at 6/24
梅雨ですね。
その2 日記です。
六月父の日
雨ですねえ。それは昨日のことでした。
今日は晴れています。あっはっは。
梅雨と関係なく、今日は父の日で、ごちそうを作ろうと思った。
ご馳走にはお酒がいるので酔っぱらってしまいました。
げーらげら。
んーとね、レモンのお酒のツードッグとびーると赤ワインと白ワイン。
でね「タクシー」を見てけらげら笑った。
いーね、能天気だね、主人公の恋人の人物像がよくできている。
「おあづけ」を何回もいただいていて、そのたびに気の利いた言葉を残している。朝、部屋に行ってさあいたしましょうというところで、彼が大事な用事でお出かけ。「1時間で戻るから待ってて」と言い置いて、すごく遅れて夜帰ったらベッドにメモが。「昼12時にクロワッサンを買いに行ってパン屋と結婚しました」
六月某日 夫が留守。
朝、子どもを保育園に。そのまま接骨院で、手をマッサージののち、固定してもらう。帰宅。深夜と明け方子どもが騒いだので、なんか眠い。仕事のアポ入れて転がったきり意識を失う。電話で起こされる。若い女性向けの映画を教えろ、と世話になっている事務所の会長から、前前日観た「リトル・スチュアート」を推薦。ついでに原稿を書いてくれといわれ、書いて送る。寝ぼけていたので、媒体を聞いていなかった。掃除をする。
子どもを迎えに行く時間にぎりぎりに一週間がかりでアポを取っていた元アイドルKの事務所から電話。私の名前と編集担当の名前をとっちらかっていた。先週木曜日から、ほぼ毎日1.8回平均で電話をしていたのはわたしで、編集担当は一度も電話をしていないのだが。
子どもを迎えに行き、遊んでやり、風呂に入れ、寝かせる。今日は夜8時にすんなり寝る。洗濯。夕飯は冷蔵庫の残り物ででっち上げる。
一.甘い卵焼き大根おろし添え
二.奴
三.ニンニクの茎のオイスターソース炒め椀盛り
四.ぬか漬けきゅうり
五.秋田純米吟醸「雪の茅舎」 >
まちがって買いました。吟醸のつもりでなく。
一合入りのかーいい片口にとってんくんくんく。酒、つぐときこぼれまくり。ちゃんと酒を入れたのははじめてだが。卓上にこぼれた酒をみつめ、「こうするのが正しいのだろうなあ」とつぶやき、ずずっと吸い込む。
12ch「だれでもビカソ」特集は松田優作。惜しいヒトを亡くしました。誕生日が同じことがひそかな自慢だったりする。
おやすみなさい。
追加。ぬか漬け。
先々週仕込んだ。
一週間かきまぜまくり、つけ込んだのが先週。ぱぱ君が来た日出した。頭が割れるほどしょっばい。なんだ〜? どうも水をはかるのとおなじつもりで塩を計ったのが敗因らしい。比重の差。スケールがほしいぜ。で、ヌカを買い求め、毎日追加しつつまぜまぜまぜ。本日、昼、きうりを一本。
夜、成功を確信。明日、食べ頃のなすもいで♪ つけて♪ 芥子をそえていただこう♪ 小茄子の一夜漬けもしたいなあ。茄子ってどうしたって日本酒だよね。
夏だ。
at 6/12
梅雨ですね。
梅雨のうっとおしさをいや増す悪臭三題。
その1。友人のウンチはとてつもなく臭い。
どれくらい臭いかというと、彼は妻一人、子二人持ちだが、家でウンチをするな、と子どもに言い渡されたそうだ。
それを聞いたとき、いっしょに憤慨したものだったが。
みんなで海水浴に行く途中、買い物に立ち寄ったコンビニで、トイレを借りようとしたら先客あり。しばし後、出てきたのはその人。
いやな予感はあったけど、せっぱ詰まっていたわたしはトイレに。
入った瞬間、空気の重さと色が変なことにすぐ気づいた。
「ぐぇぇぇぇぇぇっっっっっっっっっっ」
喉をかきむしるわたし。本当に息ができなかったのだ。
トイレを飛び出し、涙を流しつつげほげほげほとせき込んでいると、通りすがったその人。
「あ、くさかった? ごめーん」
「臭かったじゃないっ、毒ガス級、殺人ガスだっ、人殺しっ」
「大げさな」
本人はいたって平気なのだった。
「私がいるときはウンチをするなっ」
その2。学生の頃、いつものようにバカ飲みした翌日、うちに泊まった4人でそのまま千葉に海水浴に行こうということになり、船橋そごうの水着売り場で。いちおースクール水着は持っていったが、水着って買ったことがなかったので、買うことにしたのだ。
試着ルームに入り、ドアを閉めた瞬間、異様な臭気がたちこめた。
「ぐえっ、げほげほげほげほ」
たちまちむせて涙ぐむわたし。
試着室を飛び出し、頭だけ試着室につっこんで臭元を探すが見つからない。首を傾げながら戻って、Tシャツを脱ごうとした瞬間、
「・・・あたしじゃん!」
宿酔いの酒毒に加え、大渋滞の都内をエアコンなしの車に押し詰められること3時間、汗は自らの肌の上で発酵・熟成し、いわく言い難い臭気を放っていた。自毒の臭さと自分のカラダからこんなすさまじい臭いを発しているという衝撃の事実にヘタった私は水着の試着はやめて、持ってきた換えのTシャツに着替え、試着室(あー近頃はフィッティングルームたらいうらしいのう)を出た。
♪も〜しぃあのときのわたしがひとた〜びカラダにつけたなら〜
も〜ぉ! ほかのひとぉ〜には売れな〜い水着になっちゃうんだよ〜♪その夜(着いたら夜だった)、富津の海をスクール水着で泳いだ。
あんなにさっぱりした海水浴はとんとない。
その3。『おやじる』って知ってる?
