Convenience Wars 萬忠太
 戦争物を書きたかったんです。とにかくもう勢いに任せて書きまくったって感じです。
 実はこの作品がリメイクだと気が付いた方は結構まえから私の作品を読んで下さってますね。


 ただでさえゼロに近い夜の視界を霧雨がさらに遮っている。あの細かな針みたいな霧雨を浴びてみたい気もするが、潜んでいるのは森の中。霧雨が降り込む隙はない様に思える。それでも私が握りしめたマシンガンのグリップとトリガーは、汗もあってか、しっとりと濡れていた。
 M249SAWの重量は6.8Kg。マシンガンの中では軽い方だが、皆が使っているアサルトライフルM16A1が3.5Kgなのを思えば重い。だからこそ銃口の近くには二脚架が付いていて、地面で支えて撃つことができる。
 春間近だが、夜の空気は未だに冷たかった。
 加えて冷たい地面が私の身体から熱を奪っていく。我が分隊が見下ろす山道。山の斜面を削って作ったその道は、随分ぬかるんでいるだろう。暗くて見えないが、それは容易に想像できた。
「立ち往生してんじゃないか?」
 小声で呟くと、私の横に、やはり伏せている美和が「そうだね。どろどろだと思う」と呟いた。息が抜ける音が掠れた様な、そんな声だった。小声だから仕方ないのだが。
 美和はいつも緑のベレー帽をかぶっている。仲間達からは「ベレー」と呼ばれている。私は前からの知り合いと言うこともあり「美和」と呼んでいた。
 ミッキーが戻ってきた。彼はいつもミッキーマウスのTシャツを着ているからミッキーと呼ばれているが、暗がりの中では見えない。それに今はアノラックを着ている。
「クレイモアは仕掛けた」
 私は、ミッキーの言葉に答えず、ただ霧雨の向こうの闇を見つめた。
「なぁメガネ……補給のトラックってさ、何が入ってると思う?」
 ミッキーは、私の横に伏せると、耳元でささやいた。
「ピロシキとウォッカじゃないの?」
 美和が囁いた。ミッキーは、恐らく笑って居るのだろう。張りつめた空気が微かに震えた。ミッキーは爆弾に関してはエキスパートだ。彼は普段からよく喋る男だが、緊張すると余計に饒舌になる。隊長によく怒られていた。隊長は恐らく、ミッキーの向こうの藪で、暗視スコープを覗き込んでいる。
「ウォッカだったらよく燃えるだろうな」
 少なくともマトリショカ人形じゃないだろうな、と言う冗談は飲み込んで置いた。
 決定的な敗戦、そして二つの大国は我が国を分割占領。我が国の中心を走るフォッサマグナを国境に定め、二つのイデオロギーは、それぞれに理想郷を築こうとした。
 しかし、東半分はやがて行き詰まりはじめる……そのはけ口を、最も近く最も遠かった隣国に求めた。
 宣戦布告も無しに始まった開戦の日、誰かが「紅い雨が降った日」と呼んだあの日以来、瞬く間に国境は「西側支配からの解放」の名の下、西へと押し込まれた。
 私の住むこの町も、開戦三ヶ月ほどで東側になった。

 舌打ちが聞こえた。隊長からミッキーへの注意である。
 藪が動く音がして、隊長の近くで音が止まる。偵察に出ていたアンパンが戻った。
 微かなエンジン音が聞こえる。芯まで冷えていた身体の奥の方から、熱が生まれてきた。マシンガンのグリップに力を込めた。
 エンジン音が近付いてくる。いつの間にか近くに来ていたアンパンが、目標の数を告げる。
「予定通りトラック二台」
 トラックのライトで、周囲が微かに明るくなる。ミッキーが持つホッチキスに似たクレイモアの点火スイッチが、微かに浮かび上がる。クレイモアは地面に埋設せずに、付属の脚で地面に立てて使用する地雷である。文庫本ほどの大きさだが、その危険距離は、その前方250mに及ぶ。
 ミッキーは無言で、点火スイッチを握る。素早く三回、素っ気ないクリック音が鳴った。クレイモアは、点火装置を連続三回クリックすることで点火する。
 目の前が不意に明るくなり、同時に煙が全てを覆い隠す。
 私は思わず目を閉じそうになりながらも見開き、煙の向こうでひしゃげて炎をあげる一台目のトラックと、それにぶつかった二台目に向けてマシンガンを掃射する。目の中にマズルフラッシュが残像を描き、視界が判然としなくなった。
