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「夜汽車」鳴海昌平
 

 ガタタンゴトトン、ガタタンゴトトン……。
 ふと気づくとわたしは夜汽車の中にいた。生まれてこの方、夜汽車というもには乗ったことはないけど、かなり昔を舞台にしたTVドラマの中で何回か見たことがあると思う。
 薄暗い車内灯。背もたれが垂直で椅子自体すごく硬い。向かい合わせの四人がけの椅子が二列。向かい合う椅子の間の空間は狭い。これじゃ膝がぶつかり合ってしまう。通路も狭くてどことなく薄汚れている。
 今、車内にいるのはわたしだけのようだった。他に人のいる気配がしないのだ。まぁ夜汽車というのは寂しいものなのだから、これでも別に不都合はないように思えた。山の中を走ってるのだろうか、窓の外も真っ暗でなにも見えない。
 それにしてもなんでわたしはこの列車に乗っているのだろう? どこかに行った後の帰りのような気がするけど……。友だちの結婚式かなにか? それにしても疲れてる。暗い車窓に映る自分の顔を見てそう思った。化粧が崩れてる。なおさなきゃ。わたしはバッグからメイク道具を取り出そうとしながらまた眠りに落ちてしまった。
 ガタタンゴトトン、ガタタンゴトトン……。
 単調な列車の揺れる音。どれくら寝ていたのだろう。目が覚めて顔を上げると向かいの席の通路側にわたしと同じくらいの年の若い男が座っていた。
「どこへ行くんですか」
 男はわたしに向かって言った。暗い顔している。
「どこって……この列車がですか?」
 どこへ行くかなどわたしには分かるわけはないのだ。なんで乗ってるかも分からないのに。
「いえ、これがどこ行きかは分かってます。あなたのような人がなぜ乗ってるのかなと思ったので……。まぁどこへ行くかなんてどうでもいいことです。少し私の話を聞いてくれませんか?」
 男は暗い目でわたしをじっと見ながらそう言った。夜汽車でこんな男と二人っきりというのもいい気分でないのに、その上話を聞いて欲しいなんて……。席を立って他の車両に移りたかった。でも男の負のオーラにわたしは捕らえられそのまま黙って頷いた。
「ありがとう。誰も私の話を聞いてくれなかったんですよ。あなたが初めてです」
 いくぶん男の暗い表情が和らいだように見えた。男は続けた。
「私は生まれてからこの方、良い思いなど一度もしたことがありません。というか良い思いというものが一体どんなものか解らないのです。私は父親が誰かわかりません。それに母親も私を産んですぐに死んだそうです。身寄りは全くなかったようで、五年前まで施設でずっと生活していました。施設でも私はいじめらてました。どこかどう悪いのか私には分からないのですが、施設の子どもも職員も含め、皆から見ると私はとても悪いのだそうです。どう悪いのか説明してくれないので私は自分の行いを改めることができませんでした。そんな訳で一方的に虐げられ続ける毎日を施設でおくっていました」
 なんて暗い話なのだろうか。この暗さが彼がいじめられた原因ではないかと思った。でも話が暗いのは彼がいじめられ続けたという身の上の不幸を話しているからだと思い直した。きっとこの先少しはましな話になるのではないか。そんな風にわたしは期待した。
「どういう風にいじめられたか、ちょっと聞いてくれますか。施設では二人部屋だったんですけど、私は常に一人でした。なぜ一人かというと、その部屋にいると私のとばっちりを受けるから誰も来ないんです。部屋を水浸しにされたり、毛虫をバケツいっぱい投げ込まれたり、生ゴミをまき散らされたり……。元々、最初からそういう目的で使うために作られたのか、窓がなくてジメジメした部屋でした。その上さまざまないじめの結果、とにかく悪臭はひどいし不衛生。あんな部屋でよく十五年も生活してきたものだと自分でも不思議に思います。しかし当時の私にはそんな疑問もありませんでした。生まれてからずっとそういう仕打ちを受け続けていたので、自分でもいじめられるのは皆の言う通り、私に悪いところがあるからだと思っていました」
 聞いているだけでこっちまで陰鬱な気分になってくる。わたしはトイレに行く振りをして他の車両に移ることにした。
「お話の最中にごめんなさい。ちょっとお手洗いに……」
 男は無言で暗い目でわたしを見つめた。わたしはそんな男の態度を無視して席を立ち上がった。通路に出るときに男の足に体が触れた。男の足は生きている人間のものとは思えないほど冷たかった。
 ドアを開け、かなり揺れる連結部を通り過ぎ、隣の車両に移った。トイレはその車両の後の方にあった。別に行きたくはなかったけど入ってみた。閉口するほどきつい臭いがした。ひどく汚れた便器で用を足す気にはなれなかった。わたしはすぐにトイレの外に出た。
「?!」
 びっくりしてしまった。なぜならトイレを出ると男がわたしの前に立っていたのだ。
「なかなか戻ってこないから迎えに来ました」
 驚きはすぐ消えたけど、ちょっとした怒りがこみ上げてきた。
 女性がトイレに行った後をついてくるなんて……。こういうデリカシーのなさが彼をいじめられっこにしたんじゃないかと思えた。

