第5号宣言

戦後50年目の夏にあたりあらためて近代的諸原則の擁護を呼びかける


 8月の青空に、今も若き詩人の叫びがこだまする、と反戦詩は歌う。非業の死と残された辛苦の生を、流れゆく無数の灯篭が、鐘に捧げられた折り鶴が静かに語りかける。我が国の夏はあまりにも悲しい。それは痛苦の反省と新生を誓うための季節なのだから。
 かの戦争を振り返るのは、しかし帰らぬ者達の声を代弁するだけのためではない。勿論、民族の威信や国際社会への配慮などといったちっぽけなもののためでもない。なによりもまず我々の新たな歩みと生のために、我々はかっての侵略国家と弾圧社会を反省する。この苦い反省なしに、戦後民主社会の出発はなかった。我々の享受する戦後の民主的、平和的、近代的諸制度と諸理念のために、あらためて戦前との決別を確認するのである。
 戦争の美化や合理化、戦前型社会の復興を待望する声などが錯綜する今日の状況は、ゆえに我々の戦後社会がかちとり、前進させてきた諸原則の危機を意味している。戦後50年目の夏にあたり、我々はあらためて戦後の諸原則の擁護を呼びかける。



1)市民的立場の確立と民族主義批判
 戦後社会の掲げる原則の第一は、市民的ステイト(立場)の確立である。あの45年の夏以来(正確には46年の天皇人間宣言、47年の憲法公布以来)、我々は天皇によって統治される「国民」から民主的な法によって社会と契約する「市民」となった。近代市民社会であることの重要な指標の一つは、その社会の構成員が「国民」ではなく「市民」という立場を取り、これを自己確証の拠り所とすることである。そして、民族国家から相対的に自立した「市民社会」を形成し、国家ないし権力の干渉を一定排除することである。いわば我が国は戦後においてはじめてまともな近代市民社会を体験したのである。
 かっての戦争を国家の犯罪として指弾し、これをもたらした民族国家主義を排除する観点は、ゆえに国家から自立した市民的立場の原則からして当然のものである。戦争犯罪を反省することは、国家が再び人々を巻き込み暴走するという愚を繰り返すことに抵抗する決意、いわば国家の権力濫用への批判に結びついている。アジア解放のためだったなどと戦前国家の侵略性を正当化することは、アジアの人々自身の尽力に対して失礼なうえに、絶対主義的天皇制下でなされた反対勢力への弾圧を擁護することと同等なのだ。戦前を美化して民族の誇りを語り、新たに民族国家主義に基づく社会再編を叫ぶ声は、我々の市民的立場がかちとった自由と民主主義を破壊するものなのである。
 戦後、「民族」が人々の口の端にのぼらなくなったのには、こうした大きな理由がある。近代市民社会は人々に民族や宗教に頼らず、それぞれが「個人」として自立することを要請する。それは、自らの観念がでっちあげた、美化されたものとしての「民族」や「神」にかえって自らを従属させ埋没させるという、転倒や甘えや自己中心性を突破して、それぞれが自らの足で立ち、歩むことを求めるものだ。自らの考えと手で社会にはたらきかけ、自己中心性を抜け出して他者と向かい合い共同するという、自立的共同こそが近代社会のもともとの積極的な原則なのである。どのように現代社会に矛盾が大きく、人間の疎外や分裂が進行しているとしても、近代社会がその根底にこうした積極的原則を抱えているということを忘れてはならない。



2)科学性と観念性批判による自立要請
 民族や宗教といった観念的なものを突破するものとしての「科学」が、戦後社会において高く掲げられたのはこのゆえである。反戦と社会の前進のための武器、それが科学である。
 だが、環境破壊や都市の無残なたたずまい、核をはじめとする非人道的兵器の登場や高度文明下での人間の疎外や商品化などを全て「科学」の責任とみなす声も、今日に一方では高まっている。「科学」は対象を「物」として見るゆえに、人間や自然の「物化」をもたらしたのだという。しかしながら、あらためて確認しておかねばならない、「科学」におけるように客観化して物事を見る「対象化」と、ある対象を物や商品として見る「物象化」とは全く次元の違う認識機能である。「対象化」と「物象化」のあいだにこそ論ずるべき多くの課題があるのだが、反科学や脱科学を唱える者達は両者をごちゃまぜにして課題そのものを消滅させてしまう。実際に環境破壊や商品化をもたらしてきたのは、「科学」を応用して生産や商品に結びつけてきた「産業」や「工業」の責任なのである。全てを商品や物として見る態度は、もともとは生産物や商品を生業の糧とする産業や工業のものなのである。学問に自然科学、人文科学、社会科学という名のある通り、「科学」とはそもそも客観的に物事の理や仕組みを追求しようとする理知的態度のことであり、それ自体で「産業」や「工業」と等号のものではない。「科学」の何たるかを見ようとせず具体的課題を忘却してしまう反科学、脱科学こそ全てを産業か工業の観点に埋没させてしまっているのである。むしろ、「科学」は危機を自らの課題として引き受け、いつでも文明の犯罪や人間の商品化を暴き警鐘を鳴らしてきたことを我々は忘れてはならない。
 繰り返し述べよう、科学の客観的見地は、自己中心性から脱却することにその意味を持つ。観念論の自己中心性に対する批判であると同時に、共同への重要な手段なのである。それは矛盾や弊害を暴き社会を前進させる武器であるとともに、刷新のための連帯と運動を支えてきた、我々の社会の健全な部分なのである。
 我々の戦後社会、市民社会の出発には、自立と共同という理念があった。いまだそれは未完であり続け、また我々の社会が多くの矛盾を抱えていようともなお有効なものである。だからこそ我々は『勤労市民』という名を掲げているのである。我々はあらためてこうした諸原則を胸に刻もう、無数の犠牲者のうえに、我々の前進があったのだ。我々もまた、先人の後に尽力の跡を続けねばならない。

もどる