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「傷跡の行方」じゅり
 

 薄墨色の雲が広がる空だった。
 放課後、俺は友達2人と校舎裏で、田中をいじめていた。
「おまえさあー、はえてんのかよ、あそこの毛?うん?」 
そう言って、宮城は無理矢理、田中のズボンを一気に下ろした。
「うっわー、ちっちぇなー、なあー。見ろよ、木下。」
山崎は、ニヤついた笑顔を俺に向けた。汚い顔だ。
「ほんとだな、アハハ。ミニミニサーイズ。」
俺は、心にもないことを言うと、田中のお尻を盗んだ傘で叩いた。それから、2人にニヤついた笑顔を配った。これは、俺達が仲間である証明のようなものだ。馬鹿みたいだけど。 
「なー、俺さいいこと思いついたんだけど。ここで、ウンコ出してもらおうよ。」
さも名案のように宮城は言った。中3にもなって、ウンコはねえだろ。
「それ、いいじゃん。グドュ アイディーヤァ!」
妙に発音がいい。山崎も、相当ハイになっているようだ。田中は、身体を硬くし歯をくいしばり、耐えていた。彼のそのような気質がいじめられてる原因なのを彼は気づいているんだろうか。
「早く出せよっ。出せよっ。」
彼らは、田中をはやしたて、無理矢理うんこ座りをさせた。田中は、終始黙っている。嵐が過ぎるのを待つのみ、か。
 じゃあ、俺がその嵐になってやる。いつまでも、傍観者じゃつまらないからな。
「早くしろよ!!」
俺は、傘を田中の頭上にかかげ、一気に振り下ろした。そんなに力を入れたつもりはなかったのに、田中の額から血が流れた。俺は、その鮮やかな血を見て、俺自身の血が逆流するのを感じた。
「早くしろっつってんだろ!!早くしねぇとつっこむぞ!!」
俺は、田中の尻の穴に傘の先端をあてがった。自分が壊れていく。
「やめろ…」
田中は、消え入りそうな声で言った。その態度が俺をより逆上させる。
「てめぇが、ぐずぐずしてるからだろうが!!早くしろよ!!」
俺は田中の尻を傘で叩いた。気持ちよかった。友達はひいているかもしれない。でも、俺はとまらない。打ち続けられる尻の鈍い音が俺を支配した。
 田中はようやく観念したのか、りきみ始めた。尻が、ふるふる小刻みに震えている。「ぷっ」という音と共に茶色い物体が少し顔を出した。しかし、量が少ないからだろう。それは、出入り口のところで、こびりついてとまっていた。
「ほんとに出しやがったー。キッタネー。しかも、おならまでしたぜ!」
宮城はそう言って笑った。少しほっとし、俺も一緒になって笑った。
「雨降りそうだから、早く帰ろうぜ。」
山崎は、顔が赤い。高揚しているのだろう。その時、本当に雨が降ってきた。
「これやるよ。ぬれないようにな。」
俺は傘を、田中に向かって投げた。田中は少しも動かない。額から垂れた血が涙のように頬を伝っていた。
 
 帰り道、雨宿りついでにゲームセンターで長居し、そこで傘を物色する。俺達はそれぞれ、気に入った傘をみつけて、別れた。雨は土砂降りに変わっていた。
 俺は家までの道のり、明日は田中をどんな目にあわそうか考えていた。次はオナニーでもしてもらうか、そう思うと明日が楽しみになった。俺の今一番の楽しみなんだ。いじめが。
 下り階段にさしかかった。この長い階段を下れば俺のうちだ。
「お母さんはもう帰ってるかな。今日の晩御飯は何かな。」
独り言を言ってしまった。俺もまだまだ子供だ。
 その時、後ろから走る足音が聞こえた。傘を忘れたのだろう。そんな、まぬけな奴を観察してやろうと後ろを向いた。だが、そいつはものすごく近くにせまっていた。田中だった。彼の必死な形相が見えた、と同時に、ものすごい速さでタックルされ、俺は土砂降りの中、階段を転げ落ちた。
 
朝の眩しい光で、目覚めた。もう雨はやんでいた。階段から突き落とされたのに、どこも痛くない。おかしいと上体を起こし、辺りを見回す。息を呑んだ。俺が死んでる。俺の下で。嘘だ、と目をつむり、もう一度恐る恐るあけた。何も変わらない。その光景は恐ろしいものだった。だって、俺が…。頭は、強烈に赤い血がべとりとおおってる。その下には、赤黒い血の池ができていた。目は、異様なほど見開かれ、肌は青白く、まるで蝋人形のようだ。ほんとに生きていたんだろうか。俺なのかこれが。死というものを今まで、小説やテレビドラマでしか経験したことがなかった。全く次元が違う。気持ち悪い。もう見たくない。目をつぶった。しかし、脳裏にこびりついて離れない。俺の死体と目が合った。
 気が付くと俺は、奇声を発しながら、走り出していた。
 何日かあてもなくさまよった。誰も俺に気づかない。時々、俺は死体を思い出しては怖くなり、震えがとまらなくなった。俺は死んだんだ。化け物のような顔で。
 俺は受け入れがたい現実をどうにか受け入れようと努力した。でないと、ずっと恐怖におびえ続けなければばならなくなる。嫌だ、そんなの。あの血まみれの身体も、飛びだした目も、硬くなった皮膚も。全部俺だ。俺の成れの果てだ。どうしようもないことなんだ。変えることのできない事実なんだ。そう思って、目を閉じた。俺の死体が一瞬克明に映った。だけど、だんだんぼんやりして焦点があわなくなる。それと同時にぼんやりと浮かぶもう1つの顔。そちらに焦点が移る。田中だ。俺を殺した、田中だ。呪い殺してやる!!
 
