「待ち人」 大葉アキラ
 何か、書いている間、最初から最後まで、良く分からなかった作品です。書き上げた後も、何が楽しくって書いたのか、良く分かっておりません。(笑)でも、こんな感じもありかなっと…自分ではなんとなく思ってます。

 荒涼とした大地。慰め程度に生えた短い雑草は、誰が蒔いたものか…。
 厚い雲が、空を覆う。何者の声も聞こえない…まるで、夢か幻の世界……。
 彼は、1人、孤独の中で、待ち人を待つのだ…。
話掛ける、そんな相手も居ないまま…1人でずっと…。



 まっ黒な太陽が我が物顔で、空を闊歩していた、いつものような真昼……私は、砂の地平からこちらへ歩いて来る一人の男を見つけていた。 
その鋭く焼かれた砂の上…その、一足踏み出せば、焦げてしまうような熱さの中で…その男は、まっ黒なコートを頭から被って、まっすぐにこちらへと歩いてきたのだ…。
……いや、歩くと言うより、彼は、その自分自身の身体の重さを持て余しながら、ゆっくりとこちらへ前進してきたと言った方が正しいであろう。そう、まるで、海面を退屈に漂う死体のように…彼は、移動していた。
真っ赤に焼けた、果てのない砂の上、彼のまっ黒い影だけが、微動している。人の姿をこの窓から、こうして眺める事など…いつ振りであろうか……?
 私は、逸る鼓動を抑える事が出来ずに、心地良く冷えた室内の小さな窓から、身を起こして、駆け出すようにして、家の玄関へと向かった。彼を迎え入れる為であり、もっと近くで男の顔を確認しようとする為でもあった。
 扉を開けた途端に、無数の火の粉が身体中に飛び移る感覚がした。噴出した汗が瞬時に音を立てて、蒸発していく…。私は、手に持った白い傘を門の下でさして、彼を待った。
 迎えに駆け出したいのをじっと堪えながら、彼がこちらに進んでくるのを待った。
彼の黒い髪や、やつれた様子の頬や、洗い息を吐き続ける乾いた唇など……ありとあらゆるものを夢想しながら、私は彼を、待ちつづけた。
 こんな人ならいいなどと、想像などはしない…どんな男でもいいのだ…私を見つめ、私の、この意味を確認させてくれる人なら誰だって…どんな男だって、いいのだ。

