第3号宣言

人々に限りない信頼を



 新保守主義の主張をごく具体的に要約して述べてみれば、次のようになる。「争いごとが絶えず犯罪が増えるのも家庭内が不和になるのも、そして騒乱がはびこり学校が荒れるのも社会が健全でなくなるのも、或いは秩序が崩れ自然が破壊されるのもゆとりが失せるのも、もとはと言えば全てお前たちがバカで考えが愚かだからだ。」



1)清新な装いさえ剥いで見てみれば、新保守が叫んでいる'社会的弊害の近代思想への責任転嫁(第1号宣言)'とは、実質的な内容において人々への侮蔑と不信に彩られた、いわば選民思想に過ぎないものだ。近頃よく聞かされる'悪しき平等主義'や'権利をかざした暴力'といった、社会や近代思想への善良な警告の振りをした非難の言葉も、十把ひとからげに人々を愚か者扱いする限りにおいてこの類である。新保守主義の代表的哲学者ダニエル・ベルは「天才の民主化」という言葉で巧妙に語ったものだが、しかしそんなに人々が権利を獲得し、発言し、参加しようと求めることは馬鹿げたことなのだろうか?
 彼らは、何故我々がかようにあり、かく求めねばならないかを見据えようとしない。それは戦災に追われる難民に小綺麗な身なりを求めるようなものだ。安全な場所から高飛車に見下した残酷な嘲笑でしかない。我々は犯罪もなく、温かい家庭に子ども達も笑み、頽廃も争いも必要としない、そんなあらゆる豊かさと平和を享受できるような条件のある生活を現に過ごしているのだろうか?満員電車に詰め込まれ長時間労働に縛られながら、産業の歯車のもと競争と金儲けに駆り立てられて心身を擦り減らし、不満とストレスをはち切れんばかりに抱えながらなお乏しい賃金のために奔走する日々の中で、それでも人々は耐え刻苦しながら明日の生活を創造しようとしているのではないか。産業の競争の渦中で他者を信頼できるだろうか?長時間労働と遠距離通勤のもとで温かい家庭が築けるだろうか?歪んだ抑圧と疲労は薄暗い悦楽や遊興抜きに解消できるだろうか?なお懊悩しながらも尽力し自らの地歩を守りゆこうとする人々が、よりにもよってバカ呼ばわりされるいわれはどこにもない。またその為に、改善の為に人々が権利を要求し、発言し立ち上がることは何より妥当であり当然のことなのだ。それは暴力でも思い上りでもない。これに平気で罵倒を投げつける浮かれた者にこそ、この言葉はむしろふさわしいだろう。



2)我々は他者への信頼こそ擁護せねばならない。人々の要求すること、苦悩することに限りなく共感することができるかどうか、それがもともとの保守か革新かに横たわる重大な分岐点であり、なお今日においても有効な観点だろう。相互打倒的、頽廃的な社会状況下にあって、なお表面的な退廃や歪曲に惑わされず人々への信頼の観点を維持するのは非常に困難なことではある。しかしながらこれを反省しつつ擁護しない限り、我々に未来の訪れることは決してないだろう。改めて我々は、反省しつつこれを確認していこう。


もどる