談して弁当にしてる子もいると。
ハッキリ「給食で肌に出る」とわかってるとそういう選択を決めやすいけど
毎日すこしづつの蓄積が漫然とした不調に・・?みたいのだと判断しづらいよなと思う
今のわたしだと食べられるものほぼないんじゃないか?
子どもっていう成長期の食事と、成長止まってる今の私の状態を比べるのもアレだけど。
給食の恩恵を受けてた当時の記憶では
毎日の牛乳と、ごはんやパン、油もの・砂糖入り調味料多め、
野菜少ないとか。ヤバイ
でもおいしかったなあ
わかめごはんとか黒糖パン好きだった。牛乳に入れるミルメークも。
デザートのババロアとか、地域ならではの惣菜とか。
八宝菜が嫌いだった。当時は海鮮の匂いが苦手で、エビもおいしいと思わなかったし
イカやタコを食べると喉の中がかゆくなったんで。
今は食器もかわいくなっててよかったなあと思った
わたしのときは銀色のザラっとしたやつ。
牛乳は瓶入り。瓶のフタを開ける用具があったそういえば。懐かしい記憶。
瓶だから廊下に落として割れたときは悲惨なことになっていた。
給食袋とか冷凍みかんとかもなつかしーなあ

ネットでほぼ私と同い年の人がアトピーだったから給食食べないで弁当持ってってたと見て
勇気?あるなと思った 
給食みんながおいしそうに平気で食べてるなか、皆と違うものをひとり食べる状況、
私だったら耐えられない
今ほどアレルギー類に理解ある社会?じゃなかったと思うし。
でもハッキリ給食で悪くなるとわかってたら頭も気持ちも切り替えられるのかな
疎外感や罪悪感もあまり感じなかったり、自分なりに片づけられる範囲になってくるのかな

中学校だったかな、一時、授業が長引いたり準備に時間かかったりで10分で食べなきゃいけないような時期があった記憶。
すごい早食いを推奨されるようなかんじ?
あれクラスメイトどうしてたんだろう 人それぞれ切り抜け方を見出してたんだろうか
そもそもあまり盛ってもらわない、誰かに食べてもらう、残す、持って帰るなど・・

小学校低学年とかの時、全部食べないとだめっていう謎の処置で
給食の時間終わって皆片づけ終わっても
ひとり残されて食べ続けなければならない子がいた
親の間でもあれはかわいそうだという話題にはなっていたらしい
当時のわたしは普通に時間内に問題なく食べれてたんで、そういう子の状態が不思議だった
努力すれば食べれるんじゃとも思ってた気がする ごめんねな件だ
今は努力がどうとかの問題ではなく
体質的・精神的に食べれない子は食べれない、それだけの話で
全部食べないとだめとか全く意味のない処置だと思ってる
もうあんなことする学校はないだろうと思いたいけど。
ネットで過去にそういう処置を受けた子がそれがトラウマになって会食恐怖症になったって
話も見た そうなってもおかしくないわあれは。

すごろく[7月5日(金)07時47分]
女らしさ男らしさあれこれとかな文化
最近はLGBTQ?とかいろいろあるけども
性自認や性指向とか?的な・・
わからないけど
わからないままでいたいけど・・

でも誰かとしゃべるとか接する関わるとなると
そのへん少なからず意識せざるを得ない状況ていうのあるよねみたいな
こういうのから逃げることってずるいんじゃないみたいな
自分の確かなある一面でもあるのでうやむやにしてるとその先が見えづらくもあり
一時的なことでも私はこうなんだ感がほしいというか。
結婚とか出産とかはもう関係ないってかんじで悩みの対象外だけど
どんな格好とかふるまいとか喋り口調的なこととかが

このあたりのこと、こないだちょっと漢方の先生と話してて
「例えばですけどもっと元気になってきて、でも女らしさが強まるほうに行けなくても
 先生はふつうに接してくれますか?」
と聞いたら
「(私の名前)さんとして接するから大丈夫ですよ」
と言ってくれたのでなんか思ってた以上にほっとした
今までの先生との話からして、先生はそう言ってくれるだろうと思ってたし
前置きとして「確認なんですけど」とも言ったけど
実際に先生のリアクションや声として聞けた見れたのはよかったかなっていう

先生の患者さん?クライアントさんのなかでも
こういうかんじのお悩みの方はけっこういるっていってたし(年齢はきかなかったけど)
あまりがっちり方向を固定しなくてもいいんじゃないっていうかんじで。
右行ったり左行ったり揺れ幅はあるよ的な話だった

すごろく[7月5日(金)07時14分]
健康とは元気とはの解答の状態を知りたすぎて
何見ても誰見てもそこを見る癖がついてしまっている
テレビでなにかの事件があって容疑者がーとかで顔や姿でてくるときも
年齢と健康状態を見てる 肌つやとか姿勢とか肉づきとか
凶悪犯でも、健康で悩んだことなさそうだな 軽々とあっちこっち行けそうだなとか
勝手な想像して思ってる
同じ年だとすごく意識する
同じ長さの中でのその中身とはっていう
社会のなかにいれて、人とのつながりやその意味を感じとる自分を認識できて
わたしよりも笑った回数多いんだろうなとか思って
勝手に妬ましくなったり 

逆にひきこもってることで他人との摩擦から起こる社会的な成長を経ていないことの
やばさや罪悪感みたいなのは常にある
成長することでしか得られない常識みたいなものがいっぱい欠けてる・未成長てことが。
しかたのないことなので、わかってることとわからないことを明確に
わかってると思ってることにも更新を意識していかないと
またあのガチガチ思考回路の袋小路、思考停止の淀みに入りそうだ

感覚的なことが漢方薬によってすごく改善して
わたしの長年の願いがけっこう叶った?みたいなかんじもあるけど
わかれば自動的に見えてくるだろうという都合のいいことは当然だけど起こらない
それはやっぱりみんな平等だということで
悩んだり選択して進めなきゃ事項は変わらない
嫌な自分・めんどくさい自分・どうにもならない自分がいることを踏まえてやっていかないと
何の能力が一般ラインと比べてどれくらい低いのかとか
そういうの自覚しないと他の手立てを準備することもできないよなっていう

すごろく[6月29日(土)08時44分]
何か良くなって今まで見えなかったもの感じ取れなかったことに気が付くと
「ふつう」に近づいたと思って嬉しい
が、またその気が付いたことがきっかけになってわからないことが見えてくる。
の繰り返し
こういうものなのか

子どものときから今までの記憶をたどり、ゆかりの場所へ行き
感情などの答え合わせをしている
この行為に意味があるのかないのかわからないけど経過した時間と共に
変わったこと変わらないことがあり、それに対する考えや気持ちが湧き
それらを認識することで、記憶の上書きをしている

たまにしんどくなるのは無限の反省地獄に陥ったとき
またあのガチガチ思考回路の袋小路に戻るんじゃないかとこわくて
何がやばかったのか理解しとくことで、それを避けたいっていうとこからの見直し&反省
過去ばっかり見続けて、こうすればよかったのかなの仮定で考えるだけ考える
もう終わったことなのに。
疲れるし、結局そんなんやってもなるときはなるし来るときは来るっぽいのに

こういう気持ちも漢方の先生に言って話し合ったりしていると、
うまく受け止めて散らしてくれるかんじで
先生がいうなら大丈夫かもとか
今のわたしなら似たようなことになっても、何か違う選択ができるんじゃないかとか
ちょっとは自分を信じることができるかもと思える

すごろく[6月27日(木)09時29分]
クリスマスもひとりで過ごすことが多かった
キリスト教徒ではないけど、日本に根付いてるクリスマスという行事と文化は
素適だと思う
綺麗なもの、カワイイものが多く出て華やぎがあって、人々が浮かれてて
クリスマスソングも好きなの多い
でもまあ常に鬱な自分がいて、その華やぎと自分の状態の差にいつもガッカリしながらも
鬱を紛らわしたい・ちょっとでもクリスマス文化の豊かさを感じ取ろうとがんばった記憶がある。
から去年は逆にどうでもよくなってその感じ取る頑張りを放棄しようとしてたけど
母がホールのクリスマスケーキが食べたいと言った
あれは値段高い。おととしも母は食べたいと言ってたけど
高いし食べきれないし無駄金・無駄カロリー砂糖のカタマリ普通に身体に悪いと切り捨ててたけど
そんなにいうなら本当に食べたいんだなと思って了承した
思い出づくりだと思って。
母は近所のおいしいケーキ屋さんで予約した
母好みのイチゴの生クリームの白いホールケーキ 私も好き 一番小さいサイズ
当日、店で受け取ったのは私で、店から運転する父が待ってる車まで箱を抱えて歩くの緊張した
両腕が重くて手は痺れてるからウッカリすべって
箱を落としてケーキぐちゃぐちゃな惨事にならないように。
ケーキの箱がめちゃくちゃ可愛くてお店の人のセンスに感謝した
まるっこいおじいさんサンタさんが表情豊かにいろいろなポーズとってるイラスト
このサンタは妖精だなと思った
イラストレーターさんありがとう
ケーキもかわいかった
ローソクつけてそれっぽくお祝いした
ケーキの上に乗ってる砂糖でできた?人形、あれ私が子どものころは極甘だったけど
このケーキのはそうでもなく食べやすかった
ケーキは全体的に甘すぎずおいしかった
いつもどおり砂糖は口と脳に幸せをくれた 内臓入ると毒寄りになるから吐き出す
わたしはケーキもスプーンで食べる派だけど、ああいうやわらかいクリームや生地に
スプーンがゆっくり入り込んでいく様を見るの好き フォークもいいね
なんだかんだで一連の流れを楽しめたのでよかったよかったと思ってたら
母は来年も食べたいと言った
今回で気が済んで終わりというわけではなかったみたい

すごろく[6月27日(木)09時26分]
年末年始は父母が家に帰ってきて一緒に過ごすのが常だったけど
3回?ひとりで年越しと正月を迎えたことがある
2回は自分なりにそれらしい気分になろうとしたり動いたりだったけど
1回しんどすぎてどうでもいい気分でいたら、びっくりするくらい普通の日々だった
テレビをつけたり買い物行けば、世間でそういう時間の流れなのはわかるけど
参加しようという意識が沿わないとこうなるんだということを実感した
こういうふうなかんじなんだとわかれてよかったけど、
そのわかったこと自体がちょっとさみしかったような
さみしいと思いたかったような
行事ごとを大事にしようというタイプではないのを自覚した

父母もすごく積極的に行事を大事にするというわけではないけど
それなりにちゃんとする
家のなかでそういうしつらえや食べ物をみると、文化だ〜でかんじで
生活の彩りとか父母の心の豊かさ的なのが感じられる気がする
その中にいられてよかった、恩恵を受けられてよかった的な
感謝はある

最近神さま関係のこと調べてたら正月のいろいろを知れてへーと思った
「お正月について考える」
https://gracom.jp/syuukyounoiroha/archives/8#post-detail

おせちは塩分すごいし味濃いので食べられない
市販のは添加物も多い
父母にも正直食べてほしくない
けどふたりは買って食べるおせちが好き
量が多すぎないひとり用おせちというのが今はある
去年も購入したけどいまいちだったと、今年はちがうところのを。
ふたりとも満足だったみたいでよかった
わたしは普段の食事
餅もアトピー体質にはよくないから食べられない、食べたとしても吐き出す
お屠蘇もお酒だめ体質だから口つけるだけ またはひとくち
スーっと鼻に抜けてさわやか 香りが好き

食べものを共有できないってそれだけで
共同体の文化や慣習からの疎外感・罪悪感みたいなのがつきまとう
体質だからしょうがないけど。
一時的に悪くなるのを覚悟して食べるとか。
でもしんどくなるのはいやだな
雰囲気だけ共有してその場に参加するのを許してください〜てかんじかな

経過
すごろく[6月24日(月)08時53分]
20才のときから父は単身赴任
25才くらいから母は介護で関西と北海道をいったりきたり
私はその前からずっと昼夜逆転、たまに早く起きれてもだんだん気が重くなり泣き叫びたくなり
周囲に当たり散らしたい衝動が大きくなってくる、から食べ吐きでごまかす
だから家族3人で家にいる時間は1年のうちの数日、顔を合わせてる時間も少なかった
父は定年退職を迎え、母も介護生活は終わり、
39才ごろから家族で過ごす時間が増えた
けど私の昼夜逆転・食べ吐きは続いていて、顔を合わせる時間は変わらず
41才で腕がこうなるまで生活を変えられなかった

すごい長い時間が経過してるけど、あのときああすればよかったこうすればよかった
とか後悔できる隙間がない
そんな選択肢が見えなかった

腕がこうなる直前、本当にしぬかもしれないと思って怖かった
全然しにたくないのに
絶望感がすごくて歩く気力もなく足の筋肉が落ちて階段を上がる足が重くなった
そんなんなってるのに食べ物買いに行くのに父の車に乗せてもらっていた
活気のある店内を歩いて季節ごとに入れ替わる商品や、期間限定モノ、時間になると値引きされるもの、
予算のなかでどれだけ満足度が高く量多く買えるか、とかに頭が動いて
自分の生気を感じることができた
野菜や果物も緑や赤色、エネルギーをもらえた
パッケージのデザインもかわいいやつとかあったし、
かわいいと感じ取れる自分に、こういうのが大事なんだと言い聞かせた
なんにも感じなくなるのがこわかった
すれ違うほかのお客さんたちの話し声も、人の温度感・社会的な生活感てこういうものだと
思い出せたり気づきをもらえたりして気持ちの切り替えがすこしできていた
小さいこどもは予測不能な動きするからなるべく距離とった
元気で大声あげられると頭がガンガンした
店員さんとわずかに言葉を交わしたときも、まだ人に通じる言葉をしゃべれてる
通じる言葉をしゃべれてると確認していた
食べ吐きのための買い物ていう目的があるからどうにか体を動かす理由ができていて
外の空気が吸えた

