哲学者偉人伝エッセイ

彼らのまちがい


目次

 カントのまちがい

 −だが、彼の顔は恐かった−

 マルクスのまちがい

 −だが、彼は臭かった−

 エンゲルスのまちがい

 −だが、彼は老いていた−

 ハイデガーのまちがい

 −だが、彼の顔はデカかった−

 レーニンのまちがい

 −だが、彼はハゲていた−

 ケインズのまちがい

 −だが、彼はホモだった−


カントのまちがい

−だが、彼の顔は恐かった−


 哲学者と言えばカント、というぐらいカント(1724- 1804)は有名な哲学者だ。
 哲学の授業なら、近代最高の哲学者またはドイツ観念論の大家だと習うだろう。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』とかいう本を書いたおっさんだ。
 いつも決まったコースをきっちり時間通りに散歩したので、ケーニヒスベルグの町の人々は、彼を時計替わりにしたという逸話があまりにも有名である。善かれ悪しかれ彼こそが、哲学者とは厳格で孤高な人達なのだというイメージを決定づけてしまった。
 でも、それは誤解なのだ。
 何故なら、彼は単に顔が恐かっただけなのだから。
 肖像画に描かれたようなあんな恐い顔が、しかも考え事してしかめ面しながら、ケーニヒスベルグのような小さな町を毎日歩いていたら、そりゃあ噂になるだろう。
 彼は生涯独身だった。で、家にこもって何やら難解な本を書いているらしいとなれば、人々は何て哲学者って不思議なやつなんだろうと思ったに違いない。
 ほんとうのところ、カントはその風貌に似ず、ロマン主義者だった。
 当時、カントの本に影響されたのは、ゲーテやシラーといったロマン派の第一人者達だったのだから。
 きっとカントは内気なやつで、部屋に小鳥なんかを飼ってたに違いないのだ。もし彼が美男子だったら、近代哲学もきっと違った歴史を辿っていたことだろう。
 哲学が誤解されるかぎり、彼もまた誤解され続けるのである。


マルクスのまちがい

−だが、彼は臭かった−


 マルクスは風呂嫌いだった。
 マルクス(1818- 1883)といえば共産主義理論の大成者である。その著書『資本論』はあまりにも有名であり、彼ほど世界を動かした思想家は史上類例を見ない。でも、彼は不潔な男だった。
 大学時代の友人によれば、マルクスは毛深く、胸や腕までびっしり剛毛におおわれ、鼻毛まで太い男だったという。それから、煙草が好きでいつも煙に巻かれていた。そんなやつが風呂嫌いなのだからたまらない。
 彼の論敵だったシュトラウスやバウエルらもそう思ったに違いない。
「こんなケダモノに説教されてたまるか。」
 マルクスの成功は、ひとえに盟友エンゲルスの援助によるものが大きい。が、エンゲルスだってたまらなかっただろう。
 マルクスの死後、彼とエンゲルスがやりとりした書簡の一部を、娘達が処分してしまっている。二人の友情にとって好ましくないという理由からだ。きっとその手紙には、「風呂に入れ、それから煙草も減らせ。」
「ヤなこった。俺の趣味じゃないか。」
てなことが書かれていたのだろう。
 エンゲルスの忠告通り、マルクスは煙草を吸い過ぎ、喉頭ガンで永眠する。生涯の大部分を極貧で過ごし、妻や子どもを泣かせながら、そして風呂に入らないまま倒れてしまった。
 マルクスのまちがいは、その理論云々ではなく、こんなヨタ者でも世界を動かせることを証明してしまったところにある。思想とは、つくづく素晴らしいものなのだ。


エンゲルスのまちがい 

−だが、彼は老いていた−



 エンゲルス(1820- 1895)は、盟友としてマルクスを生涯援助し、そしてマルクスの死後には共産主義理論を広めたり、世界の共産主義運動の指導をなしたりした人物だ。彼の尽力によって、かの『資本論』も今日ある形で刊行にいたっている。
 若い頃は軍事オタクで、化学マニアだった。
 エンゲルスの本領は、だから年を取ってから、とりわけマルクス没後に発揮されることになる。老いの一徹というやつだ。
 エンゲルスが共産主義、とりわけマルクスについて語る時、どうしてもそこには、
「何もかもが懐かしい…。」
てな老境の響きがこもっているような気がする。
 論敵デューリングに対しても、
「何をちょこざいなこの青二才!共産主義を語るには百年早いわ!」
てな調子である。
 ところで、年寄りの海千山千くぐり抜けたつぶやきを、若い連中は真似することができない。同じ台詞を口にしてみても、意味も重みも違ってしまう。
 だから、共産主義が誤解されたり、分派を出してしまうのは、一つにエンゲルスが老いていたからなのかも知れない。そこには、じじいの「さとり」がこもっているのだ。