 男の姿がおぼろげに確認できるようになってきている…長く立ち上った陽炎が、その姿を幾度も不鮮明へと落す、けれども…。


 男は、私を見つけると、這うようにして、私の方へと、近づいてきた。求められているような予感に、胸が大きく弾む。
私は慌てて、傘を投げ出し、男の腕を支える為に、彼に近寄った。
 触れて、抱えた腕は、細く…間近で見た、男の顔には、生気の色すら残らない。けれども、『これが、私が待ち焦がれた男か…』そう思っただけで、私は、自分の胸が焦げそうな気がした。
「大丈夫ですか?」
 私の腕をきつく握って、倒れこむようにして俯いた男に、声を掛ける。
男は、虚ろな目で私を見上げながら、細い指で胸元を探った。小さな茶色の瓶を取りだし、私へと差し出す。干乾びた唇が緩やかな動きで、意味をおぼろげに私に告げた………。
「これを、私に開けろと言うのですか?」
 男が、ぎこちない動作で頷く。瓶は振ると、甘い匂いがした…中に閉じ込められているこの液体は、一体なんだ?
 私は、不審な思いと、まだ、高鳴ったままの胸の鼓動を持て余しながら、男に問いかけた。
「…ご自分では、開けられないのですか?」
 再び、男が頷く。私は、男のまったく力のこもらない身体を支えながら、男の瞳を見つめた。ゆっくりと振られた男のフケだらけの縮れ毛からは、無数の嫌悪が漂って来るようだ…。
男は、虚ろな目で…なんと言えば、良いのだろう…?白目を持った事のない、突かれたばかりの魚のような目をして…、私を見上げた。
「…何も、今でなくてもいいでしょう……?私は、ずっと貴方を待ち焦がれていたのですよ。さあ、入ってください。何でもあります。元気になって、私とお話をしましょうよ」
 私が、建物へと招くと、男は、傷ついたような表情をして、私を見つめた。そして、なをも執拗に、私の手にその瓶を渡そうとするのだ…。
 私は、当惑を映した顔を彼に向けた、彼の青白い顔には、無数の痛みが浮かんでいる。
「そんな顔をしないで下さい…。中に入って、私達の出会いを乾杯しましょう。さあ、そんな瓶は、後ででもいいでしょう?」
 彼の背中に手を回し、中へと促す。鉱物に触っているような感触。引きずるようにして、連れて行く…。
 大きな白い門をくぐれば、今までの景色からは創造もつかないような緑の庭園が広がっている。
私の胸に大きな充実感が広がる。少し、誇らしげな気持ちで、男の反応を待ったが、男の顔に浮かんでいたのは、先ほどと同じような傷つけられたような表情だけだった。少し、落胆して、私は、歩みを進める。
部屋部屋の扉の前まで、来ると、男が急に立ち竦んだ。怯えたような目で、私を見上げる。私は、不安を微笑みに変えて、彼の手を取った。
「私達の家となるべき所です。なんの遠慮もいらないのです。二人だけの場所ですよ。さあ、入って、ゆっくりしましょう」
 私の言葉に、男が大きく首を振った。そして、再び胸に抱えた瓶を私へと差し出した。
「……………」
 何の意味も吐き出さない唇が上下する。目が真摯に私に訴えかける。彼の両手を、その冷たい瓶ごと握りこんで、私は彼の瞳を見つめた。
「…部屋に入って、何かを食べて…少し眠って…それからでも、遅くはないでしょう…?ご自分でお開けなさい…」
 男は、そんな力があったかと思われる程、強い力で、逆に私の手を握り返した。
「………あ……あ…」
 吐息のように漏れる音…喉から、込上げる重い嗚咽。男は、睫から無数の涙を迸らせた。ぼろぼろと、乾いたまっ黒な肌を流れ落ちる透明な水…唇から段階的に落ちる言葉を成さない響き…。
 私は、洋服の袖で、彼の頬を拭いた。
 何故、彼はこんなにも悲しい顔をして泣いているのだろう…?今から、欲しかったものすべてを手に入れられると言うのに……。
 涙が頬を洗い、汚れきった顔に、幾筋もの白い線を残した。私の着ている白いシャツも、彼の顔の汚れを洗った。
「泣かないで下さい……。ほら、中へ入りましょう。多分、貴方が想像するもの以上の事が、この中には詰まっています。何も恐れないでいいのです。ただ、貴方は訪れた事だけで、許されるのだから……。」
 私がそういい終わるか、終わらないかのうちに彼は私の手を振り解き、建物の影からその身を引きずりだした。
 そう……驚いた事に、彼は、私から逃げようとしたのだ…。
 私から…この何もかもを備えた楽園から……。
 私は、必死の形相で、男を追った。その這うようにして逃げて行く男の腕を掴み、私は、彼を建物の方へと、引きずった。
「何故、逃げようとなどするのですか…?私のこの姿が気に食わない?それなら、そう言って下されば、いいんです。貴方も知っていると思いますが、私は何にでもなれるのですから…。もっと、女らしい姿がいいですか?」
 男の肩を掴んで、私は懇願するように…訴えるように、そう言った。男は、虚ろな瞳で私を見つめたまま……その唇になんの欲求も乗せようとは、しない…。
「疲れているでしょう?まったく、それからでいいんです。ゆっくりと十分に休まれた後で…まったく、構いません。さあ、中にお入りになってください。すべて、私に任せていただければ、いいんです。私が貴方を幸せにしましょう…」