「さぁ話の続きをしましょう」
 男は言ったけどわたしはもうあんな話聞きたくなかった。どうしようかとぐずぐずしていると、
「さぁ、こっちに座って」
と男はトイレの側の席にわたしを引っ張っていこうとした。
「ここは臭いからイヤ」
「じゃあ隣の元の車両に行きましょう」
 男はそう言ってわたしの手首をつかんだ。ゾッとするほど冷ややかな手だった。だけどその力は強い。何か悪い予感がしたわたしは、連結部の揺れを利用して男の手をふりほどき、男から逃げ出した。
「待て!!」
 男は叫んで追ってきた。男は少し足が悪いようでわたしほど早くは走れないみたいだった。
 すぐには追いつかれないけど、最後には追いつめられてしまうだろう。
 最後の車両の一番後ろまで来てしまった。男はまだドアを開けて現れない。でももうお終いだ。
「よくも逃げたな。だがもう逃げられないぞ」
 ドアが開いて男は狂気をにじませた目でそう叫んだ。
 足を引きずりながら男が近づいてくる。もう車両の半分まで来てしまった。
 その時、列車が激しく揺れて停車した。
 大きく揺れたせいで男もわたしも倒れてしまった。
「シンキョウ、シンキョウ」
 聞き慣れない駅の名前のアナウンスが外から聞こえてきた。駅に着いたのだ。
 わたしは慌てて起きあがり、一番前の出口から列車の外に出た。
 男が何か叫んでいたがわたしはかまわずホームに降り立ち、出口を目指して走った。
 列車は二〇両編成ぐらいで、わたしはホームの一番端に降り立ったので出口は遠かった。
 改札にたどり着いた頃、短い停車時間を終えた列車が走り出した。男は降りてこなかったみたいだ。危ない男から逃れられて少し冷静になったわたしは、こんな知らない駅で外に出ても困るだけだと思い至った。
 駅員を捜したけど、ここはどうも無人駅のようだ。夜中のせいもあるかもしれないけど、改札の向こう側に見える景色は明かりが全く見えず、どことなく不気味だった。
 しょうがないのでわたしは次の列車を待つことにした。ホームのベンチに腰掛けていると、緊張感から開放されたせいか、またわたしを眠りが包んでいった。
 気がつくと、いつの間にか夜汽車の硬い椅子に座っていた。そして向かい側に小学生ぐらいの男の子が座っていた。少年はひどくおびえた表情をしていて顔色も悪かったのでわたしは心配になって声をかけてみた。
「大丈夫かな?」
「……」
 少年はこちらをちらりと見たけど無言だった。
「何かあったの? わたしでよかったら話聞いてあげる」
 少年はまだ硬い表情のままだった。わたしは精一杯の笑顔で少年を安心させようとした。
 すると少年は表情をグワっと崩して声を上げて泣き出した。
「どうしたの、大丈夫?」
 わたしはどうしていいか分からなくなって、少年の隣に移動して、彼の肩を軽く抱いてみた。
 すると少年は少し泣きやんだが、わたしをちょっと見て、また大きな声で泣き出した。
「大丈夫よ、お姉さんがついててあげるから」
 わたしがそう言うと少年はわたしの胸に顔を埋めて泣き続けた。
 どれくらい泣いていただろうか。少年はやっと落ち着いたようで、わたしから少し体を離しポツリポツリと話し始めた。
 少年が言うには、彼の母親が昨日、交通事故で亡くなったそうだ。母親が亡くなって、他に頼る人もなかったので、彼は遠い親戚の家にこの夜汽車で向かってるそうだ。たった一人の肉親を失ってすごく心細いようだ。
「ねぇお姉さん、ギュッと抱きしめてくれる? 寒いんだ」
 そう言って少年は夏なのにガタガタ震えていた。少年の青白い顔。哀れで仕方がなかった。わたしは彼の言うとおり小さな体を抱きしめてあげた。
 すると少年は「君のハートに触れたい」とつぶやいた。胸をまさぐるような感触にわたしは体を離そうとした。
 だけど少年の腕はわたしの胸を突き抜け身体の中に奥深く入り込んでいた。なのに血は一滴も出ていない。驚いて少年を見てみると、いつの間にか見覚えのある男の顔のになっていた。それはこの前振ったばかりの男だった。
 そうだ確か彼は自殺して、今日はその葬式に行った帰りだったはずだ。
 男は「君の気持ちは手に入らなかったけど、ハートは手に入れることが出来たよ」と言って、わたしの胸から手を引き抜いた。
 激痛が走り、見ると男が血の滴る心臓を持って立ち上がった。
 心臓はドクドクと脈打っている。
「いただきます」
 そう言って男は口を大きく開けてわたしの心臓にかじりついた。

 

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