小林よしのり

『新ゴーマニズム宣言・脱正義論』評



 周知のことだろうけれど、『SPA!』から『SAPIO』に連載の舞台を移して続けられていた、小林よしのりの思想マンガ『新ゴーマニズム宣言』のスペシャルとして、先頃、「脱正義論」という別冊が出版された。
 諸々の運動に携わる者にとって、常に焦点となる組織論を正面切って取り上げた話題作である。
 内容は、先に『SAPIO』紙上で、薬害エイズ運動の帰趨をめぐって描かれた『新ゴー宣』第14章「運動の功罪−日常へ復帰せよ!」が巻き起こした、大々的な賛否反響への回答となっている。これまで、「薬害エイス訴訟を支える会」の代表を頼まれて引き受け、世論づくりの先頭に立ち、これを前進させてきた小林よしのりだったが、やがて厚生大臣の謝罪、訴訟の和解成立という大成功を迎えるなかで、しかし個の連帯として始まったはずの「支える会」が組織団体化し、「イデオロギー団体」(共産党など)による引き回しを受けるのを危惧するようになる。そこで小林は先の「第14章」を発表し、「支える会」の学生達に「日常に戻れ」と呼びかけた。自らの無能を棚にあげて批判やごたくばかりを並べるのではなく、社会に出て責任を担いながら、システムに押し潰されずに個を貫けるよう自己を研け、社会を批判するなら、まず社会を背負ってみろと訴えた。が、これによって小林は何と「支える会」から除名されてしまう。別冊「脱正義論」はこうした顛末を詳細に描写し、脆弱な自我ゆえに正義や空疎なイデオロギーを振り回し、自己の優越にひたるような運動の在り方、学生達への決別宣言であり、それは「さらばだ、個の連帯は幻想だった」という苦く辛い自戒で締め括られて終わる。
 さてさて、これが学生達への告訴だとするならば、小林の叫びはごく妥当なものだと思える。運動の目的はあくまで現世社会における具体的な利益と前進なのであって、至福千年の王国の夢を紡ぐことではないからだ。我が国の将来を支えるべき青年学生が、自らの未熟さや脆弱さを、そんな大言壮語で穴埋めするようでは困るだろう。これは、夢を抱くなということではないし、政治思想を持つなということでもない。現に理想社会の住人ではない我々が道を切り開いていくには、それ相応の実力がいるというリアリティの問題である。私達は格好の例となるような、偉そうな建て前ばかりふりかざして、人間的には何の魅力も実力もない人物を何人か知っているが、そんな者達が何を語ったとしても空疎である。私達はまた自らの課題として、これを深く肝に銘じておかねばならない。
 よって小林の除名という「支える会」の対応は、明らかに過剰反応でしかなく、かえって小林の告訴を裏づけてしまうようなものだ。例えばレーニンは、ロシア革命直後の苦しい内戦期にさえ青年学生を前に「青年学生は今すぐ戦いに出るよりも、将来の社会の建設者としてまずは学ばなければならない。」と演説している(「青年同盟の任務」)。それを民医連の幹部連は知らないはずがなかろう。
 しかしながらややこしいのは、学生達はあくまで「勉強会」を続けようとしていたことであり、また小林が反イデオロギー論や「個の連帯」という運動組織論、はたまたプロフェッショナル待望などを持ち出していることであり、それによって論旨がいたずらに拡散してしまっていることである。
 ひとくちに「イデオロギー」といっても、もともとは全然違う意味だが、ここで小林の言うそれとは、「政治思想に凝り固まる」といったほどの一般的なニュアンスだろうか。ともあれ、小林は「純粋まっすぐ君から脱却せよ」と、反イデオロギー論を学生への訴えと一緒にぶちまけている。政治思想、社会思想を持つ者が、全て世間知らずの純粋君だというのは何だか有り難いような誤解であるし、実際には政党などの活動は冷徹とも言えるリアリズムに裏打ちされてなされているわけだから、もともとイデオロギー=純粋まっすぐ、或いは非日常思考という図式には無理があり、それは小林自身の全共闘体験なんかに由来するものなのだろう。
 明言してもいいが、全共闘の例にもれず、もともとテロや非日常思考に走りやすいのは、反イデオロギーを掲げる連中の方なのだ。冷徹な政治的計算をなす政治諸党は無謀なテロなんかに走らない。歴史上、テロを引き起こしてきたのは、常にもともとは反イデオロギー、反組織を掲げていた連中の性急な暴走だというのが悲しいかな事実なのである。
 ともあれ、反イデオロギー論というものを、例えば個人の思想として発表するのは構わないし、積極的なことだとも思う。ただしかし、それを「支える会」に持ち込んだのは明らかな勇み足だっただろう。政治思想、社会思想を抱くということ、或いは政党に加盟したりすることは、「市民主義者」を気取ってるとか何とか言う前に、建て前であれ何であれ、現代日本における政党政治の基本原則だからだ。政党に誰も加盟しないならば、政党政治は成り立たないのだから。

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