 教室に着くと昼休み中で、クラスメートは皆、めいめいに机を移動させ、弁当を食っていた。そこに、俺の机がぽつんとあった。机の上には花瓶に花が生けてられている。花は半分位、枯れていた。
 田中は、何食わぬ顔で1人で飯を食っていた。額の傷には絆創膏がしてある。田中の近くに宮城と山崎が、机を向かい合わせている。自然に、耳が吸い寄せられた。
「……木下の葬式、泣いてる奴1人もいなかったよなー。ハハハ。」
「ほんとだよなあ。同情で泣けてくるよな。それに、階段から足を滑らせて死ぬなんてまぬけだよなー。無様な死に方すぎて。」
事故として片付けられたのか。くそぅ。でも、何もできない。
「いつもはスカしてたのに、最後がこれはひどいよな。」
「ああ、人を見下した奴でほんとやな奴だったよな。」
人の悪口ばかり言いやがって。俺だってお前らを好きだと思ったことなんか一度もない。
「やめなよ。死んだ人の悪口をいうのは。」
口を挟んだ奴がいる。その方向を見ると田中だった。俺は納得いかなかった。いい子ぶってるけど、お前は俺を殺した極悪人なんだぜ。
 山崎は急にしおらしくなって、
「ごめん、ほんとごめんな。あのな、田中に言いたいことがあるんだ。」
次に宮城が言う。
「俺ら、田中をいじめてたこと、すっごく後悔してるんだ。許して下さい。それにもとはと言えば、木下がさ…。」
田中はさえぎった。
「もういいよ。許すよ。だからもう止めてくれ。」
宮城は、ニヤニヤして、
「あのさ、訊きたいことがあるんだけど。田中、3組の立花とつきあってるって本当?」
「ああ。」
嘘だ!ほんとだとしたら、むかつく。実は、俺は立花が気になっていた。彼女は、女子では珍しくおとなしかった。でもそれがなんていうのかな、そう、聡明さとでもいうか、そういうものを醸しだしていた。なぁーんてね。照れる。死んでるのに。
「どっちが告白したの?」
「立花さんから。」
「へえー、すげえじゃん。」
「もういいだろ。」
田中は、顔を伏せて言った。彼も照れてるのかもしれない。
 俺は、ぼーっと枯れかけの花瓶の花を見つめた。

 俺はその晩、田中の枕元に出て、首を絞めた。ぎゅーっと。田中は、顔をひきつらせ、ひどく怯えた。よほど、怖かったのだろう。
 次の晩も、次の晩も。3日、続いた。田中は、衰弱していった。ざまーみろ。
 4日目の午後、
「ねえ、最近、具合悪そうだけど、大丈夫?」
公園のベンチに座り、立花が田中に心配そうに訊く。
「大丈夫。だけど、何か最近夜眠れなくて…。怖い夢を見るんだ。…子供みたいだろ。」
田中は、ぎこちなく笑った。
「その夢って、…ちがったらごめん。いじめられる夢?」
「どうして…。知ってたんだ。僕がいじめられてたこと。僕ずーっと訊きたいことがあったんだ。何で、僕なんかに告白したの?僕はどうしようもなく弱い人間なんだ。卑怯者なんだ。」
顔を伏せて、低く震えた声で。涙をこらえているのか。
「つらくてつらくて、しょうがなかったんだ。だから…。俺は悪くない。悪くない…。」
涙が膝に落ちて染みを作る。
「忘れたいのに…。この傷跡を見る度に思い出してしまう。いやなんだよ。」
鼻水まで垂らし始めた。キッタネー。鼻水垂らしたって、どうしたって一生忘れさせないからな。
「田中君は悪くない。いじめる人達が悪いに決まってる。私がずっと側にいるから。だから、もう泣かないで…。」
立花は俺を否定した。いじめた事への少しの後悔が湧き上がりすぐに消えた。
 立花は、やさしく田中を抱きしめた。田中は、立花の肩に寄りかかり大号泣している。
「あウッ、りが…とう。ヒック、君がいてウッ…くれてウッよかった・・・グフッ。」
田中は体を起こし、泣きながらくさい台詞を吐いた。
「ううん。いいの。私、田中君の真面目なところが好き。」
一瞬見つめ合い、それから、立花は田中の額のかさぶたの上にキスした。
 田中は、あ然として涙もピタッととまった。立花は、顔を赤くして、うつむいた。
 なんだこの空間は。俺まで、胸がキュンとした。きっと、あの真っ赤な夕日のせいだろう。

 部屋に戻ると、田中は額のかさぶたに触れ、深い溜息をついた。その傷は、俺が刻んだ印のはずだった。田中にとって、忌むべきもののはずだった。なのにこれから田中はかさぶたを見るたび、触れるたび、立花の記憶をたぐり寄せる。キスの感触を、胸の鼓動を反芻する。
 ああ、ばからし。なんか俺はなにもかもが、どうでもよくなった。 
 そういえば、お母さんはどうしてるだろう。
 俺は、消えた。

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