 力強い反動が身体の芯を揺さぶる。
 ミッキーのクレイモアが爆発した時点で作戦は成功だ。私のマシンガンはだめ押しである。隊長は常に完璧を目指す。
 私が所属しているのは、占領されたこの町の解放を目指す民兵組織「月光の牙」である。西側は、反撃作戦の一端として、密かに民兵団を組織し、武器弾薬の供給を行っていた。
 民兵による抵抗作戦が功を奏し、戦況を膠着状態にすることは成功した物の、それ以上の効果は上げられなかった。
 武器弾薬が、決して十分な物とは言えなかったからである。そのような状況にありながら、私の分隊は隊長の指揮の元、驚異的とも言える戦果を上げていた。
 隊長は職業軍人だった。押し込まれた国境を押し戻すべく派遣された兵士だった。しかし、隊長の所属していた中隊は壊滅。「歴史的」と言われるほどの大敗を喫する。
 隊長は「脱走兵」となることも厭わずにこの地に残り、数少ないプロとして「月光の牙」に入った。

 作戦を終え、我々は帰途についた。マシンガンがずしりとのしかかるが、その重さにも慣れた。
 すぐ後ろで隊長が話す声が聞こえる。恐らく本部に通信を入れているのだろう。
「了解。帰還します」
 と言う声だけが妙に良く聞こえた。
 火花が散った。それと同時に響く銃声。
 その瞬間私を含めた分隊全員がその場に伏せる。目の前の地面に、通信機のアンテナが突き立っている。頭の上を赤い直線が通り過ぎる。
「ろくな護衛も居ないと思ったら……」思わず口に出してしまった。
 敵の銃撃やんだ直後、こちらから銃声がした。銃弾が来た方で、藪が押しつぶされる音がした。
 姐さんが撃った! 隊長がもっとも信頼する狙撃手。隊員から姐さんと呼ばれる彼女は、闇の向こうに潜む気配を確実に察知していた。
 敵が散開していくのが分かる。
 低い姿勢を保ちながら起きあがり、葉と服が擦れ合うわずかな音を聞く。敵の動きが感じられる。
 隊長は「勘を信じろ」と言う。しかし「信じるな」とも言う。つまり時の運なのか……。
 こちらも散開していく。合流点は事前に打ち合わせてある。
 霧雨はもうやんだか……。
 行く手を遮る気配に向かって撃つ。残像残る目を見開いたまま、斜面を登っていく。美和が斜面に向かってライフルを撃った。
 重い荷物のせいで動きが鈍い私の支援は、美和が引き受けている。
 立ちふさがる藪をかき分け、斜面を登っていく。何度もこなしたとは言え、楽になるわけではない。
 散発的な銃声が響く中、遠くで爆発音と、ややあって木が倒れる音がした。地雷か?
 誰が踏んだのだろうか……それともミッキーがとっさに仕掛けたのか?
 真っ暗な斜面をとにかく前に進む。今は前に進まなければならない。鼓動がうるさい。うるさいがしかし、止めるわけにはいかない。
 脚が自分の意志から離れ、勝手に歩いているのでは無かろうか……そんな不安が頭をかすめはじめる。そんな頭の上を銃弾がかすめた。私はその衝撃に思わず硬直してしまった。美和が反撃してくれたおかげで、なんとか生きていた。
 その場に伏せた私に、美和は「馬鹿」とだけ言った。ずれたメガネを直して、脚に根が生えはじめたのを知った。ぱんぱんに張っている。私は根付こうとしている脚を引き剥がし、さっき美和が撃った方向を中心に掃射する。そして一気に走り出した。
 身をかがめながら、藪を縫って走る。自分が随分スムーズな動きをしているのを知った。隊長やアンパンとは比べ物にならないが。彼らの動きは、まるで空気すら動かさない様に見える。
 それでも私は、自分が兵士になっていくのに気が付いた。それに気が付いたとき、私と美和は合流ポイントの近くまで来ていた。
 一瞬だけ懐中電灯で照らすと、もうそこにはハマキが来ていた。いつものように葉巻タバコをくわえて、火を付けようとしているところだった。
「メガネにベレーか……」
 ぐったりとしたハマキの顔が、ハマキの先に灯るわずかな明かりに照らし出される。
「帰ったらマリファナやるよ……ほんとはアンドにやるつもりだったんだ。あいつ欲しがってたし。でももう必要ないしさ、二人でわけろよ」