父母はわたしにこうしろああしろとはいわなくて
見守りに徹してくれていた
ありがたかった
病院に行ったほうが、ていう話にはもうずっと何度もなったけど
結局行かなかった
どこの何の科の病院に行けばいいのかわからなかったし
私の何が問題なのかももうわからなく、表現できない
思い出したくもないし、現状を言葉にするだけで打ちのめされるし
結局先生らしき人の指導や薬の力をもらっても根本的なところには効かないと思ってた
漫画に出てくる麻薬中毒者みたいな顔にガリガリな身体になってる娘を
現状打開の見通しが全く立たないまま
そばで見守ってるしかできないとか父母もしんどかったと思う
どうすればいいんだろうという話になったときはいつも終わりが重苦しくなっていた

正直、長くバラバラで暮らしててよかった
父も母もわたしのことを見ないですむ時間が多くて、
ほかの人や何かと関わっていて、メンタル的に助かったと思う

3にんで暮らせるころにどうにか父との会話の語彙力がわたしに備わった
ギリギリで間に合った
いつもなんかチグハグしてストレスだったから、よかった
今も試行錯誤だけど。

チームワークや帰属意識
すごろく[6月21日(金)08時58分]
10代初期から学校の先生は自主性を伸ばそうとしてくる
それまで、先生含め大人から渡される課題と達成枠に向けて努力してればいいや
それさえしてたら余計な干渉されない怒られない面倒くさいことは起こらない
でいたわたしにとっていろいろ難しくなってきた

努力すれば一応のクリア地点にはいけたので、努力の価値を信じることができていたし

学校の行事とかクラブ活動・部活とか委員会とか・・
あのときのわたしの何が問題だったか今こーやって言語化文字化してハッキリさせて流したいんだけど
この「集団のなかの自分」については今もこれからも向き合って
いろいろ知っていかなくちゃなかんじ

大昔の記憶をひっぱりだして考えている

集団として、何かを獲得・つくるという向きがあり、そのための作業があり
集団に属してるそれぞれに仕事として割り振られる
集団目標と自分だけの目標はちがう
なんかここらへんのラインがごちゃごちゃだったような気がする
他人の仕事に自分基準で突っ込んでって迷惑かけたり傷つけたりした
自分でもなにかが間違ってるような気はしてたけど、なにがどう違うのかわからなかった

その集団目標について、わたしの仕事としてはどの程度のどのあたりに向かうべきなのか
集団としての理想とか目標が設置されていて、
実際のわたしの力ではどのくらいそこに向かえるのかとかそういう?
その時々に気づいたこととか疑問とかをほかの人と共有して、自分以外の人の視点をもらって
立て直しながら進めていって、つくっていく・・、みたいな?
集団のなかで、割り振られた自分の仕事と他人の仕事は違うし、やり方・進め方も違う
集団がどこに向かって何を目的として集まってるのか見えてないと
自分がなにやってるのかもわからなくなってくる、
みたいなかんじだったんだろうか?

でも当時のわたしの状態を思い出すとその「何かを他人と共有する」
「そのための話し合い」ということもできなかったけど・・
自分が全然見えてなかったから、話しても自分の感覚や考えがなくて
闇雲に「良いとされていることに沿えばいい」みたいな。
ここは今も自信ないけど

こういうのも結局人生経験なのかも
いろいろ浅くも深くも
傷つけたり傷つけられたりを繰り返していくなかで、他人や自分や社会を知っていって
自分なりのやり方を模索していくという
しんどいな
みんなすごいね
 
一人っ子でさみしくない?と子供のころよく聞かれたけど
さみしいという感情がわからなかった
だから別にさみしくなかったんだろうと思う
いとこや親せきはそれぞれきょうだいがいて
たまに遊びにいくと激しいバトルを繰り広げてるとこに居合わすことがあった
優しい両親のなかでのんびり生きてるわたしにとっていつも壮絶だった
そういうのと関係なくいられることに安心してたけど
そのきょうだい同士でしかわからない感覚の「良いところ」を
わたしは一生知ることはないんだなということに気付いてさみしく思うことはあった

いとこたちや親せきたちを見ていて、やっぱりきょうだいの中でも傷つけたり傷つけられたりで
鍛えられてるんだなと思う

ことばのやりとり
すごろく[6月18日(火)09時53分]
ここに最初に書き込んだのは2001年くらいな気がする
23年くらい前? 大昔だね
普通に精神的に重苦しくマックラでごちゃごちゃなかんじだったね 思い出したくない
説明文みたいな文章しか書けなかった

19、20くらいかなあ
文章読んでて辞書引きまくってた一時期があった
自分の言葉というか、文字の受け取り方に自信がなくなり
すごい簡単な単語でもいちいち辞書で確認してた
そういう自分に不安があっていつまで続くんだろうと思ってたけど
しばらくしてやめれた よかった
わからなくてもいい、間違っててもいいとちょっと思えるようになったのかもしれないし
そこまで正確さを求めることの限界とかめんどくささ・虚しさが知れたのかもしれない

大体こういう意味だよというのは一般の辞書で知れるけど
専門的な世界・業界?の用語は深く多角的に入っていかないと理解度は深くならない
体感で知る時間も含めると時間もそれだけ必要とする
門外漢にはわからない
「わたしは知らない」ということも知る必要がある

普通の話しことばでも、単語ひとつに人それぞれ解釈が違ったりする
「元気」をイメージしたとき、病気で苦しんでる時間が多い人と少ない人じゃ
想像・連想する状態が全然ちがうと思う
自分の感覚以外はわからないし、誰でも自分の感覚や経験を基準にものを考える
体感知・経験値の違い
そういうのの積み重ねで価値観も違ってくる
会話はそれの連続だから、話が噛み合わないときはすごく努力しても無理なんだろうなと。
どんだけ上手く強く伝えようとしても、頑張って理解しようと聴いてても
わからないときはわからない
いつかわかるかもしれないけど、ずっとわからないままかもしれない
そもそもわかりたいと思ってないのかもしれない
相互の主張と譲歩の見極め、距離の置き具合、
どこの着地点を目指すのかとかの話になってくるのかもしれない

父との会話でちょくちょく噛み合わなさが起こって、
父のいいたいことがくみ取れないことへの不安が起こる
自分の理解度の自信のなさからくる不安、わかりやすく伝えてくれない父への不満、
親子関係の距離が遠のいてこのまま意思疎通ができなくなるんじゃという不安。
そういうのを取り除きたくて、原因を詰めようとしてしまう
お父さんがいいたかったことってこういうこと?みたいに
なるべくソフトに聞いたり。
父が嫌がってるめんどくさがってる雰囲気は感じる笑
わたしも今めんどくさい人間になってるなとわかるしストレス感じる
父からすれば軽い気持ちで言った言葉で、わからんかったら流してなくらいのものかもしれない
そういうふうにできるときもある 
    

すごろく[6月15日(土)08時34分]
だいぶ10代を言語化文字化できた気がする
潜った感ある
ありがとう

すごろく[6月15日(土)08時24分]
朝起きられない重いしんどいがずっと続くのに
母にいうと「朝はそんなもんだよ」というし自分のしんどさがよくわからなくなってくる
周りの子は元気
元気ってなんなのか考え始める
わたしは中途半端に元気
元気な人は元気を当たり前に持ち合わせている
だからそのことについて考えないそれが元気

わたしのしんどさがなんなのかっていう解明方向に努力を全振りしはじめる
何が問題かわかれば解決法が見えるはず、母に説明できるはずと。
同時に母や先生に対して不信感も持ち始める 
父は仕事で忙しくて一緒にいる時間がすくない
いたとしても話が嚙み合わないことを感じるようになってくる

アトピーの変遷もいろいろあったけど
友人にアトピーの子いたけど症状がちがってて。
わたしよりひどい症状が出たり治ったりしてたけど、活発で行動的だった。
だからわたしのこのしんどさ重苦しさはアトピーは関係してるけど
それだけじゃないんだろうと思ってた
このあたりも漢方薬がすごく助けてくれたように感じる

すごろく[6月15日(土)07時51分]
わたしにとって10才くらいで最大の問題は「きれいきたない」問題で。
日常生活に莫大な支障がでた
潔癖症だと思ってたけど
テレビに出た潔癖症の人の話をきいてると
きたないと判断して、その自分の感覚を受け止めて自分なりにきれいにする行動ができていた
わたしのは、きたないとすぐ判断するけどそれが合ってるのかどうかでぐるぐるする
自分の基準がわからない、外側の基準をもってこようとするけど
この感覚の基準も人それぞれなのでどれに合わせないといけないのかぐるぐるする
きれいにしようとする行動もできない
きれいなものがどれかもわからなくなってくる
洗い流す水もきれいだっけ?みたいな
だんだん目に映る世界のぜんぶがきたないのか?てなって
こういうふうに見てしまうわたしがおかしくてわたしが一番きたないんだろうとかって。
こういった流れはわりと突然来てしまって
わたしも大混乱だったけど、親も何が起こったのかとショックだったと。
それまで割と普通に良い子ぽくいれたのにそれからは親や先生にとって
問題児となった自分にショックだった
思考回路ががちがちになってしまったのが自分でわかったし
お先まっくらだと感じたので「記憶喪失になりたい」と泣いて親を困らせた。

体がすごく重苦しくなったのもここらへんからかな
それまでプールに週2で通ってたけどやめたので運動しなくなったし
第二次成長期で体が変わっていくし
アトピー問題も。

すごろく[6月15日(土)07時16分]
10才くらいといえば自我が確立しだして
自分の世界を具体的に表現する子が多くなってくる年ごろな気がする
他者やまわりの世界に自分なりにアプローチしだすというか
まわりの世界に溶けてる自分と、自分だけの世界が明確になってくるというか。

本も幼児向けのは優しい口調で世の中の理はこうなんだよっていってくれてたのに
8才くらいからは大人になる準備をしましょう的になってきたかんじ
作者の個人的な思想が多く入ってる本もその時々の年齢向けの枠に入ってくる
思想は人の数だけあるのに、私は正解を探そうとするからだんだん混乱してきた
そもそも何を正解と判断してるのか何のためにというとこも怪しくなってくる
生き方の正解を探してるのかと思ったときに
そういうのを本から得ようとかって
カタログから選ぼうとしてるみたいだっていうきもちわるさがずっとつきまとうことになる
自分の人生を生きるってこういうことなの?っていう疑問があるのに
流行りの歌は「自分らしさを大事にしよう」といつでも綺麗でうるさかった

うろおぼえな記憶を思い出してこうだったんじゃないかと推測を書いてる今

遊び仲間内での暗黙の子どもルール的なのもうすうす感じ取れることはできてた気がする
それと親や両親や本で得た大人ルール的なものがうまく並立できなかったのがやばかったんかな
子どもルールに寄ると大人ルールから離れる、
大人ルールに寄ると子どもルールから離れる
どっちにしろさみしいというか基準を失うかんじ寄る辺がないかんじ
大人ルールに従ってうまくやれた記憶が強すぎたし
それに代われる基準にも出会ってなかった。
一人っ子独特の性質もあったと思う

早い子は生理もはじまるし。
好きな子に告白して付き合おうと行動する子もわかりやすく出てくる
付き添いとかもしたけどなんかよくわからない気分になった
周りの子に習おう、同じでいたいというのが常だったけど、
このあたりから違和感もすごくなってくる
趣味の世界もそうだけど「好き」や「必要」、「どうしたいのか」
は個人個人で違うから真似することじゃない、気持ちは真似できない。
そこがこわかった。

わたしも一応好きな子いた。
けどあの「好き」はどういう「好き」だったのかと今でも考える。
こうだったああだったといえることはいえるけどあまりいうと当時のわたしがかわいそうになる。

すごろく[6月12日(水)06時50分]
先日漢方の先生のとこ行ったときに
先生は日々いろんな人と会ってるけど気持ちの切り替えとかどうするんですか?
ときいてみた
「馬鹿になる」という答え
馬鹿になる時間をつくる的な。
先生がやっているその具体例をいくつか話してくれた 
ギター演奏とか愛車でのドライブとか。
そのなかで、先生は年季の入った熱烈な阪神ファンなんだけど
私には理解できない、とある行為を話してくれて。
ぜんぜん合理的ではない。
「お金もらえたらやれるかもだけど、その行為の意味や価値がわからない」
と伝えた
そのあと先生が阪神ファンの仲間とのやりとりの話が続いた。
で、これかーとちょっとわかった気がした
仲間意識、帰属意識。という背景から出てる行為。
自分がその団体の一員だという意識が強いならその行為の意味や価値が出るように感じた


こないだここにした書き込みのなかで親や先生との関係・本から学ぶ常識や解答
について書いたとき、
ほんとうにわたしは友人や同級生、仲間や好きな人といった横並び的な?
関係への意識がうっすいな、もしくは低く見てるよなと思った
親や先生や常識という役割上の権力ばっかり見ててその力にあやかりたいってかんじで
上ばっかり見てる、横のつながりの重要性がわかってない、
わかってても距離感とタイミングが掴めてない
で、またここで10歳ころのわたしに戻るんだが
今のわたしは44で、もう孫もいる人もいるのに
いいかげん10歳のわたしから解放されたいんだけど
それはともかく。

