第6号宣言

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」


 冒頭に掲げているのは戦前の陶芸家、柳宗悦が好んで用いたという格言だ(もとは松尾芭蕉の句)。高級趣味のものでも、名声のためのものでもない、あくまで身近な生活の具としての陶芸を目指した宗悦の態度がここに凝縮されている。同じ時代に世界で、芸術と生活の統合を目指した芸術の前衛達の心境も、またこれと同じようなものだっただろう。「芸術における表現主義者であるにとどまらず、人類の表現主義者たれ。(クルト・シュテルマー、「11月グループ」への挨拶)」
 それから半世紀以上が過ぎているが、果たして芸術の日常離れと芸術家の天才という伝説はなお生き続けている。美術館の多くが観客の少なさに頭を痛めている、つまり一方で芸術作品そのものはまだまだ一般の目に触れていないという状況が続いているにも関わらず、芸術家は世間離れしていても良いだとか、絶対の自由人であるだとか、または理解のない人々によって迫害される悲劇的な宿命であるだとかいった「伝説」だけが通俗化して一人歩きしているのである。
 これはとても奇妙なことだ。もともと芸術家に自由で天才的な「創造的個性」という特権を与えたのはカントだったが、そのカントは周到に注文を加えることも忘れてはいなかった。「天空を翔る天才も放恣に過ぎるとき、よき趣味がこれを調教すべく天才の翼を切らなければならない。(『判断力批判』)」合理的な批評と鑑賞を彼は待望したが、しかし今日ますます芸術批評の片身は狭くなっている。
 表現者についての伝説が信じられ、何であれ表現したいと願う声は強まっているのに、不思議なことだが、それを受容しようとする動きは弱い。それは別に美術に限ったことではなく、作家を志望する人々は増えているというのに、文学誌は低迷を続け、詩作を嗜む多くの人々は詩の読者ではない。映画と童話とイラストレーションには、解説や宣伝がありえても、批評誌なるものは存在しない。
 もともと歴史に名をとどめる表現者達は、決して自家中毒的な、自己満足的な表現者だったわけではない。カフェで彼等が論じたのは、「実り多い地盤の上に立って…若き自由ドイツの倫理的建設のために我々の最良の力を捧げることこそ、我々のもっとも高貴な義務である。(ルードルフ・バウアー、「宣言草案」)」といった、時代の趨勢と表現の歴史を受容しそこに身を投げ込む表現のありかたであり、決して自らの内側に固執し埋没するようなものではなかったはずだ。彼等は芸術の特権と偏狭な自我に安住することを拒絶して、いかに自らの枠を突破するかに全てを託したのである。
 表現を願う者にとって、芸術家の「伝説」と「特権」に陶酔することほどタチの悪いものはない。孤立した内容のない「自分」への注目を要求することの醜悪さは自覚しておくに値する。表現史や他の先鋭的表現の受容や鑑賞の欠落が、自分が、自分がと叫ぶことを可能とさせているだけのことである。表現を希求するならば、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という宗悦の言葉をもう一度考えてみるベきだ。


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