 濡れた地面を踏みしめて本部に帰り着いた頃、朝日が顔を出し始めていた。

 目を覚ましたのは昼頃だった。ミッキーに起こされたのである。「飯を買いに行こう」と言うミッキーの後ろには、アンパンと美和もいた。
「待ち伏せされてたような気がするな」
 アンパンは、コンビニに行く途中、不意に切り出した。アンドは地雷を踏んだそうだ。一緒に行動していたハマキが、ハマキをふかしながら語った。
 アンドが地雷を踏んで、爆風をもろに受けた木が倒れた。ハマキはすぐに駆け寄った。
 仰向けに倒れたアンドは「脚が痺れるんだけど、どうしたんだ? 手も痺れて言うことを聞かない。身体が動かないんだよ」呟くアンドは、まだ生きていた。しかし、片手と片足が吹き飛ばされていた。
 爆音に吸い寄せられるように敵兵が来て、ハマキは「まってくれよ!」と叫ぶアンドを置き去りにした。「ハマキ! 待ってくれ! おい!」数発の銃声の後、その声はとぎれたと言う。ハマキは「たまんねぇよ……」と言って顔を押さえた。

 コンビニ「ロウマート」の看板は真っ白に塗られ、黒々とUNの文字が書かれている。開戦と同時に、我が国のコンビニエンスストアーは、チェーンを問わず全店が中立を宣言し、国連の管理下に入った。
「有事においても、安定的に生活必需品を供給する」と言うお題目を掲げ、国連直営店となったのである。
 コンビニの配送ルートでは、如何なる戦闘行為も禁止された。
 表面的には中立を装うコンビニだが、実のところ、裏では不足しがちな武器弾薬を民兵に供給するという役割を担っていた。日夜走り回るコンビニの輸送トラックは、民兵には無くてはならない重要な命綱であった。
 お茶やらおにぎりやらをかごに入れながら、品揃えがいつもより悪いことに気が付いた。アンパンはアンパンと牛乳しか買わないので、さして問題はないが、ミッキーと美和は小声でおかしいと話しかけてきた。
 時間帯が悪かったんじゃないかな? と、答えたが、この店の売れ行きは芳しくない。この辺りは人口が激減している。難民となって国外に逃げていったのだ。「月光の牙」が本部にしているのも、そうした廃墟と化したマンションである。東側の軍はまだ本部に気が付いていない。
 幸いなのか悲しい事なのか、軍は「月光の牙」を大した敵とも思っていないのである。だが……「三河修」つまり隊長の噂と、「月光の牙」創設者であるリーダーの名は、敵軍の耳にも届いているらしい。
 たらこにするか明太子にするかで迷っていると、美和がたらこを持って行った。
 民兵に入ってどれくらい経ったか……。そもそも美和と私は戦闘に巻き込まれたのだ。同じサークルの友人であった私達二人は、他に三人の友人と共に、河原で弁当を食べていた。「こんな事もう出来ないかもしれないから」と美和が言い出したのである。橋のたもとで弁当を食べながら、戦闘など関係の無い鷺やらユリカモメやらを眺めて過ごしていた。会話が盛り上がるのだが、妙な沈黙が訪れ、その沈黙を取り繕おうとまた誰かが話しはじめて、初対面のように妙にぎこちない間が流ていた。
 何度めかの沈黙の時、地響きの様な音が聞こえた。あまりに大きすぎて、どちらからかつかみきれず、辺りを見回していると、一緒に来ていたチコが呟いた。「はしが」
 橋に亀裂が入っていた。亀裂から砂が川面に向かって落ちている。しかし、小粒の砂は川風にあおられて吹き流されていく。
 そしてもう一度。地響きがした時、橋は最後の支えを失って、徐々に沈み込みはじめ、もう一度地響きがした瞬間、視界は土煙と水しぶきの中に消えた。
 私は必死で弁当に砂が入らないように蓋を閉じ、その上に覆い被さった。
 川風は、すぐに土煙を振り払い、辺りはまた元の静けさを取り戻した。
 私のすぐ後ろに、大きな破片……と言うよりもコンクリートの巨大な塊があった。友人三人の姿が見えなかった。
 泥まみれの美和は、呆然と立ちつくしていた。私は必死に守った弁当を投げ捨て、立ち上がった。コンクリートの塊の下が、赤黒く湿っていた。
 遠くで銃声が聞こえた。美和は突然その銃声の方に走り出した。私は美和を追った。
