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『マルコポーロ』とホロコースト・リビジョニズム


       

 報道された通り、月刊『マルコポーロ』誌が95年2月号をもって廃刊となってしまった。同号に掲載された「アウシュヴィッツにはガス室など存在しなかった」とする医師、西岡昌紀氏による記事(「ナチ『ガス室』はなかった」)が、ユダヤ人団体から「ホロコースト・リビジョニズム(修正主義)」だとの抗議を受けた結果のことである。
アウシュビッツの嘘
 この事件をめぐって各報道では様々な意見が飛び交った。表現の自由や歴史の記述の難しさ、(ユダヤ人への)差別をめぐる問題などなどが取り沙汰されたのだが、いわばこの出来事を機に「メディアの姿勢」そのものが問われたのだとも言える。しかし、まず端的に述べるに、いきなり廃刊という幕切れに不満はあるとしても、この「ガス室はなかった」という記事自体はまるでデタラメな代物であったことをまず確認しておきたい。
 何故なら、まず第一に筆者、西岡氏が記事で「ガス室はなかった」「それは旧共産国のでっちあげだった」と主張するにあたって参考としている『ロイヒターレポート』などの文献が科学的、公正的なものなどでは決してなく、札付きの極右およびホロコースト・リビジョニスト達の手になるものであるということだ。『ロイヒターレポート』の筆者で'ガス室専門家'を自称するF・ロイヒターなる人物は、処刑器具(電気椅子など)の製造業を本職とする、実際には化学の高等教育を受けたことのない単なるカルトマニアである。また、この彼がE・ツンデルという極右からの資金援助を受け取っていたことも現在では明らかになっている。このツンデルという極右は国際的に札付きの反ユダヤ主義者W・カルトの主導するIHR(歴史修正主義協会)のメンバーであり、ちなみにあの八追純一のスペシャル番組「ナチスがUFOをつくっていた」で重要な情報者として紹介されたこともあるヨタ者だ。ヒトラーがノストラダムス予言を信じていただの、ナチスが超能力を開発していただの、或いはユダヤ人結社が世界を征服しようとしているだののインチキオカルト話の殆どの発信源は、実にこのIHRなのである。ともあれ、という具合に西岡氏が下敷きとしている文献類は疑わしい限りなのだ。
 にも関わらず西岡氏は「科学的」で「公正な論議のために」記事を書いたと述べているが、しかし第二に加えてこの記事は科学的記述である資格を決定的に欠いている。それは、『ロイヒターレポート』などの二次文献ばかりを下敷きとして論を組み立てており、実際の目撃者やガス室からの生存者などといった「一次的な」体験者からの聞き取りがすっぽり抜けているからである。夥しい数の収容所体験者やガス室からの生還者、ガス室の遺体処理者がいまだ存命し証言しているのである。彼らの証言を全てどうして聞き取りもなく否定しうるのか?ナチスは敗戦間際、今後の訴追を恐れて大量虐殺の証拠を徹底的に隠滅することを計った。ガス室は爆破され、書類は廃棄され、遺体は掘り起こされ焼却された。つまり物的証拠は意図的に、計画的に残されなかったのである。生還者の証言さえ無視すれば、いくらでも勝手な推測が成り立つのは当然なのだ。また、西岡氏自身、医師であってガス室を分析し得る化学の専門家ではない。例えば、ガス室で用いられたとされるシアン化水素は空気より軽いので天井から散布しても人は殺せないはずと記事にあるが、シアン化水素の酸素比は0.84倍程度である。酸素比0.87倍の窒素が大気外に拡散せず酸素と混合して地表に存在するのと同じ理由で、下方への拡散、滞留は可能なのだ。こうした記事にある幾つかの誤りが既にあちこちで指摘されている。
 こんなデタラメな記事ならば、虐殺の傷もいまだ深い当事者であるユダヤ人団体からすれば、熾烈に抗議されるのも当然というものだ。大体、筆者西岡氏にはこの当事者が存在しているという視点が欠け落ちている。本国ドイツや周辺のポーランドなどの国々にとって、このユダヤ人虐殺をめぐる言論には筆舌に尽くし難い凄絶な重みと痛みがある。それは現在の国家や社会、思想の存立に抜き差しならず関わっているのだ。それを遠く離れた我が国で、またこうした痛みから切り離して「ガス室はなかった」云々を述べるのでは、あまりに気楽過ぎはしないか?これは酷過ぎるほどに無責任な、議論オタクか歴史をオモチャにする者の論でしかない。これを掲載した『マルコポーロ』の編集部とて、いきなりの廃刊は疑問だとしても、言論に携わるものとしての資格が問われるのも当然である。
 かってドイツの哲学者Th・W・アドルノはこう書いた、「アウシュヴィッツのあとで詩を書くのは野蛮である。」彼はユダヤ人であったが、我らの拭いきれない決定的な罪として、戦後社会の原風景としてこの悲劇を描いた。それは決して議論オタクや雑誌の部数拡大のための挑発に供して良い課題ではない。
