『宝島』の変貌



 近頃の『宝島』って買うのが恥ずかしい。とにかく「ヘアヌード」、「過激撮りおろし」のオンパレード、いつからエロ本みたいになっちまったんだ?「VOW」コーナーを引き抜いちまえば、『スコラ』か『GORO』あたりと変わんないじゃんか。
 あちこちの雑誌で『宝島』批判を見かけるぞ、「昔はカッコよかった」ってさ。そりゃあそうだ、80年代前半はテクノ&サブカルチャー系の雑誌だったよな、分厚いA5版で小難しい批評とか文化論も載っててさ、モミアゲ剃り落とした坂本龍一モドキが小脇に抱えてたっけ。で、80年代後半はパンク雑誌だった。いまみたいにB5版中とじになってからも、新鋭アーティストのインタビューやパンク系ファッション、ギグのルポなんかでブイブイ飛ばしてたっけ。原発反対を展開してたのも、70年代「LOVE&PEACE」を呼び戻してきてたのもこの頃だ。『ポパイ』とかのマニュアル雑誌を叱り飛ばして、あからさまに「チンポ!!」とかいう禁止用語が飛び交ってた。それはエッチじゃなく、かってパンク野郎たちの叫びがそうだったようにまだ反体制的な響きをもっていて、自由を求めてあえいでた中高生のバイブルになってたよ。そう、『宝島』って言やあトンがって反抗的なサブカルチャーの代名詞だった。 それが、一時期クラブ系キッズ御用達雑誌になったりして、いろいろ紙面替えをしているうちに、いつのまにかヘアヌード雑誌になってしまった。しかも、とっくに枯れてしまったネタじゃないの、ヘアの露出って?
 当の編集部は、「売れない雑誌をつくって何になる」と開き直ってるようだけれど、さもありなんということかも知れない。もともと、サブカルチャーが反体制的だということからして幻想に過ぎなかったのだ。そんなもん、70年代学生反乱のとっくに滅びた夢なのだ。パンクが、エロが、どうしてほんとうに反抗的だと言えるんだ?真面目に革新を目指す者がたった3コードしか使わない様式化した音楽を作ろうはずもないし、まともに性の解放を唱えようとする者が脱げばいいという安直な姿勢に陥るはずもない。そんなもん単なるポーズでしかないよ。その仮面が剥がれてきただけ、ならば『宝島』はまぎらわしい反抗のポーズを捨ててしまえばいいのに。いまや単なるしおれたエロオヤジ向けっぽいよな、この雑誌。


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