すごろく[6月12日(水)06時14分]
映画の「シックスセンス」がBSでやってたのでみた
1999年の映画。
家族で映画館に観に行った 大昔だな
それ以来の2回目
2回目ならではの見方ができて面白かったし、けっこう感動した
最近霊能者さん関係の動画見てたんで、霊や視える人の状況が
この映画つくった人がほんとに視える人なんじゃといわれてるのもうなづけた
この監督の映画は「アンブレイカブル」もみたけど
それもけっこう印象に残ってる

米の苗
すごろく[6月12日(水)06時01分]
近所の田んぼでは早朝から田植えをしていた
不審者扱いされないようできるだけ遠くから見てたけど
けっこうな距離とってても植える機械を動かす音は響いてきた
めっちゃゆっくり機械は動いていた 時間がかかる 
機械に苗をのせるため、製作者さん(という呼び方でいいのか?)は機械からいったん
田んぼの中に降りてたけど、泥から足を引き上げるときに力がいりそうなかんじだった
 
散歩してると田んぼを持ってる人の家や小屋の前に
苗の箱?が並べて置いてあるとこが目についた
これから植わります的な苗の高さ。太陽の光に当たってキラキラな緑
今までの人生で目に留めたことはなかった
頼りないただの草のように見えたけど、製作者さんにそこまで大事に育てられ
これから田んぼのなかで世話されて成長していく
うまくいけばわたしに幸せをくれるお米になってくれる
苗と製作者さんを拝むしかない

すごろく[6月9日(日)08時51分]
26歳ころに一時的にやった日記なんだけど
なにかあったときに自分がどういう気持ちか混乱したとき
「こういうふうに思わなければならない・こう思いたい」という建前と
「でも実際はこうだよね」という本音みたいなやつに
キャラを振り分けて
ふたりにかぎかっこのセリフ的な会話させて
「総合的にこいつ(私)はこう思ってるみたいだよ」
と流れを書きつづると現状の私自身が見えたみたいに思ったことがあった
けっこう有効でした
気が向いたらお試しください。です。

すごろく[6月9日(日)08時38分]
10歳のときにいろいろ問題化して
保健の先生に紹介された先生のときでいろいろお話してたときに
「自分がないね」っていわれた
ほかになに喋ったかとか先生の顔も忘れたのにそれだけおぼえてる
ショックだったけどなんか事実っぽくて
でもそれがどういうことを指してるのかわからなくて
ことあるごとにどういう意味なのかと考えてきた
反射的には「そうですね、で、どうしたらいいんですか!?」だったけど
それこそが「自分がない」ていうふうに判断されることなのかもと。

今考えると、親や先生が指示する枠を上手く読み取って
そのなかでの課題を達成することでしか
自分と社会を感じることができないという部分が多すぎるってことだったんかな?と。
親や先生ってわたしにとって年長者で人生や社会の先輩であり
枠のなかの権力者なので、導きに従ってればわたしは安全でうまくやれるんだみたいな。
で、本に書いてあることを言ったりやったりしてればウケがいいのでこれでいいんだと
学習しちゃって思考停止になったとこあると思う

「自分があって、それを表現する」じゃなくて
「表現の型に自分を当てはめる」ていう。
あーでもこれあれだな、今書いてて気づいたけどどっちかいっこだけじゃないな
どっちもないとバランス崩れそうだな

すごろく[6月9日(日)08時01分]
19歳ころに過食からの食べ吐きになったとき
摂食障害という病名があるって知ってちょっと嬉しかったのを覚えてる
病名があるってことはほかにも患者さんがいて、受け付けてる病院的なとこや
治り方の道筋があるのかもって。
わけのわからない苦しみの改善への導きがあるかもって。
それまでの9年間もいろいろあって生活が自分的にぐちゃぐちゃだったけど
どこの科の病院的なとこにいけばいいのか何をしたらいいのか途方にくれてたから。

とりあえずカウンセラーさんのとこ見つけて「摂食障害です」っていって
お話してもらった
摂食障害は10年くらい続く人もいるよっていわれたとき驚いたの覚えてるけど
わたしも結局22年くらいほぼ毎日食べ吐き、今はチューイングっていう。

カウンセリングは悪くなかったけど、とにかく終わった後の帰り道が
毎回足元ふわふわして変なかんじだったのを覚えてる
現実感がないというか。
ていうか普段の現実感がうすいから、そういう他人と話すことで自分の感覚と向き合って
現実を感じることで足元ふわふわが来てたのかも。
こっちが現状だよという。
3回くらい行けたかなあ、次から昔のことお聞きしますんでといわれたとき
ハイって言って。しんどさがなくなるならなんでもしゃべりますってかんじだったんだけど
家帰ってからじわじわ来て。
なんであんなに丁寧に昔のことおききしますんでっていうのかと考えて
自分がしゃべること想像したら急に吐き気と涙が来て頭重くなるし苦しくなった
ぐちゃぐちゃが大量にあってなにも整理や言語化できてないし
今のわたしではそれらを出すことに耐えられないと思った
ので行かなくなった

そう考えると、この掲示板で自分のこと文字化してきて
長い時間をかけてちょっとづつ整理できてきたんだと思う
内観てやつかな

本当に感謝しています ありがとうございます
私の書き込みで色々迷惑をかけたり
傷つけた人がいるということも忘れてません

私の書き込みを読む他人がいるようないないような曖昧ななかで
自分以外の他者の、社会的な目線を意識して言葉を組み立てることが
わたしに有効だったんだと思う
文章よむのが苦ではない、作文が得意だったし。
ここに集うひとたちの共通点を見つけられたらなにか手掛かりがわかるかもと
当初は思ってたけど。
たしかに何かしらの共通点はあるんだけど、やっぱりひとりひとりすごく違っていて
結局は個人が抱える問題に起因するんだなっていう・・そこに向き合わざるをえない。
誰か治った人の真似をすればいいや的に考えてた私にとって
結局そこなんかっていう振り出しに戻る的な。
あっ、今すごろく的表現出て自分でウケた
今だったら違うニックネーム付けるのに。なんとなくで付けたんだよなあ

そもそもネット環境があって、このサイトに行き着いて
文章読むのや作文が苦ではない、
文字だけのやりとりやタイムラグが苦ではないって人だけが残るから
ここにいる人のタイプも相当しぼられて
違うタイプの摂食障害の人を知る機会もあまりなく・・

ダイエットからはじまる摂食障害の人が多くて
他者の目を意識して自分のからだを変えようって行動できることは
社会的な自分・自意識がしっかりしてるってことだよなと思って
そこはある意味うらやましいと思ってたけど
摂食障害ならではの苦しみはあって。
はじまりは違うけど、苦しい思考回路に共感することは多かった。

すごろく[6月9日(日)07時02分]
私にとって漢方薬はすごい救いになってくれたから
こういう道もあるよと似たような感じで苦しんでる人にすすめたいけど
なかなか言いづらくもある
やっぱりお金は安くない
わたしは運よく親に助けてもらってるだけ

薬の恩恵を受けられる体へ向かう意識や
カウンセリングによる自分との向き合いも入ってくるので
それができる状況がないとという意味で
タイミングも重要だし

まつもと先生のところには
普段食べ物に対してすごく気を付けて頑張ってるけど
定期的に悪いとされてるものをめちゃくちゃつめこんでしまうっていう相談もあって。
それについての回答を読んでて詳細は忘れたけどなるほどと思った記憶がある
こころに抱えてるものが深すぎるとそこを重要視する心療内科とかの専門の先生を
紹介することもあると書いていた

摂食行為が何かの代替手段として強化されていくと、摂食障害は長引くのかもしれない


{To:上へ} {To:最新ファイル} {To:07/20;07時} {現在位置:06/09;06時} {To:04/30;07時} {To:一番下へ}
中医学からの漢方
すごろく[6月9日(日)06時38分]
まつもとひさ先生
https://www.youtube.com/@HisaMatsumoto

なにかを検索してて偶然先生のブログに出会って数年分のを読んだ
直接お会いしたことはないけれど今のわたしがあるのは先生のおかげ
そこにものすごい恩を受けている

漢方を取り扱ってるところは多くあって
わたしもそういう世界があると知ってはいたけれど入り方がわからなかった
ドラッグストアでも買えるけどやはり専門の先生のとこで買うのとは濃さがちがうとか。
自己診断、素人診断はこわいし
薬は用法・用量を間違えると毒になる
または毒にも薬にもならなくて効果を感じないとかもあるらしい

まつもと先生のところにはよそで買った漢方で悪化した人も来るそうで
先生選びは重要なんだと思ったからかなり慎重にした
「国際中医師」という資格を持っていることを重要視して
ホームページや口コミをみて雰囲気を感じたり。
食指導はまつもと先生推奨のやりかたに沿うつもりだったから
厳しく指導してきそうなとこは避けたり。
それでも合わない場合もあるだろうから近所で探した先生の初回は緊張したし
期待を抑えようと警戒もしていた

アトピーを治したくて行ったけど
結果的には体質の根本的な弱いところを説明されて
そこを強くしていく薬を提案された
予算に応じて種類や量を調整してくれた
2年たってアトピーはすごく改善して、そもそもの肌質自体が改善している最中だとおもう
ちょっと減薬できた
わたしは44歳と高齢なのと、今までの蓄積と
食ふくめたいろいろ問題があるから変化はゆっくりだけど、それも最初にいわれたので
承知の上で。

根本的なとこの強化のなかで、アトピー以外のところもすごい改善したのは驚いた
10歳からのあれやこれやがそこから派生した問題だったんか?となったとき
嬉しさはもちろんだったけど
メンタル的な努力がどうのと思ってたからそういうのと違うかったん?てとこで
虚しくなった
けど先生や母は私の努力ももちろんあるよと言ってくれるから
そこもちゃんと自分なりに注目したほうがいいんだろうなと思う

メンタルといわれるもの・性格と、身体の各部位の強弱は密接な関係がある

アンパンマンのマーチ
すごろく[6月1日(土)12時00分]
アンパンマンは小さい頃家に絵本があって読んだ気がするが
内容おぼえてない
でもアニメみたいな等身ではなくすらっとしていたような
アニメはふつうに見たことあるがそんな熱心というわけでもなく

なのにこのアンパンマンのマーチという歌は定期的に触れる機会があるんだけど
いつもかなり泣く
たぶんわたしの人生で一番泣かされてる歌。
別に特に好きな歌ってわけでもないのに

最初にガツンと来たのは15歳くらいのときで
「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ」

「なにがきみのしあわせ なにをしてよろこぶ わからないままおわる そんなのはいやだ」
の箇所に毎回殴られて正気に戻って絶望するというか
そうなんだよなああでも解決策がわからないんだよおおとなってた。

でも近年はだいぶわかってきた?のか何か割り切れたのかしらんけど
ここでダメージ来ることも減り
この歌の全体の流れから涙が出る
何の感情なんだろうなと思う

特に
「そうだ おそれないで みんなのために 愛と勇気だけがともだちさ
 ああ アンパンマン やさしいきみは いけ みんなの夢まもるため」
ここ。ここ私的にすごい涙ポイントで
人間の良い部分の概念がアンパンマンというキャラクターに象徴されて
マントなびかせて青空飛んでってるのを見上げてるイメージ。
なんだろ浄化されるんかなわたしのこころが?
書いててわらえてきたんだが。イヤイヤ・・やーでも
人間が持っている良心、清い部分を思い出せて励まされるっていうか・・
実際、恐れながらでもみんなのために頑張った人、今現在頑張っている人
これから頑張ろうとしてる人って地球上にいっぱいいた・いるんだろうなって
思い出せるんだと思う
日々人間の弱いとこ病むとこ無くなるとこ悪いとこばっか見てると
そういうの信じられなくなったり忘れそうになるから。

原作者のやなせたかしさんがつくったアンパンマンの設定からみるに
自分の顔を食べさせて元気づける・飢えさせない。
自己犠牲の精神?も表現されてるんだろうけど
顔が欠けたり病んだりしても、仲間や周りの人の手助けで復活するっていうこの流れも
大事だよなと思う

アンパンマンのマーチは
作詞者やなせたかしさん、作曲者三木たかしさん、歌はドリーミングさん。
あのリズミカルで入ってきやすいメロディーと音、
歌い上げるきれいで明るい声の全部の相乗効果がさあ・・
妙に深刻に伝えてくるより伝わってくるというか。
すんごいな

「マーチ」の意味がまだよくわからない
なんで「マーチ」にしたんだろ
「行軍」「パレード」「行進曲」な意味があるみたいだけど。
誰が行進?アンパンマンが行進?
アンパンマンがいっぱいいて行進するための音楽?
という妄想遊び

張る気の強度
すごろく[5月26日(日)07時21分]
YouTubeで霊能者さん関係の動画をけっこう見るんだけど
「気」と神社の話が出てくること多く参考になる
偽物9割・本物1割の世界らしい
浄霊・除霊ができる方は戦士だなと思う
からだを削って仕事をしている

「穢れ」は「気枯れ」を指しているそうで
「汚れ」ではないという話
ちょっとほっとした


「頑張る」「気張る(きばる)」関係の話もきけて
長年の謎がとけてちょっとスッキリした

「頑張る」→かたくなな(コンクリート並みに硬い)気を張って対象にぶつける・戦うイメージ
そのくらいの強さの気を張ることは、使う気の量も多いので
消耗もそれなりで回復にも時間がかかる。
(持っている体質・性質の状況状態によるけども)
「頑張りどころ」「頑張りが効くところ」を見定めて
自分が持っている気の量をはかりながら取り組む、または取り組まない
みたいなイメージ

「気張る」のほうは強度についてはいってないな
でもこの言葉が使われる状況を想像するとやっぱり力を入れる場面てかんじだから
「気を張る」っていう状態自体がそれなりに身体を使ってるんだろうな
「緊張」も身体の普段のリズムからちょっとズレて急に気を張り巡らせるイメージ

気を消耗したら回復を待たなきゃになる
「気枯れ」までいくとかなりな時間を要しそうだ

だから普段はマシュマロみたいな気をまとわせといたほうがいい的なことを
言っていた霊能者さんがいらっしゃってなるほどと思った
頑張りどころを間違えないようにしたい

気の養生についてはやっぱり基本的に身体を整えることで
身体はひとりひとり違うから、自分の持っているものをよく知って
活性化できる方法をとること
食事睡眠運動、身の回りの掃除、人間関係含めた生き延びれる環境づくりとか・・?