姉がみうらじゅんのラジオ番組で聞いた話。
オヤジからしみ出す臭い液。とくに寝ている間に頭からじわっとしみ出して枕カバーを脂水でねとねとくっさーにするらしい。姉、そこでひとこと。
「さしずめ、あたしが宿酔いのとき出す臭い汗はおばじるね」
わっはっはっはっはっ・・・・・・はた。
宿酔いの汗はみんな臭いのだろうか。いやそれよりも、はたちになったばかりだったあのときのわたしの汗もおばじるだったのでしょうか?
at 5/29
オリーブの林(2本)を抜けて
突然だが、わたしはオリーブの漬け物を愛している。
瓶詰めのは大嫌いなのだが、10年前、姉とイタリアを旅行していたとき、「地球
の迷い方」に出ていたホテルの部屋が、記載とあまりに違うので、疲れもあって
「もう夕食なんていらない、どこもいかない」とトスカーナの丘陵地帯が朱に染
まる夕暮れ時に、アンモニアがほのかに漂う完全立方体のホテルの部屋のほとん
どをしめるダプルベットの上でスネる姉をおいて、散歩に出た私はふと立ち寄っ
たタバッキのおばさんが漬けた自家製のオリーブを買い求めた。うまいっ。目か
らウロコが落ちるのをはじめて目視した瞬間であった。ピザも買った。壁にはい
ろんな種類のピッツァの名があったが、トマトソースとチーズとバジルの載った
マルゲリータ一種類しかない立ち食い店でテイクアウト。うめーっっ。夕食はい
らなかったはずの姉は「どうしてもっと買ってこなかった」と私を責めるのだっ
た。
・・・・というのは前置きで、それから数年。あの味に飢えていたわたしが、取
材で訪れた横浜駅前、三菱銀行の前に大きなオリーブの木が。しかも実が成って
いるではないか。
自宅に戻ったわたしは遠大な計画を立てた。自分で木を育て、あのオリーブを思
うさまたべようと心に誓ったのであった。
小豆島のオリーブ協会に電話をして、露地植えでいいのか、何年後に収穫できる
のか、など尋ねた。結実させるためには違う種類の木が必要ということは知って
いた。
さあっ。
まず、お茶の水の種のタキイで稚木を二本求めた。稚木はすくすくと育ち、枝を
広げた。私は一年ごとに植木鉢の号数を上げてやった。2年目には花をつけ、3
年目で結実。このときは失敗。塩漬けにしたらえぐいのなんのって。昨年は実ら
ず、5年目の今年は、オリーブの当たり年で、二本の木はぷっくりと大きなつぼ
みをつけ、満開の日にはめでたく風が吹き、花粉が飛び交い・・・・植物的には
たいへんえっちだのう・・・・受粉は完了した模様だ。あとは秋の結実を待つの
み。
もはや失敗をするつもりはない。小豆島のオリーブ園に問い合わせて、作り方の
ファクスをもらった。
うふふふふふふふふふふふふふふ。
タカハシくん、あたしはやるわよっ。
at 5/29
痛かった話。
大人になって、何がいちばんありがたいかというと、
都合の悪いこと、辛いことすぐ忘れることかな。
わたしの場合、何を忘れたかというと、昨年の12月3日のことだ。
そのことで、新年メール。こんなを出した。
−−−−−−−−−−−ここから−−−−−−−−−−−
あけましておめでとうございます。
ご報告が遅れましたが、
12/3 午後4時34分、2796gの
元気な女の子を帝王切開で産みました。
「天恵(めぐみ)」と命名しました。よろしくね。
まあ、ひとことでいうと帝王切開をなめていましたね。あたしゃ。
病室からストレッチャーに載せられて
手術室に運ばれるときは、「わーERの視線」とかいって
ワクワクしていたのだけれど、
そのあとにあんなめくるめく0UCHの世界が
広がっていようとは。
術前、腰椎麻酔といって麻酔台の上でまず
腰の左右に麻酔をかけて下半身を麻痺させるのだけど、
ワタシは麻酔の効きにくい体質で、手術台に移動した後、
右半身がちっとも麻痺しない。
で、一度載った手術台からごろんと転がされて
(すっぱだかのままなので、なんだかなあ、モノだよなあアタシ、と思いました
)、
もっぺん麻酔注射。
その後、無事、子どもを取り出され、感動にうちふるえたのもつかの間、
切れてきやがった。なにってもちろん麻酔が。
おりしもワタシの左右に座った二人の先生が
頭をつきあわせて、ちくちくワタシの腹を縫っているさなかのこと。
