第12号宣言「私達は攻勢に転ずる」
私達はこの4月をもって再び攻勢に転ずる。
『勤労市民』読者及びPPPの各位へ。長く潜行と模索を続けた私達であり、この間、各組織と企画は緩やかに解体しつつあったが、再び目的と方向を新たに高く掲げ直し、活動と機関の拡充へと反転することをここに宣言する。
この長い休暇の期間、私達は煩悶とともにあった。第一の課題は、大きく変転しつつある現代社会にあって、私達のこれまでのスタイルがどこまで可能であるかということであった。周知の通り、『勤労市民』及びppp活動の初発は、変革を担う既存諸組織の集中型体制への反省であり、個々を開花しうる自立的連携の模索であった。
その為に、私達は組織において集中を支える「全体的理念」への批判から開始した。私達は、ゆえに「第7号宣言」において個々を全体へと宙吊りにしてしまう形而上学的な「統一的主体」という幻想にしがみつくのではなく、あくまで日常の実践的活動の上に張られた能動性のうちに〈私〉の根拠を見出したのである。
しかしながら、私達が甘く観測し過ぎていたのは、宣言にうたわれていた日常の能動性への自らの投げ出しということをまともにやろうとするならば、それはほとんどその手に守るべき財を持たない「漂流者」となるしかないということである。
結果的に言うならば、私達は自らを守り過ぎていたと言うことになるだろう。地位、財産、過去の記憶、そして自尊に関して、私達は殆どこの期間、自由ではありえなかった。幾つかの実践は、その線上を上滑りする格好で途絶している。
しかして、最も集中的には、他と代替し得ない〈身体〉への問いにおいて現れたと言える。例えば宗教は、これを「彼岸」の問題へとスライドすることによって解を提示し、革命諸組織は「歴史」を提示することによって前進し得た。しかしながら、私達は例えば「恋愛」や「病苦」や「生活」に対して、殆ど具体的な策を持っていなかった。
第二の課題は、メディア=〈媒介〉への問いであった。私達がこの間に感じていたのは、既存のメディア方式、例えば『勤労市民』のような雑誌媒体のありかたの限界というものである。私達は本誌において、個々をメディア上の仮想の人格へと転換させることによって、個を閉じることを突破しようと企ててきた。
しかしながら、それが開放ではなく、個の膨張に過ぎないという危惧も、当初から私達が感じてきたことであった。つまり、単に自意識過剰を膨れ上がらせる手段にしかならないのではないかということである。様々な実験を試みてきたが、実生活上の個と、メディア上の個を切断することに私達はうまく成功していない。
結論的に言うのならば、私達は活動の〈根拠〉をいまだ確定し得ていなかったのであり、その足場は砂上のものでしかなかったということである。現実生活に対抗しうる強力な伽藍を構築していくことを、私達はあれこれの理由をつけて回避し、ゆえに容易に実際生活のあれこれに埋没してきたと言うことが出来よう。
しかして、いまここでの攻勢への反転は、強固な連携、強靭な紐帯の構築を伴って開始される。
無論、私達の組織化は、集中型の形態への逆戻りを意味していない。確かに、歴史上、集中型組織は恐らく最強の形態であった。かつて六十年代の革新陣営の高揚は、どのような組織においてもこれまで凌駕されたことのないものである。しかしながら九十年代、再び巡りきた変革の時代において、それが可能である保障はどこにもない。
私達の組織と機関は、第7号宣言の初発の通り、時代への批判と検討において開始される。それは、安易な近代批判としての「リゾーム型組織」でも、自己の利害のみを重視する「市民的連帯」でも勿論ない。私達はこの世紀を超えて、変革の為の出発のあの言葉に立ち戻るだろう。
「鎖を解き放て、失うものは何もない。」
私達ppp幹事会は、いまここに唄うだろう。私達にとって、私達の共同は、自らの個を超えるものである。私達の根拠は、それぞれを制限するものを超えた結びつきと連携の閃きのなかにしかない。
私達は、ゆえにある意味で消滅するだろう。これまでの過去と、ある種の栄誉と、そして蓄財とに私達は頼ることをしない。
「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。」
という、かつての言葉を思い出そう。
それぞれの場所、それぞれの立場で格闘する各位へ。自らの範囲に囚われず、私達は共同しよう。私達は救済や千年王国を要求したりしない。そのために組識化するのでも、自意識の過剰を突破せよというのでもない。私達は、共同の為に共同するのである。
活動は再開される。その活動は自己の膨張の為ではなく共同の為であり、共同は活動そのものである。
pppの旗は、空っぽに見えるかもしれない。しかしそれは、大空の広大さであり、どこまでも翼をのばすことの出来る自由さなのである。