中沢新一『はじまりのレーニン』評



 はじめに書店で見かけたときは驚いた。あの、中沢新一がレーニンだとぅ?しかも何で今頃に?目次をめくればこれまたびっくり、「笑いと唯物論」「精霊の資本論」ときたもんだ。さらにパラパラとページを繙いていけば、レーニンの写真や肖像がふんだんに用いられていて、またカバーをめくれば装丁は真っ赤、明らかに挑発的なつくりなのだ。
 中沢新一は宗教学者にして、ポスト・モダニズムの旗手の一人としてその名が知られている。軽やかな足取りと知の遊戯ぶりで話題を呼んできたのだけれど、その中沢が「いまだからこそレーニンを」とヘビーなことを書いている。あとから聞けば、あちこちから絶賛されているというではないか。妙な時代がやってきたものだ。
 しかし、読んでみてがっかり、だまされた。断言するが、内容はなにもない。平易な説話文体で書かれているからじゃない、中沢は巧妙で、哲学的な考察とみせかけて、実際には中心的な理論を完全に欠落させている。つまり、何も述べていない。
 第一章「ドリン・ドリン」では、レーニンがよく笑う人物であったことが紹介されている。そしてそこから第二章「笑いと唯物論」で、「笑い」とは、自分の主観を越えでる未知なるものと出会うことによって生まれるものだとし、その未知なるものがレーニンにとっての物質概念であったとする。そして、ゆえに彼が自己中心的で観念的な西欧思想の批判者であったと位置づける。
 ちょっと待て。「笑い」といえばバタイユかベルクソンである。この場合の「笑い」はバタイユのものだが、さて、レーニンは確かに西欧思想の批判者だったが、あまりにバタイユに勝手に近づけて解釈し過ぎていないか?ここらへんで不安が漂ってくる。
 第三章「ヘーゲルの再発見」、第四章「はじまりの弁証法」では、ヘーゲル批判が飛び出してくる。つまり、どのようにマルクス主義者としてレーニンはヘーゲルを超越したかが語られるのである。まず、ヘーゲル弁証法には底があり、未知なるものの生き生きとした魅力が消滅させられ、主観へと吸収されていると見る。そして中沢は、未知なるものをピュシス(自然:出現すること)やゾーエー(生命:出現すること)として語り始める。ここらへんで宗教学者たる中沢の本領発揮である。実際、ここではすでにレーニンとは何の関係もなくなっている。生き生きしたもの、素朴なもの、ピュシスやゾーエーは底無しであり、ここから(レーニンの)新たな弁証法が始まると、そして中沢は語る。
 第五章「精霊の資本論」では、新たな弁証法として、否定神学としての東方神学を持ち上げる。そこでは、父たる神は実在ではなく無(だから否定神学と呼ばれる)ゆえに絶対としてあり、人々は子として独立し多様である。そして、父(無:絶対)と子(人々:多様)が対等な関係としてあり、それを精霊が媒介しているという図式の弁証法が形成される。この精霊を物質としてあてはめたものが、レーニンの弁証法であるとする。
 そして第六章「グノーシスとしての党」では、レーニン党(ボルシェビキ)は東方神学的な弁証法によって結びつけられるものであったとする。いわば、中沢の述べたいことを汲み取れば、「笑い」によって結びついた多様で対等独立な人々の共同体的な党であるということであろうか。
 なるほど、共産党は民主集中性を捨て、多様な人々と見解の雑多な共同体であれということだ。そのために中沢はヘーゲル弁証法を批判し、自然と生命を語る。
 しかし、鵜呑みにしてはいけない。中沢の持ち上げた東方神学的な弁証法の図式は、ヘーゲルの『精神現象学』で既に展開されている図式とどう違うのか?見るところそれはヘーゲルを少しも踏み出していない。つまり、中沢はヘーゲルを批判しながら、ヘーゲルを実は知らない。否定(無)としての絶対とか、独立した個別との媒介などは、良く知られたヘーゲル弁証法の公式である。媒介としての物質への論及もヘーゲルにお馴染みのことだ。つまり、中沢はレーニンを逆にヘーゲル化しただけに過ぎない。
