第4号宣言 

流行としてのポスト構造主義に最後の終止符を


1)かって60−70年代に高揚した反戦、変革運動がやがて下火になった後に、新しく颯爽と登場してきたのが構造主義−ポスト構造主義と呼ばれる思潮であった。彼らは先行した諸理論に対して、次のような意義申し立てを突きつけた。−マルクス主義や実存主義といった諸々の先行理論が掲げた'人間主体の回復'という希求、いわば'疎外された人間が変革ないし実践によって再び主体性と自己を回復する'という命題は、単なる夢物語でしかなかった。何故なら、その理論上で追い求められる'人間主体'とは確固とした実体的、存在論的なものではなく、構造や記号の流通や集合、戯れがつくりだすものに過ぎない、或いは近代的思想の理論上の産物に過ぎないからだ−このいわゆる'主体性批判'、いわば先行の変革的な、実践的な諸理論にとっての生命線たる'人間主体'を解体してしまうことによって、彼らはかって求められてきた変革ないし実践の終焉を宣言することになった。
 これは変革ないし実践要求の破棄であるばかりでなく、近代的な理論ないし思想に根底から破産を申しつける重大な提起でもあった。啓蒙主義以来、現実社会へと連関する透明な窓としてうたわれてきた哲学の役割に、彼らは失効を言い渡してしまったのである。哲学や思想はこの構造主義−ポスト構造主義がやがて流行するにおいて、現実社会での実践や変革運動に結びつく必要のない、いわば知識の戯れと化した。
 80年代という時代は、この彼らに大きく傾いた。とりわけ'ポスト・モダニズム(近代主義以降)'を喧伝するポスト構造主義は時代を席巻し、一躍流行思想となった。彼らは叫ぶ、変革や実践を掲げた近代思想は終焉した、思想は知識の遊びであり、我々がすべきことは闘争ではなく逃走である、と。
 ここまで述べればわかるだろう、我々の身近に見聞きされた、「価値観が違う」として議論を回避し、「人それぞれ」と言論を遊戯化し、「逃走に意味がある」と変革や実践に背を向ける考えが、ポスト構造主義−ポスト・モダニズムのもたらした80年代の流行思想に過ぎなかったということを。明言しておかねばならないことだが、これらは前述したように、もともと人間の主体性や意志を解体することによって始めて述べることのできる、いわば確固たる個人の主体的内面の尊重や擁護といった普遍的、伝統的な次元とはまるで無関係の、反対的な思想でしかない。伝統的な近代思想、ないし個人主義に「価値観の違い」や「人それぞれ」という議論は存在しない。個人の内面は、もともと変革や批判−議論の為に保障されているのである。そこにあるのは、たかだかここ10年の間にはびこった臆病で無意味な、そして卑劣な言葉遊びでしかない。



2その通り、90年代に入って流行としてのポスト構造主義−ポスト・モダニズムはあっけなく破産してしまった。端的な理由は、人間の主体性を解体してしまうと、哲学や思想そのものが成り立たないからである。思考する人間主体や他者の存在を欠いて哲学や理論は何の意味をも持たないからだ。つまり、誰にも何にも連関しない言語の遊戯なら、思考したり発言したりする意味がない。これらは恐るべき無関心と無意味の蔓延した浮かれた80年代の遺物に他ならなかった。
 ポスト構造主義の代表的哲学者、J・デリダの'マルクス主義者'宣言と'デリダ・モード'批判以降、かってのポスト構造主義−ポスト・モダニズムの哲学者達はいまやあわただしく先を争って自己破産を宣告し始めている。ポスト・'ポスト・モダン'が言われ、我が国でも浅田彰や中沢新一がマルクス主義への注目を語り、実存主義も再興してきている。あまりのあっけなさは時代の流れの甘くなかったことを物語る。



3)しかし、忘れてはならないことは、デリダが苦々しく述べていたのは流行としてのポスト・モダニズムの脆弱さへの批判であったということである。もともとのポスト構造主義は「価値観が違う」とか「人それぞれ」といった安直な逃避や遊戯とは無縁であったはずなのである。アメリカと我が国のアカデミーでの流行という事象が全てを安易に歪めてしまった。デリダの国フランスでは、それは批判精神を唾棄するものではない徹底的にラディカルな運動である。アルチュセールやデリダ達が目指していたものは、変革者としての立場からの社会、政治、経済、体制全体とそれに縛られる自己(人間主体)というものの脱構築であり解体である。決して臆病な自己の弁護を続け、あたたかな羊水に浸るようなものではない。知を解体するということ、それは自己をも解体し開示させるという勇気を持った厳しい思想の言語なのであった。
 安直な導入と安直な破産宣告の責任は、まごうことなく安直に逃避と遊戯をふりかざしてきた80年代の我々にある。そしてその流行は、いまや明らかに破綻した。ポスト・モダニズムの側からもその反対の側からも、歴史の彼方に破棄されることが決定されしまっている。すみやかにかっての流行の残滓を払拭し、改めて問い直すことが我々に求められている。



4)相互の批判精神を擁護し、議論を遊戯にしてしまわないことによって、我々は成功してきた。もしも「価値観が違う」、「人それぞれ」という主張のまかり通ることを許していれば、今頃は学友会自治委員会もなく、ともに過ごした享楽の日々も、そしてこの『勤労市民』もなかっただろう。上っつらの寂しく仮面をかぶったつきあい、下らない通り過ぎていくだけの接触に陥るのを免れて、共同で創造していく日々を我々が過ごすことのできた分岐点がここにある。我々は言葉だけの、垂れ流すだけの議論を嫌った。それぞれが発言に責任を持つこと、他者に向けて発言する以上、他者に対して自らを開き、批判に開かれていること、そして責任を取ること、実行すること、そこからそれぞれに対する承認と信頼と共同が生まれた。日々に必要な実行の為に、妙な意地やプライドは不要だった。閉じた言葉、自己満足を語るものであってはならない。でなければ他者と連携し、信頼を得て共同することはできない。それが我々の教訓だった。
 人のそれぞれを言う者はそれぞれと手を結ぶことを知らず、自分を語る者ほど自分を認められない。他者と楽しく過ごしたいなら、そんなことは言わないことだ。自ら連携を閉じようとする者と、人は共同しようとは思わない。
 批判されること、他者との連絡を要求されることから逃避することが、個人の確立でも自由でもない。他者あっての個人である。共同のない個人はすでに個人としての体をなしていない。それは何の実体も持たない現代社会の作り出した操り人形でしかないのだ。


もどる