 再び、彼を抱えてくぐる、白く大きな門。いつものように頬をくすぐって、吹いて行く心地良い風に、彼は、気付いたであろうか…、そう思って、淡い期待を込めて、再び、盗み見るように彼の顔を覗きこんだ。…が、彼の表情は、虚ろなまま…瞳は、宙を見つめたまま…。私は、いいしれようのない寂しさを久し振りに味わう事となった…。
 私の声を聞かない彼に……。
「……ここには、ご存知だと思いますが、私と貴方以外のものは、居りません。だから、何の遠慮もいらないんですよ」
 私は、男を中央の部屋のベットへと、連れて行った。彼が、とても疲れているのが分かったから…私は、彼をそっとベットへと下ろすと、その顔を覗きこんだ。
「…なにか、食べれるような気分になったら、食べる事にしましょう。さすがに、今は、食べる気がし無いでしょう?」
 仰向けのまま、男の瞳がゆっくりと動いて、こちらへと視線が注がれた。何を訴えているのかと、顔を寄せると、再び……茶色の小瓶が私の手へと渡された。
 …落胆のような、憤りのような…私は、彼から渡された、その瓶を、ゆっくりと手に取った。
「…これが、そんなに気になるのですか?これが開かないと、寝ては頂けませんか?私のと会話も、する気にはなりませんか?」
 男は、頷くでもなく、否定するのでもなく…私の顔を見つめつづけるばかり…私は、何年振りかのため息を、零した。
「これを開けたら…私と共に生きていただけますか…?」
 男の灰色の瞳が、光る。私は続けた。
「……貴方だって、1人では生きて行けないでしょう?私達は、死ぬ事をしない…貴方も、死ぬ事は無い…このまま、お一人で生きていかれるのですか?私と一緒に生きていきましょう。私は、信じているのです。二人だけの世界の可能性を……。私と一緒に生きては行きませんか?」
 男の手を握って、哀願する。男は、じいっと私の目を見つめながら、私の言葉を聞いていた。
「……もう、何年も1人だ…。私は、生きて行く方に賭けたのです。誰か、1人だけ居れば生きていける可能性に……。すべて、私に任せてくだされば、貴方の望みどうりにしましょう…。きっと私達は、二人だけで生きられる…。そうは、思いませんか?」
 私は、熱っぽくなっている自分を、頭の隅に感じながら、人形のような男を熱心に口説いていた……。何人の男に対して、こう、こんな無意味とも思える行為を繰り返してきたであろうか?
 この男が最後ならば良いと…幾度思って、こうした言葉を繰り返した事か…。
「……………」
 男の無機質な瞳が動く…そう、少し、私の方へと向いて…。そんな男は、少し、笑ったような気がした。
 私は、呆けたように口を開いて、そんな男の顔を見つめた。男の口許には、少しの歪みも生まれては居ない…、が、儚い、緩やかな笑みがその表情には、浮かんでいるように、私には、思えたのだ…。
 男は、笑って、私の手元から、茶色色の瓶を取り上げた。そして、その瓶の蓋を、ゆっくりと、その針金のような指で捻り始めた。
「…………」
 よほどの力を込めているのだろうが、瓶の蓋は、びくともしない…。私は、何故か不意に沸きあがった男への愛おしさに、その横顔をじいっと眺めていた。ありったけの力を込めて、瓶の蓋をその瓶から捻じ切ろうとしている、男の横顔を……。
 私の両目から、涙が沸いた…私は、激しい悲しさに襲われて、男から、瓶を取り上げた。そのまま、勢いに任せて、瓶の蓋を開ける。
 狭い瓶の口から放たれた異臭が、部屋中を包み込む…炊きすぎた、香のような濃厚な香り…。
 私は、その香りに、思考を奪われながら、瓶の中を覗きこむようにして、瓶を男へと渡した。
 男が、きらきらと輝いた目で、私を見上げた。それは、まるで目を開いたばかりの雛鳥のような瞳で…彼は、私を見上げたのだ…、
「………それは、なんですか?」
 頬を伝った涙の跡がひりひりと痛い…。男の瞳に、消えた悲しさが、宙に浮いて、甘いこのたぎるような香りと交わった気がした。
 悲しみを含んだ、濃厚な香り…それは、眩暈すらも覚えて…。
 男が、こちらを向いて、今度は確かな笑顔をその頬にうっすらと刻んだ。そして…、私が、その瓶の中身にまったく気づかぬ間に、それを煽ったのだった…。
「あっ………」
 いきなりの男の行動に、脳が思考を止めて、唇から、ため息のような驚きだけを漏らした。男は、仰向いたまま、瓶の中の液体を喉へと流しこんだ。黒ずんだ喉仏が、液体を男の体中へと運んだ…。
 男が、うっすらと開けた白目をこちらへと向けた。こちらを向いた瞬間に、くるんと裏返って、少し黒目が見えた。
「………あんただけなんて、有り得ないだろう?永遠の伴侶なんて、居やしないんだよ…」
 それは、自分に言い聞かせるような、私を皮肉るような言葉。男はそう少し、自嘲気味に笑うと、ふうっと蝋燭の炎が消えるようにして、その呼吸を止めた。


 そうして、再び、私の長い孤独が動き出した。
 

 ある時、創生主が問われた…。たった1人の人間だけを愛し、そのものとだけ生きる事は、可能か、と…。
 可能だと、答えた私が間違っていたのだろうか………?

 永遠の伴侶は現れず、私は、皆に蔑まれ続けるだけ………。
この、広い、大地の上……私は、今だ、ただ1人…………。

ただ1人、唯一の恋人を待ち続ける……。
永遠の愛の印を探しながら…………。