 美和は通りを挟んで繰り広げられる銃撃戦のただ中、東側の下士官の死体が被っていたベレー帽を剥ぎ取ると、それをこともなげに被った。民兵も東側の軍も、市街戦のただ中に突如現れた美和の姿を見つけて、呆気にとられて銃撃をやめた。私は必死でその司令官が持っていたライフルを手に取った。そして民兵側と軍隊側交互に銃口を向けた。空気が凍り付いた。その時美和が何をしていたのか、私は知らない。私は必死で銃口を向けていた。セーフティを外さなければ撃てないことも、知らなかった。
 民兵側が、軍に向かって銃を撃ち始めた。 私達はその場に立ちつくしていた。美和も私も一言も口をきかず、ただそこに凍り付いていた。
 軍が撤退して行った。民兵が勝利したのだ。双方共に私達は狙わなかった。隊長ですら「撃ったらダメだと思った」と言っている。
 突っ立っていた我々に、隊長が声を掛けてきて、そして……私達は民兵に入り、美和は長かった髪を切った。

 本部に戻ると、姐さんが待っていた。姐さんの視線はいつも鋭いと言うかキツイ。本人は「スコープを覗きすぎた」と言っている。だが、姐さんの繊細に、そして鋭く延びた身体には、人を寄せ付けない、張りつめた空気がある。
「隊長が待ってる」
 我々が会議室と呼んでいる一室に行くと、我々四人以外は全員集まっていた。
 隊長は、無表情を崩さずに、背にしたホワイトボードに「ロウマート防衛作戦」と書いた。
 隊長の年齢は不明である。若いような、老けているような。聞く機会もなく過ごしていた。短く刈り込んだ髪が職業軍人を感じさせる。
「我々が、武器弾薬を含む、あらゆる物資の調達に使用しているコンビニエンスストア、ロウマートが営業停止の勧告を受けた」
 隊長は事務的な口調を崩さず、軍服の袖をまくり上げて、鍛え上げられた浅黒い腕を露出させた。彼は正規軍だったころの軍服を着続けていた。月光の牙には制服の様な物は無い。皆私服である。中にはジャージで戦闘に参加している者もいた。
「これは国連からの勧告ではない。東側軍が『本来中立であるべきコンビニエンスストアが、民兵に武器弾薬などの物資を提供している』として、営業停止を勧告してきたのだ。知っての通り、我々が装備の殆どをコンビニを経由して入手している。あのロウマートを潰されれば、我々の活動に悪影響がでるのは間違いない。また、この営業停止勧告は、我々以外の民兵団が、コンビニエンスストアを経由しての装備をはじめとした物資の調達を、困難な物にする可能性がある」
 そもそも東側にコンビニは無かったのだ。最初、コンビニエンスストアは占領と同時に営業を停止する予定であった。しかし、国連の管理下に入ることで、東側の手出しが出来なくなり、営業は継続された。
「現在、東側の軍は輸送トラックを検査と称して、食料品の賞味期限ぎりぎりまで拘束すると言う、極めて姑息な作戦に出ている。しかし、ロウマート店長紀田淳二氏は、それらのサボタージュに屈することなく、営業を続行されている。それに対し、東側軍は強制営業停止と称して、ロウマートの接収を実行するとの情報を入手した。そこで、我が分隊は接収部隊からロウマートを防衛し、同様の作戦をもって、民兵の抵抗力を弱らせようと画策する東側軍の動きを牽制する」
 姐さんが、ホワイトボードにコンビニの周辺と店内の地図を描き始めた。
 姐さんも行き慣れたコンビニである。目をつぶってでも描けると言わんばかりに、すらすらと描いて見せた。
 店の北側は民家が塞いでくれているが、それ以外の三方向、表は当然として、南側も道路に面し、裏には田んぼがある。
「接収作戦は明朝実施される。我々は今夜、コンビニ店内及び、裏に土嚢を積み上げ陣地を形成する。その際、ミッキーは周囲に爆弾を設置、敵の出鼻をくじく」
 隊員達は、ミッキーも含めて黙って聞いている。
「敵軍が到着し次第、敵の侵入を全力で阻止する。敵の目的はあくまでコンビニの店舗確保であり、破壊ではない。国連は、営業停止までは黙認すると考えられる。釘付けに成功し次第リーダーの部隊が、挟撃を仕掛け敵を殲滅する」
 リーダーは大学院に通う学生だったという。草野球チームで無敵の監督だったと言う通称「オヤジ」と共に民兵団を組織した。