神社については近所の神社、氏神さまに定期的に挨拶するのがいいとのことで。
日常の小さなことでもラッキーに感じたことへの感謝を伝えるのが大事らしい
人の祈りをごはんにして神様は生きているとのこと

あと、午後4時以降は周辺の見回り?で神様は留守になってるとか
神社でも、もう神様がいなくなってたり弱くなってたり荒ぶってたり、みたいなことがあるっていう
面白話?がきけるので霊能者さん関係動画を見てしまう
こわい話も多いけど・・




呼称
すごろく[5月25日(土)09時47分]
たいていは「ねえ」とか「ちょっと」の呼びかけで済むけども
父が母を呼ぶときたまに「おかあさん」「ママ」
母が父を呼ぶときたまに「おとうさん」。さすがに「パパ」はいわない。
私は今年で44歳

大昔、家族内でこういう呼びかけをするのは
「親が子供の目線・立場に合わせているからだ」と本で読んだ
役割の呼称。

これ読んだの19歳くらいだったかな
父と母が私の立場を通して互いを呼び合っているという状況に
なんかきもちわるいなと思った
父は母のお父さんではないし、母は父のお母さんではないのに。

今でも理想をいえば、互いを名前で呼び合ってほしいんだが。
でももう慣れ親しんでる呼称だし、ただの記号といえばそうかもしれない

苗字じゃなくて下の名前で呼ばれるって誰にとっても何歳になっても
嬉しいことなんじゃないかと思う
役割としての自分じゃなく個人としての自分を強く意識できるし

でも役割呼称のほうが家族内でのつながりを感じやすいんだろうか
夫婦間での個人呼称はちょっと距離を感じるのかな
距離がちょっとあるほうが見えること多いと思うが。
照れもあるのかも?

おばあちゃんはデイサービスでスタッフの人たちに「〜さん」
と下の名前で呼んでもらえていろいろレクリエーションしていた
その様子を直接見ることはなくて母からきいた話だけだけど
元気をもらったりしてたんじゃないかと想像する

前に父と母のことを「〜さん」と呼んでみようかなと言ったことがある
いいよーと言ってくれたけど結局お父さんお母さんと言っている
夫婦間と親子間はまた違うしなあ
うーん
最初は違和感あってもこういうのは慣れっぽくもある
嫌かどうかは確認しないとだけど。

伯母のお孫ちゃんは伯母のことを「おばあちゃん」でもなく「〜さん」でもなく
どこから来た?ていう謎の独自呼称で呼んでいる
伯母とお孫ちゃんのその呼びかけの関係性は
不思議ではあるけどそれはそれで親密でかわいい

すごろく[5月24日(金)07時21分]
父母の発言をきいてると疲れることがある
なんでかというと、同意を求める表現が多いから。
「〜だね」「〜だな」「〜でしょ」みたいなやつ
断定的なやつを振りまいて、かつ同感がほしいみたいな。正解の期待?
安易に「うん」ともいいづらく
合いの手的に「うん」ていったら私も同じだよになるので。
いきなり言われても、それについて何も考えてなかったり興味なかったり
関心あったとしても違う感想だったりするから
とっさの対応できづらい
ずっと「うん」とすぐにいわなきゃちゃんと対応しなきゃっていうのやってたけど苦しくて、
逆に「いや違うんだけど」的なのやったら空気が冷えるというか
さみしそうなかんじが流れる

父も母もそれを互いに向けてやっていて、時々疲れているかんじある。
妙な緊張が流れてたりするし。


私に向けられる場合「さあ?」「わかんない」「どうかなあ」とか
ぼんやり系でワンクッション置くことで
わりとスムーズにいけることを覚えてからはちょっと楽になった
「どうだろうね〜」と語尾を伸ばし気味にするとのんびり感もちょっと出せる
その間に考えることできるし、相手の反応受け止めて生まれるものあったりなかったりで。

「私は〜だと思ったわ」みたいに自分だけのことに留めれば
それについての感想も持ちやすいかんじだな

バウンダリー
すごろく[5月23日(木)07時11分]
自分と他者を区別する境界線「バウンダリー」とは?
https://co-coco.jp/series/study/boundary/

自分と他人の境界線がわからなくなる?〜バウンダリーとは〜
https://www.koka.ac.jp/welfare/news/5233/

健康的な人間関係を保つための鍵、”バウンダリー(心の境界線)”とは?
https://www.womenshealthmag.com/jp/wellness/a36456326/boundary-mental-health-20210521/

内臓下垂
すごろく[5月21日(火)07時44分]
おなかポッコリ出るんだよねーと何気なく母にいったらうんて言ったので
やっぱわかるほどなんだ嫌だなと思って
検索

腹筋が重要なのはわかるけど・・背筋もかな

内臓下垂の人はおなか出ますよっていうのがあり
それだと身体への支障もいろいろ・・という情報

とりあえず限界までおなかひっこめて息を吐き切る
それを繰り返す
ていう腹式呼吸の鼻呼吸がいいらしい
ので
やってみようと思ってちょっと

へその少し下あたりがやっぱ力こめやすいかんじ
丹田ていうの?
内臓の位置が正されて、息がしやすく
体勢のバランスがとりやすいかんじある

身体がラクになるならそれに越したことはない
できるだけ続けたい

すごろく[5月21日(火)07時22分]
神さまや死後の世界、霊感などについてとても参考になった
回答するスレ主が素敵な方だった
コメント欄も面白かった

「元霊能者なんだけど質問ある?」
https://www.youtube.com/watch?v=fzLtbQk77q8

すごろく[5月20日(月)08時06分]
そのプラネタリウムに併設されていたのが子供むけのミニ科学館だったんだけど
地震体感装置というか乗り物があって。
目盛りが震度1から5までだった(35年くらい前の大昔)
震度5の疑似揺れで、うわーすごーとか言ってたのに
近年の現実は震度7とかあるもんね・・

神様の物語
すごろく[5月20日(月)07時56分]
小さい頃、お墓参りで遠出をしたついでにプラネタリウムに寄ることがちょくちょくあった
暗くなった半球体の天井を見上げながら星の説明きくのは面白体験だったけど
天体への理解と関心はぜんぜん生まれなかった
でも星座の名前の由来になったギリシャ神話の紹介の時間は大好きで。
それからもギリシャ神話の物語の本は読んだりした

ギリシャ神話の神々たちは物語のなかで人間みたいにいろいろ感情ゆたかに動いてた
生まれ持った体質や能力・立場で
居場所や仕事が決まり
神同士の関係・人間との関係によって成り行きがつくられていく
人間はそれによっていい目に合ったり悪い目に合ったりで
わりと理不尽なかんじだった
神様たちやりたい放題で気まぐれだし、横暴だなと思ったりもした
でもすごく長い時間を生きて大きな仕事をしていて
世界の仕組みを支えてるんだよな

ギリシャに詳しい人の記事を見ると、ギリシャ人の信仰の対象としては
キリスト教が大半らしい
えっそうなのと思ったけど、人名にギリシャ神話にでてくる名前にちなんだものが多いそうで。
生活の中で親しみのある物語として生活に溶け込んでるのかなと思った

夜や昼、死や愛など自然や社会のいろんな力や事象が
神様たちの名前や仕事として象徴されている。
神話を通して
自分の生きる世界に起こる、さまざまな力の働きや関係性の理解の助けになっているのかも
理不尽や不条理も含めて。


日本でも神道に出てくる神様がそういうかんじなのかな
日本神話。
そういえば小さい頃、なにかの機会に日本神話に触れたことあったな
やまたのおろちとか、因幡の白兎とか、天照大御神がお隠れになったお話とか。
子供向けにつくられた絵本。
そういう神話の断片の物語をきっかけにして
神様に親しみを感じてもらいたいというのが製作者さんの意図だったのかもしれない

すごろく[5月20日(月)06時48分]
ある場所で行われる催しに行くために
歩きで家を出たんだけど
目的地と道中と時間への間に合わせが意識に先行して
なんかめんどくさいと感じる自分がいて焦った

べつにちょっと遅れたからってこの催しに関わる人にそんなに迷惑かけるわけでもない
単に間に合わなくちゃだめだと変に強く思ってるわたしがいるだけだ
とひと呼吸置くことができて
道中に通り過ぎるものに反応したりしなかったり、それによる気づきがあったりなかったりの
一期一会のデータとりがあるだけだとおもうことで
焦りが減って歩く気力もちょっと取り戻せたんでほっとした

体内
すごろく[5月18日(土)07時11分]
メディカルロックティーチャーリョウ先生
https://www.youtube.com/channel/UCmUUY4fJXgdFjGTfKuiTJAQ
体内で行われていることがおおまかに理解できた
私はこういう科目?のことはほんとに頭に入ってこないんだけど
この先生の動画はわかりやすくて面白く視聴できた
ロックバンドされてる方でテンポよく、ちょくちょく音楽系のことが入ってくるし
雰囲気がゆるいというか肩肘はらないかんじがよかった
私の頭で内容がどこまで理解できて記憶として残ってるのかはともかく笑

なんか自己免疫疾患て多いんだなとぼんやり思ったのが記憶にある。
体内は自分と自分でないものを明確に分けていて、
自分でないものを攻撃とか取り込むなんだけど
なにかが起こって自分を攻撃する、という疾患が多種多様みたいな。



ネコかん【ネコヲの解剖生理学】
https://www.youtube.com/@nekocan_nekowo
かわいくわかりやすいイラストと優しい語り口で
動画に入りやすかった

整体
すごろく[5月18日(土)06時39分]
「身体が変わる視点」安藤彰勇先生のコラム
https://feelings-seitai.com/wordpress/
体内の理解にとても参考になった

八段錦
すごろく[5月17日(金)07時14分]
気功八段錦(楊名時先生:演武)、MOV 0765
https://www.youtube.com/watch?v=5SKetjmmFTs
BGMが合ってないと思うので見るときは消音にしてる

20年以上前にNHK出版から楊名時先生の太極拳のビデオテープを取り寄せた
やってみるとくるくる回る動作が多いし難しくてついてけなかった
無理だわ買ったの失敗したと思ったけど、この八段錦も入ってた
こっちはずっと真正面を向いててゆっくりで時間も短くて真似しやすかった

背景が白くて、動作の説明を先生がしてくださってた
とてもおだやかでおごそかな優しいおじいさんな声色と語り口で、それだけでも癒しを頂けた
先生の動作や呼吸の世界に集中して動くと
そのひとときだけしんどさが薄らいだ

もうビデオテープは見れないけど、YouTubeで久々に見ることができて嬉しかった
やはり動作がなめらかで美しかった

低アミロース米
すごろく[5月17日(金)06時39分]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8E%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9%E7%B1%B3
低アミロース米はもち米寄りのお米
胃腸が弱い人、肌が荒れ気味の人、体内の消化力・代謝力に自信がない人は
ひんぱんに食べるのを避けたほうが無難
謎の体調不良の一因になっている可能性アリ

すごろく[5月15日(水)07時14分]
私は「源氏物語」自体にはあまり興味がない
若いとき「こんなに広く長いこと高い評価されてる理由はなんだろう
きらきら雅な世界ですてきっぽいし、こういうのが読める人ってかっこいいかんじだし、
私のしんどさを助ける何かが読み取れないかな」ていういつもの理由で手に取ってみたけど
数ページで撃沈した
いろんな意味で無理だった

でもあるときNHKでたまたま見た番組が面白いと感じて。
懐かしくなって先日調べたら三田村雅子先生の「古典への招待」だった
20年以上前か・・とくらっとした。
ネットのデータベースありがとう

三田村先生の「源氏物語」の世界の紹介はほんとに惹きつけられたし魅力を感じた
なんでだったんだろうと今でも考える

語り口が印象的だった
落ち着いた声色で、高いとこ低いとこ、早いとこ遅いとこ、大きいとこ小さいとこ
寄せては返す波?みたいな抑揚?
語られる内容も濃くって源氏物語ってやっぱすごく面白い作品なんだと思えたけど、
あの語り口にわたしは癒しを頂いてた
先生は大学教授だったから講義を受けられる方々いいなあと思った