歴史をオモチャにする者
 しかしながら我が国でこの課題を取り上げなければならないゆえもまた、別にある。かってドイツと同様に「人道に対する罪」を裁かれ、侵略国家であったことへの反省から出発した国家、それが我が国である。「ガス室はなかった」という言論は、我が国では「南京大虐殺はなかった」とする残酷な言論に似ている。歴史をオモチャにする者、リビジョニストはこの国でも抜き差しがたい役割をいまだ果たしている。
 評論家、西尾幹二氏をその代表的な例として取り上げよう。この『マルコポーロ』事件に際して、まさしく火事場泥棒のごとく西尾氏は述べている(『宝島30』95年4月号)、「果たして日本は、国民総動員体制をとったとはいえ、ヒトラーとナチスドイツのような人種絶滅、集団抹殺といった'人道に対する罪'を犯したであろうか。…日本とドイツは異なった戦争を戦ったのである。ドイツは、国家そのものが犯罪であった。しかし日本は'犯罪もすることのある国家'のひとつに過ぎなかった。」彼は、つまりナチスとかっての我が国は違うのであり、いわば端的に言えば免罪されるべきだと主張する。「(朝日新聞のように)犯してもいない犯罪でもって、日本人の倫理感を批判するとはどういうことだろうか。」
 無論、ナチスドイツとかっての我が国の絶対主義的天皇制では、その性質は大きく異なる。しかし、だからといってかっての我が国が免罪されるゆえんはどこにもない。西尾氏の主張は「あいつはもっとひどいじゃないか」という子どもじみた居直りでしかない。
 「日本人は大量虐殺目的の強制収容所をつくったこともなければ、インドシナ人やフィリピン人を絶滅するなどということを夢にも考えたことがない。それどころか、南の国々は日本によって解放され、独立している。あるいはその道筋を与えられた。」しかし西尾氏は都合のいいことに朝鮮半島の悲劇を忘れているのである。我々はともすれば忘れがちだが、朝鮮半島が南北に分断され、いまだ肉親同士が離れ離れになってしまっているのは何の為なのか?一歩間違えればドイツのように我が国が分断の憂き目に遭遇していたはずである。沖縄とともに、朝鮮半島は我が国の代わり身だった。或いは、ドイツがかっての東欧諸国に向かって、「我々のおかげで諸君は共産国になれ、バルカンには平和が訪れたのだ。」と呟いたとすればどうだろう。これと同じことを西尾氏は叫んでいるのである。戦後のアジア諸国の独立は間違っても我が国の功績などではない。それは差別意識剥出しの、アジアの諸国民自らの尽力を無視した失礼な戯言である。
 また、かって我が国は明らかに朝鮮民族を絶滅しようとしたのである。非情な計画性と冷徹さをもって知識人層を根絶し、労働力として移送し、文化と言語を剥脱し、この世界から朝鮮民族が存在する痕跡を完全に抹消しようとしたことは紛れもない事実である。
 中国大陸では三光戦と呼ばれる非道極まる作戦が遂行された。「焼き尽くし、奪い尽くし、犯し尽くす」その結果、日本軍が通り過ぎた後には「稲一本、処女一人残らない」とまで言われたのだ。大陸の多くの炭坑では、中国人が使い捨てられては殺害され、埋め込まれており、いまだ夥しい数の白骨が地下からは掘り起こされてくる。南京大虐殺や731部隊など、その結果の氷山の一角に過ぎない。この非情さは歴史的にどのような戦争においても比類がないだろう。これが「人道に対する罪」でなくてなんだというのか?
 そしてまた、西尾氏は否定するが、かっての我が国は間違いなく「国家そのものが犯罪」であった。絶対主義的天皇制は、共産主義者や自由主義者を始め反対者をことごとく物理的に封殺した。国家の存在そのものが大量の虐殺や弾圧、侵略に結びついていた。その存続のためになりふりかまわず玉砕や特攻をも礼賛したかっての国家は、我々日本の国民にとっても犯罪そのものであったのだ。
 かっての侵略がなければ、虐殺がなければ、我々日本人は確かに安堵できるだろう。こんな忌まわしい過去さえなければ、もっと素朴に国家や文明というものを信頼することができるからだ。同様にアウシュヴィッツがなければドイツ人は、原爆がなければアメリカ人は救われる。しかし残念ながら、この安寧は実に安易である。我々の足下には無数の無辜の死者達が横たわっている。狂気と惨劇は我々の半身を染め上げている。おぞましき自らの姿を鏡に映し出すには、あまりに途方も無い勇気が必要だ。正視に耐えられない者、安直な救済と被害者への残酷な忘却を求める者、それがリビジョニストの正体である。
 西尾氏は、決して西岡氏を指弾する立場にはない。同様に歴史をオモチャにする者でしかないのだ。彼らは論述する前に誰に対してではなく、自らに対して盲目である。「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる。」ドイツ、ヴァイツゼッカー大統領(当時)による1985年の有名な演説である。