 徹底抗戦を主張する隊長に対し、リーダーは政治的な解決を目論んでいる。故に二人の意見は対立することが多かった。
 表情を読みとられるからと、いつもサングラスを手放さないリーダーは、いつもどこかに出かけては帰ってくる。どこに行っているのかは、参謀役のオヤジ以外には知らされなかった。しかし、彼が帰ってくると必ず有益な情報がもたらされた。
「この作戦はリーダーが立案した物だ。珍しく意見が一致した」
 隊長はめくり上げた袖を元に戻すと、不動の姿勢をとった。
「行動開始は、今から一時間後、トラックにコンビニ確保用の装備を積み込み。今コンビニから帰ってきた連中は、賞味期限を確かめてから食え。以上」
 かくして、コンビニ防衛作戦は発令されたのである。

 おにぎりは賞味期限が過ぎていたが、ミッキーが大丈夫だと言うので食べた。土嚢などの資材の積み込みをしながら、ウグイスの声を聞いた。夕べアンドが死んだ山の方からである。
 ハマキはその声に突き動かされるように、土嚢を運んでいた。よせばいいのにミッキーがハマキに「気にすんな、間違ってない」と声を掛けていた。ハマキの表情は見えなかったし声も聞こえなかったが、ミッキーが気まずそうに私に寄ってきて「なぐさめようと思ったんだけどなぁ……」と呟いた。アンパンが「バーカ」と言って、通り過ぎた。
 天気が良かった。天気に戦争も、ましてや一人や二人の死など関係無い。
 夏になれば蝉がうるさくなるな。
 それを聞けるのだろうか……。不意にそう思って、それから今日もたっぷり眠れなかったことが、ひどく恨めしく思えた。夜は眠り昼間活動してこそ人だ。そう思ったが、そうもいかなかった。

 作業を終え仮眠を取り、夜半。コンビニを訪れた我々は、積み込んだ土嚢を、今度は店内に積み上げる作業を行った。
 店長の紀田さんは隊長の友人であった。
「三河、たのむ。占領地のコンビニはモデルケースを恐れてる。最悪……」
 と言いかけて、店長は口を閉じた。隊長は、顔を出し始めた顎髭を撫でながら頷いた。
「最悪でも奴らに一泡は吹かせるさ。コンビニの接収にどれだけの覚悟が必要か、思い知らせてやる」
 私は土嚢を積みながら、隊長の声が、心なしか楽しげなのに気がついた。
 雑誌が並ぶ棚を動かし、ガラスに穴を開けた。その穴から銃を撃つ。ガラスというガラスは全部土嚢で覆い、ガラスの穴に合わせて、射撃窓を開けた。ミッキーは屋根に一つ仕掛けた。それから周囲に爆弾を仕掛けて回った。私は一緒に行ってないので、どこに仕掛けたのかは分からないが、店内のミッキーのポジションには大量の起爆装置が用意された。
 姐さんが、茶髪をいじりながら射撃窓を確認する。スナイパーライフルを持ってきていた。「まずクレイモア、それからあたしが指揮官を撃つ、まぁそいつが生きてたらだけどね。仕上げはあんたのマシンガンとハマキのミサイル。まぁそれぞれ適当に撃ちまくったら何とかなるんじゃないの?」
 姐さんは、棚から勝手に取ったアーモンドチョコを一つくれた。
「これでメガネも共犯だからね」
 そう言って奥の部屋に入っていく。隊長と打ち合わせに行ったのだろう。
 チョコは疲労回復に役立つ。棚のチョコはほとんどなくなっていた。私も残っていた板チョコを一枚もらっておいた。
 ミッキーは点火線を整理している。
「これは最後の手段だ。最初のクレイモアで決着をつける」
 ミッキーは、建物を破壊するのを嫌がった。
 アンパンは「これしかなかった」と言ってジャムパンをかじっていた。

 美和と私は歩哨に出た。予定を繰り上げてやってこられる可能性もある。とにかく警戒は必要である。
 駐車場に腰掛け、明かりのない家々を眺めた。街灯だけは未だに生きていた。
 戦争は間違いなく続いていて、私はそのただ中にいる。そして廃墟と化した町の開放を目指して戦っている。作り出した廃墟を守って戦うのと、廃墟を取り戻そうとして戦うのと、どちらが有意義なのだろうか。
 美和がタバコを取り出した。
「アンドの分。吸う?」
 差し出されたタバコに火を付けた。
 私は普段タバコは吸わないが、マリファナに好奇心を覚えた。