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/11_genji/guestcolumn.html
やっぱアツいなあ・・
「源氏物語」への愛とリスペクトの情熱と探求心が伝わってくるわ
特に最後のほうの
「愛があるから想いが伝わるのではなく、どこまでも想いがすれ違ってしまうという愛の不可能性をめぐって物語は書き続けられていきます。
 物語が大事にしたその一つ一つのずれときしみを取り上げながら、
 そのすれ違いを超えてさらに求められていくものを考えてみました。」
こういう文章を読ませてもらって私の中に湧く気持ちに浸るのがほんと好き 感謝

https://www.youtube.com/watch?v=BblDTpBS99Q
4年前の動画だけど、お元気そうでよかった・・

源氏物語
すごろく[5月14日(火)07時33分]
源氏物語について書かれた文章を紹介したい
「表象としての日本 西洋人の見た日本文化」という本の中のP153、154。
共著の本だけど↓の箇所を書かれたのは山内久明先生



「枕草子」がノンフィクションであるのに対して、「源氏物語」はフィクションである。
ジャンルは異なるが、清少納言と同じように紫式部自身が体験的に知っていた制度としての
宮廷の人間模様が活写され、時間に沿って物語が展開していく意味において、
虚構化された年代記であるといえる。
光源氏の愛の遍歴と宮廷における浮き沈みが並列されているが、
主題は権力の中枢としての宮廷という制度ではなく、
そこに生きる個人と個人の人間関係であり、愛や悲哀の種々相が描かれる。
人は自らの運命の支配者であると同時に、宿命や因果の支配の下に置かれてもいる。
数世代にわたる密通と不義が個人の歴史を動かす力となっているが、
それは罪であり、罪に対する報いを登場人物たちは受けなければならない。

いま「源氏物語」を、フィクションとしての宮廷人の年代記として規定した。
その場合、宮廷における権力闘争は後景に押しやられ、
愛し合い、妬み合い、憎み合う男女の人間関係が前景に据えられている。
仮にもし権力闘争としての年代記であったならば、様相は異なっていたであろう。
光にせよ薫にせよ、主人公として設定されているのは男性であるが、
主人公の運命は女性との関係によって動かされている。
女性は一面で男性の意思と欲望の対象となる弱き性であるが、
視点を変えれば男性の運命を支配する根源的な力の持ち主である。
数世代にわたる密通と不義を通して人間を支配する運命の力は女性に由来し、
ここに女性の両義性がある。
「源氏物語」が宮廷における権力闘争の年代記ではなく、人の運命を支配する女性の力について、
紫式部という女性の視点から、女性の筆によって書かれた事実は重要である。
勧善懲悪主義的視点に立てば、「源氏物語」のプロットの展開は不道徳を責められるかもしれない。
しかしながら、「源氏物語」において繰り広げられるのは、善悪が相対化される美的世界である。

方言
すごろく[5月13日(月)09時20分]
両親は北海道の人なんやけど、私は関西圏で育った。
やから親としゃべるときは標準語っぽいやつやけど、友達としゃべるときはこういうかんじ
相手にあわせる。
親は北海道の方言はしゃべらへん
方言を理解できるけどしゃべらへんというかんじ
そもそもふたりとも北海道におるときどんくらい方言使ってたんやろーか
そもそも薄かったんかもしれへんな

関西圏で関西弁いうても地域によりけっこうちがうみたいやし。
私のは子供のときの限定された環境で育った方言やし、実際の
昔から根付いてるここらの濃いい方言やとまたわからへんのが多いんやと思う

ずっと家にいて親としかしゃべらへんから
標準語っぽいやつばっかしゃべる年月多かったんやけど
元気になるにつれまたちょっと方言喋ってみたらなんかよかったわ
友達としゃべるときは共有感みたいの味わえるし
独特のリズム感で細かい情感みたいの表現しやすいし

前にメール相手に方言で書いたやつを送ったら
その方言のとこばっかひっかかって内容が頭に入ってこーへんていわれた
たしかにな
今これ書いとって自分で読んでみてもなんか変なかんじするわ
声に出して読んでみて修正したりしてる



時代劇じゃふつうに今でも理解できる日本語を皆しゃべっとるけど
大昔は地域ごとの言葉の違いがすごかって交流するときは通訳が必要やったときいたことある
通訳の人次第で政情が左右されたりってよくあることやったんかもしれへんな

note
すごろく[5月13日(月)08時24分]
いろんな文章を読ませてもらえるのでありがたい

たぶん食欲について書かれてるんだろうと思う
すごい好きな文章
https://note.com/ukarayakara/n/n4b3588f578bf

米について書かれた文章ですごく好き
https://note.com/kagiri7q_10may/n/na0025d820b5d

すごろく[5月13日(月)08時12分]
餅つきに使われる用具一式をレンタルしてる会社のサイトがあった
わたしが見たやつと似た形だったから、あのイベントのもレンタルしたのかも
杵と臼ってそうそう使う機会ないし管理も手間かかりそうだし。

すごい行き届いたサービスのサイトだった
失敗しない餅つきのやりかたについて、注意すべきポイントを動画で解説してたり。
(餅をつきはじめるまでにもやることがいろいろあって、おお・・と思った)
保健所からイベント敢行への指導を受けた人への、法律解釈の知識提供ページがあったり。
「我が社の商品が活躍できる機会を逃さない」
「皆でつくる楽しいひとときを味わってほしい」
ていういい意味での商魂のたくましさ、気概を感じた

すごろく[5月12日(日)08時40分]
餅は丸められ無料でふるまわれた
あんこときなこ
いい天気の日で屋外でのつきたてのお餅はとてもおいしそうだったけど
もち米ダメージ体質のわたしは無理だなということで。
おいしそうに食べる人たちを見れたのはよかったな
外食ぜんぜんしないから、なにかを食べる他人を見れる機会もほぼないし。

イベントの片づけをしてるとこも見てた
餅つきしてる最中もそうだったけど
協同で何かをするって、相談や確認、連絡をとりあいながら進めていくんだなというのも
見れてよかった

すごろく[5月12日(日)08時20分]
餅つきをしてる人たちを取り囲んで観客がいて。
会話もいろいろきこえてきた
小さい子がけっこう前ではしゃいでるのを心配したお父さんらしき人が
「杵にあたるとしんじゃうよ」を3回くらい言って抑えてたのがなんかシュールで面白かった
たしかに振り上げる杵の周囲は危険なかんじでそういいたくなる気持ちもわかった

ずっと人と一緒にいるとひとりになりたがるくせに
たまに人の中に入ると生気をもらえるというかんじ
社会や文化の空気を吸うみたいな。
こういうのも自分なりのバランスの取り方に気づいていければいいな
(気づけない場合も覚悟しとかなあかんのかもだけど)

すごろく[5月12日(日)08時01分]
先日杵と臼を使った餅つきを屋外で見れるイベントに行った
こういうのを見れる機会&私の米への興味が持続している時期はあまりないかも
ということでシッカリ見てきた

想像してたよりおもしろかった
杵でつく人が3人の若い男性、水かけながら餅をこねる人が3人の高齢の男性。
それぞれつき方こね方に個性が出てて
それにより仕上がりの餅の様子がちがうかんじだった

屋外でガスボンベ?おいて羽釜でもち米を蒸して
それを臼に入れて、しばらく杵でほぐす
この時点でおいしそうだった
風の強い日だったからお米のいい匂いが漂ってきた

こねる人と観客が「よいしょー」と合いの手のかけ声かけながら餅つきがはじまった
観客に威勢のいい野太い声のおじさんが数人いたから心強いというか
その声に紛れてわたしも一緒に声出すことができた
餅をつく音とかけ声で場が盛り上がるというか連帯感?みたいのがあるんだなあと。

杵は重そうでいくら若い男性とはいえだんだん疲れも見えてくる場面もあり。
でも笑顔。

水が多い&つき方により、「振り上げてつく」の流れのなかで米が周囲にけっこう
飛んでた
あんなに飛ぶんだなと
至近距離で見てたから、家帰ったあと服に2粒ついたことに気づいた

餅をつく音はリズミカルで心地よかった



日本昔話に出てくるような杵と臼の形を想像してたんだけど
ちょっと違ってた

検索すると大昔は精米するのに杵と臼を使って人力でやってたそうで。重労働・・
その後、水車を使っての精米に。
人力から水車に変わったときの人々の喜びってものすごいものだったろうな

すごろく[5月11日(土)08時35分]
YouTubeには摂食障害関連の動画多い
現在進行形の人、過去にそうだった人、医療者の人、コメント欄の人の
様々な立場からの想いや情報。
たまに視聴するといろいろ複雑な気持ちになる
励まされるような気持ちをもらうことも多いけど、
最終的にはしんどくなるのでしばらく距離をおこう、となる

先日見てたら、わたしと同じ身長の人で
拒食・過食嘔吐がひどかったときの最低体重を書いてる人がいて。
比べてたんだよなー私。
わたしより、低いかどうか。
その人の体重がわたしより低かったら、
「いやでも、わたしが測ったのって食べ吐きしなくなって半年たってて
服着たまま靴はいたままの状態だったから最低体重はもっといってたかも」
ていう思考。
何の張り合いしてる?笑
意味不明に勝手に競ってた
しんどー

わたしは体重計には乗らない乗れない
数字に囚われるのがわかりきってるので食べ吐きしてたときもずっと乗らなかった
現に2年くらい前に整形外科の廊下にたまたまあった体重計にのってみた数字を
今でもクッキリおぼえてて他人との比較対象にしてる有様

体重の「数字の差」という枠のなかでの勝ち負けの世界
その数値を他人と比べて優劣をはかり、わずかな優越感を得ようとする。
または設定した目標を達成できるかどうかの自分との勝負だったり。
勝つことで安息を得たい・拠り所を持ちたいっていうかんじ?

それ「だけ」の世界線を見続けるとずっとそこでぐるぐるするかんじ
だからそれをちょっと見ないで距離を置いて、
他にもできるだけ複数の世界の見方を身に付けて
食生活やからだの形のことを多角的に見れるようになりたい

「痩せ方の学校」
すごろく[5月10日(金)11時29分]
痩せ方の学校っていう直球のチャンネル名で、煽ってくるわと思うけどそれも狙いなんだろうな
https://www.youtube.com/@TRY-ANGLE

ショート動画の情報量がすごい
食生活におけるいろいろな状況下で、体内の各部位がどのように働き
どのように作用しあってるのかを先生自ら擬人化して演じながら説明してくださってる
優しくユーモアを忘れず、表現方法に工夫を凝らし
わかりやすく伝えたいという気持ちがあふれてる
単に減量したいという人、摂食障害予備軍の人、摂食障害で苦しんでる人を
ちゃんと区別して、それぞれの状態に合ったアドバイスをされてる印象。

すごろく[5月8日(水)08時15分]
涙について漢方の先生にきいてみたら
「固まったからだや気持ちをほぐす役割がある」的な返事をもらって
なるほどと思った

すごろく[5月8日(水)08時06分]
22年前にメール交換してた人が
私の人生に対し私が自覚してる以上の恩人だと思ってる
嘘をついていなければ一個上の男性。

その人の世界の見方とそれに基づいた語彙力の豊かさに
その影響を受けることができたら私は今より楽になれる
といった思いでやりとりをしてもらっていた

今でも一番おぼえてるのは
「冷静に希望がない」という言葉
それまでのわたしには「希望がない」イコール「混乱」とか「絶望」に直結してたんだけど
「冷静に」」?冷製に希望がないとは、と考えて
少なくとも落ち着いてものを考えることができそうだと思った

「言葉は道具でしかない」とも書いてた気がする(うろおぼえだ)
使う使いこなす人間個人が主体で、そっちを見ることが大事、
表面的な言葉に振り回されないように、みたいな??