 さらに、ヘーゲルの偉大さは、この弁証法がどのようにして起動するか(媒介)を解明していることにあるが、この観点も気楽なことに中沢には全く欠け落ちている。ヘーゲル哲学が主観へと吸収されるのには強力な理由があるのである。それは、いずれ気づかないうちに中沢の弁証法もそうなるという意味でもある。つまり、どのようにして未知なるものに触れるのか、或いはいかに人々は共同するのか?という動因(媒介)へのまともな考察や新たな提示が抜け落ちていては、ヘーゲルを越えることなどできない。中沢においてはまるであらかじめ人は共同を可能としているかのようである。
 ヘーゲルを批判した上で、そもそもレーニンが探求していたのは、その著書にもある通り『何をなすべきか』ではなかったのだろうか?多様なありようが認められる共同体的な人々の在り方を夢見ることは正当である。だが、現にそうはありえていない社会のなかで、どのように、何を媒介にし、これをどのように起動して、共同体的社会を具現化せしめるか、それがレーニンの問うたことであり、彼のマルクス主義者たるゆえんでもある。
 こうした動因(媒介)についての考察抜きにレーニンを語るということはその実何も語っていないに等しい。つまり変革抜きの理想を綴っているに過ぎない。それは革命家としてのレーニンを骨抜きにするだけのことである。どこにも「はじまり」は見当らない。
 いまや、思想の世界では、構造主義、ポスト構造主義が退潮し、ふたたび実存主義が勢いを盛り返してきている。それは、先の潮流において一切のものごとを記号や差異の組み合わせに帰し、基軸を失い果てしない知の遊戯に溺れていた連中が、やがて疲れ果てて何か頼るべき岸辺を探し、実存主義に漂着したといった構図である。そこではあてどない放浪は投げ捨てられ、変わって共同体や自然や生命、或いは身体が叫ばれており、そのすがりつこうとする姿勢は、はなはだ宗教的ですらある。結局、現実の苦難から逃げ出した知の遊戯が辿り着く地平は当然にここにしかなかった。そして、彼らはそこにマルクス主義も取り込んでいこうとする。いまや何故だかマルクスは人気者だ。
 ところで、「若かった共産主義の本当の夢」とは何だったのか。確かに中沢の述べるごとく、マルクス主義的弁証法の中心には、生き生きとしたものの躍動が息づいていた。共産主義の看板を掲げながら、しかし収容所列島と化したソビエト型の戦時専制体制の暴政下で、形骸となり‘死せる犬’となってしまったマルクス主義理論の復権をこうして提唱するのは妥当なことだ。しかしながら、その核にあるのは中沢の述べるような抽象的、観念的、宗教的そして字面だけの‘生命’なのではなく、生活し働きそして夢を培うものとしての、実体としての人間の在り方即ち‘労働’ないし‘実践’である。それは祈りなのではなく、肉体の隆起と汗の臭いをそなえ、刻苦し創造し積み重ねるものとしてある我々の生きる姿そのものなのであり、それが‘唯物論’たるものの源泉なのだ。これによって、それは史上はじめて神ならぬ人間主体の実践をまともに歴史の主役に押し上げた。ゆえに、マルクス主義はこの20世紀において最も深遠な射程と可能性を内包し得ていたのである。無数の人々が夢を馳せ命を賭したのは部分であったことを忘れることはできない。
 現実の苦難と格闘を忘却し、形式としての概念と字面だけを操作したこの宗教学者の浮かれた議論は、ゆえに生命と自然の厳しさにさえも盲目な、いずれ生命と自然自身によって報復されるだろうものでしかなかろう。頭でっかちな、また知識人の悪い癖との誤解の種を振り撒きそうな思想、そこに現実に生きてある我々の姿はない。これに涙することは、やはりできない。

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