 吸ってみると、回りの世界が素晴らしくなって、彩りが鮮やかになった。美和もうっとりと街灯を眺めながら「ねぇ安田君。なんで兵隊になったの? 私はね、チコとマサト君とイシカワ君が死んだでしょ、あのとき思ったんだ。訳もわからず死ぬのは嫌だって」
 私は、なぜ兵隊になったのか? そう聞かれたとき、なぜだか分からなくなった。
「俺は……」
 そう言ったきり黙ってしまった。今まで理由なんかどうでも良かった。ただあのとき……後ろにコンクリートの塊があったとき、美和が走り出してその後を追ったとき、私はただただ夢中だった。隊長に声を掛けられて入った月光の牙。訓練も、そしてはじめての実戦も、私はただただ夢中で戦ってきた。
「生き残るため……かな」
 死にたくないから戦っている。そう気がついた瞬間ひどくばからしくなった。逃げたら良いのだ。難民にでも何でもなれば良かったじゃないか! そうじゃない。本当の理由は他にある。
 美和を見た。美和はうれしそうに鼻歌を歌っていた。薄明かりの中をベレー帽が揺れている。質問なんかどうでも良いようだった。天気が良かった。星が見える。月はなかった。
 いい加減ながら歩哨を終え、仮眠をとって戦闘に備えた。

 やがて夜が明け、射撃窓から光が差し、分隊全員の顔が引き締まる。私もマシンガンを窓に据え付けた。今日はサバの背中ではなく、床に置いてある無線機の受話器を取った隊長が、本部から状況の報告を受けている。
「了解」
 と言って受話器を戻した隊長は、店内に響き渡る大声を出した「現在、敵部隊はこちらに向かって進行中だ。規模は一個小隊。装備は、兵員輸送車が一台あるが、ライフルが中心。あまりごつい物はしょってない」
 配置についた私は、射撃穴から流れ込む、朝の鋭いがしかし心地よい冷気を感じながら敵の到着を待った。
 兵員輸送車が一台道の真ん中に止まった。一個分隊程度が乗り込み、移動するための車両である。
 針金でくくりつけた外部スピーカーから、司令官らしき人物の声が響いた。
「本来中立であるべき、コンビニエンスストアでありながら、西側支配を目論む反逆者に対し武器弾薬を供給するとは、まさにこれは中立公平たるべき国連の機関と認めがたい。よって、営業の停止を勧告する。なお勧告に応じない場合は、容赦なく制圧する」
 ミッキーは店長に点火スイッチを渡した。
 店長は、頷くとホッチキスに似た点火装置を三回握る。店が揺らぐ。瞬く間に煙が視界を塞いだ。
 ハマキが対戦車ミサイルを撃ち込む。煙が収まっていなかったが、ハマキは外さなかった。私もマシンガンを乱射する。
 誰も顔を出さなかったので、姐さんの出番はなかった。
 店内にクレイモアと兵員輸送車が上げた煙が流れ込んできた。火薬と油や化学製品が焦げる匂いが立ちこめて、むせかえりそうだった。
 不意にハマキが倒れた。
 銃声が響き、店内の紙皿や歯磨き粉が跳ね上がる。敵はまわりの家やらマンションやらに潜んでいた。
 姐さんは窓から狙撃している。煙の向こうから飛び込んできた銃弾が、こめかみをかすめて、血が噴き出した。姐さんはそれでも撃ち続けていた。姐さんが不意に語ったことがある。「狙撃手は機械にならなきゃダメなんだ。ターゲットは心臓が止まっても撃つ。それが狙撃手なんだ」と。
 私は敵兵の位置を図りかね、撃てずにいた。
「メガネ! 勘を信じて撃て!」
 ミッキーが叫んだ。
 私は、その叫びに呼応して「どうにでもなれ!」と、煙の向こうに向かって撃ちまくった。
 その銃弾の一発でも敵に当たったとは思えなかった。だが、撃つしかなかった。
 マシンガンの銃身を交換しながらハマキを見ると、胸から血が噴き出していた。たまに震えている。
 美和もライフルを乱射している。煙が晴れはじめていた。
 敵は周囲の家に侵入していた。最初から穏便に引き渡してもらう気など無かったのだ。
 敵兵がもの影に見え隠れし、ひたすらライフルを撃ち込んでくる。
 床には既に幾つもの弾痕が刻まれていた。
 ハマキの血が床に広がっていく。色々な物が焦げる臭気が感覚を鈍らせ、身体と魂の乖離を感じる。マシンガンの振動が、魂を引き剥がそうとしている。違う! この振動は、魂を繋ぎ止めているんだ!