本をよく読む人なのかなと思ってきいてみたらほとんど読まないとのことで
意外だった
でもファッション誌が好きでよく見てるみたいだった
どういう読み方・見方をしていたのか今でも興味あるので聞いてみたかったな
今だったら当時よりもなにかしらわかることがあるのかもしれない

山本耀司さんに大きな影響を受けたみたいだった
わたしも同じように影響を受けたいと検索してインタビューとかの記事読んでみたけど
あんまりわからなかった
なんだろうな・・個人と個人、他人同士の社会生活とのすり合わせ上の服とは?
人と人との間の服とは?みたいなかんじのことというか
ほんとちょろっと見ただけでこういう感想いうのもおこがましいというのもあるけども
ずっと私が最もわからない、抜けてると感じてるところを
しっかり組み立ててつくっている方ていう印象というか
とにかくわからなかった
でも私が影響を受けたメール相手が影響を受けた人という点で勝手に感謝している

あまり影響を受けすぎるのもよくないかもとそのメール相手がいっていて。
もう山本耀司の記事を読まないほうがいいかな的な
好きすぎて骨の髄まで作用受けすぎで自分を守れなくなる危険さを言っていたのかも

ファッション世界のことはわからないけど
山本耀司さんを検索すると「名言」とかも付随で出てくるし
感銘受けた人は多いんだろうな



服についてはこれから実際の生活のなかでちょっとは変わっていけたらいいなあ・・
鬱のときは単なる物体、ただの布きれとしか見えなかった
色や柄、組み合わせとか自分がどう感じるか
他人や社会的にどういう印象を与えるのか
時・場所・状況に配慮した格好ができるようになりたいなあ

皮膚が外側と内側を分ける膜で
服が「公と私」の入り混じった膜
その「公と私」の割合や性質の出具合にその人の個性や状況の一端が出る
という今の理解度
いろんな人の影響を受けている

すごろく[5月7日(火)07時55分]
最近、やっと鏡見て「わたしだ」とおもえるようになった気がする
うれしい
ぜんぜん気分がちがう
ずっと「何この物体」だった

現状での最適なからだの形になりたい
そういう方向に力を使いたい、その力を得るために努力したい
みたいに思える

というふうに思えたことでいかに今までが
「自分の形が崩れた、崩れている、これからも崩れ続ける」ことに絶望してたかがわかった
あと「何かにつかまっても滑り落ちるイメージ」
「足元が抜けて落ちていくイメージ」
「誰かがわたしに喋っていても、わたしも内側からおーいとわたしにしゃべりかけて
反応してくれと願うイメージ」
視界と現実世界に薄い膜があってどうあっても破れない、直接触っててもそれとの
繋がりがよくわからない、など

東京都特許許可局
すごろく[5月5日(日)08時00分]
Diva - Trailer
https://www.youtube.com/watch?v=Lugx0xX2G54
長い間好きだった映画
でも通して見たのは一回くらいで
ところどころの好きな場面を繰り返し見てた
音楽と映像が好きだった
2000年代初期かな、「ディーバ」歌姫っていう言葉が流行ったけど
わたしがこの言葉覚えたのはこの映画なんで
わたしにとってのディーバはこの映画に出てくる歌手の方なんだよと頑なに思ってる
言葉とその対象になるものとのいちばん最初の強烈な関連付けは、長く響くよな


『赤ちゃんに乾杯!』日本版劇場予告編
https://www.youtube.com/watch?v=UOAmWPUQ89E
これは通しでも何回も見たなあ
映像もキャラも物語も好きで・・とにかく癒しをもらってたわ
3人が住んでるおうちのインテリアもすっごい素敵で好き


映画『髪結いの亭主』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=gUDBts3Gbt4
えろいというか官能的?なのも「おおー・・」と見入った
これも映像と音楽が・・あとおじさんの不思議な踊りも好きで。
ラストが印象的で、そのことについてけっこう考えた
しばらくしてそういう生き方もあるのかもという理解?に


「バッファロー'66」 予告編
https://www.youtube.com/watch?v=Efkjmn5e-14
クリスティーナ・リッチの顔が「アダムスファミリー」のころから好きだったけど
この映画のこのキャラが一番好き かわいい
これは私は男の主人公に感情移入してしまうんで
レイラの優しさに涙でそうになる
体型もやわらかさあったかさ包んでくれそう感を感じるというか。
物語的には、かわいいふたりなんで幸せになってほしいと応援したくなるカップル
というかんじ


YouTubeはコメント欄でもいろいろ感じたり考えさせられたり
気付きをもらえるのがありがたいしおもしろいです
共感や同じような意見の方を見つけるとうれしい

生麦生米生卵
すごろく[5月5日(日)07時14分]
餅のいちばんすきな食べ方は
こどものときはきなこ餅、若いときは雑煮、
今はひたひたに水入れてレンチンで2分くらいの茹でただけの餅。
わずかな塩味だけ、ぐにょーと伸びたところが最も米の味して
おいしかった。
このころは普通に炊いたごはんに対しての愛着はなかったけど
今振り返ると米の味自体は好きだったんだなと思う
茹でたあとの汁もすこしのとろみと塩味ですきだった

でもアトピー的にはお餅は危険度1位くらいのもんで・・
アミロペクチン100のあの強力な粘りが消化に大ダメージ
なので今はほぼ食べられない
食べたとしても吐き出す

食べ吐きしてたころ、おいしいから調子に乗ってすごい食べて
連日吐いてたらトイレが詰まった



きなこは今でも好物
これも食べすぎにはきをつけないとだけど
子どものときから変わらない好物があるということがなんか嬉しいというか
私にも変わらないものがあるんだという点で安心する
きなこはそのまま食べるのも好きだけど
常にそこらに吹き飛んで汚しやすいのと
むせて悲惨なことになる緊張感があるので
水をスプーンでちょいちょい入れながら気分に合わせて
好みのやわらかさに練ってペースト状にして食べるのが安心でおいしい
練り具合によってけっこう味わいは変わる

すごろく[4月30日(火)08時29分]
耳たぶや耳のあたりはツボが多いらしい
適度な力で押したり引っ張ったりしながら「い」や「え」の口の形を
くりかえすとけっこうスッキリする。気がする。



目を閉じて目の奥に力をもっていくのと
あごをひいて、のどの奥のほうを引っ張って、後頭部と首の境目に力をもっていくのを
同時にやると
頭が首の上にまっすぐ乗る感じで、のみこむ道がまっすぐになり
嚥下の力が内臓に作用して
深い呼吸?
空気が楽に入ってくるというか
頭もすっきりするというか
脳に血が行くイメージ?

これやるとやたらあくびが出て涙がでるんだが
なんなんだろうなこれ
この動作をこうやって言語化文字化できたのは今初めてだけど
このあくびと涙のは中学生くらいからだったっけ?
きもちわるい感覚としか認識できなくて動かさなくなったから
このあたりの筋肉とかが退化したのかもしれないという想像。

頭をスッキリさせたいというのはずっとあって
脳に血を、みたいなイメージなんだけど
氷を噛むとこの欲求が一瞬満たされたんだよな
あとレモンを食べること
結構「脳をスッキリさせたい」に振り回されてる人生だな

でも「あくび 仕組み」で検索すると
「顔の筋肉動かす」とか「脳の状態切り替える」とか
私にとって都合のいい情報をゲットしたんで
こわがらず試していけそう
涙も「多くのたんぱく質をふくむ涙は瞳の栄養源でドライアイに効果あり」
とかほんとですか〜?なのがあったんだけど
そういう見方があるのは気楽になれそう

人体のしくみはこまかいとこはひとりひとり違うし
変化していくものだから
完全に同じ仲間を求めても無理なんだけど
自分のからだのつくりや性質となんらか向き合わざるをえないとこは
わりと平等な気がする
そういう仲間


{To:上へ} {To:最新ファイル} {To:07/20;07時} {To:06/09;06時} {現在位置:04/30;07時} {To:一番下へ}
すごろく[4月30日(火)07時44分]
一時期氷を食べるのにハマッて抜け出せなくなったことがあった
ひとつの食べ物として見てた
「氷食症」というのがあるそうで、これか?とも思ったけどなんかちがうような気もした
とにかく氷を噛んだときの頭に来る衝撃が、氷の代わりがなかったことが大きかった
製氷皿でつくってたけど、氷が完全にできあがるまで待ちきれず
中途半端な氷もよく食べた
薄い氷で囲われて、中が水のままのやつ
見た目もキレイだった
噛むと氷の中から冷たい氷があふれてきてあれはあれでおいしかった
あとできあがった氷をスペースにあけるときに固まってない水がスペースに流れて
しばらくすると極薄の氷ができた
あれもパキパキして歯ざわりよくおいしかった
思い出しながら書いてるけどなんか寒くなってきた。気がするだけ。

結局ひどくおなか壊したことがきっかけでやめれた
当然の流れといえばそうか
歯と内臓をそうとう傷めたと思う

今は中医学の養生に沿って、冷たいものはなるべく摂らないようにしている


すごろく[4月30日(火)07時20分]
ありましたよ
すごいですよね
管理者の方に感謝してます

みく[4月30日(火)00時46分]
まだあったんや

すごろく[4月29日(月)07時37分]
16年間ほぼ毎日食べ吐きしてたけど
トイレに入って喉に手をつっこんで吐いて簡単に掃除して、で大体40分くらい。
わりと楽に吐けて、感情的などろどろも込めて吐いていてスッキリもしていた

なのに2016年からうまく吐けなくなった
まず最初に血がすごく出る、そのあとに食べ物と血。
時間もすごくかかるようになり最大で6時間、平均3時間
これが夏の暑いときも冬の寒いときもで、ほぼ5年続いた
すんごい苦しかった
自分でやってるけど地獄だった
歯もこの時期にすごい溶けた

特に2016年は「血」ていう印象しかないくらいで
黒い血を大量に吐いた
あれはなんだったんだろう
身体の知識がある人ならわかるんだろうか
ほんとに真っ黒な血で。

吐いてる途中でやめられない
血を吐き切らずやめると頭がぐるぐるして、めまいがして立ってられなかった
こわくて調べたら「脳梗塞」の項が印象に残った記憶。

血を吐くために身体のあちこち押したトイレの中で。
何やってんのってかんじだけど必死

でもある場所押して、
そこは長年微妙にふくらんでたとこだったのに黒い血を吐いたあとふくらみなくなってた
え、あれ血だったのと思った

血を吐くのに押して効果的だった箇所は、ツボといわれるとこが多かったかもしれない
太い血管があるとことか?
後ろの首と頭のつなぎ目のとこ、左右の鎖骨の間、わきの下、鼠径部、
アキレス腱のあたり、足の甲など
あとふくらはぎのポンプ機能?とかそういう。

血を吐いてるとき、なんでここを押したら血が出てくるんだと思った
関係なさそうな遠く離れた部位が関係しあってる
体内は口から肛門までの通り道はあれど、密室に近い状態で
多種多様な臓器が同時進行で、同時多発な作用を生んで影響しあってるんだなと

臓器をつくってるのが細胞なんだけど
あのー医療系とか科学系とかに進んだひとたちすごいね
こういう世界をつきつめていくんでしょ
人間観や世界観どうなっていくんだろう

なに書いてんだってかんじだけど一応・・

すごろく[4月29日(月)06時48分]
口を「い」の形にすると、顔の骨か筋肉?が上がって、
それに引っ張られて胸のあたりのそれも上がる。
ので胸のあたりが開いたかんじになり、空気が入ってきやすくなり
巡りがよくなるかんじ。
食べ吐きしてガリガリのときこの動きを実感した。
「笑うのが健康にいい」とされてるのは、「楽しい」っていう気持ちのリラックス的方面
のことだけじゃなく、そういう呼吸の巡りや筋肉・骨を動かすことで退化させない
ことでもあるんだなと思った

すごろく[4月29日(月)06時33分]
YouTubeで見た霊能者さんが、「魂はへその下あたりにあるんだよ」
と言っていた

「丹田」という言葉もある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%94%B0
田んぼだヤッホイ

「腸脳相関」という言葉も。

とにかくあのあたりは重要な場所らしく。
たしかに手のひらをそこに当てるとあったかいというか落ち着く。
そのあたりに腹の力を集中させて
口を「い」と「え」にするのを繰り返すと、頭が首の上にラクなかんじで乗りやすく
喉が胸の上にまっすぐ乗りやすく、嚥下がしやすくなる
ので呼吸がしやすくなる
体内に空気の出入りがしやすくなる
という今の私のからだのつくりについての感覚。
体内の臓器などの位置のバランスをとろうとした動きってかんじ?

口を「え」の形にするときは、舌をできるだけ下向きに伸ばす。
「あいうべ体操」の説明に効果が紹介されていた

すごろく[4月27日(土)07時41分]
でもやはり「うまくお箸を動かしてごはんはつかむ」はできなかったので
当初の狙いどおり、棒を平行にして固定してすくいとるみたいに米をのせて
食べた
普通においしかったし、気は済んだ

すごろく[4月27日(土)07時33分]
先日お箸でごはんを食べてる人を動画で見て
急にやってみたくなった
3年くらいやってないので(この、いつから腕がこうなったのかというの
記録してないので年数のかぞえがあやふやになってきた。
父は日々のちょっとしたことをノートに記録しているので今度きこうと思う)

今はどんなもんかと。

まずは指にお箸を持たせてみた
やっぱり動かなかった。思ったように動いてくれない。
かなし〜〜
あと、できてたとき無意識に形をとって動かしてたので
こうまじまじとどこの指にお箸のどのあたりがっていうのが
認識してなかった
どうだったっけ?だった

お箸の持ち方について誰かに習ったり注意された記憶はない
ネット見てたら作法としてのお箸の持ち方にやたら厳しい人がいるんだけど
そういう人から見てわたしの持ち方はどうだったんだろうな
自分では普通の範囲だと思ってたんだけど

やっぱできないかーでも2本のお箸を平行にして
お米をのせて口につっこもう
お箸の棒が口に入る出るかんじを味わいたいということで
お箸をごはんに伸ばしたときに

指と指先にさっき出なかった力を感じた。
おどろいた
ごはんを持ちたいっていう食欲の力が加わったように感じて笑えた
対象物としてのごはん、大きさと柔らかさを認識して
それにあわせてつまむ・はさむ動作をしようとして
手と指が形をとろうとした気がした
脳がこういう働きをしてるんだよなたしか

対象物の性質や関係性など
具体的に認識すればするほど、目的と方向がはっきりする
自分なりにやるべきことが見えてきやすくなるかもな〜そう思いたい

すごろく[4月27日(土)06時57分]
昨日、自転車に乗れた〜
わーいわーいわーいわーいわーいわーいわーいわーい
うれしかった〜〜〜感動でちょっと涙でた
もしかして一生乗れないんでは?とも思ってたからさ〜〜

あいかわらず腕が常に、
誰かにつかまれて下に引っ張られてるように
ダンベル持ってるように重くて
左右の腕につっぱられて胸が苦しい
手先がしびれてる
立ってると上半身の重みで足が地面にめりこんでいきそうな感覚
よろけると体のバランスの立て直しができずらいから
そのままもってかれる倒れそうになる倒れたことがある
から散歩してるときも車のほうによろけたりしないようにすごい
気を付けてる

こういう状態で自転車なんかって思ってたけど
試しにと
乗れたああああでめっちゃうれしかった
もちろんハンドル握ってる手が反りそうになる
腕にズンズン重みはくるけども
苦しくてすぐ疲れはするけど痛みはないので

人通りや車の多いとこでとっさの身体の受け身ができないだろうから
そういうとこは降りて歩く
天気がよくて集中力のある日なら自転車のって行けそう

昨日自転車のろうとした理由は
ここ数日の車運転できる人の不在のなか、常食にしているどうしても買いたい食べ物があり
複数買うのでそれが歩きで手に抱えて持って帰るには大きく重くて
自転車のカゴに乗せて帰るしかということで。
歩いて30分くらいのとこにあり
最初は行きも帰りも歩いてみてどれくらい疲れるか測ろうというかんじに
思ってたけど。
時短で疲れもすくなくすんでラッキーだったな!