ハイデガーのまちがい 

−だが、彼の顔はデカかった


 ハイデガーの写真を見るたび、どうしても口をついて出てしまう言葉がある。
「顔デガー」…。顔がデカイ。
 ハイデガー(1889- 1976)といえば、実存主義哲学の創始者として、日本の思想界にも絶大な影響を与えた人物だ。戦後のある時期までなら、「顔デガー」などと言おうものなら、そいつはたちまち研究者生命を絶たれてしまったことだろう。
 ところが、このおっさん、実のところかってナチ信奉者だった。
 彼の著書『存在と時間』に書かれていたのは、つまるところ民族の使命に従えってことだ。それで、ナチ政権下にフライブルク大学の学長にまでなってしまった。
 けれども、ハイデガーが面白いのはむしろ戦後になってのことだ。
 ナチ加担について、誤りを認めるよう弟子のマルクーゼが手紙を書いたところ、
「反省なんて、みんなやってるからヤダ。」
という返事がかえってきたという。
 老齢のハイデガーを日本の研究者が尋ねた時のエピソードも、ちょっと泣かせる。
 「注目する若手哲学者は誰ですか?」と尋ねられたハイデガーは、「全然ない!」と答えたうえに、「アメリカなんかキライだ!あいつら何も考えてない!」とかいう文句をぶつぶつならべている。
 エリート主義の、ヤなやつだ。
 現代日本の中学校に放りこんだら、きっといじめられるだろう。
「デカイ顔すんなよ!」ちょっと哲学のしかたを間違ってるような気がする。


レーニンのまちがい 

−だが、彼はハゲていた−


 レーニン(1870- 1924)は人類史上初の社会主義革命だったロシア革命を成功に導いた人物である。著書としては『帝国主議論』が知られる。そしてまた、そのハゲ頭の肖像が、あまりにもよく人々に覚えられている。
「あ、若ハゲ。」              
 どうやら大学生の頃からハゲてたらしい。ロシア革命に同行したアメリカ人記者J・リードは『世界をゆるがした10日間』の中で、レーニンについてこう書いている。
…若ハゲで、チビで、ダミ声で、話もあまりうまくない。
 およそ歴史上の指導者の中で、これほど味方からボロカスに書かれた人物もそうあるまい。そして、レーニンの演説はやっぱりわかりにくかったのだ。革命によって突然、聴衆の理解力が向上したわけじゃなかった。
 けれども、リードは続けてこうも書いている。
…だが、これほど民衆に愛された指導者もいない。
その若ハゲが、背の低さが、ダミ声が、現状の苦難を訴えるレーニンの演説に、おそるべき説得力を与えただろうことは間違いない。そして、おそらくハゲという言葉が世界でもっとも頻繁に使われたのが、あのロシア革命のさなかだったことも間違いないだろう。ツァーリ朝最後の皇帝、ニコライの頭も光っていた。敵も味方も、罵倒語は「ハゲ」である。
 ところで、レーニンの死後、大粛正を引き起こして革命の成果をダメにしてしまったスターリンは、若い頃、鼻筋のきりっと通った美青年で知られていたという。
 皮肉な話だ。レーニンがすぐれていたのは、やはりハゲていたからだろう。
 余計な自惚れや、英雄主義からきっと自由だったんだろう。


ケインズのまちがい 

−だが、彼はホモだった−



 ケインズには、ホモだった時期がある。
 嘘ではない。ケインズ(1883- 1946)がいくら修正資本主義の父であり、貨幣経済論の泰斗だったとしても、ホモだったことに間違いはない。
 それは学生の頃のあやまちだった。
 エスタブリッシュメントの代名詞、ケンブリッジ大学の学生だったケインズは、「ブルームズ・ベリー・グループ」というエリート集団に属している。それは、「愛、そして美こそがすべて」、「道徳なんてくそくらえ」というようなグループだった。
 ケツの青いやつらだ。
 いや、このグループで唯美主義、反道徳を実践したケインズらは、男色にも手を出して、青いケツを赤く染めていた。『チャタレイ夫人の恋人』の作者、D・H・ロレンスが彼らに「くたばっちまえ!」と叫んだぐらいだから、ハンパじゃない。
 きっと病気のひとつやふたつ、もらうところまではいってるだろう。
 その後、ケインズはグループが後援するバレエ団のプリマとちゃっかり結婚して、ホモからは卒業する。
 やがてイギリスの政界や財界に重要な提言をなしていくケインズだったが、けれど、出世してからも手記でなお、青年期は美しかったとのたまっている。
 修正資本主義はホモの産物である。
 だからこそ繊細で、気配りが届いた学問なのかも知れないが。


あとがき

 哲学者だって人間だ。
 コンプレックスだってたくさんある。
 人は哲学者を、理解しがたい、孤高の存在として見るかもしれない。けれどもフタを開けてみれば、変わらぬ悩みだらけの生がそこにあるはずだ。
 だから哲学は、決して人間離れしたものじゃない。人間そのものなのかも知れない。
 ただし、一つだけ、違ったところがある。
 うだうだぐじぐじ、文句をならべたり他者にもたれかかったりせず、黙々と誰にも役立つものとして自分の思想を昇華させることに、彼らは努めた。
 どうやって悩みを解決すればいいか、哲学は教えてくれる。
 答えではなく、悩みへの態度を。
 ここに登場する偉人達は、この本に怒るだろうけれど、きっとすぐに許してくれるだろう。彼らもそうやって先輩達から学んだはずなのだから。

 是非、彼らの著書を紐解いてみてください。

(96年4月 著者)


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