ロープ! ロープ! でありました。
で、追加の麻酔、注射されたら、あーっというまにふわーっと意識が軽くなって
手術台とまだ縫い物をしている先生たちごと宙に浮いているような。
そんなこんなで手術は無事終わり、ぶっとんだまま病室に戻されたワタシ。
痛み止めも効いていたため、へらへらしながら「大丈夫だよ」と
母、だんなとも帰してしまったわけです。
その夜半、腹を激痛が走ました。
痛み止めの効果と麻酔の名残で遠雷のようでしかなかった痛みが
ハラにどどどーんと落ちてきたのです。
助産婦さんが「痛くなったらすぐ呼んでね」
といってくれていたのでナースコールしました。
「どうかしましたか?」
「痛むんです」
「うーん、前の痛み止めからまだ2時間だわね。
痛み止めは3時間おきにしか打てないのよ」
初めからいえっ。
だいたい1時間半で痛み止めの効果は薄れ、
次の30分で痛みがどんどん近づいてきて、
残り1時間は、暗闇に眼を懲らし
意識をなるべく痛みから遠ざけ
時計をにらみつけながら耐えるコトの繰り返しでした。
その痛みっていうのは、ハラの中で
ナイフとヘラを持ったこびとさんが
走り回っているカンジなのです。
さくっさくっと、ときどき中が切られるように痛み、
ときどきえぐられるように痛む。
まあ、ハラを実際に切られたんだから、しょうがないですが。
翌日、痛みも一山超えてほっとしていると、
先生が回診にやってきました。
「どうですか、痛みますか」
「一時に比べて、だいぶおさまってきました」
「そうですか、それはよかった。ではガーゼを交換しますね」
で、ヘソ下10cmの切り口は、ぴったり全面テープで
抑えてあったのですが、そのテープをヘアごと一気にベリッ!
声も出ないワタシ。
そんなわたしを後目に手早く消毒薬が塗られ
ガーゼがテープで固定された瞬間、子宮が収縮を起こし、
さらにアクリノール液が追い打ちをかけるように
じんわりと切り口にしみわたり
医師と助産婦が去ったあと、産卵中のウミガメのごとく
滂沱のナミダにかきくれつつ、のたうちまわるワタシであった。
あと、麻酔の後遺症のとんでもない頭痛の話とかあるけど、
いい加減長いので、これくらいに。
現在はあかんぼの世話に追われています。
手はかかりますが、ちっちゃくてかわいいものです。
写真は恥ずかしながら夫のHPに載ってます。
よかったら見てちょ。
www.interq.or.jp/red/cod
それでは、お元気で。今年もよろしく
−−−−−−−−−−−ここまで−−−−−−−−−−−
いやー、痛そうだ。もう忘れちったよーん。
at 5/22
こどまりつまです。
小泊がホームページにコーナーを作ってくれるというので、子ガメ状態でネットデビューすることになりました。
とことん紙媒体の人間なので、どうもキンチョーするなあ。
ふだん編集者やクライアントさまの走狗となって制約の中で原稿を書いているためか、いざ、好きにしろといわれるとあわててしまう。
むん。
・・・・どこもあわててませんね。
閑話休題。
GWさなかの2日に原稿の締めがあったので、1日にラップトップのパワーを入れました。
すると、ふぃぃぃーん、きるきるきる、というなじみの起動音のあと、ふしゅー・・・と気の抜ける音とともに電源がいかれてしまった。
まーいーか、と、デスクトップの前に座ったら、違和感。よく見ると卓上の風景が変わっていた。キーボードがね中国語。
ひらかながあるべきところに、漢字の旁や偏が並んでいる。英字はついているんだけど、あいにく私はカナ入力だ。
そういえば、以前、小泊が「面白いキーボードだろ、台湾土産だ」と得意げに見せてくれたことがあったっけ。慌てて小泊に電話をしたら、キーボードは中国語でも、ソフトが違うからカナ入力はできるよ、と何を慌てているんだといわんばかり。あんたはいーよね、ローマ字入力でタッチタイプができるのだから。
入力は遅くないつもりでいたけれど、どんだけ入力を視覚に頼っていたか、痛感させられました。やぱし、タッチタイプは必要だわ。みんなもタッチタイプを覚えようね。いつキーボードが中国語になってもいいように。
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