自転車乗ったのは3年ぶりくらい?だったけど
問題なく乗れた
体が感覚をおぼえてたね





すごろく[4月23日(火)08時33分]
転がる四角くんたちが「かわいい」を付与してきて
そのかわいさが連れてくるほっこり感に会える
ありがたい

すごろく[4月23日(火)08時25分]
鬱のときでもこの曲はなぜか聴けていつも安らぎをもらえた
クラシックは私にはほぼよくわからないので残念なんだけど、この曲は好き

この映像みたときは作者さんのすごいセンスと緻密な計算とつくりあげる労力と時間を
おもってうなった

https://www2.nhk.or.jp/school/watch/bangumi/?das_id=D0005230022_00000

すごろく[4月23日(火)08時04分]
これが元気とか健康とかいうものの一端かも?ていう実感があると
そこからいろいろ派生して今までどーしてもわからなくて苦しんだ部分に理解が起きた
気がする

自分が正体不明だから、同じ人間として
社会や文化慣習を共有する者としての他人や、動く仕組みもうまく感覚として
想像できなくて正体不明だったけど。
生命体、物質物体としての共通項はあるということと
言葉や映像でイメージされるものの共有をどうにか拠り所にしてた。


どう動けばいいかわからない、正解を見つけてそれを模さなければ安息はない
この思考が間違ってるなら代わりを探さなければならないがそんな元気も時間もない
だからいろんなことや人となるべく関わりたくない、ひたすら省エネを目指す
みたいなかんじ

でもどうやっても崩れない、単に流れの中で発生したり過ぎていったり
なくなったりする自分の感覚や気持ちがあると実感できると、
そこをちゃんと認識してそれを基に動けばいいのかな?
それの積み重ねのなかでの発見や取捨選択のなかで自分の世界を形成したり、
いろんな人がいる中で差異を比べたりして自分の位置やかたちを理解し
自分がこの世界や社会で生きられるように馴染めるように持っていこうとする
という流れかな?

人間関係とか進路について悩んだり決断したりの機会が多いときに、
自分の持っているものや発するものについての有無や性質を自覚したり
それの操作のためになにかを獲得しようとする動きが多いような

元気がありあまってる人はそれをぶつける対象を探しそうだし
自分の力がどこまで通用するか
努力することでどこまで行けるか限界を知りたいとかいう思考にもなれそう

他人や社会のものと関わりその空間に身を置いて、言葉や動作を交わす機会をもたないと
自分の感覚や気持ちが動かなくて
自分がどういうものかどういう動きをする物体なのか
それが意味することは、といったことが見えてこない認識できない

大多数のひとってそこらへんがちゃんと子どものときから
形成してて場数踏んでるんだろ・・
自分のことある程度わかって生活の操作の努力してるんだろ・・と思うと
わたしのやるべきこと?の段階をおもって気が遠くなるわ・・・ていう。 

えーと。ぼーっとしたり焦ったりをこれからも繰り返すだろうけど
「曲がり角を曲がらないと新しいものは見えない」ということと
ドラマのポワロさんが言ってた「歩けないのに走ろうとしてはだめですよ」
と言ってたのを思い出してやっていきたい

すごろく[4月19日(金)11時46分]
フチまで氷や液体をなみなみタップリ入れるとことその音、
この人の手際や編集のテンポの速さがすきだったな
お人柄もおちゃめなかんじ
https://www.youtube.com/watch?v=2ky3eUFQzAI

映像と音がやわらかく心地よい
食べものにしろ動画にしろ美しいものが出来上がるまでの
こまやかな配慮って優しいなと思えた
https://www.youtube.com/watch?v=ylQCaZxOIZk

すごろく[4月19日(金)07時17分]
「おりん」の音は一時期睡眠導入でお世話になった
https://www.youtube.com/watch?v=OsNZoXoU0QY

すごろく[4月19日(金)07時08分]
「ダイエット」て言葉がほんとに嫌いで苦手。
今たとえば「ダイエットしてみるか」って思った瞬間から息苦しくなり
何か食べたくなり運動したくなくなる。
ダイエットから来るイメージで、制限や縛りを連想して
それの反動で逆走したくなるというか。

なんで逆走?
自由を感じたいとかか笑

制限や縛りって他人や社会との繋がりであり安定でもあり
無闇に切ると浮遊で迷子になりやすくもあるけど。
でもガチガチに隙間もない強固な制限はほんとに息苦しく重いわ

制限や縛りのなかで頑張ってる自分が好きとか
その範囲の中での達成感を味わうことに自分の存在を感じる
やりがいや生きがいを感じる
というのはわかる気がする。
そういうのの行き過ぎとかが過労であったり摂食障害に繋がったりするのかもしれないな
わかんないけど

すごろく[4月17日(水)07時57分]
頭がわりかしまともになってきたので
物事の本来の位置と性質と関係性をそのままで見れる、受け取れるようになった気がする。
前は「無理やり点と点をつないで意味を見出すようにする」「拡大解釈をする」が常だった。
だいぶ「あれはあれ、これはこれ」とかの場合分けやジャンルの違いに注意深くなれてきてる気がする。



昨日母にあるちょっとしたことで難癖をつけるみたいなことをしてしまった。批判的な。
でも母の話をきくと流れ的にスムーズなことだった。
わたしの邪推・勘ぐり・変な気の回りであったのがわかったので謝った。
あの批判的なことを言うことで空気が悪くなったのわかったし
母はもちろんわたしも変に消耗したのもわかった。
ああいうことを言うのは必要なんだろうか私。
母に「こうであってほしい」願望からやってるのか?
批判の出どころを誤った気がする

すごろく[4月17日(水)06時44分]
こうやってぐちゃぐちゃしたことを言語化文字化すると
整理されて幾分スッキリすると同時に
内面に寄りすぎてそのしんどさも生まれてくる
そのしんどさの行く末というか晴らす方法はわかってるつもりだけど



10歳のときに頭がおかしくなってから
それを解決したい、逃れたくて何見てもそっち方向にもっていこうとする癖がついた気がする
考えなかったら体が動かないので無理やりなにか考えて目安をつくって
それに向かっていくように体を動かすしかない
この目安について文字化するとキリがなくなりそうなので省くけど
とにかく目を開けて集中力をそこに持っていくこと自体がしんどいし
こんなわけのわかんないまま親や友達や社会との関係が正体不明なまま
寿命が尽きたくないていうのがすごいあるんで
めちゃくちゃ時間を無駄にすることにカリカリしてた
何をもって無駄とするのかこの基準を文字化するとまたキリがないので省く

「健康」「元気」の基準がわからない
これは今でもそうだけど
笑えるか笑えないかはけっこう大きい
笑うって顔の筋肉動かすけど、しんどいときはそれすらつらい
皮膚やそこの肉が硬い重いともっとしんどい

しんどいくるしいが普通だから元気な状態・健康な状態のイメージが
美化されすぎて現実的じゃなかったかもしれない

とにかく一見健康そうな人、元気そうな人、健康的なこと、元気っぽいこと
から学んだり真似すればなにか良くなるんじゃないかと
そればっかりだった
たしかに学ぶことは多かったし助かったことも多かったと思う
そこはいろんな人に感謝してる

でもこうやって書いててなにかひっかかってるんだよななんだろう・・

その健康そうな人の健康そうな価値を売りにした発言や行為についての
私の異常なチェック ?
その価値を信じさせてほしい、私にとって有効であってほしい、
理解しようとした時間と労力を無駄にさせないでほしい
長続きしてほしい、希望になってほしいから
すごい厳しい目で見てしまうというか。
私にとっての審査基準を越えて私の中に入ってきて役に立って安心させてほしいみたいな?
結果、私基準からずれた対象には、期待させんな惑わせんな時間とらせんな
とかの腹立ちイライラなどが来る。
その人が憎くなったりね。
その人だってここまで重く深く受け取られるとは思ってないだろうね。
単なる自己表現、あくまで参考程度、違うかったら聞き流してねみたいな。
そんな余裕のないすごい必死で切実な人間は流すこともできない。
何が合ってるのか違うのかもわからなくなってたり。
溺れる者はわらをもつかむっていうでしょ
常識的なラインもわからなくなり簡単に飛び越えたりする
こわいね


そういったところからはどうにか解放されたと思う
そこまで期待する必要ないんだという自覚で、無駄に他人にしがみつくことから逃げられる
でもまたこれから先、戻ったりするのかもしれないのがこわい
戻らなくても、いろんな種類の新しいしんどさや迷いみたいなのと会うんでしょっていう
でもこれは生きてる人みんな同じっていうのもあって
わたしだけじゃないよねっていう想いになんとか落ちずにすんでる。
そう思えるのはいろんな想いを自己表現した人々からいろんな媒介物を通して
受け取って理解できたからで。
今生きてるひとに限らず、古今東西そういった想いが入ってるものは
今わたしが認識できてる以上にたくさん残されてるんだろうな

すごろく[4月16日(火)06時02分]
10日の投稿での「怖がらせたくない気持ちが生まれてた」ていうの
本当だけど「怖がられたくない」ていうのもあった。
相手のことよりも、そういう自分でありたくないっていう自分本位的な。
どっちかじゃなくて、どっちもあったと思う
どっちかに限定しなくていい
生まれる感情はひとつと限らない
正解の気持ちを生まなくちゃ普通になれない不幸になるとか思わなくていい
自分以外を意識した、他人や状況に対応して生まれた私なりの気持ちと反応だ



漢方薬でだんだん元気になって感じたのは
「世界が優しい、嬉しい」ということと
「元気な人が感じてる世界ってこうなの?しんどいにもってかれる時間と労力と気持ちが
全然違うんだけど?しんどいの解明のために頭回す必要なくて余裕ができて視野も広くなって
優しい方向に気を向けられるね?」

ポジティブ思考や人生訓の啓蒙発言など
押し売り安売りしてるひとたちへのイライラや
過去にクソ真面目にそれらを収集し
受け取り消化しようとしてできなかった自分への落胆が意味なかったことの恨み怒りがすごい。
なんだったの
あんなの運よく強いからだを持って生まれたからいえることだろ

とはいえそういう発言をしてるひとたちの善意の気持ちももちろん伝わるし
それを良いタイミングで受け止め消化して自分の力に換えられるひとたちもいる。
単純に「そのときの私では消化不良を起こすよ」事項だったと
今ならそう整理する
でもそういう過去があるからやっぱそれ系への警戒度は高い
自分向けではない疎外感と、消化不良を起こす自分への落胆、無駄に時間と労力を使う不毛さは
なるべく味わいたくない避けたい
そういうにおいがしてきたらやんわりとやわらかく全力でかわす方向で努力したい
自分の発言と行為にも気をつけたい

すごろく[4月12日(金)10時52分]
宮沢賢治さんの親族のかたのお話がなんか良かった
https://www.nhk.or.jp/morioka/lreport/article/001/79/

すごろく[4月10日(水)06時22分]
昨夜散歩してたら、お母さんに手をつながれた5歳くらい?の女の子が
スキップしながら「こんばんわ〜↑♪」みたいなリズミカルに挨拶してくれた。
わたしはとっさに自分のなかでわりと高め&やわらかめの声を意識して
「こんばんわ〜」と言うとった。笑ける。
怖がらせたくないみたいな気持ちが生まれてたわ

お母さんのかたも「こんばんわ」って言ってくれて。
女の子、スキップしてるのにかなりな速さで、手をつないだお母さんは
小走り状態になってた。
幸せな風景だけどお母さんの女性に対してはお疲れ様です・・みたいな気持ちにもなった。
子育ては体力勝負だよな
すごい

とにかくほっこりな元気もらえた
風に吹かれる夜桜も綺麗だったし、なんか色があった夜だったなー

すごろく[4月9日(火)08時03分]
散歩していたらこんにちはと挨拶されることがある。
私はそれを受けて流れで挨拶を返す。返せる。
自分から挨拶はなかなかできない。
挨拶されるとなんかほっこりするから挨拶したほうがいいような気がするんだけど。
もし挨拶して返事が返ってこなかった場合がこわい。
何がこわいのか考えてみたけど、
言葉を投げかけた気力が無駄になることに虚しさを感じること、
なにか間違ったことをしてしまったのか反省をしなければいけない風になること、
挨拶を返されなかった自分の存在の薄さを感じること
なような気がした。

気力がないときは無理にする必要はないと思う。
間違いかどうかとかは考える必要あるかな
距離感やタイミングの配慮は必要そうだけど、多少の間違いは誰でもするよね的な。
自分の存在の薄さに関しては、わたしの気分や気持ちの揺らぎがどうであれ
どうあったって物質物体としてのわたしは揺らがない。
だからその点は大丈夫と思っててよさそう
もし挨拶して返事が返ってこなくて、虚しいとか悲しいとか感じたとしても
そう感じた自分がいるということは間違ってないはず。
それだけの話のはず。