 そう思ったとき、ミッキーが手榴弾を投げた。なんの意味もない手榴弾だった。駐車場の真ん中当たりで爆発した手榴弾は、店内に爆風を吹き込ませた。
「ミッキー! なにすんだ!」
 怒鳴りつけた私は、あれが彼の限界だったことを知った。ミッキーは手榴弾を投げた姿勢のまま床に倒れていた。
 点火した手榴弾を、向かいのマンションの入り口あたりに投げ込もうとしたのだろう。わずかに動く手が、並べられた点火スイッチに伸びていく。
 回りに張り巡らした爆弾を起爆しようとしているのだ。私は手当たり次第に起爆スイッチを押した。地響きと振動で建物全体が揺さぶられて、目の前の射撃窓の向こう、あちこちで爆炎が噴き上がって、周囲の建物が崩壊する。
 銃撃がやんだ。店内外に立ちこめる煙の中、隊長が私のところに来た。視界はほとんどなかった。
「ミッキーがやられたか」
 隊長はミッキーの居た場所に陣取ると、ライフルを構えた。
「無線機もやられた。サバもだ」
 隊長は、煙の向こうをじっと見つめていた。
 美和は肩で息をしている。
 煙の立ちこめる店内は、既に滅茶苦茶であった。飲み物が入った冷蔵庫に穴が空き、中に詰まっていた飲み物もあふれ出していた。
 ひどい味だろうな。と、のどの渇きを感じながら、自分が頬から血を流しているのに気がついた。恐らく何かの破片がかすったのだろう。
「終わったのかな……」
 ベレー帽を被りなおしながら、美和は呟いた。
 隊長は、静まりかえった店内を見渡して「咲! どう思う?」
 未だに射撃窓からスナイパーライフルを構え、外を睨み付けている姐さんに、声を掛けた。
 姐さんは答えなかった。ただひたすらに外を睨み付けている。
 隊長は静かに肩を落とし、そして、ため息をついた。姐さんの足下には血だまりが広がっていた。
 私は姐さんの回りの煙の流れを見つめていた。窓から射し込む光が、煙の細かい粒子を微かに輝かせていた。
 喉と言うより身体全体が、埃を被った違和感で、風邪をひいたように気分が悪かった。身体が重い。このまま眠ってしまいたかった。
 美和が、沈黙を破った。
「店長とアンパンは?」
 アンパンと店長は裏口を守っていた。隊長は、首を横に振った。
「裏口だ。裏口で死んだ」
 隊長が答えると同時に、外で車が止まる音がした。
「リーダー? 遅いよ……」
 私が呟いた。
「ああ……遅いな。今頃きやがった」
 隊長の声が聞こえたが、私は目の前の光景に目を見張っていた。次第に晴れはじめた煙の向こうに、東側軍のジープとトラックが止まっていた。トラックから次々と兵士達が現れる。
 もうダメだ。絶望感が身体を支配し、ただでさえ重くなった身体が、さらに重さを増していく。
 質の悪い東側のスピーカーが、聞き取りにくい声を発した。聞き取りにくかったが……喋っている主はわかった。
「三河! 生きてるか? それともそれ以外の誰かか? 誰も居ないならそれでも良い」 リーダーだった。
「三河以外に生きている者が居たら速やかに投降しろ。月光の牙は東側軍と和平した。我々は、君らも大好きなコンビニトラックに乗り込んで西側に脱出する。一緒につれてってやるよ。三河であっても投降しろ。ただし、三河の身柄は東側に引き渡す」
 隊長を売ったのだ。
 隊長は、リーダーの言葉を鼻で笑った。ミッキーが持っていた最後のクレイモアと、ライフルを手に取った。
「戦うつもりですか!」
 私は、煙の中で頷く隊長が微笑んでいるのが分かった。
「絶対に死にます! 何でですか! 何で!」
「メガネ、投降したければしろ。俺はしない。最後の最後まで戦う。俺はな、実戦を知ったとき分かったんだよ。俺はこの中でしか生きていけない。死がいつも肌に突き刺さるような前線の中でこそ、俺は命を感じるんだよ。だから戦う。撃ち続ける」
 隊長はライフルのストラップを外すと、それを使ってクレイモアを腹に縛り付けた。
「リーダーは俺達を売ったんだ。恐らく助かるのは奴だけだ。そう言うやつだよ、奴は。奴らは俺に任せろ。お前らは逃げろ」
 隊長はライフルを捨てて、私のマシンガンを手に取った。
「逃げるには重いだろ?」
 美和と私は、ミッキーやハマキの死体から、マガジンを抜き取った。ミッキーは手榴弾も持っていた。
 煙はもう晴れていた。リーダーはジープからこちらを伺っている。兵士達の銃口はこちらに固定している。
「支援は必要ない」
 隊長は、入り口付近でタイミングをはかる。と言うより、精神を統一しようとしている。
「隊長! 私は……私達はどこに行けば良いんでしょう?」
 私の問いを隊長は鼻で笑った。
「そんなもん知るか」
 隊長は飛び出した。マシンガンを乱射しながら。突然の突撃に面食らった兵士達が、反撃の暇もなく倒れていく。リーダーはジープの中に伏せた。我々も店の中に伏せて射撃窓から外を見ていた。
 その時、マシンガンが不意に止まった。
「ジャムった!」
 私が叫んだ瞬間、体勢を立て直した兵士達が隊長めがけて乱射する。隊長の形が崩れていく。隊長は立っていた。何発撃たれても立っている。いつの間に持っていたのか、美和が隊長が腹に巻き付けたクレイモアの点火装置を握っていた。
 隊長の腹が火を吹いた。後ろにも吹き出す爆風が店内をさらに無茶苦茶にする。棚が吹き飛び、何の一部なのか分からないものが降り注ぐ。橋が壊れたあの瞬間を思い出した。チコとマサトとイシカワが消えたあの瞬間。
 煙が充満する店内から、走り出した。美和が後に続いた。生き残りの兵士が私達を発見して、発砲してきたが、お構いなしに走った。ミッキーが残した手榴弾を方向も確かめずに後ろに投げた。
 美和が転んだが、私は倒れた美和を自分でも信じられないくらいに素早く、軽々と抱えて走った。通い慣れた山道に逃げ込むまでにそれほどの時間は必要なかった。

 目を覚ましたとき、私は畳の上で寝ていたことに少し驚いて、それから安堵感を覚えた。もう外は薄暗くなっていた。泥だらけの美和が片膝を抱えて、どこから持ち出したのかラジオを聴いていた。ノイズ混じりのクラッシック音楽がなぜか心地よかった。
 美和は左足に銃弾を受けていた。幸い銃弾は貫通していた。山を抜け、そこら中にある空き屋の一つに入り込み、急いで止血した。私も何発か掠ったらしいが、痛くなかった。
 意識が遠のき、そのまま眠ってしまった。
 そして今目が覚めたのだ。埃が積もった畳に、新しい血痕がまだらに広がっていた。扉を閉じた仏壇が目に入った。ちゃんと位牌などを持って逃げたのだろう。天井から下がる蛍光灯を見つめて、戦争が始まる前の平穏な頃を思い出した。私達が居るのは座敷らしい。夢中で入り込んだので、いったいここがどこなのかさえ判然としなかったのだ。
 ラジオがニュースを伝えた。
『西側支配の再開を目論む、反体制組織「月光の牙」は本日、勇猛なる我が軍の前に壊滅いたしました。また、国連の名を語り、反体制組織を支援していたコンビニエンスストアロウマートの営業停止は、多少の抵抗はあった物の我が軍の圧倒的な戦力の……』
 私はスイッチを切った。
 美和は、障子の向こうから差し込む、弱々しい光を見ていた。
「ねぇ安田君、これからどうするの?」
 私は障子の方から目をそらさない美和の方を見た。薄汚れた頬が濡れていた。
「逃げる。訳もわからず死ぬなんてまっぴらだ。だけど、訳がわかったって、死にたくはない」
 私は、ポケットの中にチョコが入っているのを思いだした。板チョコはもうどろどろに溶けていた。
 私は美和に半分差し出した。
 口に運ぶと、濃厚なチョコレートの匂いと、チョコレートの甘さの向こうに広がる苦みが舌にからみつく。疲労が溶けていく。
 美和は手や口の回りがチョコだらけになるのもかまわずに、チョコを食べ続けた。
 指まで綺麗に舐めとって、それから微笑んだ。
「そうだね。私もそう思う」
 私は畳の上に転がっていたライフルを手に取った。ライフルのグリップは握り慣れたマシンガンのそれとは違ったが、手に吸い付くように馴染んだ。
 美和は、そんな私に向かって、軽く頷いて見せたが、その顔は決して明るくはなかった。