たいていは年配の方から挨拶されるけど
中学生男子に2回、自転車に乗った小学生男子に1回遭遇した。
「こんにちはっ!」てかんじに元気がよかった。
それを受けての「こんにちは〜」のわたしの声の低さとゆるいテンションに
なんかその差が面白かった。
わたしってこういう反応するんだな

男子のほうが挨拶とか積極的にできやすいのかな
女子は恥じらいとか多くなりがちとか。
あと男子女子どっちも思春期以降はいろいろあってやりにくくなったりとかあるのかなあ

前にラジオで防災士の方が
「地域の方に普段からちょっとでも挨拶しておくことが非常時の連携ができやすく、
防災・減災につながるんです」
と言っていてなるほどと思った。
今はそういったことを家庭や学校でも教えてるのかもしれないな

すごろく[4月6日(土)07時40分]
散歩してたら苔が目に止まった。
濡れて光って緑色が鮮やかだった。
そういえば「苔むし」とか「苔むす」とかいうよなと
検索したら「苔生える」という意味だった。
「むす」は「生える、うまれる」なんだな
よくもわるくもエネルギーを感じさせられることばだ。

国歌の「君が代」に「苔むすまで」ってあったなと思い出した。
国歌は、「君」が天皇を指してるってどっかで聞いて以来
なんかモヤモヤとして抵抗あったんだけど
https://career-selection.com/trivia54
ここを読んで経緯を知れてなんかほっとした。
もともとの短歌があり、それを元にずっとあとに作曲や意味づけなどの
2次創作が行われたと理解した。
いろんな感情はあれど、これからはモヤモヤなしで聞けたり歌ったりができそうで
よかった。

「苔むすまで」っていう植物の生態をあらわすことばだけで、
長い時間が経過することを指せるんだな。

すごろく[4月3日(水)07時36分]
「気」と「氣」の違い。
最初は「氣」の中に「米」が入ってるから嬉しかっただけだけど
意味をちょっとだけ見てみたら違いが面白かった。
日本人と米との歴史は長いから、文化のそこかしこに関連があって面白い。



おにぎりとおむすびの違い。
最近は専門のお店が多くてテレビでも紹介されること多く。
ネットで見かけたおむすびを売ってる方が「おむすび」という呼称にこだわっていて
「結ぶ」という意味に重きを置いてるみたいだった。
食材やそれに関わる人たちとのご縁を大事にするかんじ
つくる人食べる人を結ぶ。
わたしもそういうの尊いと思うし、綺麗で素敵と思うんだけど
一方でちょっと想いが重いと感じる面もあったり。
あと「おむすび」の音の発声がしづらいというか。なんだろなこれ
「むす」のときの母音「ウウ」唇のすぼめるからの
「び」のときの母音「イ」唇を横にする流れがめんどいというか?
「むす」で縦軸、「び」で横軸で、「おむすび」の音の流れ自体が「結ぶ」4構成?とか
また隙あらば妄想で遊ぶ。

「おむすび」は神様が絡む話が多く感じた。
「むす」が「産巣」という漢字が当てられてたり。
そういう神様がいたり。
「むすめ」「むすこ」の「むす」は「産巣」という話があったり。
「むすひ」という言葉があったり。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%80%E3%81%99%E3%81%B2
あとおむすびの三角の形は、山をご神体とする考え方の山を見立てたものという話とか。

比べると「おにぎり」のほうは「握る」から来てるみたいで
「握る」を調べるとビジネス用語にも使われると。知らんかった。
イメージ的にはある程度の領域から目的のものを自分の手のひらで
すくいとってぎゅっとするってかんじ。
ぎゅっとするのも、目的のものの性質を理解して力加減を自分で調整するみたいな?

筋肉っぽいというか日常的な気楽さ、気遣いの負担の少なさを感じて、
どっちかというと私は「おにぎり」派かなあ。

「にぎりめし」の丁寧な言い方が「おにぎり」とか・・
こういった話や説はネットで調べればいくらでもある。
時代性や地域性や解釈がいろいろあるんだろうし
どこまで本当かもわからないし
私には詳細に調べる力ないけど、へーと思える機会があるのはありがたい。

すごろく[4月1日(月)08時17分]
「気」の言葉が無数にあるのは、人間には気が備わっているのが当たり前だという認識なのか。
わたしの人生では「気が滅入る」「気が落ちる」「気が迷う」ばっかりなかんじだけど。
「気を取られる」や「気がふさぐ」もか。

「気持ち」はなんで「持」なのか、「持つ」じゃなくて「持ち」なのか。
「気分」はなんで「分」なのか。

こういうの意味とかイメージとかの自分なりの解釈を広げてって
連想・想像・妄想のひとり遊びしてるととりとめなくなってきて
こういうのを拠り所にしたい願望もあいまって
言葉と文字に埋もれて取り憑かれ感で疲れたりしてくる。

昔、高橋留美子さんの「らんま2ぶんの1」ていうまんがで
ショック受けやすいキャラが「気を落とす」「気を抜く」とかの技で
戦ってる回があった。
作者の目の付け所と、それを物語に組み込み、
技としてどういうものかを絵でわかりやすく面白く表現して読者に伝えてくるところ
やっぱ天才だと思った記憶。


今ここのわたしの気はどういう状態なのか。
環境状況からどういう気にさせられていて、それにどう対応することができるのか。
そういうことを意識できたら、流れ続ける時間のひとときを
より強く自分のものにできるのかもしれないな

ことばに囚われないで、気のむくままに気晴らしを試みてみる。

すごろく[3月31日(日)08時11分]
某スーパーの安い巻きずしと明太子おにぎりを食べた。
裏の成分表示を見ると話題の紅麹が入ってた。
毎日食べるものじゃないし危険性はないと思うけど、へーとなった。
添加物はいろいろあっていろいろな役割をしている。

巻きずしは甘く、明太子おにぎりはしょっぱい。
明太子しょっぱいけど米自体もしょっぱい。
味が濃いめで、添加物たっぷり味。
そういう味でそういうおいしさで好き。
おいしくて幸せ感じる。
でもわたしの内臓には優しくない事実も同時にあるので
こわさもある。

海苔ってけっこう風味つよい。
明太子おにぎりは海苔をはがして別々に食べた。
好みでいえば、具の量に対して米の量が圧倒的に足りない。
おにぎりをおかずに白米を食べると、おにぎりの米のしょっぱさがよくわかる。




米を握ったおにぎり。
あのひとつの物体のかたまりがいいと感じてる気がする。
お箸やスプーンといった道具を使わないで手で持てる安定感を備えている。
持ち運び可能。
食べ物の感触や形や温度の情報を手や指から得ることができる。
「かぶりつく」「かじる」といった表現も可能になる。

すごろく[3月31日(日)07時42分]
お米を作ってる人が作った大福が半額で売られてたので
試しに食べる機会に恵まれた。
変な甘さがなくて食べ応えがあって好みだった。
もち部分が硬めだったけど、砂糖を入れないとそうなるらしい。
米の味を感じた気がする。
砂糖が入ってやわらかさが続くやつもおいしいけど
硬くなりやすいこういうのも噛み応えがあっていいなあと思った。
パッケージにつくった人の名前が書いてあって信頼感安心感もある。
つくった人の責任感すごいな、尊敬する。

すごろく[3月30日(土)13時21分]
人生でいちばんお米と親しくなっている。
ずっと親しくしていたい。愛だと思いたい。
適切な距離感とタイミングでお米とつきあわせていただくには努力が必要なのかもしれない。

口のなかにいっぱいごはんを入れて長く咀嚼して最後の糊状になったものは吐き出すわたしの
チューイング。
だから白米が好きと表立ってはいいづらい。
口の中に入れたあたりからしばらくは無の味、なんならきもちわるいくらいなんだけど
嚙み始めて30回以上あたりから突然すっごい甘さがぶわっと来る。
人生で食べたものの中で一番の甘さじゃないかと思うくらい。優しい甘さ。温泉に浸かってる的な。
比べると砂糖の甘さは暴力的じゃないかとすら。
その暴力に打たれたいときもあるがそれはおいといて。

「水+でんぷん」をおいしいと感じてるんだと思う。
最後は吐き出すが8割くらいは体内に入ってるような。
ごはんのおいしさに気づき始めて最初のころ、調子に乗って800gたべたら
苦しかった。米が体内に詰まってるてかんじ。げっぷがやたら出るし重くて。
あの量はだめなんだなとわかった。

あと最初のころやたら体内に熱を感じた。
エネルギーが燃えてるてかんじ。
ずっと糖質あまり入れてなかったからびっくりしたのかな。
でも健康的なエネルギーに感じた。

前はおかずを食べるために米を食べてたけど、今はあきらかに米を食べるためにおかずを
食べてる。
米の味が消える強いおかずは避けるかんじ。
酢飯系は甘くて、たきこみごはん系は調味料の味がつよい。
味のついたごはんをおかずに白米を食べるという去年の私なら理解に苦しむところまで来た。

鍋で炊飯をやってみている。
家にあるいろんな鍋やフライパンで試してる。
ネットには様々な先人がいてアドバイスがいただけるのでありがたい。
けっこう皆ちがくて混乱するときもあるけど。

透明なふただと中の様子や変化を観察できる。
ボコボコいう音と湯気と白いお米とにおいがなんとも。
またいつかこういうのにも何にも感じなくなるめんどくさいが勝つときが
来るかもだけど。
今はありがたい。

最近手の皮膚が荒れだした。
米の食べすぎのような気がする。
胃腸が重いなって感じる時間長いし。
調整してくれっていう体からのお達しってことかな。
ごはんの幸せにもっとひたってたいのに。
糖質はがん細胞のえさだよっていうどっかで見て記憶に残ってる言葉で
自分を脅したりもしてみてる。

すごろく[3月30日(土)12時37分]
下の訂正
感想した小麦粉族→乾燥した小麦粉族


昨日、歌の歌詞で「〜気取りで」ていうのを見かけて。
「気取ってる」「気取る」とかなんか懐かしいかんじ。
意味を改めて調べてみてへーとなった。
今いうのかな。替わりの言葉があるのかな。
「きどる」とも「けどる」とも読むのか。
意味はちがう。

すごろく[3月30日(土)12時25分]

漢方薬は若いほどはやく効くらしい。新陳代謝。
赤ちゃんでもできる。
わたしは今年44で、今までの蓄積と
ちょっとよくなっては爆食してをくりかえしてたんでよくなるのに2年かかっている。
爆食でいけるなら続けてたが、皮膚がすんごい悪くなったんで
あきらめてチューイングしはじめた。皮膚はよくなった。

わたしのチューイングは一秒でも長く口の中にいてほしいので
かみごたえのあるものがありがたい。
ふわっと溶ける系はコスパわるい。
クリーム系も油断するとのみこむので注意する。
パンや麩、クラッカーやカンパンと一緒に食べると長く味わってられる。
感想した小麦粉族。
変な方向に工夫しはじめるよな。
でもひととおり一定期間やると気が済んだり飽きたりめんどくさくなったり虚しくなったり。
味が濃いスナック菓子でやると口内炎がすごいことになった。口開けずらくなったり。
量は減った。
天かすも一時すごい食べた。さくさく感がおいしい。
キャノーラ油で揚げたやつが好みだった。

食パンは昔はぜんぜん好きじゃなかったし、食べるとしたらトーストに限るだったのに
今は常温とレンチンも好きになってる。
常温のときの噛みしめ具合と(特に耳に近い部分の粉のつまってるあたり)
レンチンしたときの水分量のかんじと湯気と匂い、かみちぎるとき生地が伸びる具合を見るのが
好き。

しかし小麦粉族は口と脳には幸せくれるけど、わたしの内臓には優しくない。
残念だ。

すごろく[3月28日(木)08時28分]
味蕾
https://www.kagoshima-u.ac.jp/researcher/2022/02/post-37.html

すごろく[3月28日(木)08時18分]
手や腕がしびれて重くなってもうすぐ3年になる。
お箸が使えなくなって3年でもある。
スプーンとフォークとトングのお世話になっている。
お箸でつまむという動作は、それぞれの指の神経を細かく使うことで成り立って
いるんだねたぶん。
お箸でなにかをつまむという動作がいつかできるようになったら嬉しいな。
泣くかも。
でもあまり期待しないようにしている。

字を書くこともあまりできない。
なんとか読めるねみたいな。
すらすら書けることがどんなに素晴らしいことか。
でも今年手紙を書く機会があって。
時間かかったけどなんとか人に出せるレベルにできた。気がする。
出す相手はわたしの事情を知ってるから、至らないとこは大目に見てねと
甘えた。

一文字書くのに、線をひっぱる。
その文字を共通理解の文字として他人に認識させるために、直線と曲線を組み合わせ
長さや角度を調整する。
それの集合が言葉で、それの集合が文章で。
自分の気持ちは何かを捉えて、その中から伝えたいことは何かを考え、
それを自分の持ってる語彙力や表現法でどうあらわすか。
これ今書いてるこれ、そのときに感じたことを思い出しながら
文字にしてるけどめんどくさい。
こういうめんどくさいことを流れとしてさーと無意識入りながらやってたから
人間の脳ってすごいんだなと思う。

手紙は、便箋や封筒を何えらぶか、紙のなかで文体をどう置くかのバランスの設定、
切手の絵柄を何選ぶかどう貼るかなど個性を感じさせてくれる要素大きいから
面白いなと思った。

手間と時間かかるけど。


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